山グルメ

__ 
今日はですねお話を伺えたお礼にプレゼントを持って参りました。
福井 
ありがとうございます。(開ける)アウトドアの。
__ 
そうっぽいですね。アウトドアに興味はありますか?
福井 
全然関係ないですけど、最近焚火がやりたいです。

最近のこと

__ 
今日はどうぞ、よろしくお願いします。最近は、川瀬さんはいかがお過ごしでしょうか。
川瀬 
よろしくお願いします。どんな感じでしょう。一昨年ぐらいは出演する公演をすごく多く頂いていたんですけど、それが少しずつ落ち着いてきて。今年の初めには予定が決まっていないという、そんな感じで緩やかに、先々のことを考えたりしながら過ごしています。
__ 
そうなんですね。
川瀬 
作年の後半は、色々公演を見に行ったりとか、声をかけてもらって人に教わりに入ったり、リサーチする稽古場があったらお手伝いに行ったり。あと、ダンスをもう一度とらえなおす目的もあって、対して演劇ともっと近づこうと地点のカルチベートプログラムに参加してました。秋頃からは、ANTIBODIES Collective にも関わらせてもらっています。

ソノノチ「いられずの豆」

__ 
次に出演されるのは劇団ソノノチの「いられずの豆」ですね。稽古は今、どんな感じでしょうか。
川瀬 
徐々に徐々にという感じです。3月に入ってから週に何回か稽古があるという。今回は中谷さんが新しく脚本を、これまでとは違う雰囲気のものを書きたいとおっしゃっていて。草稿を役者が読み、どう感じられたかをフィードバックされていたり、あと、カフェの設定について資料を読んで理解を深めたり。今はそういう感じです。(インタビュー時点、3月初旬)
__ 
舞台となるカフェの歴史を作るということですね。
川瀬 
さぁ、そういうこともあるんでしょうか。今回の話題となるのはコミュニティカフェということになってるんですけど、そういう場所で人が出会っていって何が起きるのか、そのカフェにいる人間の歴史とかも見えるんでしょうか。コミュニティカフェという営利目的ではない場所がなぜ運営されているのか、なぜそこに人が集まるのか。その辺のことがこれからもっと分かってくるのかな?
__ 
私の田舎にも公民館という場所もあって、そこがそういう、コミュニティスペースになっていましたね。
川瀬 
そういうのの延長にあるのかなと私も思っています。今回は一応、町なかという設定ですが、コミュニティから外れている人とかもあるじゃないですか。コミュニティがどこにあるのかがわからない人たちもいる。私自身が住んでいる町内でも、子供があんまりいなくても地蔵盆をやったりするんですよね。お菓子を配ったりして、最終的には、足洗いをするというのが重要みたいですね。そういうことがあると、同じところに住んでいる人たちの事が分かったりして。
ソノノチ「いられずの豆」
脚本・演出:中谷和代

店主のいない、一軒のカフェ。古くから通う人、新しく来た人など、そこに集う人々が、独自のルールを築いていく。それぞれにそれぞれの人生があり、よろこびを求めて、もがきながらも、でもこの場所にしかない何かを求めて、小さな町の人々は、このスペースを訪れる。
「―――わたしたちはこの場所で、どれだけ、どのくらいのあいだ、一緒にいられるのだろう。わたしたちには、一体なにができるのだろう。」
(※「いられずの豆」台本イメージより)

【公演日時】
4月15日(日)12:00~/ 14:00~
4月24日(火)18:00~/ 20:00~
4月25日(水)18:00~/ 20:00~
4月29日(日)12:00~/ 14:00~
4月30日(月・祝)12:00~/ 14:00~
(各回10名限定。物販コーナーもございます)
(開場は開演の20分前)

【会場】
Social Kitchen 1F Café(京都市上京区相国寺門前町699)

【出演】
藤原美保(ソノノチ) 川瀬亜衣 佐藤和駿(ドキドキぼーいず) 西村貴治

【チケット料金】
前売チケット:2,500円(事前決済のお客様)
予約・当日チケット:3,000円(当日精算のお客様)
応援チケット:5,000円(前売りのみ・グッズ付き)
※すべて1ドリンク付き。

<あらすじ>
舞台は、とある閑静な住宅街、さくら町。
この町の美術大学に通うチハルは、商店街の福引で偶然珈琲チケットが当たり、「カフェえんがわ」を初めて訪れる。
上の階に住むフリーライターのホシノはじめ、常連客たちと出会い会話をする内に、この場所が単なるカフェではなく、訪れる人々によって自主的に運営されている場所だということが明らかになっていく。
そしてやがては、この場所に集う常連客がさまざまに抱えた思いや、カフェえんがわ誕生当時のエピソードにたどり着いて・・・。
コミュニティカフェという地域に開かれた場所と、「近づかないけど離れない」人々の関係をめぐる物語。

