男肉duSoleilと私

__ 
今年は男肉duSoleilは「お祭りフェスティバルまつり」と「リア王」やりましたよね。「お祭り」で、指を鳴らすと五星紅旗が画面に出る奴。あれは面白過ぎましたね。
菊池 
団長が思いつきでいつもそういうものは考えます。やりたくなるんでしょうね。。
__ 
特に「リア王」は真面目に作られた作品でしたね。
菊池 
男肉は作品性とは違い、意外とマジメに作るんです。その赤がどうのとか悪ふざけもありますけど。(笑)大学の3回生から本公演に出演し始めました。その年にindependent 1stで「ツキイチ」企画で毎月公演していて、その2回目から本格的に出演しましたね。
__ 
私はすみださんが「空だーっ!」って上を指すセリフを強く覚えてるんですけど・・・
菊池 
あの頃は結構、尖った事をやってたんです。「ツキイチ」の最初は全然お客さんが入らなくて、5人とかの回がありました。
__ 
最近はライブハウスでも出演されるんですよね。
菊池 
そうですね、結構、月1回か2回は出てますね。それはそれで、いつも通りの男肉です。コントしながら、何かにかこつけて3、4曲くらいダンスしてます。
__ 
男肉の巻き込んでいく力は様々な劇団や人に影響を与えてますよね。
菊池 
そうですかね!? だったら嬉しいんですけど。全然そういう話は入ってこないですけど。
__ 
ある程度好きにやったらいいんだ、みたいな。いや、私に影響を与えてくれたんです。
菊池 
なるほど。ありがとうございます。
大長編 男肉 du Soleil『お祭りフェスティバルまつり』
≪京都公演≫ 2017年2月9日(木)~12日(日) <会場>元 立誠小学校 音楽室 ≪東京公演≫ 2017年2月20日(月) 21日(火) <会場> 駅前劇場
大長編 男肉 du Soleil 『リア王』
≪京都公演≫ 2017年7月27日(木)~30日(日) <会場> 元 立誠小学校 音楽室 ≪東京公演≫ 2017年8月7日(月) 8日(火) <会場> 駅前劇場

「反応」

__ 
ANTIBODIESのこの間の作品「Dislocation Dance」、やっぱりインタラクティブな演出がとても気になっていたんですよ。巨大なオレンジ色の風船が舞台下手で膨らんでいくというシーンがあって。ものすごいビビットだったんです。で、ダンス作品なのにそういう仕掛けを使うという事は、明確に、具体的な特定のイメージを観客に与えたいという意思を感じたんです。
菊池 
はい。
__ 
そこで思ったんですが、ダンス作品において、観客の反応を掘り下げて考えた事があんまり無かったなあ、という事に気が付いて。というか、「反応」も、人間のコミュニケーション手段の一形態で、意識的に制御することが非常に難しい部類のものである事に気付いたんですよ。一度に一つしか選択出来ないし。そう考えると、我々の祖先たちが過ごしていた過去の時間においても、人は自分の反応を制御出来て無かったんだなあとか思うと不思議だ。ダンスを観ていても、物語と言葉が無い場合が多いから、反応が観客の内的作業のベースにならざるを得ない。それがもし、不特定多数の客席において大まかに方向性を一致させる事が出来るのなら、そこに何らかの可能性があると思う。
菊池 
この間の作品においては、その「反応」の方向性をある程度固定化してしまっているんじゃないかな、という気もしていて。それがどうでるのか、という気はしています。SFとか、政治的なテーマであるとか、連想させるイメージはある程度方向付け出来ていて、ただそれはもっともっと多様な見方が出来てもいいんじゃないか、と思う部分もあります。もちろん今回の作品はそれがテーマなので、やっている側としてはそれが正解だとは思いますが。
__ 
見やすいというのが、果たして善なのか問題。
菊池 
ダンスというのは、(お客さんに)振り過ぎても逆に捉えられないからキツいんですけど、もうちょっと広くてもアリっちゃアリなのかな、または、それぐらい色を出すならコンセプチュアルさ、コンテクストやロジックに突っ込んでもいいのかなと。

