断裂

__ 
人間は理路整然とは生きていない。しかし、基本的にはそれを目指すものではないか。数学では、紀元前の理論をそのまま使うんですよ。なぜなら証明されているから。
苧環 
私も数学は好きなんですが、円周率などの無理数は文字通り「分からないもの」ですよね。人間の考えた枠に収まりきらない、次に出てくる数は分からない、さらに理屈では果ての方まで行くんですが、誰もそこまで行こうとはしないし。
__ 
そうですね。人間は自分の意識をマッピングしようとする。だが結局失敗する。その中をむりくり進んで行こうとするだけだ。
苧環 
「しあわせな日々」はそれが描かれていましたね。
__ 
「しあわせな日々」は、彼女がぼーっと生きてるようには全く思えなかったんです。緊張感に晒されながらも、うまく付き合ってるようにも見えました。自らの混沌に対しても。とても好感の持てる態度でした。
苧環 
でもやっぱり、しきれないんですよね。理屈では可能であっても、肉体でやろうとしても絶対に限界が生じる。秩序立てて生きようとしなくても生きられるという現実があるんですよね。そこに私は、こういう言葉を使うのは語弊があると思うんですが、人間の神秘を感じています。何かによって生かされているという感覚。その「何か」によって行いさせてもらっていると考えたとき、視点が変わる瞬間があるんです。あの劇はそこを狙って書かれていると思う。
__ 
生かされている。
苧環 
そういう感覚をお客さんが拾っていってくれればいいなと思っていました。もちろん人によって、切り替わっていくタイミングはまちまちだと思いますが。寝ました?
__ 
私は一秒も寝なかったです。懐中電灯で一歩一歩を照らしながら進んでいく彼女にものすごく共感していたから、むしろとてもスリリングでした。

断裂と断裂

__ 
最近、苧環さんはどんなことを考えていますか?
苧環 
自分が何で演劇をしているかというと、見えるものと見えないものの関係に切り込んで行きたいなと思っていて。社会とか人間とかのためではなく、純粋な個人の興味として。それが成立する形は何だろうと、ずっと思っています。ただ、やり方についてはどこか的を絞らないと、それこそ「しあわせな日々」のウィニーのように散逸していくので。どんな演劇をしているのか、というのが明確にわかるような形にしたいなと思っています。今までやってきたことを整理しつつ、シュミレーションしている段階です。
__ 
見えないものがなぜ成り立つのか。
苧環 
私はお能の稽古もしてるんですけど、能の上演って基本的なパターンは大体決まってるんですよ。ワキが舞台で言えば上手の位置に付いて、シテが幽霊だったり神だったり、時々人間だったりなんですが、彼らと交流する。ちょっと語弊があるかもしれないですけど、お能は演者の型だけ見ていてもちっとも面白くなくて、演者が作っている空気の方に意識を移すと俄然面白くなるんですよ。こんな話があるんですが、地上波で能の上演でずっと真ん中に座っている役者が映っていて、景色が変わらないから他のチャンネルをつけて、30分後にもう1回見てみたら、まだ同じ位置で座っていたと。
__ 
はい。
苧環 
形を見ていても面白くないんですね、でも演者が発している空気に注目するとものすごく芳醇なものが充満している。そこに視点がシフトする瞬間が、一つの理想ではあります。自分が目指す舞台の完成形だと考えています。
__ 
ちょっと、すごく脱線するんですけど、私はそのお能のエピソードについて話したいことがあります。
苧環 
はい。
__ 
だが、それを話すことによって苧環さんの思考を変容させるのではないかと危惧している。もちろんそれは貴重なコミュニケーションの一つには違いにないけれども、果たしてそうした「情報の受け手を信用して発信する」行いが一方的な強要とどう違うのか迷っているんですよ。いや、変なところで拘っているように見えるかもしれないんですが。幽玄を語るのに言葉を使っていいのか?
苧環 
それを強要として取るのかどうかはわからないですけど、でも舞台って消えものですからね。ずっと続くわけじゃなくてある限定された中で行われることなので。スポーツ観戦で試合に熱中している時はそこに包まれているんですよね。それが日常を支配し出すと危険なんですけど、舞台はあくまでフィクション。遊びのエンターテイメントだよ、と。
__ 
受け取り手の自由ということですね。
苧環 
そうですね、絶対に日常に帰ってくるので。