【クレジット】
脚本・演出:中谷和代/演出助手:外谷美沙子(以上、ソノノチ)
イラスト・題字製作 森岡りえ子/舞台監督:北方こだち/楽曲製作:いちろー(廃墟文藝部)
制作:渡邉裕史/制作補佐:義村夏樹/物販協力:森岡ふみ子、のちノのち
喫茶:Kitchen hanare
協力:加茂谷慎治(株式会社エイチツーオー)

主催・企画・製作:ソノノチ
共催:NPO法人フリンジシアタープロジェクト
後援:NPO法人京都舞台芸術協会
京都芸術センター制作支援事業/made in KAIKA

【お問い合せ・チケット購入】
ソノノチ
050-5318-7717(制作)/info@sononochi.com

ひととなりの事

__ 
川瀬さんは今回、どんな役どころでしょうか。
川瀬 
今分かっている範囲では、実家が珈琲の焙煎をやっているOL、です。
__ 
見どころは。
川瀬 
実は、俳優さんの中に俳優として出るのは初めてのことで。あごうさとしさん演出の「走りながら眠れ」では、ダンサーが役者をやる、というのが大元のコンセプトなので。どちらも会話劇だけど、まるで経緯が違うので。今回は脚本を作りながらなので、ちょっとドキドキしています。できるだけ準備はしっかりしていこうと思うけれども。あまり伝えようとしすぎないでいようと思っています。プレゼンしすぎないと言うか、どうとでも見てもらえる、風通しの良い立ち方でいれたらいいなと思っています。
__ 
それは何故ですか。
川瀬 
自分が演劇とかを見に行った時に、喋ってる姿でも黙って立つ姿でも、それを見ている時には、何か思うことがあるからこそ入っていけるなと思うので。そういう隙間を作って、できるだけ、お客さんの思いを引き出せるようなことが自分にもできるといいなと。

隙のある役作り

__ 
風通しの良い立ち方。なんとなく、隙のある絵画、みたいな事を思いました。もちろん、隙を見せすぎるのは良くないと思うんですよ。でも、ぼんやりとしたポイントがお客さんに若干の距離を取らせて、その輪郭が少しハッキリするような間合い探すためにお客さんが距離を測るような展示作品ってありますよね。
川瀬 
まず最初は気になる作品があって、焦点を変えたりしながら色々と結び目が見えたりしてきて。そういうことですか?
__ 
輪郭という言葉からShapeという概念になりましたが、自分と作品の間の交点ができるみたいな。それが演劇で出来たらいいんですけどね。
川瀬 
自分でハードルを上げてってどうしようと思いはじめました。
__ 
力を抜けば大丈夫だと思いますよ。
川瀬 
変な力は抜いた方がいいですね。
__ 
周到な準備をすればするほど出来るような気もします。
川瀬 
そうですか。後はお客さんに任せても大丈夫だというぐらいには、本番では力まない。
__ 
それは大丈夫だと思いますよ。だって相手はお客さんなんだから。

