質問 木村 悠介さんから 斉藤 ひかりさんへ

__ 
前回インタビューさせていただいた方から質問をいただいてきております。木村悠介さんからです。「最近観て、面白かったものは何ですか」。
斉藤 
この前誕生日だったんですけど、これぐらいの歳になってくると誕生日がどうとかあんまり何も言われないじゃないですか。おめでとうとか。普通にバイトして家帰ってきて、今日誕生日なのに何もないなあと思う。
__ 
はい。
斉藤 
で10年前私小学生だったんですけど、当時よく友達とパソコンでチャットしてて、久しぶりにそのサイトに行って行ってみたら何かトルコ人の人が来てて。アニメから覚えた日本語とかで片言で喋って。28歳の男だったらしいんですけど、私が日本の大学生の女だって言ったら、「写真送って」て言われて。
__ 
難しいですね。それはどこの国でも人間だし男だし行動は一緒なんだろうなあ。これも偏見かな。
斉藤 
それまではアイコンの設定なしで普通に喋ってたのに、その途端顔を見たいと言われて。見ない方が楽しいこともあるよって言って、そのまま普通に。顔を見たいんやなあ、と。思ってた顔と違ったらどうしてたんだろう。ちょっと面白かったです。良い誕生日になりました。

京都ロマンポップ最終公演「FAINAL FUNTASY~僕と犬と厭離穢土」

__ 
今年の元旦に解散した京都ロマンポップの最終公演「FAINAL FUNTASY~僕と犬と厭離穢土」。斉藤さんも出演されていましたね。あれは非常に面白かったです。
斉藤 
面白かったですよね。すごかった。
__ 
あれは本当に素晴らしい公演でしたね。斉藤さんが大変な熱演をされていて。
斉藤 
「斉藤ロマンポップ」のことですよね。あれは本当にみんなが導いてくれたと言うか。ロマンポップについては言いたいことが多すぎて。
__ 
ええ。
斉藤 
まず、最初に「特攻だ!」って宣言したんですよ。知らずに被るというのは演劇をやってる上で非常に恐ろしいこと、でもあえて被るのは事故じゃない。特攻だって言って。
__ 
なるほど。
斉藤 
色々な劇のガワ、形式を借りてたんです。私が今まで出演してきた演劇ではガワを信用しないといけなかった。セリフの喋り方、体の動かし方、それを訓練して見せる。でもロマンポップの稽古場ではそれを誰も信用していないんですよね。それでもガワを借用するとき、「信用していない事を全員の間で信用出来ている」。それができる状況が私はとても良かったんです。そういうふざけ方をしてもいいんだ、馬鹿にしてもいいんだな。って。
__ 
オリジナルに対して敬意を持つかどうかはまた別の問題として、それらへの信用のなさを自覚してもいいんだ、という事なのかな。だってそもそも、彼らは必要性がないのに白塗りをしていますからね。そして、確かに、必要性がなくても白塗りをしてもいい。
斉藤 
本気でふざけるって高田さんが言ってたって向坂さんから聞いたんですけど、型をふざけて真似すると本当にただバカにしているだけじゃないですか。型を信じずに、けれど本気で借用していると、なんか涙が出てきたりするんですよ。
__ 
おお。
斉藤 
というのは役に入り込んでるとかでは全く無く、何て言うんですかね、気が狂うと言うか、本当の状態になる、みたいな。全員白塗りだと、ふざけ合っているという共犯関係になって。超真面目に、「あたかもこういう気持ち」になるという事が許されると言うか。それが許される感じがあるんですよね。

「姿勢」

__ 
今後、やってみたい演技とかはありますか?
斉藤 
普段私たちって演技してるじゃないですか。それも舞台の上でまで嘘をつかないといけないのかって思ってしまう感じがあります。最近。
__ 
福井裕孝さんの芝居はどんな感じでしたか。
斉藤 
あれは嘘とかではなくて、机の上で指だけで演じたんですよね。テーブルが劇場で、指が人です、と。でも机だし指は役者の指だし、後ろは喫茶店だし。それを見せるというやり方でした。
__ 
その、見せ方と共に定義が揺らぐ感覚は面白いですね。見世物であると同時に、その設定にどっぷりとはまりこめない状況でもあり、観客の姿勢を問うかのような。
斉藤 
去年、けのびの羽鳥さんが主催している演劇エリートスクールに参加と言うか、受講してたんです(これは役者を育てることが目的じゃないものでした)全国から演出家が5人いて、その人の作品を観た上で別の演出家のワークショップを受けると言う。その中に向坂さんのWSがあったんです。熊本で。その内容が、白塗りで街を歩こうというもので。もしそういうのがあったら講師は様子を見守るじゃないですか。全然そんなことなくて、「いってらっしゃい」って。白塗りの女の子二人がコンビニで買い物して少し町を歩いて帰ってくるって言うだけの。まるで白塗りをしていないかのように振る舞ったんです。当たり前の行為をあえてやってしまう。白塗りやのにな、でも普通にサイフからお金を出す。白塗りでお金を出すという事を演じちゃってるんですよ。
__ 
ああ、自覚的になるんですね。
斉藤 
自分が異常な状態だという自覚の中で、普通の行動を演じているんです。街に誰も白塗りの人はいないんですよね。今白塗りの人が来たら、何かパフォーマンスになるのかな、みたいに思ってしまう。そこでの日常的な行動が全部「自然な演技」になっちゃうんですよね。だからか、白塗りすると「しらこい」とか「嘘つけよ」が無くなる、許されると言うか。
__ 
「またお越しくださいませ」は、制服を着ていても言えない?
斉藤 
多分、「店員です」になったら言えると思います。想像上の店員をやってしまっている感が生まれるんですよね。