ダンス甲東園2017「息をまめる」

撮影:高橋拓人
__ 
高野裕子さん振付作品「息をまめる」にも参加されていましたね。いかがでしたか。
菊池 
あれはとても良かったです。出ている側として良かったし、その良かったと思える何かが観ている側にも伝わったのではないかという実感があったような気がします。高野さんはじめ僕らは、やり方やスキル、構成などを使って「何か」をやるんですけど、その何かというのは高野さんが「誰かと一緒に踊りたい」「その人と一緒に踊るにはどうしたら良いのか」を本当にその人と向かい合って、一緒に考えて、やる、という事を・・・何というのかな、クリエイションの過程で作った関係性をそのまま舞台に載せるんです。出演者全員が、他の出演者同士全てとの間で。
__ 
なるほど。
菊池 
「まめる」という言葉は、作品中でも発話していたのですが、「混ぜる」というかいっしょくたにする、とか色んな意味があるんですけど(壁一面に塗り付けるとか仕事に精を出すとか)、息をまめるというタイトルの通り、全員の息をかき混ぜて一緒にする。という事がある種の目的だったんように思います。で、高野さんはこのタイトルを思いついた時点では「まめる」という言葉が実際にあるとは知らず、造語で「息をまめる」という感じやねんなー、と。でも調べてみたら実際にあった。
__ 
奇跡か偶然か。いいですね。
菊池 
稽古している間とかは、僕は意識はしてなかったんですよ。それぞれにそれぞれのミッションがあったし、それをこなす事が大事だと思ってたんですけど、小屋入りの前日にコンタクト的なシーンを練習する過程で「息をまめる」という感覚がすっと、分かったんですよね。言葉にしづらいですが、ああ、こういう事がしたかったんだ、って。
__ 
感覚は、およそ最も意識に近い層の、トータルな情報ですよね。「息をまめる」はコミュニケーション段階を重視する作品という事であれば、「相手に伝えた時の感覚」が肉体を通して観客に伝わった。多分そういう事は多かれ少なかれ起こっていたと思いますよ。それは究極的な現象だと思います。
菊池 
そうですね。きっとこちらが本当にそういう風に感じていないと伝わらないし、それでも伝わらない作品はあると思いますが、「息をまめる」に関してはそうじゃなくて。高野裕子という人の人間性がモロに舞台に乗った作品だったと思います。それは、観た人も悪い気はしないと思います。そういった、優しい表現での舞台はあまり見た事がないです。優しいと言っても馴れ合っている訳ではなく、それぞれが自分のやるべきことをやっていて、ちょっとだけ全員が溶け合っているんです。
__ 
色んな言葉でそういう状態を言い表す事が出来ると思うんですが、男肉の小石さんが「悲しい体になっていたら悲しい人間に見えるのだ」みたいな事を言ってたのを思い出しました。
ダンス甲東園2017「息をまめる」
公演時期:2017/11/10~11。会場:西宮市甲東ホール。

カタチが先か、気持ちが先か

__ 
伝わるかもしれない、伝わらないかもしれない。でも出演者・観客の経験に関係しなければそれはきっと違う、のかもしれない。それは生身を売るみたいな発想に繋がっていくけれども。
菊池 
カタチが先か、気持ちが先か、という話に繋がっていくと思うんですが、大学での先生だった竹内銃一郎さんがおっしゃるには、感情は要らないと。とにかく全て段取りで「ここで何秒止まって、ここまで歩いてこうして」ということをきちんとやれば自ずとそこに感情は生まれる、と。決して感情が優先ではないと。それはそれで凄いなと思うんですよ。ダンスも一緒で、感情的にやったらいいのか、というのはまた違う。段取りは段取りであって、それをこなしながらさらにそれを越えないといけないのかなと思いますね。振り付けをするときはそこを考えないと。
__ 
段取り、型。
菊池 
僕自身は、そういうマインド的なものは割と否定的だったんですよ。でも高野さんの作品では、それが良くて。考え方が変わった部分はあります。もちろん気持ちの乗っている作品とそうでないものは分かってたんですけど。
__ 
高野裕子さんの作品では、出演者同士の対話を非常に重視するそうですね。「人と踊る」ために。
菊池 
色んな事は当たり前じゃないんですよね。踊ることはなおさら当たり前じゃない。立つ事も。だったらもちろん、誰かと踊ることも当たり前ではない。僕は、それはあんまり考えたことはなかった。だからそれを可能にするにはどうすればいいのか。