わたしの制作

__ 
川瀬さんがダンスを始めたのはいつからですか。
川瀬 
大学を卒業してからです。子供の頃から元々舞台は好きで、同時に、絵を描いたり写真を撮ったり、書道を習っていたので文字も書いたり。先々は芸術方面に進みたいと思っていたんですよね。結局、行きたい大学の学科には受からなかったんですが、作家としてやっていくにしても美術をもっと知らねばと思って京都造形芸術大学の芸術表現・アートプロデュース学科に入りました。そこでマネジメントやプロデュース、編集とか研究を通っておけば、今後自分で何かを作るときにきっといいだろうと。
__ 
なるほど。
川瀬 
大学を卒業後しばらくしてからは、制作活動を始めまして。これで作品を作れるというテーマが分かり、そのための方法も同時に見つけて。
__ 
どんな内容だったんでしょうか。
川瀬 
最終的には、写真インスタレーション作品を作っています。何を撮っているかというと、水滴は表面張力で立体が生まれるんですけど、その集合でドローイングするというもので。時間が経つと蒸発して支持体には痕跡だけが残ります。途中、水滴には顔料や砂を撒いたり塩を入れたりもして変容させつつ。その様を定点で数百枚は撮影し、うちの何枚かを抜き取り、それらを写真インスタレーションとして提示するというものでした。いま思うと、制作自体は、もうちょっと続けても良かったかもしれないんですけど、これを作りはじめた頃に、コンセプトだけでもう完結してしまっていると感じて。でも作りたい欲求があり。これは何でだろうかと。ものを作るための手立てが経験値として私の中には少ないのかな、あるいは、コンセプトは立ってしまうけれども、頭で組み立てて、間に手を使って物を作るというのが介入しないまま、ある着地点にまで行ってしまうのはどうなんだろう、とか。頭の活動率と体の活動率のバランスが取れていないと思って。そこで、自分の制作と通じるところがある文面が載っていた、千日前青空ダンス倶楽部の新メンバ募集のチラシを見つけ、門を叩いたんです。体を媒体として作品をつくる集団の中に入ることで変わるかなと。実際やってみると、やっぱり自分の作品づくりの方にフィードバックする隙なんてなく、一生懸命やるしかなかったです(笑)
__ 
なるほど。
川瀬 
舞台に立ったことで、そのこと自体が面白いなと思ったんです。作品を構成する材料の一部にもなる感覚が面白くて。絵に例えると、自分は絵具であり絵筆であり、少しは画家でもある、みたいな感覚です。舞台の中で動く自分は、生きものであることはあるんですが、作品を作品にするための材料のひとつというか。ある意味で。
__ 
自分が素材になっている。
川瀬 
自分が素材になっているというよりも、自分がいなくて、この身体が材になってると言うか。それが面白いと思ったんです。それが舞台に移行していく最初のきっかけになります。
__ 
テーマと手法が有機的な関係を築いていかなかったということでしょうか。
川瀬 
制作時の話ですか? 先にも話していたような状況だったので、ちぐはぐさだけが当時自分の実感としてはありました。
__ 
川瀬さんが、人格としてではなく、一つの構成部分として求められた時、新鮮さを感じたということであれば、それは何故でしょうか? 一体感?
川瀬 
いま考えてポンとでただけの答えになっちゃいますが、たぶん、作品の中に身を置くことが、芸術と自分の関係性として、これまでになくとてもフィットしたんで、新鮮だったんだと思います。それまでネックになっていた、コンセプトと、物としての作品との遊離する違和感が、解決する必要なく解消されちゃったのかもしれないです。

私の必要性

__ 
踊るうえで、ご自身が抱えているテーマというものはありますか?
川瀬 
ダンサーとしてということですか? たぶん、テーマは無いです。いまのところ。作品によって、それぞれに存在しようと思っています。あ、逆に言ったら、私個人は存在させようとは思っていませんが、身体であるとかを通して、観客席にいる人が様々に何か感じたり思うなりしてもらえればとは思っています。
__ 
ありがとうございます。
川瀬 
ちょっと傲慢なんじゃないかと思ったりしますけど。
__ 
いえいえ。今まで関わった作品で、自分が必要とされたことは?
川瀬 
実際、クリエイションの段階では、すごく各人の提案が必要だと思います。そこは私の課題に一つでもあるんですけど・・・。
__ 
個性というのは身につけようとは出来ないもので、むしろ、贅肉をそぎ落としていったところにあるのが本当の個性だぜ論?または、役作りのアプローチの向こうにある味があって、逆にそこからは逃れられないかもしれないけど。
川瀬 
よく分からないですけど、ふと気が付くことがあるんですかね。そういうのは自意識の外側にありそうな気がします。私の場合、個性と言うか、ただただ実際にやりながら提案できるようになりたいです。

踊りとバランスについて

__ 
体を動かすにあたり、気をつけていることはありますか?
川瀬 
具体的に言ってしまうと、軸を取ることです。それが苦手なので、大切にしています。
__ 
なぜそれが大事なのですか?
川瀬 
取れなかったら取れなかったで、もしかしたらいいかもしれないんですけど、なんでしょうね、すごく焦るんですよ。右や左のバランスを取って成立している時、すごく体が強張るんですよね。体の内側、深いところから動きが生まれてこない。軸が取れると、もうちょっと自由に動く場所が得られて、その時にはもうちょっと定まる。物理的に軸がのってるということと、次の動きのために体を整えておくとやりやすいというのがあるのかもしれないですね。やりやすい、でいいのかな。
__ 
バランスの中心にあるもの。骨格のバランス、筋肉のバランス、または身体を動かす上での、力の入り具合のトータルなバランス。
川瀬 
というよりも、片足立ちをするとしたら、構造物として成立する。ダンス作品の舞台に立って踊るという機会がこの数ヶ月はあまりなかったので、バレエやコンテの稽古をつけてもらうとか、日本舞踊を知っている人から教えてもらったりとか。だからそういう回答をしたのかなといま反芻してます。人前に見せるわけではない踊りをしてる時には、軸を取ろうとしていますね。色々な動きができるようになるために。
__ 
軸をとることで、次の動きの準備ができる。
川瀬 
次に左に動くためには、今は右の方に軸寄せておかないと動けませんよね。もっと、ここでこの動きをしたいという時に、それを逃さずブレずにしたいです。
__ 
何かをし易くなるための、準備段階やかまえ。
川瀬 
土台を成立させたいんです。安定している部分があった方が、動いていることが際立ちますよね。止まりがあるから、動きが見えてくると受け売りですが思います。
__ 
観客はダンスを見て、止まっている人や安定している人は、こちらも静止して、焦点を合わせようとしてる気がします。その人の停止している状態を受け止める。

