クリスマスのドライフラワー

___ 
今日はですね、お話を伺えてお礼にプレゼントを持って参りました。
うめい 
ありがとうございます。見ていいですか?
___ 
どうぞ。
うめい 
(開ける)めっちゃ可愛い。ありがとうございます。クリスマスですね。
___ 
よければ毎年飾ってください。
うめい 
年中出しときます。

三栄町LIVE×fukui 劇 Vol.2 「2108 年岐阜五輪正式競技 WAITING」

__ 
今日はどうぞ、よろしくお願い致します。fukui劇の福井しゅんやさんにお話を伺います。今回三栄町LIVEで上演されている「WAITING」。摩訶不思議なスポーツを取り上げた作品でした。福井さんのスラップスティックな言語感覚が生きた作品だったと思います。
福井 
ありがとうございます。実はなかなか受け入れられない回とかもあったんですけど。今日で5ステージ目でしたが、この回の反応が一番良かったです。反応が返ってくるのは嬉しいですね。地獄みたいな回もありましたから。
__ 
そうなんですか。
福井 
肌感なんですけど、主人公である鰻登り早手(うなぎのぼりはやて)がお客さんに好かれていないな、と感じる回があったんですよ。今一緒にやらせてもらってる三栄町LIVEのプロデューサー・清さんからは「フリとオチのフリの部分が、分かる人にしか分からない」という意見をもらいました。ついていける人とついていけない人を選んでいる舞台だと。特にこういう特異な設定、題材だと、誰にでもフリとオチが分かるようにしないといけない。でも今の回はお客さんもちゃんと見てくれたような気がしました。他の回は僕か、僕が出ているときは逆班の熊田くんが前説をしているのですが、この回は実況役の堤くんが前説をしていい導入になったんで、それが功を奏したんじゃないかと思います。
__ 
会場自体がエキシビション会場になりましたね。
福井 
この劇はそういう趣向なのかな、という入り口が出来たんだと思います。
__ 
お客さんに確定した立場を与えれば成立しやすいのかな。
福井 
お客さんにツッコミを入れてもらう、みたいな。
__ 
この間取材させて頂いたスタンダップコメディアンが言っていたんですけど、日本のツッコミというものは、観客に動かない部分をお客さんと共有して、ボケという世界観に切り込みを入れることで笑いを提供すると。そんなことをおっしゃっていました。
福井 
WAITINGは片来泰子という女性アナウンサーが物語を進行しているんですけど、この劇での新たな挑戦として"動じる語り手"というものをやってみたかったんです。物語の進行を担う語り手が急に個人的なことを話しだしたり物語自体をないがしろにするのってあまり見たことがなくて。大仰かもしれませんが、もし動じる語り手という手法が成立したら、演劇そのものが今より少し広がるんじゃないかって。今回の裏テーマだったんです。
fukui劇
福井しゅんやが主宰する企画。
三栄町LIVE×fukui 劇 Vol.2 「2108 年岐阜五輪正式競技 WAITING」
世界初の“待つ”競技をめぐる、新感覚スポーツ劇!
2108 年、オリンピックが開催されることとなった首都、岐阜。
岐阜五輪では新競技として前代未聞の“待つ”競技、『Waiting』が採用されることに。
ペットトリマーの専門学校に通う鰻登り早手(うなぎのぼりはやて)は、ひょんなことから Waiting に出会う。
やがてシンプルながらも奥深い Waiting の魅力に取り憑かれた早手は、 来る日も来る日も Waiting に明け暮れる。
そして彼は、迫り待つ強敵を待ち倒し、 岐阜五輪で金メダルを取るという夢に向かって、だいぶ頑張るのであった…。
これは、そんな Waiting に命を懸ける男たちや女たちの、魂の物語である。

キャスト
佐々木幸志朗 宮崎利貴 花岡翔太 仙洞田志織 田澤葉 大高孟之 堤敏樹 磯部伸二郎 熊田修 須田明子 横滝今日子 福井俊哉 真優花 石井彩友美
11月21日~12月2日
会場
三栄町LIVE STAGE(旧フラワースタジオ)
スタッフ
 宣伝美術:加納和可子 キャスティング:福井俊哉/若宮亮 制作:松尾智久/井原正貴 制作指揮:小畑幸英 プロデューサー:清弘樹