質問 繁澤 邦明さんから 菊池 航さんへ

__ 
前回インタビューさせていただいた、うんなまの繁澤邦明さんから質問を頂いてきております。「彼女はいますか?いるとしたらどんな関係ですか?」これはプライベートな質問ですので、お答えになりたくなければ結構です。
菊池 
います。関係性はなんというか。随分長い事付き合っていますので。

揺れ動くロウソクたち

撮影:松田ミネタカ
__ 
ダンスについて最近考えている事はなんですか?
菊池 
うーんと・・・中身ですね。テクニックとか、どう踊るかとか、形よりも、マインドというところともまたちょっと違うんですけど。立ち方というか。言い方が難しいんですけど、どういうつもりでそれをやるか、自分の中での位置付けとか。覚悟というと言葉が強いんですけど。
__ 
存在理由と呼ぶべきものでしょうか?
菊池 
まあそうですね、結局それがないとどういう形でやってもどういう段取りでやっても良くないし面白くない。ということを最近特に思っていて。
__ 
それは確かに、マインドとは違いますね。
菊池 
そうですね、頑張ってやるのは当たり前と言えば当たり前なので。頑張って形を形通りにやろうとするというところじゃなくて、何のためにそれをやるのか。何て言ったらいいのか。やっている方がどういう雰囲気を出すのか、いや、出したいとかじゃないのか。いい言葉が出てこないんですけど。だから淡水でやったこの間の作品は、その事だけしかやってなくて。
__ 
というと。
菊池 
ダンサーは手に壁に付いているスイッチの部分だけを握っていて、それをそれぞれ押していくんですけど。舞台に上がった最初にお客さんの人数を数えて、その人数に等しい回数になるまでスイッチを押していくというだけの。
__ 
ヤバいな。
菊池 
はい、形の振付は全くなく、ただ見やすさの事はあるので要所要所で形みたいなことは付けたんですけど。でも数字を回していくだけ。で、いま数字がどこで、誰の順番なのかをとにかく必死に考えるということだけに体を集中させる。ただ、数字を押すだけではなくて、自分の番が回って来たら自分のスイッチを押す瞬間まで自由に動いてもらうんですね。ただしその動くことの基にあるのは「一番最小単位のダンス」をすることで、ボクにとってこれやったらダンスだろう、というものは何かというと、重心を一回でも移動させたらそれはもうダンスと言えるのではないか、という。それはやっている本人にしか分からないぐらいちょっとした移動でもいいし、もの凄く動いてもいい。でもあくまで自分の重心を動かすというところから外れては、嘘だから。
__ 
ロウソクの火のように、という事ですよね。
菊池 
その時の構成によっては、自分の中で数字を数えるであったり、数字を他人と回す事を考える。その間は体がほんの少し動いているだけ、でもそれっていうのは自分の中ではものすごい作業に集中していて、それは見ている側にも伝わると思うんですよね。その身体の状態。また何かしらの法則性が。
__ 
その内側での作業がダンサーで行われている様を、観客はどのように受け止めているんだろう。というのはやっぱり、観客の視線による理解ではない領域で洞察されるんじゃないかなと思います。それだけ純粋に集中している人間の意識の濃淡や方向性は、それはやっぱり伝わる。それが出来なければ、少なくとも演劇やダンスなんて生まれる訳がない。ただし論理的な解釈は十分には出来ない。とはいえ、その劇場における純粋さの度合が高ければ高いほど、それぞれが定義する形而上的な価値に近づいていくんだろうなと思います。
菊池 
中身のことをやるうえで、今回の作品で目指していたのは集中している身体の実現で、そのためにはどういう事を負荷として課せばいいのかを考えていました。まあでも、最終的にそういう状態になれるなら負荷は無くても良いし、逆にそれが当たり前に出来ていて欲しい、というのはあります。中々それを共有するのは難しいですが。一応、システムとしてそういう作品を作って、トレーニングしようかなと思っています。立ち方を変えるとか、どのくらいの身体のスタンスを取るか、とか。そういうのを考えれば出来るし、立っているだけで十分見せられるんだな、というのがここ一年で獲得した感覚ですね。でもこれを他の人に伝えるのにどうしたらいいのかなと。僕がどれだけ出来ているのかというのもちょっと分からないんですけど。