夕陽の横

__ 
何か大きく影響を受けた瞬間を教えてください。
川瀬 
いま言われてすぐに思いつくのは、高校の時の文化祭の帰り道で、鴨川を自転車で走っていて、すごく疲れていて、ふと頬の辺が熱くて、ふと見たら夕陽だった、という時。熱が伝わったというのを実感したというのが今でも結構思い出します。太陽と、距離がめっちゃ遠いはずなのに、太陽の円とこの辺は無関係ではないんだなと。それが嬉しいなと感じたんですね。
__ 
距離があるということと、頬を熱くさせているということは無関係ではないという事ですね。多分そこはリアリティの中だったと思うんですが、環境と条件が入り乱れた時、認識と感情にエモーショナルなもつれが発生したみたいな感じでしょうか。
川瀬 
たぶんそう。あまり理解してないかもしれないですけど。触れないものに対して、ほんまかな、というのがあって。触れられるものに対しても、本当はあるんですが。でも何か、あれだけ離れていても、皮膚感覚で影響を受けるという事が、ええな、と。ちゃんと説明できなくて申し訳ないです。
__ 
いえ、これは伺っておいてよかったです。

これからも

川瀬 
今回の「いられずの豆」では役者さん達と一緒に演劇しますが、ダンスを辞めるつもりはなくて、演劇との可能性も探索しつつ、ずっと舞台に立ち続けられればと。
__ 
今後どんな感じでせめて行かれますか。
川瀬 
どうしましょう。出演をしてきたいです。最近思うのは、いろいろな意味を含めて、オファーを受けるだけではなく、出演する側として、企画面でも主体的になった方が良いなと。座組の一人としてその公演への主体性は持っていて当たり前ですし、これまでも私なりに一出演者として舞台にしっかり立つことだけは、やってきたつもりです。ですが、企画や主催は作り手側にとても偏っていて。この数ヶ月、どういったことならできるかを考えています。
__ 
暴走せず、ちょうどいいところを探っていけるといいですね。
川瀬 
そうですね。

質問 Saku Yanagawaさんから 川瀬 亜衣さんへ

__ 
前回インタビューさせていただいた、スタンダップコメディアンのSakuYanagawaから質問をいただいてきております。ご自身が表現をする理由は何ですか?
川瀬 
芸術が好きだからです。観るじゃなく、やりたいと思います。幼児期の時点で既に好きだったようですが(絵ばっかり描いていたので)、まず、芸術ていいなぁって思うんですよね。だから、食べるでも眠るでもない、生命維持のためには直接関係ないけれど、なんか、人間たちが寄り合って舞台作品を観たり、音楽を聴いたり、絵を観に行ったりするじゃないですか、なんだかそういう現象が愛しいなと思うんです。芸術がもっと、深まるとか大らかになる・・・どういう言葉が適しているのかが分からないのですが・・・芸術がもっと人の中で育っていってくれるといいな、と。芸術作品との接点がなくてもその人の時間の中に芸術はあると思いますが、それでも、作品を観ることを通して、純粋に芸術作品に深く触れていくことは他に換え難いものであるはず。私を含め芸術なしにはいられない人はもちろんのこと、そうでない人にも、これはもう自分の単純な欲求で、知ってほしいです。どこまでいまの自分がそれに加担できているのか、ダンサーとして踊ることでそれをやっていけると幸いです。

桜色の髪留め

__ 
今日はですね、お話を伺いたお礼にプレゼントを持って参りました。
川瀬 
いいんですか。ありがとうございます。(開ける)おお、髪留めですね。春っぽい。
__ 
ちょっと派手すぎるかもしれませんが、春なのでいいかな、と。
川瀬 
いえいえ。私あまり、飾るものを持っていなかったので。ありがとうございます。

Saku’s Comedy Night Final in Osaka

__ 
今日はどうぞ、よろしくお願いします。スタンダップコメディアンのSakuYanagawaにお話を伺います。Sakuさんは最近、どんな感じでしょうか。
Saku 
よろしくお願いします。僕は実は今年中にアメリカの方に完全に移住することになるので、それに向けて国内ツアーの準備をしています。国内での活動と、国外での活動も充実しています。
__ 
素晴らしい。大阪の方でも、3月11日にツアー最初の公演があるということで。とても楽しみです。
Saku’s Comedy Night Final in Osaka
国内最後の"Saku’s Comedy Night"をOsakaで!