バランス

__ 
そこで、今回の作品はまさにスラップスティックコメディだなと私は思っていました。口が悪い登場人物たちがエゴ丸出しで、お互いに遠慮なく、口汚くなじりあうし裏切りあう。
福井 
たぶん僕自身ができていない人間だから、より一層鬱屈してる部分が出ちゃうんだと思うんですけど。
__ 
主人公の早手の彼女が「コーチとの浮気が初めてではない」とか面白かったです。
福井 
早手の血で誓約書を書かすというのが絵が浮かぶあたりが好きで。
__ 
そういうエピソードを高速で流していくあたりが好きなんですよ。単に露悪的な思考で出ているんじゃなくて、面白いという方向になっているのが素晴らしいと思います。
福井 
先ほど言ったように、主人公の早手が愛されていない回というのがあって。微妙なところなんですが、少し声を張り上げすぎてちょっと怖く見えてしまったんですよね。社会の端くれにいるようなクソ雑魚が小さい声を張り上げているのが面白いのであって、彼が強さ、怖さを持ってしまうと違う。普段絶対主役やってないんだろうなっていう人物をチョイスしないとできないんですよね。のび太的な主人公と言うか。のび太よりももっと焦点が当たらないような人物。
__ 
それが粋がっているみたいな。
福井 
早手役である佐々木君の、黒タイツに日の丸というルックス。彼を見てるだけで面白いんですけど、彼にどこまで怖さと面白さのバランスを取ってもらうかがポイントでした。
__ 
いや、きっと大丈夫だと思います。ノリというものがあると思いますよ。劇場の外にもそれはあって、SNSに何も書かれなくても伝わっていくと思います。
福井 
今回西田シャトナーさんに勇気を出してリプライを送って、明日見に来ていただけることになったんです。そもそもこのWAITINGを書き始めたきっかけは、平昌五輪でスピードスケートの選手がずっと待ってる姿を見て、これをスポーツにしたら面白そうだという発想があったんです。それと西田シャトナーさんのスポ根的なSFの芝居が大好きでインスピレーションを受けたんです。尊敬する先輩に見ていただけるのは嬉しいですが、とても緊張します。

次は女子死闘編!

__ 
これから一週間のロングランですね。
福井 
皆さんの助けと、役者のみんなのおかげもあって成立に向かっているなと思います。この感じで向かっていければ。
__ 
選手も全員良かったですね。この競技をやってる奴は全員やばい、全員どこかしら精神を病んでいるというのが面白かったです。
福井 
あの台詞は今日追加しました。
__ 
それから、ウェティングとストップは全く違う、というセリフが面白かったですね。
福井 
骨、筋肉、臓器、全てを待たせるというのをほじくりたかったですね。
__ 
しかし、あんな意味不明な競技がなぜオリンピック競技に選ばれたのかは疑問ですよね。
福井 
そうですね。でもダンスや即興劇もスポーツ化する流れもあるので、待つというのがスポーツになるという可能性も少しはあるのかなと。
__ 
意義が全く分からないのに、ルールやマナーに関してはスポーツとしてちゃんと考えられてるのが不条理極まりないと感じました。劇中に出てくるポーズが数種類だけあって、そのアレンジが実際の競技では使われるというのが面白い。歴史を経て洗練されていったんですね、きっと。
福井 
テキストからはカットしちゃったところがあるんですけど、WAITINGは「ウェイトタイム」と「芸術点」で勝敗が決まるんですよ。芸術点の高いポージングは点が加算されるんですよ。その説明は全部省いたんですけど。省くなよ、でもそれはいいか、と。ウェイトタイムが長ければ長いほどいいんですけど、それより短く終わっても良いポーズだった場合は勝つ可能性もあるんです。フィギュアスケートの要素もあるんですよね。
__ 
各ポーズに印象的な名前がついてますよね。「マカオコネクション」。
福井 
「インディ・インディ」とか。あれはインディアンの勝利と敗北という意味を込めています。
__ 
水泳でいう自由形が実質的にはクロールになるみたいに、名前の付いていないポーズをやる選手がいなかったのがリアルでした。
福井 
色々なことがあって、そのポーズに落ち着いたという時代の流れがあるんですよね。2100年代は「アウトバイアウト」が世界的に流行する、とかね。体操のつり革とかもそうじゃないですか、その技って大体決まっていて、変則的なポーズはあるけど、大体のポーズは研究され尽くされてる。
__ 
未知のスポーツを見に来ているのに、その辺りの事情を見せつけられる割に、説明は省かれる絶望感。
福井 
僕はWAITINGが架空の競技だとは思っていなくて、変な話、サッカーだって段々と形成されていったんですよ。逆に言うと、待つことすら競技になりうる。待つことと競技は表裏一体。じゃあその待つことが主体のスポーツは、逆にスポーツそのものだと思うんですよね。競技性という面では魅力のないスポーツだとは思うんですけど。
__ 
みんなつまんないと思いながら競技してますけどね。
福井 
仕方なくやっている競技なんですよね、最後の滑り止めのスポーツ。
__ 
でも世界記録36時間が出ましたね。
福井 
あれはもう伝説的な記録なんですけど、公式記録ではなくて参考記録です。実は、今回の続編である女子死闘編を考えてるんですよ。またどこかで発表できたらと思います。