物語の演劇ではなくて

撮影:児島功一郎
苧環 
ちょっと別の切り口ですけど、物語というものがありますよね。物語は人を熱狂させ、ドラマに寄り掛からせる。最近私はそれを疑い始めていて、要は集団的合意ですよね、何歳になったら結婚して、いい会社に入って、年齢とともに給料が上がってみたいな。でも、いまそういう物語はそれほど信じられなくなっている時期に来ているんじゃないかと思っています。自分が子供の頃に比べると無効化されている。ドラマに同調していればうまくいった時代はすでに終わっていて、今は何でもあり。そして、なんでもありだと言いながら何をしたらいいのか先が見えない時期に来ている気がします。
__ 
なるほど。
苧環 
だから、ドラマそのものに頼る演劇というのは、有効性を失ってきてるじゃないかと思っています。
__ 
ドラマが個人にとって有効力を失った世界。
苧環 
自分を守っていた物語が消えたら、むき出しの個人が現れるんですよ。色付けされていない自分。そこで一体どういう演劇が立ち上がるかと言うと、物語の演劇ではなくて存在と現象の演劇が立ち上がってくるんじゃないかなと思っています。
__ 
むき出しの個人で創る演劇。人間とは何か、ではなく、自分とは何か、を問う演劇。
苧環 
ああ、そうですね。人間という抽象的なものではなく、私とは何か。

質問 ヒラタユミさんから 苧環 凉さんへ

__ 
前回インタビューさせていただいた、ナマモノなのでお早めにお召し上がりください。のヒラタユミさんから質問をいただいてきています。「これから一生これしか食べられないとしたら何にしますか?」
苧環 
えー。何でしょうね。究極的には食べないで生きていきたいんですよね。それは無しですよね。
__ 
別にそれでもいいですよ。青酸カリで自由になる、でもいいと思います。
苧環 
惑いたくないんですよね。じゃあ、卵にします。

色々なものが対等に

__ 
私は「しあわせな日々」を、ちょっとミステリー的な感じで観ていました。旦那のウィリーが生きてるかどうか推理する、みたいな。そこで伺いたいんですが、苧環さんは見せるための演出についてどう考えていますか?
苧環 
基本的には、一面的な価値観で支配するのではなく、複数のものを見たい人が見れるような角度で見れるようにしたいと思っています。
__ 
一つの価値観に焦点を当てすぎず、複数の価値を存立させると。
苧環 
そうすると漠然とした作品が出来てしまう、というのがありがちですが、多面からの観点に耐えるものにするには個人の肉体的な説得力だったり、そこに個人が立つ実感ですよね。演出は、そこにある種の支配力を与えずに、個々の色々なものが対等に見えるようなバランス感覚を図る。そういうことはいつも大切にしています。この間の「しあわせな日々」にしてもウィニーにだけスポットライトが当たりがちなんですよね。でもやっぱり二人が対等に同じ強度で見えないと、目に見えないものが立ち上がらないんじゃないかというのがあったので。今回、ウィリーにも違う照明があたるようにしてもらっていたんです。
__ 
バランスを取る、と。
苧環 
なぜかと言うと、バランスを取るその行為の間に、見えないものが現れてくるんです。何か、俳優術でも役柄演技でも、そうしたものに裏付けられた演技はとても安心して見ていられるし、それが力量のある役者さんだったらとっても入り込めちゃうんですけど、そうなった瞬間に固定されちゃうんですよね。人間だけになってしまう。そうじゃなくて色々なものが対等に、セリフのない人も、しゃべり続けている人もいつつ、その間に見えないものが存在できるようになる。
__ 
どこかひとつに肩入れすぎさせないということですか。
苧環 
そうですね、全体でバランスをとるということです。
__ 
物語の破壊と近いということですかね?
苧環 
物語はあるけれども、それを要素の一つにしてしまう。物語に支配力を持たせず、劇の要素の一つとして見せたい。
__ 
お客さんごとに色々な鑑賞の姿勢があると思いますが、劇構造を積み重ねていく人が大半だと思います。そうした方にとっては瞬時にゼロベースの評価を求めるのは、面白いかもしれないですけど、困ってしまうかもしれませんね。
苧環 
そうなると寝てしまわれるんでしょうね。良し悪しではなく、その人にはその作品が必要なかったというだけで。
__ 
演出家としては、間を現実化できるかどうか。
苧環 
そうですね。
__ 
そしてその間は価値があるかどうか・・・となると、価値という概念はここでは空疎であることに気付く。
苧環 
私は、無価値が価値なんじゃないかなと思うんですよね。役に立たないものの方がいいんじゃないでしょうか。道具は役に立つけど、人間も全て役に立つものでなければならないんでしょうか。有用なものに価値が置かれすぎてるのではないか。ぼーっとしてたらダメなんですよ、何か目的をもって生きていけないと、説明できないといけない、そうすると無用なものを軽視しすぎるのではないか。普通という物語を中心とした結果、人間が疲弊してるんじゃないかなと思うんですよね。
__ 
有用と無用。それぞれへの視線が均等に割り振らればいいですね。
苧環 
特に今は、個人の能力への有用性が問われすぎていて。ニートとかはそれの裏返しだと思うんです。役に立ちたくないという。バランスが偏向しすぎている。生きたいという欲求と死にたいという欲求のバランスを整えて、気持ち良く生きられるように。という希望はあります。振り子を楽な位置に持って行きたい。舞台でぐらい、それは見たいです。