舞台の上でマイク一本で繰り広げられるスタンダップコメディに、ひとり芝居。シンプルな舞台に広がる無限の可能性。日本のテレビで観る笑いとはひと味違った味わいと奥行き。そして社会風刺というスパイスを加えてみなさまにお届けします。今の時代、コメディが紡がなければならない言葉を込めて。
コメディというアート、ぜひ劇場でご覧ください。
作・演出・出演 : Saku Yanagawa

March 11th (Sun)
(1) 2:00 pm-
(2) 7;00 pm-
開場はともに30分前となります。


Banquet House
大阪府大阪市北区西天満3-1-13

前夜

__ 
アメリカに移住を決めたきっかけは何ですか。
Saku 
今も行ったり来たりしながらコメディの舞台に立ってるんですけど、僕の一つの大きな目標が、Saturday Night Liveという番組に日本人初のレギュラーとして出演するということなんです。それは野球選手にとってのメジャーリーグへの進出に等しいんですよ。野球で言うなら、メジャーリーグに挑戦するには国内でスーパースターになってから行く、というモデルだったんです。例えば大谷選手や松坂選手みたいに。ですが、コメディの世界ではそれが成り立たない。向こうのマイナーリーグの舞台にコツコツと出て、コメディアンたちのリスペクトを得た人たちだけがメジャーの舞台に立てると。僕も向こうでコツコツと舞台に出演する中でそういう流れを感じたんです。夢を叶えるために行って参ります。
__ 
リスペクトということが重要なんですね。
Saku 
同業者からのリスペクトを得られない人は、何をやってもきっと・・・
__ 
それは本当にそうですね。その目標が見えてきたのはいつ頃からですか?
Saku 
大学からコメディを始めて、大学3回生ぐらいの頃からアメリカで舞台に立ち始めたんですけど、その時に番組を見て衝撃を受けました。トークを主にコントもやる番組なんですけど、日本のそうした番組と決定的に違うのは、政治風刺の笑いや思想を多く含んだ自由な表現が行われている事です。芸術としての番組だということをすごく感じました。それは日本にはないなと思ったんです。後で知ったんですが、僕が小さい時から好きだったジム・キャリーもそうだし、ブルース・ブラザーズもアダム・サンドラーも、映画の中で見ることのできるコメディアンたちもその番組から出てきているんです。いつか僕も出演したいと思ったんです。
__ 
なるほど。
Saku 
やはりコメディアンとして一番基本なのはスタンダップコメディ。自分でネタを書いて、自分で自分を演出して、そして自分一人が主人公として出演する。脚本と演出と主演を全て兼ねる訳ですよ。なので、この3つの技術を兼ね備えなければ一流とみなされない。プロデュースもですね。シンプルなんですけど奥の深い芸能なんですよ。ほぼ全てのコメディアンがこのスタンダップコメディ出身なんですよ。これを極めていった先に、演技をしたりだとか、大きくなっていく可能性があると思うんですね。
__ 
自分で全てを作るんですね。
Saku 
自分の目を通してみた世界を喋ると言う事は、自分にしか描けない世界を書くという事なんですよね。とてもオリジナリティの高い芸術だと私は信じています。これはアメリカでもよく言われていたんですけど、舞台を終えて楽屋に帰ってくると別のコメディアンに「Saku,あのジョークはとても面白かったよ、でもあれって本当にお前が言わなきゃいけないのか」と。「別の誰かが言っても面白いジョークではあるんだ。でも本来、俺たちが突き詰めていかないといけないのは、お前が言うから面白い、お前じゃなきゃ言えないジョークだ」と言われて。最初は「そんなん面白ければいいやんけ」と思ったんですけど、よく考えるとやっぱりそうあるべきなんだなと思い直しました。
__ 
様々な仕事でもそういうところありますよね。誰にやらせても同じ仕事の結果が返ってくることは確かに期待されている。ベテランの技術者二人が同じ製品の何かの設計書を作るとして、それぞれのアウトプットはそれぞれ違う。完璧な事はもちろんだし、要件は満たしている。で、何が違うか?というとそれは「味」だけの問題ではない。確実に、それぞれの技術者の人格や思想、大切にしているものや背負っているものが反映されている。実際はそれこそが、仕事の本質的な意味での重い部分と言えるし、お客さんが期待しているものであると言えるのではないでしょうか。
Saku 
それがやっぱりやりがいにつながるのかなと思います。