環境

__ 
そうか、福井さんは今東京にいるんですよね。
福井 
そうなんですよ。前回していただいた歪ハイツの時の僕のインタビュー記事を読ませてもらったんですけど、むちゃくちゃ調子に乗ってたなと思って。東京にいる同じジャンルの人を一人ずつボコボコにするとかテラスハウスがクソだとか、どんだけ調子乗ってんねんと。ここで仕事についてから、自分のものが作れない時期もあって。最初映像の会社に入ったんですが、その上司が凄い人で、すごくよくしてもらったし、色々教えて頂いたんですけど、その期待に応えられなくて。「お前には才能がないんだからやるしかないんだ」と言われながら、いろんなことを迎合しないといけないのか、と。でも今は、これから上にあがっていくしかないという、環境にいるんだと思います。お客さんの顔色をただ伺うんじゃなくて、誰もみたことない世界にみんなを連れて行く。お客さん、役者、自分も含めて。そういうことは今、強く思っています。
__ 
今回は?
福井 
パッケージングの話なんですけど。こういう本を書きますよ、という前提がなにもない、まだ世間にも浸透していないような状況で、あえてお客さんを選ぶような作り方はしなくてもいいんじゃないか、と三栄町LIVEのプロデューサーの清さんには言われます。正論も正論で、もっとも過ぎてイラッとしちゃうこともあるんですが、すべてが僕ないし、僕の劇をもっと上にあげる為に言ってくれていることなので、そういう人と劇を一緒に作れるのは本当にありがたいです。そういう並走してくれるプロデューサーさんと出会ったのは初めてなので。多少、セリフも含めて小屋入り後の変更点が多く、役者に迷惑をかけることも多々あるんですけど、日に日に進化させていくことが、僕は劇づくりをしていく上で健全だと信じています。恥ずかしいことはしたくないので。それは東京で、色々なことを経験して、叩かれて、萎縮して、わやくちゃになりながら学んだことです。

質問 苧環 凉さんから 福井 しゅんやさんへ

__ 
前回インタビューさせて頂いたO land Theaterの苧環凉さんから質問を頂いてきております。「死後の世界はあると思いますか?」
福井 
あったらいいなとは思いますけどね。死後の世界はなくて、輪廻転生はあるかもしれませんね。死んだらロケット鉛筆みたいな形で魂が飛ばされて、生まれる前の人に宿るのかも。前世はあると思います。死後の世界に何年いたらいいか、みたいなのを考えると、死んだら天国に行くというのはおとぎ話なのかなと。死んだ後の魂は半分信じてます。受精卵に死んだ人の魂が宿るというのはある気がするんですよね。

ゼロイチ

__ 
fukui劇の今後の意気込みを教えてください。
福井 
今後も新たな、“ゼロイチ”を探していきたいなと思います。何かの派生形ではなくて、誰もやっていなかった、掘り下げられなかった、枠組の外にあるものをポップに伝えていければいいなと思います。
__ 
福井さんのいいところは、その井戸の枠をはみ出して、気づかない魅力を掘り出してくれるところですよね。
福井 
枠の外ですか。自分では気づいていないと思います。周りにはそのことを注意して欲しいですね。新しくて面白いと思ってもらえたらいいなと思います。