も・の・が・た・り

__ 
漫画ゴラクと言う週刊漫画誌に「ドカせん」という漫画が連載されてるんですよ。ある工業高校に、どんな難現場でも成功に導くという伝説の土方・京橋建策がやってきて、職人や生徒の間で諍いが起きるとかっこ良く料理を始めるんです。生徒達は彼の手際を見て、勝手に「熱したラードで具材を炒める・・・は コンクリート流し込み!」とか叫ぶ。料理法と建築技術が、ギャラリーの中で明確なイメージとして共有されるんですよね。一話一話の最後で、その料理(チャーハンやオムライス)を食べながら「ド・ド・ド・ド・ド・ドカうまー!」って叫んで、職人(ドカ)への決意を新たにするんですよ。先人たちの歩みに思いを馳せながら。何が言いたいのかと言うと、専門性の高い世界の根本に物語を持っている人々にとっては物語が全てなんじゃないか。いや、一般職の人々にとってはなおさら、物語への希求心は強いんじゃないか。
苧環 
私自身、ちょっととっちらかった話になっちゃうかもしれないですけど、物語が悪だとは思っていなくて。ならなぜ物語を信用しすぎない演劇を作ってるかと言うと、自分の生きてる世界があまりにも物語を強制してくるものだったからです。そこから抜けたいがために視線を移したかったんです。ドカせんの生徒達じゃないけど、私自身物語を読んできて、自分の内面世界を豊かに広げてくれて、夢の世界としてはファンタジーとしてすごく広がったので。それこそ漫画も沢山読みましたし。それがないと人間って、想像力がなくなっちゃうと思うんですよね。料理と土方が組み合わさるというのはまさに想像力。オムライスを作る過程に建築を見出すのもそうだと思うんです。ただ、その中に入り込んじゃうと危険だと私は思っていて、それは人間を害することがあるんじゃないか。
__ 
今は、各国のドカコック達を料理対決させる「ドカリンピック」がドカ国家によって開催される事になって。ドカリンピックで勝った国が、国内公共事業の受注を一手に引き受けるそうです。
苧環 
ベケットの戯曲もそうなんですけど、信じるということと、信じる自分を客観的に見る自分を両立させないと、真実にはならないんですよね。突き放して外側から見てるだけでは世界に対する力は持ちえない。判断は出来る。危険だなと思った時に、そこから離れることが出来、同時に危険の渦の中にも自分を位置させる。役者は、いくら冷静さを保っていたとしても、自分の心の一部を役に預けてはいると思うんですよね。物を扱うように演じていても、人の心は打てないんですよ。そして、冷静な自分も持たないと、危ない。物語が駄目なんじゃなくて、物語も要素の一部に過ぎない。