シンプルなこと

__ 
向こうに渡って楽しみにしていることは何ですか?
Saku 
シンプルですが、それぞれバックグラウンドの違う・文化や言語の違う人達を身一つで笑わせるのが何よりも楽しみです。達成感もものすごく大きいですし。

ジョークの種類

__ 
Sakuさんは人種ジョークというものも扱われているようですね。人種ジョークというものはもちろん、社会的な場面では基本的には許されていませんが、それが許されている空間であれば非常に有効に作用する、周囲の和を生む、その人種がいる空間でさえうまく作用することがあったりすると聞いた事があります。資料として頂いた動画で、アジア各国での人々の喋り方の違いであるとか、それのモノマネがすごく面白かったし、会場のお客さんにとても受けていた。そこで伺いたいのですが、「人種ジョーク」については、例えばどういう部分で意識的ですか?
Saku 
はい。まず第一に、アメリカという国においての話を言わせていただけるのであれば、アメリカというのは移民が集まってできた国であるという事です。日々の会話の中で、自分の人生であるとか宗教であるとか、ジェンダーは最近ですけど、そういう目に見えるものを半ば自虐的に喋ったり、例えば相手の人種にジョークを入れることで、お互いに「自分は敵ではないですよ」と表現しているんです。人種ジョークは日々のキャッチボールとして使われてきたという背景があり、他者を批判しない限り許されている風潮があります。その上で、コメディの成り立ちから言うと、虐げられていた人種の人達による叫びから生み出された芸術であると、ある程度は言っていいと思うんですね。黒人のコメディアン、ユダヤ人のコメディアンがメインストリームになっていったように、そもそもが彼らの声を笑いというフィルターで消化したというものがコメディの成り立ちであると僕は理解しています。
__ 
コメディの成り立ち?
Saku 
まず、日本のお笑いとアメリカと笑いがどのように違うのか。一つ目は「日本の、テレビで見ることができるお笑いは、ほぼすべて生活に根ざしたものである」という事。例えばコンビニに行ったらこんなことがあったとか、嫁にこんなこと言われたであるとかの「あるあるネタ」。なぜこれが成立するかというと、少ない人種がほぼ同じ文化に根ざした生活を共有しているので、それが共有項になるからなんですよ。けれどアメリカの文化は様々で、誰もも同じ生活を送ってるわけではない。だから生活だけがネタにはなりえない。だからこそ色々なジョークにジャンルがあるんですね。人種、科学、思想、文化、政治や宗教。
__ 
あるあるネタは前提を必要とする、と。
Saku 
もう一つ述べさせていただくと、風刺という精神があるんです。「刺す」という字が入っているように、ナイフだと思ってください。アメリカというのは対立軸がすごくはっきりしている社会です。白人・黒人・ラティーノ・エイジアン、またはクリスチャンとムスリムとジューイッシュ。これらを風刺というナイフでグサっと刺すから、両者の間にミゾが生まれて、これが笑いになる。ただ日本という国はまだゆるっとした村社会なので、ナイフを刺そうとしてもぐにゃっと、途中で曲がってしまう。
__ 
その中でも日本人であるSakuがアジア人風刺をやるとですね、なんだかまるで観客の気持ちが伝わるような気がするんですよ。「日本人とも中国人とも判然としない男が一体何をやっているんだろう」、そういう可笑しみがある。
Saku 
僕自身も、海外に出て初めて「自分がアジア人である」と、より認識しました。日本の人というのは、どちらかと言うと「日本人」であるという自認が強くて。アジア人という枠組みの中で自分を捉えない。それが向こうへ出て、他者からのそうした視線を受けて自分がアジア人だと思われているんだ、と気付く。それをジョークに昇華しようと思い立ったのが、初めてアメリカで舞台に立った時の事です。

笑いの共通項

__ 
いつか、どんなショーがしたいですか?
Saku 
海外では、僕は正直、世界で通じる笑い、つまり風刺があり思想があり、というカテゴリがあるとしたら、日本のお笑い文化(フリとオチの構成や、生活描写をこと細かに表現するといった)は、必ず共通項があると思うんですよ。その中の最大値は、きっと歩けると思うんです。日本人が慣れ親しんだ笑いを、海外用にアレンジすることは可能だと信じています。それを紡ぐということは非常にやってみたいと思います。
__ 
それは、日本の笑いを翻訳するということですか?
Saku 
いえ、多分、翻訳というよりは作り変えた方がいいと思います。一対一の翻訳をしてもウケないなと肌で思っています。というよりもむしろ、日本のものをアメリカナイズドし、アメリカのものをジャパナイズドした果てにあるものだと思っていて。例えばですけどシチュエーションコメディを作るとなったら、そのシチュエーションの中で何をどう創れるか。セリフの部分だけではなく、自然や動作、プロットだけではない部分に拘って行くと必ず作れるものがあると思っています。3月11日に一人芝居として上演するのは、そうした公約数をある程度狙った作品になります。
__ 
ありがとうございます。そうした実験のその時点での答えが観れれば、とても嬉しいです。

