才能があるかどうかは、継続出来たかどうか

__ 
今後、どんな感じで攻めていかれますか?
築地 
うーん、でも、ムリせずに。「才能があるかどうかは、継続出来たかどうか」だって言葉があって。諦めた人は、その時点で才能が無いと見なされる、だから続け続けるというのは才能があるという言葉なんですね。
__ 
素晴らしい。
築地 
だから私は、調整しながらも続ける事で、才能があることを証明したいです。自分には本当にその分野の才能があるのか?証明してくれるのは、他人の評価じゃなくて、今も続いているかどうかなんですよ。これまでいろいろと多趣味に手を出して来ましたけど、今も続いているのは料理と演劇だし。

タグ: クッキングの話題 どんな手段でもいいから続ける 続ける事が大事 今後の攻め方


陶器のピッチャー

__ 
今日はですね、お話を伺えたお礼にプレゼントを持って参りました。
築地 
おおー!それがあるんですよね。すっかり忘れていました。
__ 
どうぞ。
築地 
最近自分で自分に買い物してばっかりだったので。(開ける)おおーこれはめっちゃ可愛いい。
__ 
割れものなので、気を付けてくださいね。それ、日常生活ではきっと使わないんですよ。でも、ケータリングとかだと重宝するかなあと。
築地 
そうですね、私ドレッシング作るんですけど、それをケータリングのサラダの横に置いたら完璧ですね。


エアポケットと自転車

__ 
今日はどうぞ、よろしくお願いします。辻さんは最近はいかがでしょうか?
辻  
最近は、自転車を漕いでいるような感じですね。何かをしないと落ち着かないという感覚があります。でも時々、「こんな事をして大丈夫かな」と思い込んでしまうような。エアポケットのように。
__ 
自転車。
辻  
僕自身が自転車が好きなのもあって。高畑勲さんだと思うんですけど、「自転車は風景を楽しむのに最適な乗り物」だとどこかで言ってたんですよ。僕が思うに、自転車は漕ぎ続けないと倒れてしまう乗り物で、その代わりに小回りが効く。
__ 
いつか車に乗り換えたいと思いますか?
辻  
車だと、道筋を辿って目的地に行く事が主体で、自転車のように風景を風景の中で楽しむ事は難しいんじゃないかなと。僕は、当分自転車に乗っていると思います。
__ 
なるほど。
辻  
普段のバイトに加えて、空いている時間にNPO法人寺子屋共育轍-わだち-というNPOで、ReActionという、演劇に触れた事のない人にも演劇の楽しさを還元するワークショップ(以後、WSと表記)をしたり、京都学生演劇祭の実行委員会でも企画づくりのWSをしたりしています。
__ 
なるほど。
辻  
あとは、僕は立命館大学の劇団月光斜にいたんですけど、たまにそこでWSをしたりしています。演技のやり方を一緒に考えていったり、自分自身の演技について考えてもらったり。
__ 
演劇WS活動で、面白い事はなんですか?
辻  
何点かあるんですが、自分が考えている事が伝わったという実感があると嬉しいですね。それと、自分が新しい視点を提供してあげられたと感じた時。僕自身にも「こういう伝え方があるんだ」と発見していく時もあるんです。終わった後の講師のミーティング(Re:Action)で、そうした気付きを発見出来るんです。参加者も講師も、価値観が色々あって、みんな違ってみんな面白い。
__ 
価値観そのものが様々に違う事をリアルタイムに感じる体験と言えるのかもしれませんね。
辻  
そうですね。価値観をすり合わせていく過程と、つながって結果に結びつく瞬間があると面白いんです。
__ 
すり合わせる。しかし、ある意味ではとても難しそうですね。個人的な体験から言うと、その、自意識が邪魔しそうで。
辻  
そういう人をときほぐしていく喋りだったり、「いてもいいんだよ」という空気をいかに作ってあげられるか。それは僕ら講師の課題です。「いていいんだよ」というのは上から目線で、「一緒に楽しみましょ」というスタンスを取るようにしています。
__ 
そうした空間が受け入れられない人は、一生足が向かなさそうですね。
辻  
最初は戸惑うかもしれませんが、でも、一度慣れてしまえば。水と一緒で。WSを始める前には、お互いにほぐれているという認識を共有するために、めっちゃどうでもいい話をするんですよ。初心者向けの演劇WSとなると、みんな経験がないので、「言われた通りにしよう」となってガチガチなんですね。みんな一緒だよ、という認識を共有して、同じ空気の中に入ってきてほしい。それが大事です。
京都学生演劇祭
学生の街、京都。ここには多くの学生劇団が存在し、日々活動しています。しかし、それぞれの劇団間の交わりは少なく、この地の特徴を生かせないでいるのが特徴です。私たちは、この状況を何とかしたい。互いに触れ合い、競い合うことで互いに成長したい。京都の学生演劇、ひいては京都演劇界を活性化させたい。この演劇祭は、そんな思いのもとに生まれました。京都学生演劇の「今」、そして「これから」を見守ってください。京都演劇界の未来が、ここに集います。(公式サイトより)