嘘と仮面戦争

__ 
これだけはどうしても伺いたかったんですが・・・「どこにも行きたくないしここにもいたくない」で斉藤さんが演じた「かすみ」。中学生にして援助交際やふしだらな行為だけの関係を不特定多数と続けていた彼女に、劇の後半、ついに彼氏ができます。それを機に、彼女は援助交際を一切やめてしまうのですが、彼氏には「辞めた」という事は明かさずそのままにしておきます。個人的にはあれがめちゃくちゃ好きなんですけど、どういうことだったのか分かりますか?
斉藤 
私が思っていたのは、合田さんとは違うかもしれないですけど、本当は誰でもいい高野くんと彼氏の石津くんとは違う存在なんですよね。高野君はずるいじゃないですか。
__ 
そうですね。
斉藤 
でも石津くんには言わない。彼に言うときっと嬉しいじゃないですか。「俺のためにやめてくれたんだ」と思うじゃないですか。そうはさせない、と。付き合う前に、「援助交際を続けても良い」と言ってくれたから付き合う事にしたわけじゃなくて。真摯に考えてくれてるように見えたし、応えてあげてもいい、くらいです。石津くんとこれから付き合うから辞めるんじゃないんですね。見え方的には、かすみが本当に石津くんの事をめちゃめちゃ好きになったから、もしくは好きと言ってくれた人にちゃんと向き合うために辞めたように思われるかもしれないしそういう部分もあるんですけど、人間って一つじゃないじゃないですか。私の中では、そうはさせない、うまいこと行くと思うなよ、と。どうでしたか。
__ 
実は、彼氏を嬉しがらせたくないという気持ちは全然分かります。その上で、(自分を)重いと感じさせたくないとかもあったんじゃないかなと思ってて。全員が全員に対して、それどころか自分に対してさえも嘘を付いているし、好きという感情すらも本当は「その人を好きな自分が好き」なだけ、という世界の中で、かすみの沈黙だけは真実の台詞だったように思えるんですよ。その上でデートが成り立つ奇跡が面白いなと思ったんです。そこに何か救いがある気がする。
斉藤 
石津くんのために、演技じゃないですけど、やってあげてるみたいなところはありました。最後の夕焼けでのデートのシーンは「こういうの好きだろ石津」という思いがありました。

ミントの蜂蜜

__ 
今日はですね、お話を伺えたお礼にプレゼントを持って参りました。
斉藤 
ありがとうございます。重。ジャムですか。
__ 
ミントの蜂蜜ですね。確かにちょっとミントの味がします。
斉藤 
はちみつ好きなんですよ。お店で試食した時に、花によって味が違ったりしますよね。