「漬けものレシピ」

__ 
今日はですね、お話を伺ったお礼にプレゼントを持って参りました。
福井 
ありがとうございます。あ、漬け物。
__ 
WAITINGと絡めてみました。

「しあわせな日々」

撮影:児島功一郎
__ 
今日はどうぞ、よろしくお願いします。O land Theaterの苧環凉さんにお話を伺います。最近、苧環さんはどんな感じでしょうか。
苧環 
先月の公演が終わって、次の公演までの準備期間ですね。
__ 
前回の「しあわせな日々」(サミュエル・ベケット原作)でしたね。大変面白かったです。ご自身ではどんな公演になったと思われますか?
苧環 
ここ一年ぐらいのテーマが、見えるものと見えないものを同時に成り立たせるという事でした。今回のベケット作品の上演に関しては、人間ドラマにはせずにドラマの背後にあるものを立ち上げたかったんです。それが少し、掴めたのかなと思っています。うまくいったかどうかというのは精度の問題があるから、自分では厳しい目線で見てしまうんですけど。
__ 
見えるものと見えないものを同時に成立させる。まず、「見えるもの」とは。
苧環 
人間の体や舞台美術ですね。対して「見えないもの」とは、心や思考があげられますが、ベケットの場合はそれらを存在させている、背後にある何かをそう呼んでいます。
__ 
心や思想を存在させているもの。
苧環 
「名付けえぬもの」(注:ベケットの小説)ですが、私は思考などよりもそちらの方が重要なんじゃないかと考えています。例えば、戯曲には「間」という指示が大小含め600箇所以上書かれているんです。間、って見えないですよね。喋ることと同じぐらい間というものが指示されている。人間ドラマだけにスポットを当ててしまうと、間は存在できなくなってしまうのではないかと私は思っています。
__ 
まず前提として、私は情報そのものに興味があります。結論から言うと、情報として成立するのは人間が自ら洞察した意見のみであると考えています。そこで実は、このあいだ拝見した芝居が、ちょっと観客にその力を期待しすぎていて、途中で20分くらい寝ていたんですよ。眠くなったという事は、私の生活にとっては関係ないものだと、洞察するまえに分かってしまったという事なんじゃないか。ちなみに、眠るということはつまらないか面白いかの重要な判断基準で、結構大事にしています。
苧環 
寝ちゃうと面白くないということですか。
__ 
そういうことになりますが、でも面白くないというのは別にネガティブな意味ではないです。その芝居の場合、抽象的な情報をうまく作り出すことができなかったんじゃないかなと思っているんですよ。抽象的な情報は劇場の中では最も強度のあるオブジェクトだから、そこを共有できたら、少なくとも寝なかったと思う。構成の問題かもしれない。人間ドラマは抽象的な最たるものだと思うんですが、苧環さんは人間などを見せたくなかったということですか?
苧環 
見せたくないと言うか、それを見せることだけが劇をつくる目的ではないんです。戯曲では日常的なものはむしろたくさん使ってたんですよ。腰から上しか出ていない人が、日常的な行為をこれでもかというくらいアクションとして使っていたんです。さらに、その日常を支えているサムシング(名付けえぬもの)はドラマと関係がないわけではないんです。けれども、日常はぶった切られるんですよね。すぐに、頻繁に。
__ 
そして、そこには間がある。
苧環 
日常が続いていることと、頻繁に断絶を起こすことの両方を見せるのが、人間の姿としては真なるものに近いんじゃないかなと思っています。人間は理路整然として常に生きているわけではない。日常的営為と断裂に交互にさらされることにこそ。
O land Theater
日常に潜む見えない意識や感情を取り上げ、「人間とは何か」「人間が生きるとはどういうことか」を演劇を通して探求する。2017年より古典戯曲の上演を主軸に活動している。主宰・苧環凉。代表作に『王女メデイア』『イナンナ』、 2017年FFAC創作コンペティションvol.6『春独丸』、利賀演劇人コンクール2017『サロメ』など(公式サイトより)
KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭2018 フリンジ「オープンエントリー作品」 サミュエル・ベケット作『しあわせな日々』 安堂信也 / 高橋康也 訳
演出・美術 苧環凉
出演 坂東恭子 竹ち代毬也
照明プラン 池辺 茜
照明操作 岩元 さやか
音響  林 実菜
宣伝美術 瀧口 翔
写真記録 児嶋 功一郎
映像記録 奥田 ケン
舞台監督 乃村 健一(n.o.m.)
制作 宮崎 淳子
公演時期:2018 10/19(金) 19:00 10/20(土) 15:00 10/20(土) 19:00 10/21(日) 14:00
会場:京都東山青少年活動センター 創造活動室

断裂

__ 
人間は理路整然とは生きていない。しかし、基本的にはそれを目指すものではないか。数学では、紀元前の理論をそのまま使うんですよ。なぜなら証明されているから。
苧環 
私も数学は好きなんですが、円周率などの無理数は文字通り「分からないもの」ですよね。人間の考えた枠に収まりきらない、次に出てくる数は分からない、さらに理屈では果ての方まで行くんですが、誰もそこまで行こうとはしないし。
__ 
そうですね。人間は自分の意識をマッピングしようとする。だが結局失敗する。その中をむりくり進んで行こうとするだけだ。
苧環 
「しあわせな日々」はそれが描かれていましたね。
__ 
「しあわせな日々」は、彼女がぼーっと生きてるようには全く思えなかったんです。緊張感に晒されながらも、うまく付き合ってるようにも見えました。自らの混沌に対しても。とても好感の持てる態度でした。
苧環 
でもやっぱり、しきれないんですよね。理屈では可能であっても、肉体でやろうとしても絶対に限界が生じる。秩序立てて生きようとしなくても生きられるという現実があるんですよね。そこに私は、こういう言葉を使うのは語弊があると思うんですが、人間の神秘を感じています。何かによって生かされているという感覚。その「何か」によって行いさせてもらっていると考えたとき、視点が変わる瞬間があるんです。あの劇はそこを狙って書かれていると思う。
__ 
生かされている。
苧環 
そういう感覚をお客さんが拾っていってくれればいいなと思っていました。もちろん人によって、切り替わっていくタイミングはまちまちだと思いますが。寝ました?
__ 
私は一秒も寝なかったです。懐中電灯で一歩一歩を照らしながら進んでいく彼女にものすごく共感していたから、むしろとてもスリリングでした。

