行くべき時は行こうぜ!

藤原 
ここ数年、大事だと思っているのが「循環」という思想なんです。「金は天下の回りもの」という言葉があるけど、資本主義のシステムって、お金が循環しないと意味がないでしょう? それと、人が移動すること。移動によって、国境も含めたいろんな境界が揺らいでいく。僕は場が停滞しないように、循環するように、引っ掻き回すのが自分の役割だと思ってます。一種の道化ですよね。
__ 
というと。
藤原 
これは批判ではないので誤解しないで欲しいのですが、アカデミックな劇評家タイプだと、「研究」という側面がベースにあるから、どっちかと言うとどっしり構えた文章を書くことが多いと思うんです。
__ 
構えた批評。
藤原 
いやそれ自体は悪いことじゃないですよ。一時的な流行に左右されないで、きちっとした研究成果を積み重ねていくことで後の世に大きな貢献を果たすかもしれない。その仕事はおそらくは重要なものを含みます。ただ、僕はそういう堅実なタイプではない。むしろもっと戦略的に、現実世界の様々な価値の境界を撹乱したい。そこに命賭けてるんですよ。どこにも所属しない、というストレンジャーだからこそ見えてくるものがあると思うから。アウェイの感覚をキープするのは結構つらいんですけどね・・・・・・。例えば北九州の枝光という小さな町に行って、そこで見聞きしたことを人に話したり記事に書いたりする。そこにひっかかりを感じた人が実際に枝光に足を運んだりする。何かと出会う。循環が起こる。それらの予期せぬ出会いが生まれていく可能性は閉ざしたくないと思っているし、そういう循環を促すような回路というか抜け道をほうぼうに生み出していく。四次元殺法的な感じで(笑)。でもそれが「メディア」の役割だと思ってるし、時代の過渡期にはそういう道化的な人物もそれなりの役目を果たしうると思う。今は引きこもりのフリをしてますけどね。
__ 
身軽さ、ですね。
藤原 
でも例えば「越境」っていうと聞こえはいいけど、失敗例もいろいろ見てきてはいるので、あんまり楽観視してないです。とはいえ、あの手この手で動いていく。偶然の出会いもできるだけ受け入れる。まだ出会っていない他者の存在を常に感じる。これはもう自分の手の範囲の及ばない、アンコントローラブルな領域です。ごく素朴に言えば、世界は未知の驚異に満ちているということです。これは雑誌「エクス・ポ」などを通してここ数年お仕事させていただいてきた批評家の佐々木敦さんの思想の影響もやはり受けているのかもしれません。というか僕の中にもともとあったそういう部分を佐々木さんに引き摺り出された気はしています。ただ、未知の世界を目の前にした時に、そこでの道化的振る舞いに関して、自分自身、正体がよく分からなくなってくる。きっといろんな誤解も受けてると思うけど、長い目で見たら自分の行動はそれなりに一貫しているような気もしています。表に見せていることは氷山の一角にすぎなくて、水面下で動いていることのほうがはるかに多いんですけど。twitterもある種の煙幕ですよね。忍術みたいなものです(笑)。
__ 
大切なのは、対話という事でしょうか。
藤原 
対話もそのひとつ、ですね。日本は表向きは単一民族国家だと未だに信じられていて、「私もあなたも同じだよね」という同調を迫る文化。それだと今後の世界に対応していくのは無理なんじゃないですか? すぐ傍にいる隣人が、自分とまったく異なるバックボーンを持った他者かもしれない、という前提で今後はコミュニケーションしていかないと、様々なイシューに対応できないと思う。
__ 
なるほど。
藤原 
まあ、「和を尊ぶ」とか「阿吽の呼吸」みたいな日本式の文化の魅力もあるとは思ってます。だけど異なる他者との交渉力はきっと必要になる。解り合えない、という前提で何をするか。守りたいものがあるのなら、時には喧嘩だってしないといけないかもしれない。あるいは水面下で交渉し、あるいは正々堂々と議論する。行くべき時は行こうぜっていう。そこは今回の岩城京子さんのブログキャンプとか、あと武蔵野美術大学の「mauleaf」という学内広報誌も編集してるんですけど、そういう若い子たちに接する機会を通して、彼ら、というか女の子が多いので「彼女たち」でもいいんですけど、その視界にどんどん異物を放り込んでいきたい。みんな知識や刺激に対して貪欲だなってことも思うから、とにかく全力で球を投げ続けるっていう。

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だから僕は、みんな違うという前提に立ち続けたいのかもしれない。