タグ: 相互承認 ガチガチな身体


vol.270 辻 悠介

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辻

水平方向を探る

辻  
最近、俳優には二つの方向の仕事があるなと思っているんです。
__ 
というと。
辻  
一つは、上を目指す事=「上手になる、売れる。」もう一つは、演劇の土壌を広げてあげる事なんじゃないか。僕は圧倒的に後者ですね。基礎のコミュニケーションゲームとか、そこから演劇にはこういう要素があるよねとか、台詞を格好良く言える事の前に、演じてコミュニケーションする価値があるよねと。この前の京都学生演劇祭の時は、毎日のように基礎練習を交えて、いろんなコミニュケーション、もしくは演劇WSをやっていました。
__ 
その「水平方向」。どのような経緯で演劇WSに取り入れられるようになったのでしょうか。
辻  
「上を目指す」ためのWSだったら、僕よりももっと上の人たちがいるんですよ。でもそれをやろうと思ったら、辛く恥ずかしい訓練をしないといけない。自分を曝け出したり。僕は正直、それが嫌なんですよ。自分もやった事はあるのですが。
__ 
それよりは、水平の土壌方向。
辻  
広げるという意味ですが、別に演劇の観客をもっともっと増やしたいという事ではないんです。お芝居に興味のない方がWSに参加してみて、「ああ面白いんだ。でも観ないけど・・・」これで充分だと思うんです。演劇というジャンル、カテゴリに拘る必要はないと思うんですよ。
__ 
おお。
辻  
僕も野球は好きですけど、毎日は見ませんし、ましてやプレイもしない。参加者のアンテナに触れて、そこから個人の中で発展していくのが土壌を広げるという事だと思うんです。僕の演劇WSは、集団による作品作りをしますが、それを通して、会話の基礎であるとか、誰も指摘してくれない見方であるとかを提供する場でありたいと思っています。もちろん、演劇が面白いと思ってくれるきっかけになってくれれば最高ですね。
この前の京都学生演劇祭
辻さんは第2回京都学生演劇祭で、劇団月光斜参加作品「Celebration」では作・演出を務めた。

タグ: カテゴライズされる俳優 役者に求めるもの


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辻

不親切グラフ

辻  
他にも色々なWSを展開していきたいんですよ。
__ 
例えば。
辻  
ソーシャルであるとか、町づくりであるとか、そうした方向です。テーマはまちまちで演劇とはあまり関係ないんですけどね、そこでもやっぱり、コミュニケーションってWSには重要な要素なんだなと考えさせられます。日本人の会議って、喋る人と黙る人に二極化するんですよね。
__ 
そうですね。
辻  
言わない人の話をどうやって引き出すかを意識します。それは個人の特性であると片付けるのはカンタンなんですが、その上で、どうやって聞こえるようにするかが重要なんじゃないか。
__ 
うーん、私は黙ってしまう方ですね。会議の性格によっては、私も喋りますけど。
辻  
話合う前に、この会議の方向性や、どういう事が課題として残っているのか。を見えるようにしたら。講師としての課題は、結論へ持っていく道筋やポイントの置き方。もっと言えばそのバランスですね。僕は、WSを受けに来た人たちに白地図だけ渡して「好きな進み方をしてみてください」という事はしたくないです。不親切グラフというものがあるんですが。
__ 
ある程度までしか案内しない?
辻  
そうですね、考えが発展しやすいように、もしかしたら目的と逸れてしまうかもしれませんが、色んな考えが道すがらにあって、オリジナルな結論が(あわよくば意図していた結論に近い)生み出されたらいいですね。
__ 
なるほど。
辻  
演劇もそれと似ているように思うんです。演出の操り人形であるうちは、その俳優の芝居は面白くない。役者が自分の考えた演技を稽古場に持ってきて、「あ、それ面白いじゃん」って笑ってくれる瞬間が、やっぱり一番気持ちいいと思うんですね。初めての子ならなおさら。WSって、それが簡易に短時間で出来る場なんじゃないか。皆が笑い合う、それでやったーと思う、そういう承認しあう空間が作れるんだと思っています。