『わたしじゃない』

__ 
今日は演出家の木村悠介さんにお話を伺います。どうぞよろしくお願い致します。最近、木村さんはどんな感じでしょうか。
木村 
よろしくお願いします。京都に来てちょうど一週間経つんですけど、毎日朝から晩まで『わたしじゃない』の稽古です。gallopの時と同じように滞在稽古しています。
__ 
今月、6月20日から上演ですね。東京公演から始まって、京都公演は27日から。今、稽古はどんな感じでしょうか。
木村 
神嶋さん以外の3人は数年前の初演にも参加してくれたのでスムーズとも言えるのですが、前回とはかなり違うアプローチをしていたりするので、だいぶ変わってきています。作品のベースみたいなものが見えてきたかな。
__ 
実は私、初演を拝見しています。人の唇が舞台の上方に浮かび上がると言う光景が単に衝撃的なだけじゃなくて。その仕組みの特性上、リアルタイムな映像である事が何故か印象的だったんですよね。だからか、カメラや映像機器を介するよりも何故かショッキングでした。精細な映像とは違うリアルさがある。
木村 
僕の使っているBoxless Camera Obscuraというのは、レンズを使って光を集めて壁に照射するというものですが、そこで動いているものは光だけなんですよね。デジタル変換されたりとかそういうことは何もされていない。
__ 
電気も回路もない。入力も出力も光のみですね。
木村 
ピンホールカメラも同じですが、解像度は無限で、動画で言うフレームもない。切断されることのない、一つにつながったもの。フィルムにも解像度は無いんですが、化学変化による粒子ですので、それよりももっと繊細な光が素材なんですね。
__ 
なるほど。
木村 
ドイツのある小さい町に、前映画史の事物を収蔵している博物館があるんです。そこにウォークインカメラオブスキュラというものがあって。大きなドームの中にある装置なんですが、天井の穴からレンズと鏡などを使って街の風景の光を捉えているんです。それがテーブルの上に映されているんです。やけに鮮明に。
__ 
大変興味深いです。
木村 
僕らの身の回りにはデジタル映像機器が溢れていますが、光を使った映像はまた別種の驚きを持っています。
gallop
葵マコ、伊藤彩里、木村悠介、三鬼春奈の4人が、共同演出・出演を行うパフォーマンス・グループ。2008年『馬の最も速い走り方』(京都芸術劇場・春秋座舞台裏)で京都造形芸術大学 卒業制作作品 学長賞を受賞。2009年 chatty+gallop『確固たる空腹へ』(京都|アトリエ劇研)、2017年『ユートピア』(京都|スタジオ・ヴァリエ)を発表。俳優としての言葉、踊り子としての身体、メディア・アーティストとしてのテクノロジーを駆使し、パフォーマー4人のリアルな身体や言語から抽出されたイメージを、パッチワークのようにつぎはぎに構成し制作する。(公式サイトより)
サミュエル・ベケット『わたしじゃない』
暗闇の中に浮かび上がる「口」が「彼女」と呼ばれる何者かの物語を語り続ける、ベケット後期戯曲の問題作『わたしじゃない』。演出・翻訳の木村悠介が独自に発見した技術「Boxless Camera Obsucura」を使い“物語を引き受ける〈私〉などこの世に存在するのだろうか?”という普遍的な問いを浮かび上がらせます。さらにその視線の先には劇作家ベケットとは異なる言葉の感覚を宿す《散文のベケット》を見据えます。初演に引き続き出演は伊藤彩里、増田美佳、三田村啓示、そして新たに神嶋知がベケットの原文(英語)で出演。4名の異なる存在感を持つキャストと共に深化した『わたしじゃない』を上演します。
作:サミュエル・ベケット 翻訳・演出:木村悠介
出演:伊藤彩里 神嶋知 増田美佳 三田村啓示
舞台監督:脇田友(スピカ) 制作補佐:桐澤千晶
上演許可取得代理:フランス著作権事務所
助成:全国税理士共栄会文化財団
主催:木村悠介

TOKYO, at SCOOL (5F 3-33-6 Shimorenjaku, Mitaka-city)>

KYOTO, at Lumen gallery (2F 543 Shimourokogatacho, Shimogyo-ku, Kyoto-city)


A. 伊藤彩里 B. 神嶋知 C. 増田美佳 D. 三田村啓示
A, C, D = 日本語上演  A, C and D = Japanese  B = 英語上演 B = English

全回字幕なし No subtitle for all performances
上演台本 貸出可 (日・英・仏 / 要事前申込)
The English/French/Japanese script can be borrowed (Need to apply in advance)

受付開始・開場は開演の20分前 上演時間=約50分

* = 終演後、アーティスト・トーク開催
ゲスト 1. 内野儀(批評家) 2.吉田恭大(歌人) 3.蜂巣もも(グループ・野原 / 青年団演出部)4.筒井潤(演出家 / dracom) 5.山口惠子(俳優 / BRDG)

【料金】(前売・当日共) Fee
一般 Normal / 2500yen   学生&U25 Students & U25 / 2000yen
※2回目以降のご観劇 Repeater / 1500yen
小学生以下、介助・介護者等の付添人: 無料

gallop『石飛び込む、鯉浮き上がる』

__ 
gallopの『石飛び込む、鯉浮き上がる』(2019)が大変面白かったです。ご自身としてはどんな公演でしたか?
木村 
そうですね、これまでのgallopよりもかなり静かな作品でした。時間の流れ方みたいなのがこれまでと全然違っていたと思いますね。『馬の最も速い走り方』(2008)と『ユートピア』(2017)はコロコロとシーンが変わりましたが、『石飛び込む~』の時は、シーンは変わって行くけどずっと何かが流れている。そうした時間が作れたのは凄く面白かったですね。四人でやっていてそれぞれ違うアイデアを出してきて、それぞれに趣味嗜好や感性も違うのに、ひとつの流れるものができたというのは。
__ 
伊藤彩里さんにインタビューさせて頂いた時に、四人の方向性が一致したと仰っておられたのが驚きでした。拝見していた人間からすると、深いところに潜っていく感じとか、不意にかき混ぜられたり、そして鎮静する、そういう状況に持ち込まれた、という感覚があって。今考えると、広大な自然の中に追い込まれたようなそんな感覚もありました。
木村 
社会を含めた、世界そのものという感じがします。
__ 
色々な要素がたくさんあり、なおかつ、その底のほうに流れているものの存在を感じ取れる作品でした。
木村 
そう言って貰えるとありがたいですね。
__ 
またgallopを拝見したいです。
木村 
来年の2月に横浜に行って、関西でも上演予定です。
__ 
大変楽しみです。
gallop『石飛びこむ 鯉浮きあがる』