藤原 
ただこういう生き方ってもはやカタギではない。世の中を引っかき回したいとは思うけど、できれば人に迷惑はかけずに生きたい・・・・・・。
__ 
私個人も、やはり迷惑を掛けている人は多かれ少なかれいるんですよ。きっと。婉曲的にでも、恩を返していきたいですね。
藤原 
朝、二日酔いの頭で、幾らかの後悔とともに例えば太宰治のことをぼんやり考えたりします。生まれてきてしまったことへの原罪のようなものってやっぱりあって。ただ、後ろめたさに溺れていくのも甘えだと思う。デカダンス気取りではいられないんです。もはや生きてしまっている以上、開き直りということでもなく、その「存在している」という事実を過不足なく受け止めたい。そうすると、どんな隣人と一緒に生きていくのか、ということは考えざるをえませんね。今は幸いにも一緒に仕事をしようと言ってくれる人もいるので、本当にありがたいです。たぶん他人から受けた恩は、一生かかっても返しきれない。そのぶん、若い子たちに何かプレゼントできれば、と思ってはいるんだけど・・・・・・。
__ 
藤原さんは、13歳から東京に移ったんですよね。
藤原 
中学進学と同時ですね。寮ではなくて、アパートで一人暮らししました。なんでそんなことしたんだろう・・・・・・。未だに謎なんですけど、たぶん高知というそれまでいた世界とか、家とかが、窮屈に感じられて、外の世界で勝負したいって思っちゃったんでしょう。でも想像してた以上にキツかったです。いきなり知らない土地に放り出されたようなものだし。自分で選んだことだけど、まだ子供ですからね・・・・・・。
__ 
ようやるわ、と思います。
藤原 
想像を絶する孤独でしたね。寂しいからテレビ付けっぱなしで寝たりとかしてたんですけど、途中で砂嵐になってむしろ怖いし眠りも浅いから、闇に耐えるしかない。同じ家に人がいるかどうかだけで全然違うんだと痛感しましたね。実際、空き巣に入られそうになったりとか、具体的な危険もあったし、ボロアパートだからヘンな虫とかもいたし、ほんとに夜が恐ろしかった。僕はいわゆる一般的な「反抗期」というものも経験してない。反抗する対象がいないわけだから。その頃からですかね、夜の徘徊癖が出てきたのって。待ってるのが怖いから、自分から夜に向かっていくしかなかったのかも。こう見えても結構不幸な人生を歩んできてるんですよ。それこそ京都にも心中しようと思って旅したことあるし(笑)。自分でもよくここまで死ななかったなと思います。「中学から一人暮らししてえらいね」とか同情されることはしょっちゅうでしたけど、いや誰にもこの孤独は共感出来ないでしょ?、と思ってた。だからよくあるホームドラマ的な家族観は苦手なんです。いや全然違うしって思う。「家族」なんて存在しない。「ある家族」が存在するだけだと思う。すべての体験は固有のものです。簡単に共感とか言われても困っちゃう。だから僕は、みんな違うという前提に立ち続けたいのかもしれない。

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避難所のゆくえ

藤原 
実は事件、とりわけ凶悪犯罪のニュースを見るのが半ば趣味と化してるんですけど、残念ながら、世の中に悪は存在していると思わざるをえないですよね。
__ 
悪の存在の仕方?
藤原 
荒川区に住んでいた時、バイト先の後輩にヤンキーとチーマーがいて、ヤンキーの子は闇金融に手を染めて結局少年院に行った。チーマーの子も酒癖が悪くてバイク事故を起こして離婚したり・・・・・・。どっちも素直でいい子だったんだけど、環境がそうさせてしまうことはある。僕は黒澤明の映画が好きなんですけど、やっぱり戦後の無知と貧困と闘ったあのヒューマニズムのようなものを、そのまま継承はできないにしても、ちょっと引き受けようと思う部分はありますね。例えば快快とか、岡崎藝術座とかの演劇って、そういう社会的にあぶれてしまった人たちをも呑み込んでいけるような力があるんじゃないかって気がしてます。そういう意味では、悪をゆるやかに溶かしていく、ということは意識としてはあります。ただ、悪を撲滅する、浄化する、という発想でいいのかどうかとなると・・・・・・。そこまで僕はまだ正義というものを信じられないんですね。今度出版する『演劇最強論』で宮沢章夫さんにインタビューした時に、宮沢さんが悪場所(あくばしょ)の必要性に触れていて。
__ 
風俗店、パチンコ、場所じゃないですけどタバコとか。
藤原 
そうですね、盛り場というか。宮沢さんはニュータウンをフィールドワークしてそういうことを考えたと思うんです。整然と整備された街路がかえって人を狂わせるようなことがあるんじゃないかと。僕も、アシンメトリーとか、歪みのようなものが気になります。例えばこのあたりは地形が複雑で、起伏もあるし、道も蛇行している。死角が多いんです。それは防犯上危険という考え方もあるかもしれない。だけど人間、キレイな場所だけでは生きていけないと思うんですよ。特に今の時代、勝ち組とか負け組とか言われて、落伍者には敗者復活戦のチャンスもなかなか与えられない。だからみんな失敗を怖れるし、一度得たら、それがどんなにちっぽけなものであっても、必死に椅子にしがみつこうとする。生き急ぐ。だけど人間は必ず失敗するし、挫折だってするでしょ、と僕は思うんです。そういう時に身を寄せられるような場所がないと、社会は、というか、人間は、成り立っていかないんじゃないかな。僕は10代の大部分を居酒屋と雀荘で過ごしましたけど、明らかに、アジール(避難所)として機能してましたよ。いろんな人たちが遊びに来てた。他に行く場所がなかったんじゃないかな。
__ 
社会から遊びの部分が無くなるというのは、きっと良い流れではないんでしょうね。猥雑さ。