タグ: 日本人の美意識 オーガナイザーの企み


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辻

キャンプファイヤーWS

辻  
WSの理想的な状態を表した図というのがあるんですよ。こちらです。火が真ん中にあって、それを囲む人々がいます。それは、全員が一つの価値観を共有していて、同時に自分自身のバックも持っている。目の前のひとつの価値と、個人の価値観がバランスよく存在している。個人の価値観はそれぞれにあった上で、同時に何か違ったものを構成しあうというのがWSの理想で、演劇ってこれだと思うんですね。
__ 
これは分かりやすい。確かに演劇もこういうふうに、価値観を巡る生のコミュニケーションと言えるかもしれない。それは上演中でも、稽古でも関係なく。
辻  
いや、本の引用なんですけどね。演劇って生だから、稽古ももちろん生で作る必要があると思っています。役者が失敗してもそれを取り入れて進む事もあるし、スタッフさんからの指摘もある。すり合わせて作る過程に、僕はより、演劇らしさを感じます。
__ 
一つの価値観を共有した瞬間。それはきっと、参加者全員が、それを明確に感覚している状態なんだと思うんです。短い時間で結果を出す、キャンプファイヤーWSというのは理想的な体験ですね。そして私は、そうした体験が直接生活の糧になるとまでは思っていません。ただし、考える材料にはなる。
辻  
仰るとおりで、例えば僕の出したアドバイスとかが守られなくてもいいんですよね。昔は「上手くいかないなあ」と思ったり、口に出したりしてしまったんですが。結局は、参加者の体験になって、生きる上で役に立つ材料になってくれればいいんですよ。
__ 
参加者にとっては、実生活とは切り離された箱庭での体験ですからね。もしかしたら、それは幼児体験に近いものになるかもしれない。何故なら、純粋に人との関係性を体験するから。そして、日常生活からは年齢と共にそうした機会が無くなっていく。
辻  
ええ。
__ 
さらに、ネットのインフラが発達しまくって、コミュニケーションの主な手段がメディア越しになってしまったら?
辻  
今はそこら中に自己発信が出来る機会がありますしね。ナマでの表現(つまり演劇も含まれますね)というものの価値観が、どのように変わっていくか。もしかしたら、僕らのやっていることは危ないのかもしれません。食いっぱぐれるという意味で。でも、そういう現状を理解した上で何とかしようという人たちもいるんですね。これだけコミュニケーションという言葉が叫ばれているのも、そうした流れへのカウンターだと思うんです。WSという短い時間の中で、共同体験が持てるというのは意義があると思っています。

タグ: SeizeTheDay


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辻

質問 藤原 ちからさんから 辻 悠介さんへ

__ 
前回インタビューさせて頂きました、藤原ちからさんから質問です。「一人になりたい時にはどこにいますか?」
辻  
あー、無いかなあ。寂しがり屋なので。誰かと一緒にいたいですね。本当に一人でぼーっとしている時間は不安ですね。どちらでもいいんですけどね。

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辻

本当は恐ろしいWS

辻  
あと、要約力のWSというものをやろうと考えてます。まとめる力って必要なんですよね。完結に自分を出すという。自分を構成する要素をフリップで出すというね。「もう一度受けたい国語の授業」っていうWSを一度やりたいです。学校教育ではやらないんですよ、要約って。
__ 
そうした教育系だけではなく、WSって、地頭の良さと表現力がすごく必要とされると思うんです。自己表現を磨こうと思ったら、なおの事。その辺はどうでしょう。
辻  
それは僕も注意しています。最初に「あ、面白くなくていいですよ~」って。演劇のWSも、目立ちたい子に「笑い取る必要ないからね」。って。
__ 
そういう場ではない。価値観を確認しあう場所であるから。
辻  
はい。今日は様々なWSがあるという事を紹介したんですが、それぞれ色んな視点があるんですよね。それらがカテゴリを越えて色んな気づきをもたらしてくれていて、とても勉強になるんです。
__ 
垣根を越えて、新しいアイデアを作っていく。
辻  
それが理想ですね。
__ 
上手くいけばいいですね。一方、きっと、参加者に悪影響を与えるWSもあるはず。
辻  
それ、一度やってみようと思っています。
__ 
おお。
辻  
本当は恐ろしいWS。
__ 
面白い。
辻  
いわゆる信頼のワークを繰り返して、そこで僕がある言葉を与えたらそれを信じこむ参加者が出てきてしまう。自分で考える力を削いでいくという事に近いです。そう考えてみると、WSって、本当は恐ろしいんですよ。