断裂と断裂

__ 
最近、苧環さんはどんなことを考えていますか?
苧環 
自分が何で演劇をしているかというと、見えるものと見えないものの関係に切り込んで行きたいなと思っていて。社会とか人間とかのためではなく、純粋な個人の興味として。それが成立する形は何だろうと、ずっと思っています。ただ、やり方についてはどこか的を絞らないと、それこそ「しあわせな日々」のウィニーのように散逸していくので。どんな演劇をしているのか、というのが明確にわかるような形にしたいなと思っています。今までやってきたことを整理しつつ、シュミレーションしている段階です。
__ 
見えないものがなぜ成り立つのか。
苧環 
私はお能の稽古もしてるんですけど、能の上演って基本的なパターンは大体決まってるんですよ。ワキが舞台で言えば上手の位置に付いて、シテが幽霊だったり神だったり、時々人間だったりなんですが、彼らと交流する。ちょっと語弊があるかもしれないですけど、お能は演者の型だけ見ていてもちっとも面白くなくて、演者が作っている空気の方に意識を移すと俄然面白くなるんですよ。こんな話があるんですが、地上波で能の上演でずっと真ん中に座っている役者が映っていて、景色が変わらないから他のチャンネルをつけて、30分後にもう1回見てみたら、まだ同じ位置で座っていたと。
__ 
はい。
苧環 
形を見ていても面白くないんですね、でも演者が発している空気に注目するとものすごく芳醇なものが充満している。そこに視点がシフトする瞬間が、一つの理想ではあります。自分が目指す舞台の完成形だと考えています。
__ 
ちょっと、すごく脱線するんですけど、私はそのお能のエピソードについて話したいことがあります。
苧環 
はい。
__ 
だが、それを話すことによって苧環さんの思考を変容させるのではないかと危惧している。もちろんそれは貴重なコミュニケーションの一つには違いにないけれども、果たしてそうした「情報の受け手を信用して発信する」行いが一方的な強要とどう違うのか迷っているんですよ。いや、変なところで拘っているように見えるかもしれないんですが。幽玄を語るのに言葉を使っていいのか?
苧環 
それを強要として取るのかどうかはわからないですけど、でも舞台って消えものですからね。ずっと続くわけじゃなくてある限定された中で行われることなので。スポーツ観戦で試合に熱中している時はそこに包まれているんですよね。それが日常を支配し出すと危険なんですけど、舞台はあくまでフィクション。遊びのエンターテイメントだよ、と。
__ 
受け取り手の自由ということですね。
苧環 
そうですね、絶対に日常に帰ってくるので。

物語の演劇ではなくて

撮影:児島功一郎
苧環 
ちょっと別の切り口ですけど、物語というものがありますよね。物語は人を熱狂させ、ドラマに寄り掛からせる。最近私はそれを疑い始めていて、要は集団的合意ですよね、何歳になったら結婚して、いい会社に入って、年齢とともに給料が上がってみたいな。でも、いまそういう物語はそれほど信じられなくなっている時期に来ているんじゃないかと思っています。自分が子供の頃に比べると無効化されている。ドラマに同調していればうまくいった時代はすでに終わっていて、今は何でもあり。そして、なんでもありだと言いながら何をしたらいいのか先が見えない時期に来ている気がします。
__ 
なるほど。
苧環 
だから、ドラマそのものに頼る演劇というのは、有効性を失ってきてるじゃないかと思っています。
__ 
ドラマが個人にとって有効力を失った世界。
苧環 
自分を守っていた物語が消えたら、むき出しの個人が現れるんですよ。色付けされていない自分。そこで一体どういう演劇が立ち上がるかと言うと、物語の演劇ではなくて存在と現象の演劇が立ち上がってくるんじゃないかなと思っています。
__ 
むき出しの個人で創る演劇。人間とは何か、ではなく、自分とは何か、を問う演劇。
苧環 
ああ、そうですね。人間という抽象的なものではなく、私とは何か。

質問 ヒラタユミさんから 苧環 凉さんへ

__ 
前回インタビューさせていただいた、ナマモノなのでお早めにお召し上がりください。のヒラタユミさんから質問をいただいてきています。「これから一生これしか食べられないとしたら何にしますか?」
苧環 
えー。何でしょうね。究極的には食べないで生きていきたいんですよね。それは無しですよね。
__ 
別にそれでもいいですよ。青酸カリで自由になる、でもいいと思います。
苧環 
惑いたくないんですよね。じゃあ、卵にします。