新しく生まれるもの

__ 
猥雑さ。話は飛びますけど、それは子供鉅人が強烈に持っているものですね。
藤原 
そうですね。こないだの『幕末スープレックス』も実に猥雑ですごく面白かった。傑作でしたね。大阪の、彼らが育ってきた環境があの猥雑なパワーを生んでいるのかも。びっくりしたのが、菊の御旗さえも「ええじゃないか」の踊りに巻き込んでいってしまうところ。あの飲み込んでいくパワーは凄いと思った。益山貴司くんは自分は在日だとインタビューでも答えていたけど、「日本」の虚構性を肌で感じつつ、単なる批判とかではないもっとクリティカルな懐の広さをあの作品で体現したんじゃないかと。あと弟・益山寛司くんのあの性的倒錯ぶりはほんとかっこいい! ああいう人たちがどんどん出ていってほしいなー。商業シーンにも進出してほしいし。
__ 
おお。
藤原 
例えば深夜ラジオとか。あれも一種の悪場所だと思うんですよね。まあとにかく社会の中に遊びをやれるだけの余裕がなくなってるから、単にオッサンとかに買い叩かれていくのではなくて、自分たちで悪戯できるような場所をつくっていくしかないのかな。きっと理解者はマスメディアの中にもいると思います。ただ札束ちらつかせて身体の関係を求めてきた、みたいな話も未だに聞きますからね。マジひくわー。いやほんとに終わってる連中もいるので、さすがにそういうオッサンには早々にご退場願いたい。ここ2、3年が正念場かなって気はします。ここで新しい価値をつくっていくことができたら、日本も多少は良い国になれるかもしれない。いや、もう国家という単位で考えていいのかも分からないですけど。さっきは撹乱ということを言いましたけど、同時に、新しい価値をビルドしていくことも大事。ただそれは僕ではなくて、若いアーティストたちの仕事のような気もします。分かんないですけど。

タグ: 傑作の定義 子供鉅人


仕方ないわけないじゃん

__ 
これからは若手の時代。私もそう思うんです。個人発信の時代になって、それが当たり前の環境になって。そんな時代、若手がどのような成り上がり方をするのか楽しみです。
藤原 
今とは違う世の中の可能性を見せてほしいです。芸術家にはそうした使命もあると思う。僕は大学時代には政治学を学んでいた、というかかじっていたんですけど、さっきの鬼籍に入った先生、高畠通敏先生というんですが、退官記念の講演で『ミッション』という映画の話をされて。18世紀に南米に行った宣教師の「理想」が、植民地主義の「現実」に敗北するという史実に基づいた話なんですけど、先住民を虐殺しなきゃいけないような状況になって、確か枢機卿が「仕方ない、これが人間の世なのだ」とうそぶく。それに対して宣教師が、「仕方ないわけないじゃん。この世界も人間がつくったものじゃないか!」と言ってブチ切れるという。
__ 
・・・。
藤原 
先生が最後にその映画のエピソードを語ったというのは未だに印象に強く残っていて。マキャベリという思想家を引用しつつ、「運命は与えられるものではなく、つかむものだ」というような話も講義でされていたと思う。だから世の中変えられる、って思っちゃってるんですよ、僕は。今の日本の社会が唯一絶対のものではないから、別に今あるものだけを唯々諾々と受け入れる必要はない。でも今の若い人にはわりと現状肯定してしまう傾向を感じてて、だって別にそんなに貧しくないし、そこそこ楽しく生きられるし、みたいな感覚があるのかもしれないけど、いやいやばっちり搾取されてるし(苦笑)。よく友人のデザイナーともそんな話をするんですけど、「時給」という考え方がそもそも意味分からない。編集もデザインも、時間給に換算されるような仕事じゃないんです。切り分けられた時間の中に所属しないような仕事もある。とにかくいろんな可能性をもっと見てほしいなと僕は思いますね。日本では幸か不幸か、革命で一夜にして何かが変わるというようなことは起こらないかもしれない。でも人間が世の中を少しずつ変えていくんで。アーティストでも、制作者でも、もしかしたら批評家でも、世代交代が進んで、要所要所に新時代の感性を持った若い人たちが出てきつつある。アントニオ・グラムシという人の、「認識においては悲観主義者たれ、意志においては楽観主義者たれ」という言葉が好きなんですけど、まあ、だからケセラセラの精神で陽気ではいたいなと思ってます(笑)。
__ 
行くべき時には行こうぜ、ですね。