タグ: 垣根の無い世界へ


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辻

ライフスタイル

__ 
今後、どんな感じで攻めていかれますか?
辻  
今のライフスタイルは気に入っています。昼は仕事して、WS活動を行なって。それが維持出来ればいいなと思っています。
__ 
頑張って下さい。

タグ: どんな手段でもいいから続ける 今後の攻め方


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辻

烹菓のクッキー

__ 
今日はですね、お話を伺えたお礼にプレゼントを持っていまいりました。どうぞ。
辻  
クッキーですか。へー、かわいい。


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辻

時間感覚と『演劇最強論』の出版

__ 
今日はどうぞ、宜しくお願いします。最近、藤原さんはいかがでしょうか。
藤原 
えっと、毎日、刺激的です。
__ 
毎日刺激を感じている生活というのは、ご自身にとっては良い状態でしょうか?
藤原 
うーん、たぶん。二十代の頃、本当に何もしてないニート同然の時期があったので、あの頃から比べると全然いいんじゃないかな・・・・・・。
__ 
日々、どんな刺激を受けるのでしょうか。
藤原 
例えばそこの駅前の立ち呑み屋に行って、他のお客さんから昔の話を聴いたりとか。この辺りは土地の力が強いんですよね。人の記憶が積み重なって歴史に連なっている。やっぱり面白いのは、人の話を聴くことかな・・・・・・。最近東京から横浜に引っ越してきたんですけど、東京のあの、膨大な情報を猛スピードでやりとりするモードにうんざりしていたという、厭戦気分もあります。だからここに生きてる人たちの話を聴いてると、少し精神がまともになれる気がしますね。で、今は観劇予定がない日は横浜に引きこもって、昼間は編集や執筆の仕事をして、夜は飲むという。徳永京子さんとの共著で『演劇最強論』(飛鳥新社)という本を出版することもありまして。少し遅れてますけど、もうじき刊行できますので楽しみに待っていてください。
__ 
つまり、情報に触れる機会をご自分でコントロール出来ているという事ですね。
藤原 
あえて切断するということですかね。便利さや流暢さといったものから身を引き剥がしたくなった。僕自身の年齢や志向性がそうさせるのもありますけど、近年の演劇界のスピードもちょっと早すぎたんじゃないかなという思いがあります。もう少し、作り手も観客も落ち着いて観たり、聴いたり、考えたりをしてもいいんじゃないかと。もちろんたくさんの作品を浴びるように観まくるのも大事なんですけど、ひとつの作品を反芻することによって生まれてくる言葉や感覚もあるんじゃないか。そこは僕自身、反省するところも少しあります。例えばtwitterに舞台の感想をすぐさま書く。その瞬発力は自分の強みだとも思うし、それがなければいろんな仕事の依頼が来ることもなかったと思います。だけどそれが、今の演劇界の短期決戦の狂騒的な雰囲気に荷担することにもなってしまったかもしれない。だからあえて、ゆるめる。遅れさせる。僕ひとりがそうしたところで大した意味はないですけど、バタフライ効果的にその「遅延」がゆっくりひろがっていけばいいな、という気持ちはあります。何かをやるにしても、最低でも3年、できれば5年くらいのスパンで考えたい。そのくらいの時間感覚で初めて見えてくるものもある気が、今はしています。
演劇最強論
徳永京子 (著)。藤原ちから (著)。飛鳥新社。

タグ: 引っ越し 土地の力 反省Lv.3


震撼

藤原 
そもそも僕が演劇に深くコミットするようになったのは、元・快快の篠田千明に呼ばれて「キレなかった14才りたーんず」という企画公演にパンフの編集者として呼ばれたのがきっかけです。こまばアゴラ劇場に毎日貼り付いて、ほぼ全公演をいろんな角度から観つづけたことで、演劇というものの多角的な魅力が見えてきた。なんか、感触をつかんだんですよね、空間の。作り手たちの熱気のぶつかり合いを近くで目撃できたのも大きかった。ただ、観客動員数はすごくあったのに、あの頃の彼ら(6人の演出家たち)は演劇界ではまださほど認められていなくて。「若いやつらが内輪でハッピーなことやって騒いでる」みたいに軽んじられる雰囲気があった。僕はそれらに対して「彼らは彼らなりの若い感性で世界を切り取っていますよ」と証明する必要を感じたんですよね。ただ、そのためには言葉が必要だったし、まずはたくさん舞台を観ないとお話にならなかった。そしたら単純に、いろんな面白い舞台に出くわしていって、気づいたら戻れなくなっていたという(笑)。エンリク・カステーヤさんとの出会いとか衝撃的でしたね・・・・・・。まあこの話は長くなるので今はやめておきます。
__ 
若い才能。認められるべきですね。
藤原 
その過程でマームとジプシーの藤田貴大くんと出会っちゃったのは人生が変わるレベルの大きな出来事でした。『たゆたう、もえる』という作品を、現『シアターガイド』編集長の熊井玲さんに誘われて千秋楽に駆け込みで観に行って、びっくりして。いったいどんな人が作ってるのかと思ったらすっごい線の細い、でもエキゾチックな目をした美青年が現れて、やばいこれはマジで天才に遭遇してしまったと。震撼しましたね。それで家が近かったこともあり、一時期はほぼ毎日くらいのペースで飲んで話してました。村上春樹ふうにいえば、2010年の夏に2人で飲んだビールの量はプール一杯ぶんくらいに相当すると思いますよ(笑)。もちろん演劇の話もしたけど、映画とか小説とかの、あれがヤバイとか凄いとか・・・・・・。彼もやっぱり最初は認められてなかったし、傑出した才能があるからこそ、周囲の反発も凄いものがあったと思います。でも藤田くんはタフだったなー。彼とその仲間たちが、演劇界の空気をずいぶん変えたと思いますね。
__ 
素晴らしい。
藤原 
演劇界にかぎらず、世界は変わりつつあるんだなとひしひし感じてます。震災の前から、戦後日本を支えてきた社会の様々なシステムは斜陽に差し掛かっていた。それが震災で完全に露呈されたと思います。ハリボテだったじゃん!、っていう。逆に言うとこの混乱期は、若い世代にとっては大きなチャンスだとも思う。僕は人生のわりとそれなりの時間を酒場で過ごしてきたので、オッサンに説教されることなんて日常茶飯事だったんですよ。でも震災後、オッサンが自信を喪失したのがハッキリと分かりましたね。むしろ謝られることすらある。こんな日本にして悪かった、とかなんとか・・・・・・。とにかく、いい仕事をする若者がちゃんと認められるのは健全なことだと思う。
__ 
いい仕事をする若手。
藤原 
問題は、僕自身がもはやそれほど若くないということですね(笑)。だから単に若ければいいとも思っていない。大人には大人のやり方ってもんがあると思う。
快快
2004年結成、(2008年4月1日に小指値< koyubichi>から快快に改名)。集団制作という独自のスタイルで作品を発表し続ける、東京を中心に活動する劇団。パフォーミングアーツにおける斬新な表現を開拓し「物語ること」を重視した作風で今日の複雑な都市と人を映し出しながらも、次第に幸福感に包まれゆく人間の性をポップに新しく描いてきた。(公式サイトより)
マームとジプシー
藤田貴大が全作品の脚本と演出を務める演劇団体として2007年設立。同年の『スープも枯れた』にて旗揚げ。作品ごとに出演者とスタッフを集め創作を行っている。08年3月に発表した『ほろほろ』を契機にいくつもの異なったシーンを複雑に交差させ、同時進行に描く手法へと変化。09年11月に発表した『コドモもももも、森んなか』以降の作品では、「記憶」をテーマに作品を創作している。シーンのリフレインを別の角度から見せる映画的手法を特徴とし、そこで生まれる「身体の変化」も丁寧に扱っている。(公式サイトより)