個々の思考と集団による思考、過去と未来、経験と直感。
相反するものさえ複雑に絡み合い、容易にひとつの形にはならないもの。
前作『ユートピア』では理想の場所を模索する姿を通して、現状に対する違和感を描いたgallop。今回は「白夜」をモチーフに新作パフォーマンスを上演します。

公演時期:2019年1月17日(木)~ 2019年1月20日(日)。会場:人間座スタジオ。

存在の不確かさ

__ 
『わたしじゃない』の初演を思い出していた晩に、引きずられるようにしてかなりの悪夢を見たんですよ。だからじゃないですけど、悪夢って本当に否応なく見せられている状況なんですよね。演出しているのは半ば自分なのに。だからこそ勢いとリアリティがあるのかなあと。で、あの夢は何だか微妙に粒子が荒くてブラウン管のようだったんです。そういえば、20年前の実験映像ブームもブラウン管の時代だし、それらは悪夢と同じようなリアリティがあった。
木村 
ブラウン管のリアリティというのは要は、箱の物体感かもしれませんね。貞子はやっぱりブラウン管から出てきてほしいという事ですかね。
__ 
そうですね。赤緑青のドットを通した方がフレームが細かいような気もするんですよね。Boxless Camera Obscuraは、まさに解像度もフレームもない。じゃあ、メディアを通すことで減るものと増すものは一体何なんだろう。正直なところ、ブラウン管にもCamera Obscuraにも恐怖を感じてるんですが、光の方には未知に対する畏怖を感じています。
木村 
例えば、Boxless Camera Obscuraはレンズ一枚で投影しているので、焦点がすごく狭いんですね。少しずれるとボケてしまう。その危うさ、存在の不確かさに感じるものがあると思ってます。生を見てる時とは違うものがあるんじゃないでしょうか。

口だけの役者

__ 
「わたしじゃない」、初演に至った経緯を教えてください。
木村 
後期のベケットはすごく実験的な作品が多くて、『わたしじゃない』に関しては学生時代から興味があって。暗闇の中に唇だけがあってそれが喋ってるというイメージに、ガーンとやられて、これはすごいなと。突き詰めると「体というのを失くして口だけが残る」ということになってしまうんだ、と。その時から演出とかはしていたので、いつか上演したいと意識していたんですが、反面、これは実際にはできないんじゃないかと思っていて。一体どういう形でこれまで上演してきたんだろうと調べていたら、黒い服を着て、口以外を黒く塗って暗闇に立つとか、幕で口以外を覆うとかそういうのをやっていて。
__ 
ああー。
木村 
いやそれは、僕が思っていたやつとは違うなと。実際に客席で見たら、隠されていても「体がそこにある」と思ってしまうだろうなと。ベケット自身もこの作品を演出して上演していますが、実は具体的にイメージがあって書いたわけじゃないんじゃないか。でも、イギリスのTV局が映像化した作品を見てすごく満足したらしいです。それは口だけを映像に収めた作品だったんですが、演劇で上演するとなると口だけにはならない。面白いけどどうにもならないと思っていたんです。それからずっと後になって、ベルリンにいた時に映画について考えたいと思って『I saw a shadow in the dark』(2014)という作品を作ったんですけど、それが前映画史についての作品をリサーチして作るというものでした。その時の色々な実験でBoxless Camera Obscuraを見つけたんです。ほとんど同時に、これで『わたしじゃない』を上演できるな、これなら口だけの役者が実現出来る、と思いました。それで日本に戻ってから製作に取り掛かりました。