タグ: 政治とパーティー 社会、その大きなからくり


ちょっと沈んでる、くらいでもいい(笑)

__ 
今後、どんな感じで攻めていかれますか?
藤原 
攻める? うーん。表向きは負けててもいいかなという感じです。ズルズル後退しているように見せて、実は伏兵で搦め手から奇襲して相手の根城を奪い取るとか(笑)。
__ 
なるほど。
藤原 
若い頃ほんとうに毎晩麻雀ばっかやってたんで、まあ少なくとも何千回と打つわけですよね。そうするともはや一回一回の勝負に一喜一憂しなくなるんですよ。一晩通してトータルで浮いていればいいし、もっといえば一ヶ月とか一年単位で浮いてればいい。さらにいうならば、もう一生単位で見たら別にちょっと沈んでる、くらいでもいい(笑)。阿佐田哲也のギャンブル小説が僕の10代の頃のバイブルだったんですけど、勝負師っていうのは、結局はみんな敗者なんじゃないですか? いかに美しく敗北していくか。そこにその人の生き様がかかってる気がします。

タグ: 今後の攻め方


軽蔑というのは、最後の手段にしてほしい。/無数の眠った声

__ 
最後に。地域の演劇についてお考えを聞かせて頂きたく存じます。私は京都・大阪と住んで来てそれなりに経ち、さらに東京の演劇も面白く拝見するようになってから余計にそうした事を考えるようになったのですが・・・。
藤原 
まだ現時点で確実な答えは返せないんですけど、今後は東京もひとつの地域として見なしていくことになるかもしれないとは思ってます。日本経済が衰退してしまって、明らかに往年のパワーはもはや東京にはない。そのプレゼンスは相対化されざるをえないでしょう。ただ、俳優の演技力とか演出のセンスといった面においては、地方都市と東京とではまだ随分ひらきがあるのではないかとも感じます。京都はちょっと別格でしょうけどね。ただその格差に関しても、人が移動して循環していくことで、変わっていく可能性はあると思います。特に多田淳之介さん(キラリ☆ふじみ芸術監督/東京デスロック主宰)とか、いろんなものを伝播させていく力を持ってる人だと思う。あとこないだ岡崎藝術座の神里雄大くんが言ってたんですけど、もはや「国家」ではなくて「街」単位なんじゃないかと。韓国とか台湾ではなくて、ソウルとか台北なんだと。確かにそういう発想で、アジアの様々な拠点を結んでいったら面白いかなと思います。そういう発想も全然、夢物語ではない。現実の話です。僕は横浜に引っ越してきたけども、東京と横浜も明らかに違う。ここも少し離して考えてみたい。
__ 
距離的に離れてそれぞれの環境がある。
藤原 
それぞれの点はバラバラのままでいいと思うんです。むしろリージョナルな可能性をもっと追求してもいいのかもしれない。それぞれの土地のヴァナキュラーな言葉や記憶にアプローチしていくとか。僕が今横浜でやろうとしているのはおそらくそれです。例えばこの辺りで飲んでると、伊勢佐木町のメリーさんの話が会話の端にのぼったりする。記憶が色濃く残ってるわけですよね。そうやって足場を仮構しつつ、その上で、別の地域に移動して、点と点を結べばいいというか。
__ 
移動する。そうですね、集中する必要はないですね。首都の周りを周回する衛星都市など、存在しない。我々は色々なところに種を撒いていけばいいんですね。
藤原 
あるコミュニティに根ざして生きる人もいます。一方でデラシネとして移動する人もいる。堀江敏幸という作家が『おぱらばん』に書いていた随筆に、スナフキンはムーミンがいるからこそスナフキンでいられるのだ、とあって、なるほどと思いました。寅さんだって、柴又の家と人々があるからこそ寅さんを演じ続けることができる。どっちも必要な存在だと思います。よく、コミュニティの人間がデラシネやノマドを軽蔑し、逆もまた然りということがありますが、その違いは違いとして受け入れて、お互いに敬意をもって耳を傾けることはもっとできるはずだと思います。背景も立場も、やろうとしている事も違うけど、その違いによって相手を否定しているわけではない。自分に自信があれば、他人を軽蔑する必要もないと思います。対話したり、良い意味での喧嘩はあっていいけど、軽蔑は良くないんですよ。これは本当にこの場を借りてみなさんにもお願いしたい。軽蔑というのは、最後の手段にしてほしい。そんなに簡単に切ってはいけないカードだ。