俳優と演出

__ 
今後どんな感じで。
苧環 
来年の3月に出演する予定なんですよ。セリフのある役がかなり久しぶりなので、自分自身体を鍛え直さないといけないというのがあるんですけど。さっき話しましたが、見えるものと見えないもののために、身体術を、昔e-danceにいた時に飯田茂実さんに習ったやり方を思い出して、トレーニングメニューを俳優たちと共有して。久々に役者に戻って、俳優と演出の両方で行ければなと思っています。

クッションカバー

__ 
今日はですね、 お話を伺えたお礼にプレゼントを持って参りました。どうぞ。
苧環 
ありがとうございます(開ける)クッションカバー。黄色、好きなんですよ。ちょうど、家にあるクッションで使えると思います。冬にぴったりです。大事に使います。

「盲目の動物」

___ 
今日はどうぞ、よろしくお願いします。「ナマモノなのでお早めにお召し上がりください。」のヒラタユミさんにお話を伺います。
ヒラタ 
よろしくお願いします。
___ 
先月にウイングフィールドで上演された「盲目の動物」。非常に面白い作品でした。ループとリアルの漸近。前半、ひとつながりのシーンが何回か繰り返されて、それが何回繰り返されるかは役者が任意で決めているとの事でした。演出方法はもちろん、女子中学生の痛みを伴う生き方を突き放して描く作品。非常に面白かったです。
ヒラタ 
ありがとうございます。
___ 
あらすじとしては、中学生の女の子が二人いて、高校の見学会で男子シンクロの見学を見て、その1年後に同じ高校に入学するという、はっきりとは語られなかったですが、恋愛と衝動に混乱する女の子の話。その女の子二人は人間関係の末に離れていてしまうんですが、残酷だという結論に倒れることもなく、なんというか、そこにあってしかるべき湿度を感じたんですよ。「そうなってよかった」ということでもなく。
ヒラタ 
ああいう事って結構あるよな、と思って。全く同じではないですけど。自分では何をしたか理由がわからないんですけど、なんとなく距離を取られてしまってると言うか。セリフの、「何か怒ってる?」みたいな。
___ 
その距離を取られるというのは、あるべきことだと思いますか?
ヒラタ 
あって良かったなと思うのは、もっと年齢を重ねないと思えないと思います。まだ、割と地続きな感じなので。
___ 
観賞魚は直接触れられると火傷するんですね。
ヒラタ 
はい。
___ 
自分が買った魚を上から見続けるというのは、彼女にとってどういう行いだったんでしょうか。
ヒラタ 
彼女は本当はめちゃめちゃ触りたいんですよね。でも自分がそう思っていること自体も嫌で、ちょっと気持ち悪い。物理的に触れない、餌をあげるというのが精一杯の干渉だったんだと思います。
___ 
なるほど。
ヒラタ 
魚はこちらを見ないというのが大きいんじゃないかなと思ってます。犬や猫みたいに、基本はなつかない。私のことを覚えたりしない、というのが安心するみたいな。
___ 
と言うか、水槽の中からは外は見えないですもんね。光の反射で。餌をあげられても顔覚えるとかはない。双方向性は全くできなかったということですね。
ヒラタ 
しほちゃんはその双方向性が気持ち悪いなと思ってたんでしょう。こちらが一方的に見るのはいいけど向こうから喋りかけられるのは嫌だった。
___ 
彼女はなぜそんなややこしい精神状態になってしまったんでしょうか。
ヒラタ 
何でしょうね、別に特に理由はないんだと思います。
___ 
そういうめんどくささの中にようやく生きている。いや、もしかしたら死んでるのかもしれないですけど。彼女はいったいなんだったんだろうか。
ヒラタ 
普通の、その辺にいる女の子だったんじゃないかと思います。彼女は自分に起きたことをすごく劇的に捉えているけど。それは、周りにいる人間だからこそ言えることかもしれませんが。
ナマモノなのでお早めにお召し上がりください。
ヒラタユミが主催する演劇ユニットです。(Facebook公式ページより)
ナマモノなのでお早めにお召し上がりください。vol.7 ウイングカップ9参加公演『盲目の動物』
ナマモノなのでお早めにお召し上がりください。vol.7
ウイングカップ9参加公演
『盲目の動物』
作・演出/ヒラタユミ