映像

__ 
演劇で映像を使った場合、観客はモチーフに対する理解を素早く行えるという気がするんですよ。その是非についても話したいです。
木村 
僕の映像に対する感覚としては、映像が舞台の上でLIVEで起きているものを補うとか、逆にLIVEが映像を補うということではなくて、二つのものが同時にそこにある、別個の存在という形で捉えています。僕の作品では舞台上で出演者の身体を撮影して、その映像をそのままプロジェクションするということをよくやったりするんですけど、生身のダンサーの身体と映像の中のダンサーの体、どちらが主でどちらが従という主従の関係ではなく、どちらも別の形式で存在しているものという捉え方をしています。何か別のものが二つある、みたいな。普段はオリジナルとコピーと思ったりするかもしれないけど、実はそうじゃないんじゃないか。
__ 
というと。
木村 
そもそも、なんで映像の方の体が、LIVEの体と繋がってるだなんて思うんだろう。これは光の影で、体のように思える何かで。点が三つあれば顔に見えるのと同じような、人の認識の中だけで成立するものなんですね。それは何か別の存在なんじゃないかという気がしています。
__ 
LIVEの身体と映像、どちらが主従でもなく、まして比べられるものでもないと。実は先日、木村さんのHPに載っている動画を観ていました。生身と映像の区別が全くつかない瞬間があって、すごく面白かったです。
木村 
ありがとうございます。『body-Sampling-body』(2011)は、伊藤高志さんと山田せつ子さんがやった『Double/分身』(2001)という作品(映像でしか見ていないんですが)にすごく衝撃を受けて。それを自分なりに解釈して作り直した作品でした。映像の中の体が先に踊り出し、それに引きずられて生身の体の方が動く。ということを考えて作りました。
__ 
ダンスの、等身大の映像から受ける影響力はとても強いと思います。そして、Boxless Camera Obscuraは生身の体と接続されているわけですから、そういう意味で普通の映像とは少し違うところがあるかもしれませんね。
木村 
今回の『わたしじゃない』にしても、生身の体と映像の中の体の間の認識がねじれたり、揺らいだりする感じが面白いなと思っています。
__ 
ああ、布もピンと張っていないし、映像が逆さまになるのも多分なんとかできるのにしていないですよね。
木村 
しようと思えばできるんですけどね。でも、複雑になってしまう。レンズ1枚というシンプルな構造というのがやっぱり大事かなと思っています。

質問 草壁 カゲロヲさんから 木村 悠介さんへ

__ 
前回インタビューさせていただいた方から質問をいただいてきております。VOGAの草壁カゲロヲさんから。「好きな乗り物は何ですか?」。ちなみにカゲロヲさんは自転車が好きだそうです。
木村 
前回、gallopの公演に観に来ていただきました。何だろうなあ。愛憎渦巻いているんですけど、遠距離の飛行機は好きでもあり辛くもあり。ビジネスクラスとか乗れないですから辛いんですけど、すごく遠くに行ってるんだなぁという気持ちと、映画たくさん見れるなあという楽しみさと。他の乗り物とは違う感情がありますよね。

<罵倒の作法>

__ 
今後、どんな作品を作りたいですか?
木村 
来年からちょっと始めようと思っているものがあります。プロジェクトの名前としては<罵倒の作法>。
__ 
名前の時点でもうめちゃくちゃ面白そうです。
木村 
ベルリンにいた頃、日本のヘイトスピーチが話題になっていて。現場にいなかったので何が起きているのか気になっていたんです。本当に本人たちの主義主張があるのかどうかはともかく、そこに乗っかってやっている、何かをただ罵倒する、というのだけが目的なんじゃないかと思えてきて。怒りの表現のあり方を考えています。アートでも怒りは何らかのモチーフになったり原動力になったりするものですが、罵倒となってくるとちょっと違う。他者に向かっていくものですから。
__ 
そうですね。
木村 
その時に何か作法がいるであろうという事です。3年ぐらいかけて、リサーチやインタビューをしながら考えていきたいと思います。
__ 
罵倒という行動そのものがそもそも成り立つのかということですよね。ヘイトスピーチは行動そのものが目的ですからね。
木村 
怒りの表現を全く無しにするのも違う。ヘイトスピーチは最悪ですが、何か違うものが必要なんじゃないか。

「散文のベケット」

木村 
つい最近考えがまとまってきたことがあって。前回の初演以降からもずっと、ベケットについて調べたり考えたりしてたんです。すると、劇作家のベケットと小説・散文のベケットでだいぶ違いがあるという事に気付いて。散文のベケットは言葉のシャープさとか、言葉でどこまでやれるかということを追求しているんです。一方、演劇のベケットは役者の唇だけを登場させたり、『ゴドーを待ちながら』のように誰も来なかったりと、構造やビジュアルイメージをやっていて。けれど、『わたしじゃない』に関しては散文のベケットの匂いがするんですね。追求された言葉。
__ 
「散文」とは、論理立てられていないが、だからこそ広がりを持つ事が出来る文章形式だと理解していますが、合っていますか。
木村 
そうですね。物語がはっきりあるわけではない文章。そして、演劇のフィールドで言うと散文のベケットはあんまり意識されてこなかったんです。良ければ、その辺りを意識してご覧になっていただけたらと思います。
__ 
ありがとうございます!20日から東京・京都でセミロングランですね。とても楽しみです。