タグ: 一瞬を切り取る 村上春樹 内輪ウケの・・・ その人に出会ってしまった 丁寧な空気づくり 作家の手つき


予感する

藤原 
今、F/T12の関連企画のひとつに、演劇ジャーナリストの岩城京子さんが企画したブログキャンプというのがあって、10代・20代の人たちが5週間にわたってブログを書くんですけど、そこにチュートリアルメンバーとして関わっています。僕も若い劇評の書き手を育てなくちゃ、という切迫した必要に駆られていたので、岩城さんに声をかけてもらってよかったです。やっぱり若いアーティストや時代と伴走していける批評の書き手、特に女性の書き手が必要だと感じていたので。
__ 
というと。
藤原 
批評したがりな男子は結構いるんですよ。まあほとんどは先行批評家のエピゴーネンっぽい感じだし、結局自分の自意識にしか関心ないんじゃない?、と思えるものがあまりに多くて辟易するんですけど。でも一方で、創作の現場は切実に批評を欲していて、例えば女性アーティストの作品をきちっと批評出来る人が相当少ないという問題がある。ちょっとでも作品に生理的なモチーフが登場すると、「あ、女だからやっぱりね」的な解釈に回収されがちで。そこには未来は感じられない。でも偶然なのか、岩城さんのキャラクターや思想による必然なのか分からないですけど、今回のブログキャンプは参加者の8割以上が女性で、これは何か新しい時代が来てるぞ、っていう予感はありますね。
フェスティバル/トーキョー
フェスティバル/トーキョーは、東京芸術劇場など池袋界隈の文化拠点を中心に開催する、日本最大の舞台芸術のフェスティバルです。2009年2月に誕生し、過去4度にわたって開催され、75作品、609公演、のべ2,555名の出演者・スタッフ、そして22万人を超す観客/参加者が集いました。 国内外から集結した先鋭的なラインナップとフェスティバルならではの参加型プログラムで大きな話題を集め、東京、日本、そしてアジアを代表する国際芸術祭として毎年開催されています。(公式サイトより)

タグ: 批評の果たすべき役割


__ 
私はここ3年ほど、一年に一回は必ず東京に来て演劇をみる旅行をしています。やはり、東京で作った作品にしか宿らないスピード感は感じるんです。これは気のせいではなく。京都はその環境から、宿命的に一つの作品や劇団に長い時間を掛けて向き合う事が出来る、というかそうせざるを得ない。それはきっと、東京にはない特性だと思っています。芝居のテーマが難しすぎて公演中止したケースが何件かあるぐらいです。
藤原 
へー。東京だとちょっと考えられないですね・・・・・・。
__ 
演劇人口が少ないという事が時間の流れの遅さに直結している。では、翻って東京は本当に向き合う時間なるものが短いのでしょうか?
藤原 
んー、観客も次々作品を消費して、「あー、これってこういう感じね? ○×に似てる」って確認するような作業に陥ってないかなあと。それと逆に作り手が焦っているということもあると思います。「失敗出来ない」と思ってる人が多いんじゃないかな。
__ 
失敗が出来ない世界。なるほど。
藤原 
公演の感想にしても、紙のアンケートであれば、手書きの痕跡が残ってしまうこともあって、作り手への最低限の敬意は払われていたと思うんですよ。ところがtwitterだと、リスペクトを欠いたまま適当に書きなぐったような感想まで含めてすべてが可視化されてしまう。あるいは空虚な賛辞ばかりが並ぶ。それはアーティストにとってはキツイ環境ですよね。気狂いますよ。ある意味、感性を摩滅させないとスルーできない。
__ 
検索すれば一瞬で出てきますからね。
藤原 
このままの環境だと、みんな保たないと思います。特に東京は異常。そういう状況からはまずは撤退ですな。
__ 
きっと、東京に演劇人口が異常に多く、それが流行とか、シーンが伝わって消費?されるスピードを上げているのかなと思うんです。いくつかの劇団や一つの作品のみを意識するというのは、環境からしてとても難しいであろうと。
藤原 
東京では毎週末、イベントがあちこちで勃発していて、観客は膨大な情報からの取捨選択を常に迫られている。これだけでも多大なストレスだと思います。やっぱ人間、そんなにたくさんの情報は受け取れないと思うんですよね。一定量を超えるとシャッターを降ろしちゃう。未知のものへの好奇心を失ってしまう。それは世の中をつまらなくしてしまうんで。最近編集者として考えているのは、その情報量やノイズをいかに的確に縮減するか、そしてそこからどんなアクロバティックな回路をつくるか、ということです。
__ 
藤原さんのように、物理的にその量をコントロール出来る立場は理想なのかもしれませんね。