ドライビング

__ 
ちょっと最近考えてることがあるんですけど、人間って、反応には嘘をつけないじゃないですか。もちろん、準備する暇があれば、検討を経た反応を返すことはできるんですよ。でも、どうしても検討する時間が入る余地なく引き出された反応というものに、観客の本質は現れるのではないか。うまくドライビングされている演劇の観客は、反応を検討する余地のない状況に追い込まれてるのではないかと思う。ちょっと逆説的だけれども、そうした状況下にある観客席の身体を「観客」と呼びたい。
Saku 
はい。
__ 
演者としては、レバーを何とかして握りたいですよね。そのイニシアティブの奪い合いは、コンテンツそのものとは多少離れた様々な領域で為されているのではないかと思う。もちろん、大部分は重なっているけれども。そしてスタンダップコメディでは、役柄を介さないコメディアンと、まだ観客になることを決めていない聴衆の間で、とても濃密なやり取りが交わされているのではないでしょうか。
Saku 
まず、アメリカに渡って一番感じたのは、「どこでみんなが笑わなきゃいけないのか」というものが、日本における漫才や落語に比べて、無いな、と思ったんです。一般的に、日本のお客さんは、皆さんが同じタイミングで笑うということを良しとしている。
__ 
おお。なるほど、そうですね。
Saku 
だからこそ、ツッコミという役割がいる訳です。ボケというある種異常な人を、お客さんと同じ目線のツッコミという役割が糺す訳ですよ。「あつがなついでんな」「いや、逆やろがい」と。そのボケが面白い面白くないにかかわらず、「そこが笑いどころですよ」というサインをあげているんです。ツッコミというのはそういう役割を果たす上で日本の劇場には不可欠だと思うんですね。みんなで一緒に笑いたい、それは僕が日本の観客席にいるときもそう思っていますので。ただ、アメリカの方では「俺このギャグ分かんねんで」「俺このジョークは分かって笑えてんねんで」あくまで笑いに来ているので、一人で笑うお客様も大勢いらっしゃるんです。より、お客さんと対峙してると言うか。だから笑うべきところではちゃんと笑ってくれるし、逆に滑る時には、舞台の上に議論しに上がってきた人もいるし、ビール瓶を投げてきたおっちゃんもいましたし。
__ 
という事は、アメリカではレバーは観客それぞれが多めに握っているという事なのかな。
Saku 
なおかつ、鉄板ジョークも滑ることがある。そういう時、(僕はレスキュージョークと呼んでるんですけど)「ごめんねこれは新しいジョークなんだけど、二度と言わないことに決めたよ、教えてくれてありがとう」。
__ 
(笑う)
Saku 
さらにもう2、3回滑ってしまった時は「僕は今までに2000本以上ショーに出てきたけれども、今日ほどウケた日は無かったよ」と。
__ 
素晴らしい。そうだ、前回インタビューさせていただいた90年会の大牧ぽるんが、滑った時にどうあるべきなのかを言ってたんです。彼女には嫌な思い出があって、滑った時あまりに怖くなってその次のネタを飛ばした事があるそうです。
Saku 
はいはいはい。
__ 
そうじゃなく、もし滑ったとしてもそのまま滑るべきだ、と。エネルギーを出しつくさないと失礼だし、覚えてももらえないと。滑るということに対してどういうスタンスを持つかということはとても重要だなと思う。
Saku 
僕はもう、滑ると放心状態になってしまう。基本的なお客さんは時間とお金とソウルを捧げてきているんですよ。その人の前で滑るということは、その人を不幸にしてるということなので。そういう日は家に帰って一人でぼーっとしてることが多いです。その上でエネルギーを落とさないというのはとても大切だなと思います。
__ 
アメリカでも滑るんだな。
Saku 
滑る時には本当に滑ります。でも、どういう状況が待ち受けていそうでも、舞台に立つんですよ。深夜のショーにあてがわれて、お客さんは二人しかいなくて、そのうち一人は泥酔して寝てるとか。もう一人の方をウケさせることだけがその時の僕の目的でした。多分、その人は僕のことを一生忘れないと思うんですよ。
__ 
おお。
Saku 
一万人の前でやったこともありますが、毎回同じです。出番の前は緊張で吐きそうになります。ただ、大事だと思うのは、人生は諦めと挽回力だと思うんです。僕は高校生まで野球をやっていて、自分で言うのはアレですけど、チームの中心で、試合にも一番出させてもらってたんですよ。大学でもやろうと思っていたんですけど、ピッチャーでライバルだったやつが東大に現役合格したんですよ。ほんで僕は浪人してしまった。野球ができない中で、ライバルのやつが一年生からバンバン活躍しだして。周りで「朔の代だ」と言っていた人達が、段々とそいつの代だ、と言い始めて。当時の十代の僕にはきつかったんですよ。でもそいつに負けたくはないから一生懸命勉強して阪大に入った、と。でもいくら頑張っても六大学でバンバンやってるそいつに勝てないと思って。それで野球を諦めて、そして演技を始めました。負けたくなかったので。挽回ですね。大げさにいうとそいつのせいで野球を辞めたんです、というかあきらめられることができた。彼もそのまま放送局で報道をやっていたんですが、何かやりたいことと違うなぁと感じていた時に、僕のケニアの映像を観たらしく、やりたいことをしている僕のせいで放送局を辞めた。こっからすごい挽回がきっとあると僕は思っています。人生は挫折と挽回なんですよね。ジョークも滑る時はあるんですよ。でもそういう時に、どう挽回していくかというところは、人生と似てるなと思います。
__ 
ちょっと話は変わりますが、滑った時にお客さんの中で何が起きているんだろう。考えたことはありますか。
Saku 
面白い時はお客さんは必ず笑うんですよ。面白くない時は笑うべきではないと僕は思います。つまり、滑った時というのは一番わかりやすく、面白くないんです。実力不足です。コメディというのはその点でとてもわかりやすいですよね。お互いの目的がここまで明確な芸能は他にないと思うんですよ。コメディアンは笑かしに行く、お客さんは笑いに来ている。なのでお客さんというのはショーを見ながらにして、第三者としてそのショーの出来を判断することができるんですよ。極論、どれだけいい事を言おうが、どれだけお客さんが入っていようが、お客さんが笑っていなかったらその公演は失敗なんですよ。極論ですが、野球もちょっと似ていて、体を鍛えた男たちが棒を振り回すわけですからまぐれでヒットになることぐらいありますよ。でも、受けを取り続けてるやつ、ヒットを打ち続けているやつににまぐれの人は一人もいないです。