ガネーシャの飾り付き手鏡

__ 
今日はですね、お話を伺えて俺にプレゼントを持って参りました。
木村 
ありがとうございます。何だろう。
__ 
手鏡ですね。
木村 
へー、いいですね。可愛い。

最近の草壁カゲロヲ

__ 
今日はどうぞ、よろしくお願い致します。VOGAの草壁カゲロヲさんにお話を伺います。最近、草壁さんはどんな感じでしょうか。
草壁 
よろしくお願いします。VOGAで参加した中之島ABC春の文化祭が終わりまして、通常の稽古に戻りました。次回の公演の目処は立っていないですが、自分自身としては7月2日の3castsで近藤和見との作品を上演します。ぼちぼち稽古を始めます。あと、今年の12月にも予定が入りそうです。
__ 
ABC春の文化祭、いかがでしたでしょうか。
草壁 
緊張しましたね。2場面を繋げた作品だったんですけど、最初の場面は基礎稽古でやっている動作をギュギュっと凝縮して見ていただいたんです。
VOGAの稽古では、脳と身体の接続をテーマに体を動かすんです。
メニューをざっとあげますと、あ、え、い、う、え、お、あ、お…の発声に、片腕2拍子、片腕3拍子、右足左足8拍子の法則で動く「あいうえ音頭」。
数字を掛け声に手は互い違いにグーパー、足は腿と踵を上下する「かかと上げ」。
短音発声しながらの「足上げ腹筋」。あいうえ音頭の続編のような「あかさた音頭」。
掛け算の九九の表のような譜面を頭に描きながら1、2、3、4、5、7拍子の変化する数字を発声し、前後に足運びする「四の段」。はあ、言ってるだけで汗かきますねえ。
普段はこれらをテンポに合わせて、またテンポを上げて負荷をかけて繰り返します。
あ。それで今回の舞台では地明かり、無音の状態で、ひとりづつ袖から入って、シンプルな拍子の音で始まります。
ゆっくり歩行する動きから始めるんですね。ただ、本番ではそれがイメージ通りの状況にならなくて、最初のひと山を越えられなかったなというのがありましたね。
2場面目は、海へ行こうか、ってみんなで海をイメージして向かう音楽シーン「割れて砕けて裂けて散るかも」でした。これでやっと体が解れてくるんですけど。
出だしが構え過ぎてしまって。
__ 
ええ。
草壁 
ひと呼吸おいて始めればよかった。肩の力を抜いて舞台に立つことが改めて難しいと感じました。目線は前を見ているけど、心の中は違うものを見ている状態になっていました。
稽古場に居る役者、という素から始まる演出だったんですが、舞台の上で見せる素って深いものだな、と。武道に近いかもしれないんですが、精神的な構えですね。これからじっくりやりなおしてみたいと思います。
__ 
心の構え方。稽古と、本番当日までの流れと、本番中の流れが・・・
草壁 
かみ合わなかった。今までの経験上、自然のリズムの中で意識の切り替えを自然に行って本番を迎えるので、雨が降ろうが風が吹こうが心構えが出来ていたんです。
けど、劇場にポンと放り出された状態に別の怖さを感じました。劇場の間、魔力を感じましたね。ちょっと疑心暗鬼になったところもあって。今まで長年舞台をやってきてるのに晒されるような感覚を強く感じました。
やっぱり、ええ風が吹いてくるのを待ってても駄目なんですね。無風だったら自分から風を起こさないといけないと思ったんです。
最近は屋内で上演することも多いんですが、より引き締めないといけないんだなと。
VOGA
関西を中心に活動する舞台芸術集団。1997年、劇団維新派に在籍中、草壁カゲロヲ・近藤和見が結成。以来、動員1000人規模の本公演を重ねる。古典的物語や現代舞台に必須とされる身体表現も行いつつも、その、演出手法・劇場空間設定の異質さで、他の小劇場劇団や商業劇のいずれとも違う舞台表現が特徴。近年では東西、出身母体の垣根を越えた実力派役者が多数参加する。公演は観客にとって一種の『旅』と考え、「日常から地続きの非日常へ迎え入れる」ことをコンセプトとし、一般劇場の他、神社・教会・現代美術館・ライブハウス・造船所跡地など、屋内、野外を問わず上演。野外公演ではスタッフ・役者、総勢約70名超の一座が組まれ表現者交流のターミナルとしても機能している。2011 年8月より劇団名をLowo=Tar=Voga(ロヲ=タァル=ヴォガ)からVOGA(ヴォガ)に変更。2015年現在、結成19年目を迎えた。(公式サイトより)
7/2(tue) 3CASTS vol.13
VOGA 草壁カゲロヲと近藤和見
合田団地(努力クラブ)
leap (松岡咲子と江南泰佐)