色々なものが対等に

__ 
私は「しあわせな日々」を、ちょっとミステリー的な感じで観ていました。旦那のウィリーが生きてるかどうか推理する、みたいな。そこで伺いたいんですが、苧環さんは見せるための演出についてどう考えていますか?
苧環 
基本的には、一面的な価値観で支配するのではなく、複数のものを見たい人が見れるような角度で見れるようにしたいと思っています。
__ 
一つの価値観に焦点を当てすぎず、複数の価値を存立させると。
苧環 
そうすると漠然とした作品が出来てしまう、というのがありがちですが、多面からの観点に耐えるものにするには個人の肉体的な説得力だったり、そこに個人が立つ実感ですよね。演出は、そこにある種の支配力を与えずに、個々の色々なものが対等に見えるようなバランス感覚を図る。そういうことはいつも大切にしています。この間の「しあわせな日々」にしてもウィニーにだけスポットライトが当たりがちなんですよね。でもやっぱり二人が対等に同じ強度で見えないと、目に見えないものが立ち上がらないんじゃないかというのがあったので。今回、ウィリーにも違う照明があたるようにしてもらっていたんです。
__ 
バランスを取る、と。
苧環 
なぜかと言うと、バランスを取るその行為の間に、見えないものが現れてくるんです。何か、俳優術でも役柄演技でも、そうしたものに裏付けられた演技はとても安心して見ていられるし、それが力量のある役者さんだったらとっても入り込めちゃうんですけど、そうなった瞬間に固定されちゃうんですよね。人間だけになってしまう。そうじゃなくて色々なものが対等に、セリフのない人も、しゃべり続けている人もいつつ、その間に見えないものが存在できるようになる。
__ 
どこかひとつに肩入れすぎさせないということですか。
苧環 
そうですね、全体でバランスをとるということです。
__ 
物語の破壊と近いということですかね?
苧環 
物語はあるけれども、それを要素の一つにしてしまう。物語に支配力を持たせず、劇の要素の一つとして見せたい。
__ 
お客さんごとに色々な鑑賞の姿勢があると思いますが、劇構造を積み重ねていく人が大半だと思います。そうした方にとっては瞬時にゼロベースの評価を求めるのは、面白いかもしれないですけど、困ってしまうかもしれませんね。
苧環 
そうなると寝てしまわれるんでしょうね。良し悪しではなく、その人にはその作品が必要なかったというだけで。
__ 
演出家としては、間を現実化できるかどうか。
苧環 
そうですね。
__ 
そしてその間は価値があるかどうか・・・となると、価値という概念はここでは空疎であることに気付く。
苧環 
私は、無価値が価値なんじゃないかなと思うんですよね。役に立たないものの方がいいんじゃないでしょうか。道具は役に立つけど、人間も全て役に立つものでなければならないんでしょうか。有用なものに価値が置かれすぎてるのではないか。ぼーっとしてたらダメなんですよ、何か目的をもって生きていけないと、説明できないといけない、そうすると無用なものを軽視しすぎるのではないか。普通という物語を中心とした結果、人間が疲弊してるんじゃないかなと思うんですよね。
__ 
有用と無用。それぞれへの視線が均等に割り振らればいいですね。
苧環 
特に今は、個人の能力への有用性が問われすぎていて。ニートとかはそれの裏返しだと思うんです。役に立ちたくないという。バランスが偏向しすぎている。生きたいという欲求と死にたいという欲求のバランスを整えて、気持ち良く生きられるように。という希望はあります。振り子を楽な位置に持って行きたい。舞台でぐらい、それは見たいです。

も・の・が・た・り

__ 
漫画ゴラクと言う週刊漫画誌に「ドカせん」という漫画が連載されてるんですよ。ある工業高校に、どんな難現場でも成功に導くという伝説の土方・京橋建策がやってきて、職人や生徒の間で諍いが起きるとかっこ良く料理を始めるんです。生徒達は彼の手際を見て、勝手に「熱したラードで具材を炒める・・・は コンクリート流し込み!」とか叫ぶ。料理法と建築技術が、ギャラリーの中で明確なイメージとして共有されるんですよね。一話一話の最後で、その料理(チャーハンやオムライス)を食べながら「ド・ド・ド・ド・ド・ドカうまー!」って叫んで、職人(ドカ)への決意を新たにするんですよ。先人たちの歩みに思いを馳せながら。何が言いたいのかと言うと、専門性の高い世界の根本に物語を持っている人々にとっては物語が全てなんじゃないか。いや、一般職の人々にとってはなおさら、物語への希求心は強いんじゃないか。
苧環 
私自身、ちょっととっちらかった話になっちゃうかもしれないですけど、物語が悪だとは思っていなくて。ならなぜ物語を信用しすぎない演劇を作ってるかと言うと、自分の生きてる世界があまりにも物語を強制してくるものだったからです。そこから抜けたいがために視線を移したかったんです。ドカせんの生徒達じゃないけど、私自身物語を読んできて、自分の内面世界を豊かに広げてくれて、夢の世界としてはファンタジーとしてすごく広がったので。それこそ漫画も沢山読みましたし。それがないと人間って、想像力がなくなっちゃうと思うんですよね。料理と土方が組み合わさるというのはまさに想像力。オムライスを作る過程に建築を見出すのもそうだと思うんです。ただ、その中に入り込んじゃうと危険だと私は思っていて、それは人間を害することがあるんじゃないか。
__ 
今は、各国のドカコック達を料理対決させる「ドカリンピック」がドカ国家によって開催される事になって。ドカリンピックで勝った国が、国内公共事業の受注を一手に引き受けるそうです。
苧環 
ベケットの戯曲もそうなんですけど、信じるということと、信じる自分を客観的に見る自分を両立させないと、真実にはならないんですよね。突き放して外側から見てるだけでは世界に対する力は持ちえない。判断は出来る。危険だなと思った時に、そこから離れることが出来、同時に危険の渦の中にも自分を位置させる。役者は、いくら冷静さを保っていたとしても、自分の心の一部を役に預けてはいると思うんですよね。物を扱うように演じていても、人の心は打てないんですよ。そして、冷静な自分も持たないと、危ない。物語が駄目なんじゃなくて、物語も要素の一部に過ぎない。