__ 
軽蔑。相手を矮小化して自分の価値観を守ろうとする反応だと思っています。もちろん、間違っていると私も思います。でも大変なんだと思うんですよ。良く知らない相手に対して、窓を開け続けるという事は。それが出来る人というのは、物凄く頼り甲斐を感じますね。藤原さんの窓はかなり広そうな気がしますね。
藤原 
いや、僕はまったく聖人君子ではないですよ(笑)。ただ10代、20代とかなり生きるのが大変で、誇張ではなくて、自殺することばかり考えていたような時期もかなりありました。結局自分にその蛮勇がなかったことをありがたく思うしかない。とはいえ何度かピンチを切り抜けて来られたのは、他人のおかげなんです。それは自分でコントロールできるものではないと思うんですね。もちろん僕にも好き嫌いはありますけど、そう簡単に他人を拒絶できないと思った。誰がどこでどんな救いの手を差し伸べてくれるか、まったく予想外のことばかりが僕の人生には起きてきたんです。そういう意味では、自分で選んだことなんてそんなにないのかもしれない。自堕落な人間です。大抵の場合、いろんなものに巻き込まれて生きてきたから。でも下北沢で35年くらい「いーはとーぼ」という音楽喫茶を経営してきた今沢裕さんという変わった人がいるんですけど、この人が「必然性のないことはするな」と言っていて、最近その意味が少し分かってきたかなとも思います。必然性のないことはしたくない。できればずっと寝ていたい(笑)。代書人バートルビーの言葉を借りて言うならば、「せずにすめばありがたい」んです。でもたぶん、演劇を観て、それを何かしら言葉にしていく作業というのは、僕の中では必然性のある行為なんだと思います。少なくとも今のところはそうですね。あとやっぱり、人間の謎の部分に興味があるんですよねえ・・・・・・。例えば、今そこの歩道におばちゃんが立ってるでしょ?
__ 
いますね。
藤原 
あの人がどういう人生を歩んできたか、僕にはさっぱり分からないし、大抵の人とはそのまますれ違っていくじゃないですか。でも酒場ではそういう人と出会ってしまって、ちょっとここでは書けないような淫靡な話を聴いたりする。公の場にはなかなか出てこないような話というものがやっぱり世の中には眠っている。無数の眠った声。小説や戯曲には、もしかしたらそういう言葉が書かれうるかもしれない。やっぱりそのダークサイドにどうしても惹かれてしまうし、芸術に興味を持つのもそのせいかもしれません。
__ 
分からない何かを、みんな持っている。
藤原 
どんな人にも謎はあります。それを無視して、簡単に他人を軽蔑したりはできないって思います。
__ 
ええ。・・・あのおばちゃん、まだ立ってますね。

タグ: 引っ越し 相互承認 手段を選ばない演劇人 地方における演劇の厳しさ


栗ようかん

__ 
今日はですね、お話を伺えたお礼にプレゼントを持って参りました。
藤原 
ありがとうございます。わざわざ遠くまで来ていただいたうえに、お気遣い感謝します。
__ 
どうぞ。
藤原 
素敵ですね。美味しそうです。頂戴します。


パラドックス定数 第30項 「D51-651」

__ 
今日はどうぞ、宜しくお願いします。野木さんは最近は、どんな感じでしょうか。
野木 
どんな感じですか・・、11月末のパラドックス定数の公演、「D51-651」の台本を書いている最中なんですが、またバテるような気がします。
__ 
大変ですね。バテるとは?
野木 
体的にはそれほどしんどくはないんですけど、今回扱う題材が下山事件で頭の中がてんやわんやなんですよ。でも、必ず書き上げて上演します。
パラドックス定数
主宰 野木萌葱により、1998年にユニットとして旗揚げし、 主要メンバーの固定化を受け、2007年6月に劇団化を敢行。戦後未解決事件や、歴史上の著名人をモチーフとした、 濃厚且つキレのある男性芝居が特徴。強靱な想像力をもって生み出されたその脚本は、 フィクションとノンフィクションの境を超越し、 無駄を排した的確で鋭い台詞は、常に圧倒的な質量を誇る。緻密に作り込まれた息苦しい程の舞台空間から押し寄せる緊張感は他に類を見ない。(公式サイトより)
パラドックス定数 第30項 「D51-651」
公演時期:2012/11/27~12/2。会場:上野ストアハウス。