3人/組の俳優が登場、それぞれパフォーマンスを披露します。
“Cast”には、配役することだけではなく、さまざまな意味があります。
たとえば、投げること、脱ぎ捨てること、影を落とすこと、票を入れること、まなざしを向けること、魔法をかけること……そして、さいころの一振り。
さて、どんな目が出るか。ぜひ目撃を。


7/2(tue) 3CASTS vol.13
◇ OPEN 18:30 / START 19:30
◇ adv.1800 yen + 1drink / door.2200 yen + 1drink
◇ actor or actress. 1400 yen + 1drink

VOGA 草壁カゲロヲと近藤和見
『現実感をともなう『死にかた』について。或いは現実感の無意味について。』
モチーフ:筒井康隆【死にかた】

心地よさと

__ 
同じVOGAのうめいまほさんに取材をさせていただいた時、アンサンブルには自分の動き(ダンスと呼んでいいのか分からないんですよね、VOGAの振り付けは)の意味の解釈を任されていると伺っていて。その上で、別にそれぞれの答えが必ず正解という訳ではなく、演出から「それは違う」と言われると。大変興味を覚えました。
草壁 
動きのズレを見つけて修正する。動線を段取りで追ってたらズレるのも分かる。意味やイメージの解釈の違いからも考えなおす。意味やイメージの思考と連動してやっと動きが決まったかなってなる。地道な道のりです。
最近、割と基礎メニューの時間に1拍子のリズム音をずっと鳴らし続けてるんですね。
1拍、1拍、聞いてるとだんだん無を思ってきます。無拍子と言えばいいのか。
その中に4拍子や7拍子と自在に区切って動きのパターンを組み合わせます。
複雑に組み立てて動く。一筋縄ではいかない歯痒さとモヤモヤが身体中を駆け巡る中に諸行無常の響きあり、でしょうか。稽古場いっぱいに淡々と流れるリズムがやけに強く鳴り響いて聞こえて…
__ 
ええ。
草壁 
4拍子なら偶数。偶数の固まりで4小節を作って1連を作ります。
次は2連、4連で1段落。偶数で区切ると理解しやすいし、頭の中で数字を数える事が出来るうちはまだいい。
けど、そこへ奇数の変拍子のパターンの波が次々と押し寄せる。頭の中の数字は溺れる。割り切れない計算みたいな数字と無拍子の波に体を乗せるしかない。上手く乗れば心地よいサーフィンの達人になれます。
__ 
「無拍子」。
草壁 
僕らの見ていた、段落の物語性に対する理解の仕方とは違う方向性があります。 これまでやってきた事を解体という訳じゃないですけど、もっと大きなものが見えてきた気がします。

__ 
大きなものですか。
草壁 
無拍子に気付く事で、より大きな海を泳ぐ?山を登る?野外だと実際に見えている山を目標に走っていたのが、ひょっとすると、無拍子を背景に、動いていく事の重要さが浮き上がってきたのかな。それは、ひょっとしたらどこでも出来るVOGAの表現なのかもしれない。

カオス

__ 
ちょっと無理矢理当てはめると、VOGAは自然という秩序だった理系の世界から、劇場という混沌とした文系の社会に移ったのかもしれないなと思って。人間の身体に元々備わっていた自然由来の4拍子から、無拍子という世に放たれたと言えるかもしれない、そんな流れがあるかもしれませんね。前回の本公演「直観と情熱」が90分に収まったのは、案外、そういう社会性のカオスなるものの影響があるんじゃないかと。そして、大変面白かったです。自然の中の長大なVOGAとはまた違う、混沌を内包しながらもそこに視線を導き入れる、そうした作品でした。
草壁 
実は、稽古では「直観と情熱」の表現には近藤和見の作品の良さが反映されてるかどうか未知で、不安が残っていたんです。
野外での上演では、お客さんと情景を共有するのが基礎にあったんです。
でも劇場では「お客さんたちは何を考えているんだろう」、「僕は何を考えたいんだろう」と。
その状態が、僕は最近でも続いています。そこは乗り越えたいし、もしかしたらこの闇を共有出来る作品が作れたりするのかなと思います。
VOGA「直観と情熱」










公演時期:2018/11/3~7。会場:大阪市立芸術創造館。


姿を現す

撮影:井上嘉和
__ 
未知について。お客さんの顔って、よく見えないですからね。
草壁 
僕らは舞台ではお客さんを笑かしたりコミュニケーションを取ったりはしないので。そこまでは踏み込まないんです。春の文化祭は、他の劇団の方々と僕らは本当に全然違う事をしているんだなと再認識しました。でも僕らは、見る人を選ばない手段を取っているつもりではあります。
__ 
舞台に立っている人が、自分を理解して完全にコントロール出来ているか、そして、そうすべきかというのって色々な考え方がありますよね。
草壁 
舞台に乗せるものは、何か事件やドラマを持つことで分かりやく見やすくはなると思うんですけど、たとえば不意に何か、ドラマの上にあるとは思えないものが姿を現すと面白いんじゃないかと最近は思っていて。
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ああ、もう全然関係ないものが出てきて、理解を越えてしまう。
草壁 
でもそういうのも、僕らが構成を考えているから、作り事なんですよね。舞台上で、物語を越えたものを体感できたら面白いと思うんですよね。
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予定されていない事は劇場では起こらない。だからこそ、誰もコントロール出来ないものが見たい?
草壁 
はい。なんか得体が知れないですが…