俳優と演出

__ 
今後どんな感じで。
苧環 
来年の3月に出演する予定なんですよ。セリフのある役がかなり久しぶりなので、自分自身体を鍛え直さないといけないというのがあるんですけど。さっき話しましたが、見えるものと見えないもののために、身体術を、昔e-danceにいた時に飯田茂実さんに習ったやり方を思い出して、トレーニングメニューを俳優たちと共有して。久々に役者に戻って、俳優と演出の両方で行ければなと思っています。

クッションカバー

__ 
今日はですね、 お話を伺えたお礼にプレゼントを持って参りました。どうぞ。
苧環 
ありがとうございます(開ける)クッションカバー。黄色、好きなんですよ。ちょうど、家にあるクッションで使えると思います。冬にぴったりです。大事に使います。

「盲目の動物」

___ 
今日はどうぞ、よろしくお願いします。「ナマモノなのでお早めにお召し上がりください。」のヒラタユミさんにお話を伺います。
ヒラタ 
よろしくお願いします。
___ 
先月にウイングフィールドで上演された「盲目の動物」。非常に面白い作品でした。ループとリアルの漸近。前半、ひとつながりのシーンが何回か繰り返されて、それが何回繰り返されるかは役者が任意で決めているとの事でした。演出方法はもちろん、女子中学生の痛みを伴う生き方を突き放して描く作品。非常に面白かったです。
ヒラタ 
ありがとうございます。
___ 
あらすじとしては、中学生の女の子が二人いて、高校の見学会で男子シンクロの見学を見て、その1年後に同じ高校に入学するという、はっきりとは語られなかったですが、恋愛と衝動に混乱する女の子の話。その女の子二人は人間関係の末に離れていてしまうんですが、残酷だという結論に倒れることもなく、なんというか、そこにあってしかるべき湿度を感じたんですよ。「そうなってよかった」ということでもなく。
ヒラタ 
ああいう事って結構あるよな、と思って。全く同じではないですけど。自分では何をしたか理由がわからないんですけど、なんとなく距離を取られてしまってると言うか。セリフの、「何か怒ってる?」みたいな。
___ 
その距離を取られるというのは、あるべきことだと思いますか?
ヒラタ 
あって良かったなと思うのは、もっと年齢を重ねないと思えないと思います。まだ、割と地続きな感じなので。
___ 
観賞魚は直接触れられると火傷するんですね。
ヒラタ 
はい。
___ 
自分が買った魚を上から見続けるというのは、彼女にとってどういう行いだったんでしょうか。
ヒラタ 
彼女は本当はめちゃめちゃ触りたいんですよね。でも自分がそう思っていること自体も嫌で、ちょっと気持ち悪い。物理的に触れない、餌をあげるというのが精一杯の干渉だったんだと思います。
___ 
なるほど。
ヒラタ 
魚はこちらを見ないというのが大きいんじゃないかなと思ってます。犬や猫みたいに、基本はなつかない。私のことを覚えたりしない、というのが安心するみたいな。
___ 
と言うか、水槽の中からは外は見えないですもんね。光の反射で。餌をあげられても顔覚えるとかはない。双方向性は全くできなかったということですね。
ヒラタ 
しほちゃんはその双方向性が気持ち悪いなと思ってたんでしょう。こちらが一方的に見るのはいいけど向こうから喋りかけられるのは嫌だった。
___ 
彼女はなぜそんなややこしい精神状態になってしまったんでしょうか。
ヒラタ 
何でしょうね、別に特に理由はないんだと思います。
___ 
そういうめんどくささの中にようやく生きている。いや、もしかしたら死んでるのかもしれないですけど。彼女はいったいなんだったんだろうか。
ヒラタ 
普通の、その辺にいる女の子だったんじゃないかと思います。彼女は自分に起きたことをすごく劇的に捉えているけど。それは、周りにいる人間だからこそ言えることかもしれませんが。
ナマモノなのでお早めにお召し上がりください。
ヒラタユミが主催する演劇ユニットです。(Facebook公式ページより)
ナマモノなのでお早めにお召し上がりください。vol.7 ウイングカップ9参加公演『盲目の動物』
ナマモノなのでお早めにお召し上がりください。vol.7
ウイングカップ9参加公演
『盲目の動物』
作・演出/ヒラタユミ