2018年10月12日(金)19時~
13日(土)13時~/17時~
14日(日)13時~/17時~

【会場】
ウイングフィールド

【出演】
飯坂美鶴妃/草間はなこ/熊谷みずほ/
しゃくなげ謙治郎(爆劇戦線 和田謙二)/柳原良平(ぬるり組合/ベビー・ピー)/横山清正(気持ちのいいチョップ)

【スタッフ】
舞台監督/長峯巧弥 照明/三孕ゆき 音響/鈴木邦拡
演出助手/横田あや 制作/平田結水 宣伝美術・フライヤー撮影/脇田友
主催/ナマモノなのでお早めにお召し上がりください。
共催/ウイングフィールド

___ 
役者が前半部のループを繰り返すというのは、今日はこれだけ繰り返そうとかいうのを本番前に決めたりしてたんですか?
ヒラタ 
いえ、全然決まっていません。というか、リフレイン演出をしようということは最初からは決めていなくて。自然とそうなったというか。
___ 
こういう演出をしよう、と企画したんじゃなかったんですね。
ヒラタ 
出していた指示としては「もう続けられない」と思ったらやめる、でした。ちょっと細かいルールは決めてはいたんですけど、そのジャッジは別に誰でもよくて、男の子たちがもう無理と思ったらやめてもいいし、周りの女子たちが止めてもいいし。いろんな原因やパターンがありえたんです。
___ 
ちょっとインプロみたいですね。
ヒラタ 
ポストドラマって言ってしまえば簡単なんですけど、本当に自然とそうなったんです。「もうしんどいよね」となったらやめてしまう、みたい。
___ 
「気が済んだらやめる」ではなく「無理だからやめる」。
ヒラタ 
そのしんどさを発生させるために別の軸も用意していて(これはお客さんには伝わり必要はないんですが)、あの繰り返しは何かの儀式だということにしていて。その儀式をちゃんとやらないと大変なことになる。女の子が言うべきセリフを男の子が言わなきゃならなかったりで、そもそも完璧には出来ないところを無理やりやろうとしているというのを負荷にしていました。
___ 
その無理というのは、今考えると色々な方向に拡散してるという効果になっていましたね。
ヒラタ 
そこに関してはディレクションをしていなくて、個々の感覚を大事にしていました。でもお互いがやったことを絶対に無視しない、ということは徹底していました。あえて無視する、というリアクションも含めて。
___ 
上演の実行状況の中でしか産まれない膨らみに期待していた?
ヒラタ 
それは本当にそうですね。今そこで起こっていることに集中することで生まれる作品でした。でも、自分としては普通のことをしてるつもりなんですよね。いつの間にやら実験的になっちゃってるんですけど、私はドラマやお話が好きなので。即興劇みたいに、またはポストドラマみたいになっていくのはちょっと違うなと思っていて。今回ぐらいの塩梅が、物語がより響くための仕上がりなったらいなと思ってます。

舞台上で素のままで

___ 
ヒラタさんは、役者についてどう考えていますか?
ヒラタ 
役を作り上げて、その役になるということには、私はもったいないなと思っていて。そのままのその人こそが尊いと思っているんです。普段、自分のままでいるということはできないじゃないですか。友達と喋ってる時にでも、そのままの自分ではないと。
___ 
何なら、一人暮らしの部屋の中でさえ、それがそのままの自分の素なのかは定かではないですからね。
ヒラタ 
そもそもそんなものがあるのかどうかという話かもしれないですけど。後天的に身についたものやもしかしたら性格もあんまり興味がなくて。今回の役者さんも、私が単に好きだから呼んだんです。何かいいなと思った人。でも、頑張って身につけたものもすごく尊いと思っています。今回は「舞台上で素のままでいて下さい」というお願いをしましたが、技術が無ければ大変なことなので。
___ 
そうですね、それと技術は対立するものではないですからね。
ヒラタ 
人前に立ってるセリフをしゃべる技術が軸にある人。
___ 
仏教用語で言う本心ですかね。その人の存在や尊さが、技術と組み合わさって、または対立し合う、というところに面白さがあるのかもしれない。