質問 村上 亮太朗さんから 草壁 カゲロヲさんへ

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前回インタビューさせていただきました、幻灯劇場の村上亮太朗さんから質問をいただいて来ております。「練習ってなんでしょうか。」稽古ではなく。
草壁 
反復する事でしょうね。自分がやっていることを、小学校の宿題の漢字練習のように、そこに息を吹き込むように自分に身体になじませるプロセスですよね。
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稽古はまた違う。
草壁 
練習は一人でコツコツ出来て、稽古は全体で本番を意識してやる事。
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反復はその前後の段階ですね。

VOGAでしか出来ない事

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VOGAでしか出来ない事はなんですか?
草壁 
風が吹き通る場所。そんな印象が残せたらいいなと思うし、Lowo=Tar=Vogaから続けてきて、やっぱり多少なりとも達成感があるからここまで続けてこれたんですね。どこか突き抜けている場面があって。そこで、「やったった」というのがあります。そういうのが今後もあるようにしたいですね。
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VOGAのお客さんは、大抵満足そうに劇場を出て行くんですよね。確かに。やっぱりそこには近藤和見の作品だから、というのもあると思います。VOGA作品は異世界そのもので、それを構築するぐらい強靱ななものがあるんですよね。
草壁 
近藤和見はなんだかいつも鞭を忍ばせてるみたいな男です。多分傷だらけやけど厳しさとやさしさと直観と情熱で磨かれた強靭な鞭やと思います。
あ、そういえば「直観と情熱」の舞台のことが、しんみりと腑に落ちることが最近ありました。
ラジオの子ども科学電話相談を聴いてたのですが、「なぜ星ができるのか?」という質問でした。その答えが、「宇宙のある場所に水素がたくさん集まって、おしくらまんじゅうして真ん中からどんどん熱くなって水素がヘリウムに変化して核融合して輝きだして星は生まれます。そして人間が歳とるようにだんだんと重くなる。重くなったら爆発します。爆発したらバラバラなって宇宙にたくさんの元素を飛び散らす。元素は世界をつくる元。それはわたしたちの体の中の血液にある鉄分や骨にあるカルシウム。あなたは星のかけらからできています。そう考えたら、遠くの星がすごく近くに思えてきて、空に星があるから今わたしたちは生きてるんだなぁ、すごいなぁ…」というものでした。
それを聴いてたら「直観と情熱」の始まりと終わりの場面が浮かんできたんです。宇宙の爆発から生まれて今ここにいる。僕らは星のかけらの子どもなんやってジーンとなりました。
撮影:井上嘉和
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VOGAの次回公演、楽しみです。
草壁 
野外だと台風が来ない時期にやりたいですね。今の、5月の半ばから6月辺り。
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そうそう、大雨や台風で上演中止になることもあるんですよね。霧雨の中で立つ草壁さんを見た事がありますがかっこよかったです。その場所に居る、それだけで見せられる人は凄い、という話題が先日あったんです。草壁さんはまさにそれだと思っています。
草壁 
ありがとうございます。舞台では、空気を纏うようにありたい。何物でもない何かになりたい。ちょっと…いや、だいぶとキザですけどそんな風に心がけてます。まだまだですが、そうあれるように努めます。
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草壁さんは、どんな気持ちで役を捉えて、舞台に立っていますか?
草壁 
役として演じるって意識があまりできないので、メモ用紙に思いつく言葉や記号を殴り書きしてスケッチしていって肉声を探すような作業をしてます。台本も小さい文字の殴り書きだらけ。
不特定多数の人に向けてバーンって向かうというよりも、自分と同じ道の途中にいるというか同じ目線の高さで歩いてくれる誰かを、何かこう自分の肩にちょこっと載せながら稽古に臨む。そういうのが自分らしいかなと思います。
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そう考えると、何だか現実の参加者も、舞台の上の役柄も、スタッフも全員、自分のやりたい理想を実行するために集まっている気がするんですよね。そして、心の中でのベクトルは結構バラバラだったりもする。
草壁 
VOGAを長い事続けると、若い子との年齢差が広がってきて。もっと、劇団内の繋がりを大事にしたいと思います。インプットに時間かかるし若い子に教わることの方がこれからもっと増えると思いますが、拗ねたりせずに純粋に。互いにいいとこ見つけ合って面白がって、緩やかに強くなっていきたいと思います。