2018年10月12日(金)19時~
13日(土)13時~/17時~
14日(日)13時~/17時~

【会場】
ウイングフィールド

【出演】
飯坂美鶴妃/草間はなこ/熊谷みずほ/
しゃくなげ謙治郎(爆劇戦線 和田謙二)/柳原良平(ぬるり組合/ベビー・ピー)/横山清正(気持ちのいいチョップ)

【スタッフ】
舞台監督/長峯巧弥 照明/三孕ゆき 音響/鈴木邦拡
演出助手/横田あや 制作/平田結水 宣伝美術・フライヤー撮影/脇田友
主催/ナマモノなのでお早めにお召し上がりください。
共催/ウイングフィールド

___ 
役者が前半部のループを繰り返すというのは、今日はこれだけ繰り返そうとかいうのを本番前に決めたりしてたんですか?
ヒラタ 
いえ、全然決まっていません。というか、リフレイン演出をしようということは最初からは決めていなくて。自然とそうなったというか。
___ 
こういう演出をしよう、と企画したんじゃなかったんですね。
ヒラタ 
出していた指示としては「もう続けられない」と思ったらやめる、でした。ちょっと細かいルールは決めてはいたんですけど、そのジャッジは別に誰でもよくて、男の子たちがもう無理と思ったらやめてもいいし、周りの女子たちが止めてもいいし。いろんな原因やパターンがありえたんです。
___ 
ちょっとインプロみたいですね。
ヒラタ 
ポストドラマって言ってしまえば簡単なんですけど、本当に自然とそうなったんです。「もうしんどいよね」となったらやめてしまう、みたい。
___ 
「気が済んだらやめる」ではなく「無理だからやめる」。
ヒラタ 
そのしんどさを発生させるために別の軸も用意していて(これはお客さんには伝わり必要はないんですが)、あの繰り返しは何かの儀式だということにしていて。その儀式をちゃんとやらないと大変なことになる。女の子が言うべきセリフを男の子が言わなきゃならなかったりで、そもそも完璧には出来ないところを無理やりやろうとしているというのを負荷にしていました。
___ 
その無理というのは、今考えると色々な方向に拡散してるという効果になっていましたね。
ヒラタ 
そこに関してはディレクションをしていなくて、個々の感覚を大事にしていました。でもお互いがやったことを絶対に無視しない、ということは徹底していました。あえて無視する、というリアクションも含めて。
___ 
上演の実行状況の中でしか産まれない膨らみに期待していた?
ヒラタ 
それは本当にそうですね。今そこで起こっていることに集中することで生まれる作品でした。でも、自分としては普通のことをしてるつもりなんですよね。いつの間にやら実験的になっちゃってるんですけど、私はドラマやお話が好きなので。即興劇みたいに、またはポストドラマみたいになっていくのはちょっと違うなと思っていて。今回ぐらいの塩梅が、物語がより響くための仕上がりなったらいなと思ってます。

舞台上で素のままで

___ 
ヒラタさんは、役者についてどう考えていますか?
ヒラタ 
役を作り上げて、その役になるということには、私はもったいないなと思っていて。そのままのその人こそが尊いと思っているんです。普段、自分のままでいるということはできないじゃないですか。友達と喋ってる時にでも、そのままの自分ではないと。
___ 
何なら、一人暮らしの部屋の中でさえ、それがそのままの自分の素なのかは定かではないですからね。
ヒラタ 
そもそもそんなものがあるのかどうかという話かもしれないですけど。後天的に身についたものやもしかしたら性格もあんまり興味がなくて。今回の役者さんも、私が単に好きだから呼んだんです。何かいいなと思った人。でも、頑張って身につけたものもすごく尊いと思っています。今回は「舞台上で素のままでいて下さい」というお願いをしましたが、技術が無ければ大変なことなので。
___ 
そうですね、それと技術は対立するものではないですからね。
ヒラタ 
人前に立ってるセリフをしゃべる技術が軸にある人。
___ 
仏教用語で言う本心ですかね。その人の存在や尊さが、技術と組み合わさって、または対立し合う、というところに面白さがあるのかもしれない。