タグ: 生き方と世の中の為に動く 時間停止都市としての京都 アンケートについての話題


質問 ウォーリー木下さんから 藤原 ちからさんへ

__ 
前回インタビューさせて頂きました、ウォーリー木下さんから質問を頂いて来ております。「お芝居を批評するとき、好き嫌いで発言する事を良しとしますか?」
藤原 
良しとしません。もちろん僕も人間だから好き嫌いはあります。観に行く公演をチョイスする時には幾らか影響するかも。でも、何かを見た時には言葉を尽くしたい。作品の作り手も本気なわけだから。「好きだから面白かった」「嫌いだからつまらなかった」みたいに言葉というものを軽んじて使うことはできないですね。

タグ: 批評の果たすべき役割 ウォーリー木下


質問 糸井 幸之介さんから 藤原 ちからさんへ

__ 
FUKAIPRODUCE羽衣の糸井さんからも質問です。「いつもよりひどい寂しさを感じた時はどうやってそれを紛らわせますか?」
藤原 
わ。糸井さんっぽい質問(笑)。えーと、僕は大抵、酒場で飲んで紛らわせますけど、酷い時には、深夜の誰もいない街を踊って歩きますね。たぶん徘徊癖がある(苦笑)。でも夜の街でひとりで踊るのってすっごく気持ちいいんですよ。
__ 
素晴らしい。
藤原 
こないだは陰気な酔い方をしてしまって、ひとつ丘を越えた向こうにある巨大墓地に自転車で行っちゃって・・・・・・。死んだ人たちのことを思い出したら憤りというか、よく分からない感情が込み上げてきてしまって、これは死者に近いところに行って気持ちを鎮めるしかないと。でもこれって死者の眠りを妨げるというか、冒涜なんじゃないの?、と途中で思えてきて、ごめんなさいごめんなさい、って祈りながら墓地の中を駆け抜けました。真っ暗闇で自転車のライトだけが頼りだから、今まで生きてきた中でいちばん怖かった・・・・・・。
__ 
墓に入っている人にとっては日常のスパイスになったんじゃないかと思うんですけどね。
藤原 
いやいや(苦笑)、申し訳ないです。たぶんもう二度としないと思います。

タグ: 夜の共犯者


質問 野木 萌葱さんから 藤原 ちからさんへ

__ 
パラドックス定数の野木さんからも質問です。「例えば、どういう時に風情を感じますか?」
藤原 
どうも僕は、うら寂れた感じが好きらしいんですよ。場末感というか。夏に青春18切符でぶらぶら旅してたんですけど、たまたまたどり着いた山奥の築100年くらいの湯治宿が本当にボロッボロで、でもお湯は最高で。つげ義春の漫画に出てきそうな場所でしたね。実はそういう感覚って、この喫茶店の目の前にある広場にも感じてるんです。
__ 
最初から公園として作られた訳ではない、余ってしまった、無造作な広場。何か、ささやかなスペースですよね。
藤原 
ちょっと可愛いらしい感じがするでしょ? 愛嬌があるじゃないですか。
__ 
想像力が膨らむという感じですかね。
藤原 
初めてこの町に来てこのちっちゃい広場を見た時にピンと来たというか。この窓から広場を眺めてるのは本当に好きですね。時間が止まっていて、それでいて流れている。この町は高校生、それもほとんど女子と老人しかいなくて、ギラギラした若者がほとんどいないんですよ。女子高生たちも学校卒業したらきっとどこかに行ってしまう。老人たちは、もうこの町と一緒に滅びていくことを半ば受け入れているような感じがする。ヘンな話ですけど、僕の理想的な最終形態って「妖怪」なんですよね。人間って、良い歳のとり方をすると妖怪に近づいていくというおかしな仮説を持っていまして(笑)。例えばそこの中華料理屋、もはやレトロという言葉すらふさわしくないくらい年季入ってますけど、あの店の椅子に貼り付いたようなお爺さんがいる。
__ 
ああ、いそうだ。いそうですね。
藤原 
いるんです。その椅子や店も含めてその人の一部になっているかのようなお爺さん・・・・・・。昔、師とあおぐ先生が亡くなった時に、盟友だった哲学者の鶴見俊輔さんが告別式にいらしてて、僕の席のそばの通路をゆっくーり歩いていったんですけど、すーっと雲の糸をひいてるのが見えた気がして。「あっ、仙人だ!」とその時は思ったんですけど、あれがもっと俗っぽくなると妖怪になるのかもしれない。

タグ: ギラギラした俳優


行くべき時は行こうぜ!