最初といまと

___ 
ヒラタさんが作品の制作を始めたのはいつからですか?
ヒラタ 
一番最初に脚本を書いて演出したのは、劇団紫に入った1回生の秋とかでした。
___ 
なぜ書こうと思ったんですか?
ヒラタ 
子供の頃から漫画家になりたくて、ジャンプに投稿していたんです。それ以前に両親がアニメや映画の仕事をしているので、創作をするのが当たり前だったんです。演劇自体は小学生の頃からちょくちょくしていました。気がついたら演劇をしていました。
___ 
今のテーマは何ですか?
ヒラタ 
当たり前のことなんですけど、自分のしたいことをして、したくないことはしない、ということを考えています。「盲目の動物」に絡めると、主人公の女の子は自分のことしか考えてないですけど、そればかりだと自分が本当は何がしたいのかを見失うような気がしていて。「自分はこれがしたい」というのをちゃんと感じ取れるようにしたいです。自分が自分でいないと、自分の周りの人もどうしているのかわからなくなる。人見知りだと言うことにしていたんですが、そういうことじゃないな、と最近思い始めています。

示唆と、視差

___ 
稽古で気をつけていることは何ですか?
ヒラタ 
役者さんに質問をすることが多いんですが、聞いているこちらがフラットな状態であるように注意しています。そうしないと、聞いても何もならないことも多いので。あと、稽古をただの本番のための練習にしたくなくて。その日の稽古はもう二度と訪れない、後々振り返ったら人生の中で一度しか訪れなかった時間、になるかもしれないので。
___ 
役者に方向性を示唆したりとかはしないんですか?
ヒラタ 
なるべく言わないようにしています。こうなってほしいなと思ったら、その人がそうなるための状況を作るためにいっぱい聞く、ということをしていました。
___ 
うまくいきますか?
ヒラタ 
うまくいっているときもありましたね。ただ、ささやかなことです。例えばこのセリフは、その場にいない役に向けて喋ってみてください、だったりとか。その役の人は本番では舞台の上にはいないけど、例えば反応を返してあげながら聞いてあげてください、みたいに。
___ 
ある視点から見れば、役者としては直接指示いただいた方が楽かもしれない。でも、そうしなければ膨らみは出ない、という考えもできる。または、そういう環境を作りながらも状況は進んでいるので、その冗長性の中にこそ可能性が埋まっているのだ、と考えることもできる。または、その角度が当初とは逸れる事自体に面白さがあるのだ、とも言える。とても多義的な意味があると思います。
ヒラタ 
まさにその通りだと思います。完成形やゴールを定めてやって行くことはそもそも違うなと思っています。役者さんは確かに、指示を貰いたそうでしたね。けれど今回はそういうことではない、ということを説明するのに時間を割きました。
___ 
目標がなければ意識の齟齬は生じやすいですからね。
ヒラタ 
演劇じゃなくても、そうだと思います。これは私の言葉じゃなくて、演出助手の人が言ってくれたことなんですけど、鉄棒で逆上がりができるようになるために練習をして、できるようになったということを評価する、ということを我々はやらされながら大人になってきたんですが、逆上がりができて嬉しいという気持ちのところを私たちはやりたいんですよ。

質問 泰山 咲美さんから ヒラタユミさんへ

___ 
前回インタビューさせていただいた方から質問をいただいてきております。劇団どくんごに参加中の、泰山咲美さんからです。「どんな間取りの家に住んでいますか?」
ヒラタ 
実家なんですけど、一階が製本工場で、自分の部屋らしいものが無くて。何と言えばいいやら。ちょっと変な構造の家で、玄関に入ったら2階に続く階段がいきなりあって、上がったところの廊下に部屋が並んでいて、一番先にリビングがあります。リビングに区切りなくお風呂とキッチンが繋がっていて。部屋それぞれの境目もただの襖になってたりしてて、風通しが良い・・・じゃないですけど。変な家に住んでいます。