必要な事をやっているつもりです

__ 
以前拝見した、野木さんが作演出を務めているパラドックス定数の「東京裁判。非常に面白かったです。タイトル通り戦後の極東軍事裁判を題材にした作品でしたね。登場人物は5人の日本側の弁護士。世界の耳目の中で日本そのものを弁護する様はまるでそういうようにして戦っているようでした。まるで情報戦のような感触があったんです。例えば、かわぐちかいじの描く軍艦同士の戦闘のような。
野木 
情報戦。はい。
__ 
俳優が演じている役の思想とか事情がすごく分かりやすいんですよね。具体的だからこそか、こちらの側のリアルタイムな想像が次から次へと実証されていったり、併走したり、追い越したり。パラドックス定数では、いつもこのような作品を作られているのでしょうか?
野木 
うちは節操なく色んな題材に手を出しています。でも、稽古のやり方としては毎回同じ事をやっているつもりです。ええと、さっきの情報戦って・・・。
__ 
すみません、私も手探りで言葉を探しているので、例えが変かもしれません。俳優が演じる役がいままさに仕事をしていて、身体がそのために動く時に帯びる使命感というか。それが、観客に具体的な理解をさせてくれるんですよね。共感とは質の違う共有のあり方で。国の利益というか、敗戦処理という戦争に立ち会っている身体。そうした演技を作るには、もしかしたら稽古の仕方に特別なやり方があるのではないかと思っているのですが。
野木 
いえ、特殊なやり方というのは特にないんですよ。とはいえ私の方から「こうしてほしい」と指示をする訳でもなく。でも、「ここに五人いるから、お互いを無視しないでほしい」という事はよく言いますね。
__ 
「ここに五人いるという事実」。
野木 
その認識の上で、必要な事をやっているつもりです。細かい事ばかりやっている訳ではなくて、でも、「相手がこの台詞を言う間に、自分の中に立った気持ちは絶対に無視しちゃいけない」とか。
__ 
そうそう、そうですよね。
野木 
相手の態度を受けて、こう返すというか、こう返さざるを得ないというか。
__ 
舞台上の人間同士の、誰にでも提示される流れ。これを明確に掴んでいるのって、きっとどこまでも演劇的で、同時に作りものからはかけ離れた、間合い的な何かだと思うんです。それこそが会話劇と言えるかもしれない。
野木 
俳優には支えられています。本当に。そう、詰め詰めばかりの稽古ではないんですよ。毎日の稽古は違うので、当然、変化はありますね。
パラドックス定数 第29項 「東京裁判」
公演時期:2012/7/31~8/12。会場:pit北/区域。

タグ: ユニークな作品あります 役者に求めるもの


配剤

__ 
野木さんがお芝居を始めたのはどういうところからでしょうか。
野木 
中学生で、クラスの学芸会で演劇をやったのが最初です。オペラ座の怪人を劇団四季で見たかったのにお小遣いでは見れなくて、なら自分でやろうと。何でそう思ったのかは分かりませんけど。
__ 
見れないなら自分でやる。
野木 
訳わかんないですね(笑う)。みんな分からないながらもはいはいと付き合ってくれて、上演までいきました。
__ 
パラドックス定数」の旗揚げは、大学在学中ですよね。
野木 
はい。戯曲を上演したかったというのもあるんですが、実は日本大学の演劇学科で、周りがポコポコ旗揚げしていて、それに押されて・・・「一番早く潰れる劇団」と噂されていました(笑う)。
__ 
劇団名の由来を教えて下さい。
野木 
旗揚公演に、アインシュタインを題材に選んだんですよ。「神はサイコロを振らない」という。彼の脳がスライスされて、世界中の科学者が保持していて、彼が蘇って探しにいく話。で、ぴあにチケットを預けようと電話した時に団体名を聞かれて。その時、なんと何も考えていなくて、手近にあった資料の本を二冊くらい探って、目にした単語を並べたんですね。「パラドックス」と「定数」って。
__ 
面白いですね。
野木 
後から、「パラドックス」=矛盾、「定数」が固まった数概念という。それすらも矛盾したネーミングという事で、面白がって下さる方もいらして・・・。
__ 
神の配剤的な決まり方ですね。
野木 
そうですかね(笑う)。それから、ネーミングを変えずにここまできました。
__ 
プログラミングだと、コードの最初で宣言する変数で、プログラムの中で何度も呼ばれるものを定数と呼びます。「パラドックス定数」は社会の中にあって、常に矛盾を提起する存在として宣言されていると思っていましたが、そんな事だったんですね。
野木 
ホントにお話した通りなので、何も、なんですよ(笑う)。