藤原 
ここ数年、大事だと思っているのが「循環」という思想なんです。「金は天下の回りもの」という言葉があるけど、資本主義のシステムって、お金が循環しないと意味がないでしょう? それと、人が移動すること。移動によって、国境も含めたいろんな境界が揺らいでいく。僕は場が停滞しないように、循環するように、引っ掻き回すのが自分の役割だと思ってます。一種の道化ですよね。
__ 
というと。
藤原 
これは批判ではないので誤解しないで欲しいのですが、アカデミックな劇評家タイプだと、「研究」という側面がベースにあるから、どっちかと言うとどっしり構えた文章を書くことが多いと思うんです。
__ 
構えた批評。
藤原 
いやそれ自体は悪いことじゃないですよ。一時的な流行に左右されないで、きちっとした研究成果を積み重ねていくことで後の世に大きな貢献を果たすかもしれない。その仕事はおそらくは重要なものを含みます。ただ、僕はそういう堅実なタイプではない。むしろもっと戦略的に、現実世界の様々な価値の境界を撹乱したい。そこに命賭けてるんですよ。どこにも所属しない、というストレンジャーだからこそ見えてくるものがあると思うから。アウェイの感覚をキープするのは結構つらいんですけどね・・・・・・。例えば北九州の枝光という小さな町に行って、そこで見聞きしたことを人に話したり記事に書いたりする。そこにひっかかりを感じた人が実際に枝光に足を運んだりする。何かと出会う。循環が起こる。それらの予期せぬ出会いが生まれていく可能性は閉ざしたくないと思っているし、そういう循環を促すような回路というか抜け道をほうぼうに生み出していく。四次元殺法的な感じで(笑)。でもそれが「メディア」の役割だと思ってるし、時代の過渡期にはそういう道化的な人物もそれなりの役目を果たしうると思う。今は引きこもりのフリをしてますけどね。
__ 
身軽さ、ですね。
藤原 
でも例えば「越境」っていうと聞こえはいいけど、失敗例もいろいろ見てきてはいるので、あんまり楽観視してないです。とはいえ、あの手この手で動いていく。偶然の出会いもできるだけ受け入れる。まだ出会っていない他者の存在を常に感じる。これはもう自分の手の範囲の及ばない、アンコントローラブルな領域です。ごく素朴に言えば、世界は未知の驚異に満ちているということです。これは雑誌「エクス・ポ」などを通してここ数年お仕事させていただいてきた批評家の佐々木敦さんの思想の影響もやはり受けているのかもしれません。というか僕の中にもともとあったそういう部分を佐々木さんに引き摺り出された気はしています。ただ、未知の世界を目の前にした時に、そこでの道化的振る舞いに関して、自分自身、正体がよく分からなくなってくる。きっといろんな誤解も受けてると思うけど、長い目で見たら自分の行動はそれなりに一貫しているような気もしています。表に見せていることは氷山の一角にすぎなくて、水面下で動いていることのほうがはるかに多いんですけど。twitterもある種の煙幕ですよね。忍術みたいなものです(笑)。
__ 
大切なのは、対話という事でしょうか。
藤原 
対話もそのひとつ、ですね。日本は表向きは単一民族国家だと未だに信じられていて、「私もあなたも同じだよね」という同調を迫る文化。それだと今後の世界に対応していくのは無理なんじゃないですか? すぐ傍にいる隣人が、自分とまったく異なるバックボーンを持った他者かもしれない、という前提で今後はコミュニケーションしていかないと、様々なイシューに対応できないと思う。
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なるほど。
藤原 
まあ、「和を尊ぶ」とか「阿吽の呼吸」みたいな日本式の文化の魅力もあるとは思ってます。だけど異なる他者との交渉力はきっと必要になる。解り合えない、という前提で何をするか。守りたいものがあるのなら、時には喧嘩だってしないといけないかもしれない。あるいは水面下で交渉し、あるいは正々堂々と議論する。行くべき時は行こうぜっていう。そこは今回の岩城京子さんのブログキャンプとか、あと武蔵野美術大学の「mauleaf」という学内広報誌も編集してるんですけど、そういう若い子たちに接する機会を通して、彼ら、というか女の子が多いので「彼女たち」でもいいんですけど、その視界にどんどん異物を放り込んでいきたい。みんな知識や刺激に対して貪欲だなってことも思うから、とにかく全力で球を投げ続けるっていう。

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だから僕は、みんな違うという前提に立ち続けたいのかもしれない。