質問 90年会の皆さんから Saku Yanagawaさんへ

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前回インタビューさせていただいた90年会の面々から質問を頂いてきております。「同世代に言いたいことは何ですか?」
Saku 
僕はそんなに偉そうなことは言えないですけど、好きなことを好きなだけ、出来るまでやってもいいのかなと思います。なぜそれを同世代の方にいたいと、僕は25歳なんですけど、これからの人生を色々考える時期だと思うんですよ。僕にとっては、好きなことをやり続けるのが、少なくとも自分への誠意だと思うんですよ。極端な話、ミスをしてめちゃくちゃになったとしてもまだ絶対に取り返しが効きます。ミスをしたら、それが出来なかったということは分かる。それがわからない状態で何も動かないよりは動くべきだと思います。それぐらいしか言えないですけど。
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それは本当にそうですね。

表現するということ

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Sakuさんはなぜ、表現をされたいと思うのですか?
Saku 
自分の目で見た世界が作品になって、誰かに影響を与えるでも与えないでもいいですけど、世に出るということは何ものにも代えがたいことなのかなと思うからです。
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自分の作品。
Saku 
それを誰かが見てくれて、作品として昇華した時は素晴らしいと思いますね。少し大きなことを言うと、それが自分の生きている意味だと思うんです。僕の目線でしか見えないものにしたいなと思います。今まで進んできた道が生んだ内面から出てきた、含蓄のあるショーがしたいなと思います。
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感情移入じゃないけど、私は観客として作品を自分の人生と共有したいです。そういう観客術だと思う。けれども、今お話になっている作品のあり方は、個人とは別個のものとして扱って欲しいみたいな、そういう印象を受けます。
Saku 
おっしゃってることは間違ってないと思います。
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そして、笑いというものが絶対的な指標であるということは、私にとっては結構新鮮です。笑いを任意にコントロールする観客はたくさんいると思うから。
Saku 
そうですね、だからこそ空間を制圧しなければ笑いは作れないので。笑いを常に一人で作り続ける人は天才です。一方で、Likeableという英語があるんですけど、意味としては「好かれうる」という。そういう人は出てきた時点でお客さんの心を掴んでるんですね。この人応援したいな、気になるな、みたいな。興味を持ってもらえる人って、その人の内面からにじみ出ているものが強いと思うんですよ。
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日本語でそれは愛嬌と呼ばれているものです。
Saku 
そうですね、でもとても無愛想な人でもなんだか憎めない人もいるじゃないですか。それってやっぱり、何から出る何かなんじゃないかなと思うんです。しょうもない奴なのになぜか、人が逃げていかないという人もいる。
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なんなんでしょうね。やっぱりその人が何を見てどう反応しているか、みたいなのが直結しているのかもしれない。