タグ: わたしとわたしの矛盾 名称の由来 学芸会


もっと知りたい

__ 
題材としては、どのようなものを選ぶ事が多いのでしょうか。
野木 
私が、「何だこれ!」って思ったもの、というのが多いです。「神はサイコロを振らない」も、新聞の日曜版で、アインシュタインの脳を持っている科学者の記事を読んで「何だそれ!」って思って。そういう驚きから焦点が合っていく事が多いです。
__ 
東京裁判」も、そのような。
野木 
当時、お客さんに「やってほしい」と言われたんです。それで調べてみたら実は、日本側にも弁護士がいるという事が分かったんです。それが凄く驚きで、というか、裁判なんだから弁護士がいるのは当然なんですけど、いるとは思っていなかった自分に驚きが。「あ、これだ」と思いましたね。それをもっと知りたいと思ったら、段々と焦点が合っていって、台本を書けるようになるんです。
__ 
見えていなかった事に気づいての驚き。それを探すのはとても難しそうですね。見たいものにはすぐに気づくのに。

質問 ウォーリー木下さんから 野木 萌葱さんへ

__ 
前回インタビューさせていただいた、ウォーリー木下さんから質問です。「今まで人から聞いた一番ムカついたエピソードを教えてください」。
野木 
うーん、無いですね・・・。無いなあ・・・。そういう話題で盛り上がった事がないですね。

やっていく、という感じ

__ 
今後、どんな感じで攻めていかれますか。
野木 
攻める・・・。考えた事もないです。とにかく、来月の公演の準備をしているので。攻める。全世界が敵だという気分になる事もあるんですけど、攻めるという発想はないですね。
__ 
戦略的な意味合いではない。というか、一回一回の公演を戦っている。
野木 
考えた事もなくて。やっていく、という感じです。

タグ: 今後の攻め方


ツリーのガラス細工

__ 
今日はですね、お話を伺えたお礼にプレゼントがございます。
野木 
えっ。いいんですか。
__ 
もちろんです。どうぞ。
野木 
何かしら。(開ける)すごい。季節先取り。いいですね。ありがとうございます。かわいいー。

タグ: プレゼント(インテリア系)


ぐうたららばい『観光裸(かんこーら)』

__ 
今日はどうぞ、宜しくお願い致します。糸井さんは、最近はどんな感じでしょうか。
糸井 
こちらこそ、よろしくお願いします。私は普段、FUKAIPRODUCE羽衣という東京を中心に活動している劇団の作家・演出・音楽他をやっていまして。この度、京都で作品を上演するにあたって「ぐうたららばい」という個人ユニットを立ち上げまして。
__ 
KYOTO EXPERIMENTのフリンジ企画、「PLAYdom」での参加ですね。タイトルは「観光裸」という。
糸井 
はい。この半年、打ち合わせ等で何回も京都に来ています。作品の製作は終わっていて、実はいま上演期間なんですよ。
__ 
京都、いかがですか。
糸井 
居心地がいいというか、便利な街なのに、ちょっと通りを入ると静かな路地があって風情を感じたりと。素敵ですね。町のみなさんが、迎え入れる事に慣れてるんでしょうね。
FUKAIPRODUCE羽衣
2004年女優の深井順子により設立。作・演出・音楽の糸井幸之介が生み出す唯一無二の「妙―ジカル」を上演するための団体。妖艶かつ混沌とした詩的作品世界、韻を踏んだ歌詩と耳に残るメロディで高い評価を得るオリジナル楽曲、圧倒的熱量を持って放射される演者のパフォーマンスが特徴。(公式サイトより)
FUKAIPRODUCE羽衣
女優の深井順子が主宰するFUKAIPRODUCE羽衣(以下、羽衣)の座付作家・演出家・糸井幸之介。彼がこのたび、個人ユニット「ぐうたららばい」を旗揚げし、初の京都公演に挑みます。(以下略)(公式ブログより)
ぐうたららばい『観光裸(かんこーら)』
公演時期:2012/10/18~21。会場:元・立誠小学校 音楽室。