藤原 
ただこういう生き方ってもはやカタギではない。世の中を引っかき回したいとは思うけど、できれば人に迷惑はかけずに生きたい・・・・・・。
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私個人も、やはり迷惑を掛けている人は多かれ少なかれいるんですよ。きっと。婉曲的にでも、恩を返していきたいですね。
藤原 
朝、二日酔いの頭で、幾らかの後悔とともに例えば太宰治のことをぼんやり考えたりします。生まれてきてしまったことへの原罪のようなものってやっぱりあって。ただ、後ろめたさに溺れていくのも甘えだと思う。デカダンス気取りではいられないんです。もはや生きてしまっている以上、開き直りということでもなく、その「存在している」という事実を過不足なく受け止めたい。そうすると、どんな隣人と一緒に生きていくのか、ということは考えざるをえませんね。今は幸いにも一緒に仕事をしようと言ってくれる人もいるので、本当にありがたいです。たぶん他人から受けた恩は、一生かかっても返しきれない。そのぶん、若い子たちに何かプレゼントできれば、と思ってはいるんだけど・・・・・・。
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藤原さんは、13歳から東京に移ったんですよね。
藤原 
中学進学と同時ですね。寮ではなくて、アパートで一人暮らししました。なんでそんなことしたんだろう・・・・・・。未だに謎なんですけど、たぶん高知というそれまでいた世界とか、家とかが、窮屈に感じられて、外の世界で勝負したいって思っちゃったんでしょう。でも想像してた以上にキツかったです。いきなり知らない土地に放り出されたようなものだし。自分で選んだことだけど、まだ子供ですからね・・・・・・。
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ようやるわ、と思います。
藤原 
想像を絶する孤独でしたね。寂しいからテレビ付けっぱなしで寝たりとかしてたんですけど、途中で砂嵐になってむしろ怖いし眠りも浅いから、闇に耐えるしかない。同じ家に人がいるかどうかだけで全然違うんだと痛感しましたね。実際、空き巣に入られそうになったりとか、具体的な危険もあったし、ボロアパートだからヘンな虫とかもいたし、ほんとに夜が恐ろしかった。僕はいわゆる一般的な「反抗期」というものも経験してない。反抗する対象がいないわけだから。その頃からですかね、夜の徘徊癖が出てきたのって。待ってるのが怖いから、自分から夜に向かっていくしかなかったのかも。こう見えても結構不幸な人生を歩んできてるんですよ。それこそ京都にも心中しようと思って旅したことあるし(笑)。自分でもよくここまで死ななかったなと思います。「中学から一人暮らししてえらいね」とか同情されることはしょっちゅうでしたけど、いや誰にもこの孤独は共感出来ないでしょ?、と思ってた。だからよくあるホームドラマ的な家族観は苦手なんです。いや全然違うしって思う。「家族」なんて存在しない。「ある家族」が存在するだけだと思う。すべての体験は固有のものです。簡単に共感とか言われても困っちゃう。だから僕は、みんな違うという前提に立ち続けたいのかもしれない。

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避難所のゆくえ

藤原 
実は事件、とりわけ凶悪犯罪のニュースを見るのが半ば趣味と化してるんですけど、残念ながら、世の中に悪は存在していると思わざるをえないですよね。
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悪の存在の仕方?
藤原 
荒川区に住んでいた時、バイト先の後輩にヤンキーとチーマーがいて、ヤンキーの子は闇金融に手を染めて結局少年院に行った。チーマーの子も酒癖が悪くてバイク事故を起こして離婚したり・・・・・・。どっちも素直でいい子だったんだけど、環境がそうさせてしまうことはある。僕は黒澤明の映画が好きなんですけど、やっぱり戦後の無知と貧困と闘ったあのヒューマニズムのようなものを、そのまま継承はできないにしても、ちょっと引き受けようと思う部分はありますね。例えば快快とか、岡崎藝術座とかの演劇って、そういう社会的にあぶれてしまった人たちをも呑み込んでいけるような力があるんじゃないかって気がしてます。そういう意味では、悪をゆるやかに溶かしていく、ということは意識としてはあります。ただ、悪を撲滅する、浄化する、という発想でいいのかどうかとなると・・・・・・。そこまで僕はまだ正義というものを信じられないんですね。今度出版する『演劇最強論』で宮沢章夫さんにインタビューした時に、宮沢さんが悪場所(あくばしょ)の必要性に触れていて。
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風俗店、パチンコ、場所じゃないですけどタバコとか。
藤原 
そうですね、盛り場というか。宮沢さんはニュータウンをフィールドワークしてそういうことを考えたと思うんです。整然と整備された街路がかえって人を狂わせるようなことがあるんじゃないかと。僕も、アシンメトリーとか、歪みのようなものが気になります。例えばこのあたりは地形が複雑で、起伏もあるし、道も蛇行している。死角が多いんです。それは防犯上危険という考え方もあるかもしれない。だけど人間、キレイな場所だけでは生きていけないと思うんですよ。特に今の時代、勝ち組とか負け組とか言われて、落伍者には敗者復活戦のチャンスもなかなか与えられない。だからみんな失敗を怖れるし、一度得たら、それがどんなにちっぽけなものであっても、必死に椅子にしがみつこうとする。生き急ぐ。だけど人間は必ず失敗するし、挫折だってするでしょ、と僕は思うんです。そういう時に身を寄せられるような場所がないと、社会は、というか、人間は、成り立っていかないんじゃないかな。僕は10代の大部分を居酒屋と雀荘で過ごしましたけど、明らかに、アジール(避難所)として機能してましたよ。いろんな人たちが遊びに来てた。他に行く場所がなかったんじゃないかな。
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社会から遊びの部分が無くなるというのは、きっと良い流れではないんでしょうね。猥雑さ。