観劇をもっと身近に

___ 
今後、どんな感じで行かれますか?
ヒラタ 
ナマモノとして、同時に私としてでもあるんですけど、演劇を見に行くということがお金持ちの趣味みたいになっていくと嫌だなと思っていて。それは単純に私が何千円ものチケット代をポンポンと出せないから、あと、演劇がなにか、特別な人にだけ楽しめるような何か、であるだけではなくて、みんなとっての生活の一部になったらいいなということを考えています。本当に何か、気軽に見に来ればいいんですよね。利益なんか度外視して全て無料で行ったらどうなるのかな、みたいなことを考えています。
___ 
お金が絡むとそうはいかなかったりしますもんね。
ヒラタ 
すごく理想な話をすると、衣食住と横並びぐらいになったら。冬物のコートを買いに行くのと同じようなぐらいの感覚で。

カレンダー

___ 
今日はですねお話を伺えたお礼にプレゼントを持って参りました。どうぞ。
ヒラタ 
ありがとうございます(開ける)。カレンダー。
___ 
ちょっとほこりが入りやすい作りですので、時折手入れしていただければ。

「誓いはスカーレット」

__ 
今日はどうぞ、よろしくお願いいたします。劇団どくんごの「誓いはスカーレット」ツアーに参加されている泰山さんにお話を伺います。最近、泰山さんはどんな感じでしょうか。
泰山 
よろしくお願いします。旅公演も残りあと10ステージになって。旅に慣れたら慣れたで、毎日同じ芝居をやってるような気がしないと言うか。
__ 
なるほど。
泰山 
同じ作品を繰り返してるんですけど、同じことをしてるという気がしなくて。最初は80ステージもして飽きたりはしないのかな?とか思っていたのですが(笑)、まったくそんなことはなくて。やればやるほどに芝居のことが面白くなってきて、もっとこうしたほうがいいとかの壁にもぶつかりますし。体調も変わるし、季節も変わるので。日々、生きるということが芝居に直結しているなあと実感してます。総じて楽しいです。
__ 
その境地にまで行ってるんですね。感覚が鋭敏になってるんですかね。
泰山 
そういう事ですかね、なんだか自分の身体も変わってきてるみたいで。最初にやっていた時は会得できていなかったことができるようになってきていて。舞台の立ち方も変わっていってる気がします。見えてくる世界が変わってきているのかなと思います。
__ 
役者として次の段階に移っているんでしょうか。
泰山 
そうかもしれません。今の段階に登ったからこそ。元々芝居の人間じゃないので発声とか発語とか言葉の扱い方とか、まだまだだけど、70ステージもするうちに、うん、自分自身が変わってきたなという気はしていますね。
劇団どくんご公演第32番「誓いはスカーレット」
残るは2会場!
熊本公演
11/9~11 白川橋左岸緑地
鹿児島公演
11/16~18 中央公園(テンパーク)。

【出演】五月うか 2B 石田みや 泰山咲美 クヌギタナオヒト
【構成・演出】どいの
【美術・衣装】五月うか
【美術協力】山さきあさ彦(山ぐるみ)
【グッズ協力】aipu ヨコイマウ
【制作】黄色い複素平面社 空葉景朗 暗悪健太 時折旬 まほ