タグ: カオス・混沌 ユニークな作品あります メロディ


高校演劇部時代

__ 
糸井さんがお芝居を始めたのはどのような経緯があるのでしょうか。
糸井 
凄く前なんですが、高校の演劇部から始めました。中学は帰宅部で、明るい学生生活が送れなかった反省があって。何となく演劇部に見学に行ったら、先輩達が装置を作ってまして。その内の一人の先輩が金髪で長髪で(校則に反していたんですが、役作りという事で免除だったそうです)。ロック好きの元・中学生としては、そんな人がジョン・レノンとか掛けながら大工仕事をしているのに惹かれたんですね。これは面白いんじゃないかと思って。それが間違いの始まりだったんですね(笑う)。
__ 
なるほど。ほぼ偶然だったんですね。
糸井 
それまで人前で演技するとか、演劇に興味があるわけでは全然無かったんです。
__ 
高校演劇部時代。どのような部活動でしたか。
糸井 
老舗の厳しい演劇部だという事が入部後に後々判明しまして。新劇や不条理演劇の既成台本を、超厳しい顧問に竹刀で小突かれながら稽古する日々でした。
__ 
体育会系だったんですね。
糸井 
とにかく先生が恐ろしかったですね。でも、やっている内にその、演劇の魅力に気づくようになりました。
__ 
初舞台は緊張しましたか。
糸井 
いや顧問がとにかく恐ろしくって、顧問に止められない本番というものが凄く楽だったという記憶があります(笑う)。
__ 
その後大学でも演劇を学んだとの事ですが。
糸井 
高校の演劇部で深井さんと同期だったんです。大学に入っても同期でした。実は深井さん唐組が大好きになっちゃって。僕は怖くてとても入れなくって・・・。学生劇団も作ったんですが、卒業と共に離れていって・・・僕も一旦辞めて、改めてという事で深井さんが主宰で羽衣をやり始めたという流れです。それから、大体6、7年ですね。

タグ: 役作り=身体から入る 反省Lv.1 新劇と「出会う」


素敵と逆の方向性

__ 
FUKAIPRODUCE羽衣の作品について。私は実は「15 minutes made」で拝見しているんです。「浴槽船」という作品でした。それは15分間、お風呂の素晴らしさを歌と踊りで表現するという作品でしたね。ショックでした。これは私がこれまで見てきた舞台作品と一線を画しているなと思ったんです。
糸井 
はい。
__ 
こんな事を言うのはきっと、インタビュアーとしては失格だと思うんですが・・・それを拝見した時、私の中に強烈な拒否反応が起こったんですよ。文脈や構造を読み下すのが通じないというか、そういうのじゃないんですよね、きっと。
糸井 
はい。
__ 
だから、受け入れられなかったんです。今考えると、作品とは構成されているものだという前提で私は生きていたのが、(私にとっては)そうではないものを目にして、驚いたんです、きっと。しかし反面、憧れを抱いた筈なんです。
糸井 
凄く分かります。僕の性格や性質もあると思うんです。前置きとか説明とかはナシで一気に音楽と歌で歌いあげていくからですね。
__ 
きっと、羽衣の価値は男の子的な「面白さ」ではないんだと思うんです。展開そのものが持つ面白さではないんです、きっと。俳優が出てきた瞬間から、彼らが変質するわけではけしてない。むしろその存在のまま高まっていく。そこにあるのは観客を啓発する展開や物語ではない。
糸井 
言ってみれば単純になってしまうんですが、その人の存在感というか。羽衣の場合は役作りとかそういうのは一切ないんですね。「何か素敵じゃないのは、あなたが素敵じゃないからだ」という事になるんです。色んなパターンはあるんですけど、俳優さんの個性が発揮されない作品もあるんです。そうした作品は個人的には好きな作品だったんですが、集客も芳しくなく。
__ 
なるほど。
糸井 
作品の作り方には毎回悩んでいます。僕の世界を全面に押し出す作品もあれば、単純に俳優さん達が楽しそうに舞台で演じている作品もあり。それが客足にも響くので・・・。「耳のトンネル」は配役があり、評判も良くて、それでこりっちの賞も頂いたり。手応えはもちろん感じたんですが、それよりも、創作のやり方についてもっと考えないとな、と思ったんです。

タグ: お風呂 役作り=役者に刻む 実験と作品の価値


空気の中で探して

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この度結成した糸井さんのユニット「ぐうたららばい」。羽衣とは違ったコンセプトがあるのでしょうか。
糸井 
方向性を変えてみようとしています。ちょっとアダルティなんですよね。会話のシーンが多くて、声を張り上げて歌うのでもないし。でも、終演後には、いつもと同じようになったなあという感触があります。
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同じ感触を掴んだ?
糸井 
表面を変える試みをした事により、逆に、いつもと同じ何かが浮かび上がってきたんですけど・・・うーん、どう言えばいいんだろう?言葉で中々説明出来ないですね。
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糸井さんのイメージ、ムードになったという事でしょうか。
糸井 
それも探しながら、なんです。僕が追求したい価値というのも、終演後の空気にあるような気がします。

タグ: コンセプチュアルな作品


質問 ウォーリー木下さんから 糸井 幸之介さんへ

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前回インタビューさせて頂いた、ウォーリー木下さんから質問を頂いて来ております。「今まで人から聞いた、一番ムカつくエピソードは何ですか?」
糸井 
なんだろう。うーん、あまり人から聞いた話を覚えていないという・・・(笑う)。誰かが痴漢に遭った話ですかね。特に、大切に思っている異性が痴漢の被害に遭ったとかはむかつきますね。