遊ぶということ

__ 
「誓いはスカーレット」。どんなツアーになってきていますか?
泰山 
私は2009年からお客さんとして観てきていたんですが、自分が憧れていたどくんごの世界が本当に自分もできているのか、大丈夫なのかというのがすごくあって。今でも客観的に見れないからどうなんだろうというのは残っています。でも見てくださっているお客さんには、今年には今年の良さがあると言って頂けているので。今年は今年なりにできているのかなと。
__ 
今年は、屋外というロケーションを最大に生かした作品であり、かつ非常に集中力の高いステージだなと思ってます。役者も観客にもエネルギーが求められる。そして、寄り道を一切しない感じ。
泰山 
そうなんですね、今年は凄くそぎ落とした演出と構成で。難しくもあります。反面、「全部アドリブなんですか?」と聞かれた事もあります。
__ 
全部アドリブかと思うぐらい、いつも新鮮。最近平田オリザさんのインタビューがヤングジャンプに載ってたんですけど、「良い役者とは」という質問に対して、それは赤ちゃんだ、と答えていて。「次の瞬間に何をするかわからない人」だと。
泰山 
へー。
__ 
どくんごは、集中力と緊張感が強くて、却って次に何をするのかわからない。観客の予想が通用しない感じがあります。
泰山 
土地が変わって、受け入れの人も変わって。物理的に新鮮といえば新鮮なんですよね。同じことをしようとするとそぐわなくなってきてしまう。やっぱり何か、私たちはその土地土地で違う人たちの中に入って生きていくから、そういう時に新鮮さに出会う、というのを繰り返してる感じだと思います。でも、どこであれ生活と芝居いうルーチンを行うっていうのがなんだか面白いですね。
__ 
当初は飽きるんじゃないかと思っていたんですね?それが、飽きるどころか、新鮮さを感じ始めていると。
泰山 
このツアーに参加して、一番、真髄を感じたことがあって。「ああ、これだからどくんごをやりたかったんだなあ」と思ったのは、即興のシーンの振り返りをしてる時に演出が、「命を遊ぶんだ」というような事を言ってて。そこで命を遊んでいけなかったら意味がないでしょ、と。命を最大限に輝かせないと私たちは舞台やる意味がない。ストーリーがないというのはそういうことなのかなと思って。
__ 
生きることより、命をあそぶことを大事にしている。
泰山 
普段社会の中で生きていると色々なことをやり過ごしたり感情を抑えたりとかが必要で、でも命をあそぶということは、悲しさも喜びも、憎しみだって、生きているからこそのものだし、自分がもっているものは全力で出していきたいなーと思って。それを面白がることに意義があるなと思っています。

__ 
今回のツアーで死ぬまで覚えておきたいことは何ですか?
泰山 
そうですね、私は劇場で踊ることも多いんですけど、一人のパフォーマンスを作るときは野外の作品が多くて。やっぱり自分には野外が合うなぁということがはっきりして。その延長線上で、人とどう出会ってどういうものがそこに立ち上がってくるのかに興味が向いています。メッセージ性よりも。今までに自分のやってきた活動と、今のどくんごを踏まえて、やっぱりそうだったんだ、と合致している部分が多くて。
__ 
どう人と出会うか。
泰山 
だってそれが面白くて。自分一人で考えるよりも、作った作品を劇場で見せるのと、旅公演で人に出会って行くのとは全然違うんですよ。
__ 
初読の力ですよね。今目の前にある積もった雪は、毎年降っている雪とは無関係なんですよ。私はその力をとにかく、関わっていたいし、認識していたいんですよ。どくんごを観るたびにそういう気分になります。
泰山 
このツアーが終わっても、どんな形であれ旅はしていきたいと思います。
__ 
それは素敵ですね。
泰山 
めっちゃ、定住したいという気持ちもあるんですけど。こないだ松山市で手相の占い師に見てもらったんですよ。そうしたら「あなたは不動産とか土地とかにものすごく縁がある」と言われました。確かに私、部屋とか街に興味あるんですよ。土地に興味があります。商店街のある土地だったらなおさら好きです。

"ねえ"

__ 
泰山さんの一人芝居のシーンが好きです。昔からの連れ合いを、昔から住んでいる町に連れ出す。
泰山 
色々な場所を巡って行くというタスクだけ与えてもらっていて。最後は海に到着するということだけが決まっているんです。内容は全部自分で作るんです。あれはリアルな世界と空想が断片的に混じっています。結構、地元の松山と、一時期住んでいた神戸の町が入り組んでいます。地元の人たちからすると「ああ、あそこか」って。時々言われたりします。
__ 
どくんごはやっぱり、都市の芸術なんじゃないかなと思ったりします。
泰山 
作りとかはあえてチープにしている部分もあって。その素材感とかが私は好き。
__ 
最初の受付とかも、本当にヤバイ人たちがやってる感じにしてるじゃないですか。そうかと思えばperfumeを歌って踊る。でも混沌という感じはしない。今回の公演は特にですが、整理されてるという印象があります。泰山さんは、舞台に立ってる時どんな瞬間が一番好きですか?
泰山 
私は、袖にいる瞬間が結構好きです。袖で転換作業をしているのも好きですね。幕を外したり何かを片付けてたり。それでも舞台の世界をちゃんと見聞きして参加してたりする時もあれば、意識的にスルーしたり。自分ではそこはすごく楽しんでいます。