他の人たちは一体どうやって作品を作っているんだろう

__ 
今日のインタビューはそろそろ終わりますが、何かおっしゃっておきたい事や聞いてほしかった事などはありますでしょうか。
菊池 
そうですね、皆さんが一体どのように作品を作っているのか、そういうのを知りたいなと最近は思いますね。ここ2年ぐらい淡水では作品を作っていなかったんですけど、それまでの作り方が何か違うなあというのは思っていて、かといって全然新しいやり方を試すのもどこから取っ掛かりをつくろうかと。いま持っている方法論もあるんですけど、これからどういうことをしていこうかなと考えていて。なので、どういうやり方でみんな作品を作っているのかなというのに興味があります。
__ 
ゼロから1を生み出す訳ですからね。

実験を繰り返す

__ 
今後、どんな感じで攻めていかれますか。
菊池 
あんまり、劇場で大規模に、という事ではなく、ちょっと実験しながら自分のやりたい事を探っていこうかなと思います。
__ 
私は菊池さんが色んなところに客演されるのは楽しみですけどね。
菊池 
ええ、呼んで頂けるのはありがたいので、呼んで頂けるならば色々と出演したいと思います。
__ 
ダンスがカッコいいというのはそれだけで素晴らしいと思います。
菊池 
ありがとうございます。

カズオ・イシグロの小説

__ 
今日はお話を伺えたお礼に、プレゼントを持って参りました。
菊池 
えー、ありがとうございます!めっちゃクリスマスって書いてあるじゃないですか。やった。(開ける)カズオ・イシグロ。
__ 
ノーベル賞受賞作ですね。
菊池 
ありがとうございます。めっちゃ嬉しいです。

うんなま ver11.「search and destroy」

__ 
うんなまのver11.「search and destroy」。どんな作品になりそうでしょうか。
繁澤 
実際、どんな作品にしようか悩んでいるところですね。以前ウイングフィールドでやった「ANCHOR」とある種近い作品になるんじゃないかなーと思いつつ。ストーリーもあるのかないのか、プロットと脚本は何回も何回も書き直しているし、こねくり回しすぎて変なものになってきています。あんまりよくないコメントですけど。
__ 
変な作品というのは、ご自身の基準で?
繁澤 
たぶん、他の人から見て、ですね。(演劇を)作るたびに思うんですが、なんでこんなものになるんだろうなあ、と。これが面白いだろうと思って作ってはいるんですけどね。僕、いろいろあって今年100本以上演劇公演を見させていただいてるんですが、僕の作品が完全なオンリーワンと言えるかどうかはともかく、なんか他の作品とは違う作り方をしてるんじゃないかなと言うのがあります。もちろんプロットは作ってるんですけど、緻密な物語を作るというのとは違うというか。
__ 
物語にはこだわっていない?
繁澤 
なんというか、戯曲の中で完結しないものを作ろうとしていて。今回の作品のランタイムは75分を予定しているんですが、その中でわかるものは氷山の一角。ちょっとの覗き穴から見ているだけのものになるんじゃないかなと思っています。もちろん演出という意味では、どこで攻めるか、どこでカタストロフィを持ってくるか、とかいう構成は考えて作ってはいますが、情報量としては、ほんの一部分しか書いていないと思います。僕の書く台詞はと言うと、全部説明台詞だったり、逆に全く説明していなかったり。とにかく、他の劇団さんとは結果違うというか、まあ違うものを作ろうという意固地な気概は無いんですけど、面白いと思うものを面白がって作ったら変なものができた、という感じです。
うんなま
「うんなま」は、大阪近辺を拠点として活動する劇団です。(2017年4月、「劇団うんこなまず」から団体名を改定。英語表記:un-nama)
 2010年3月、大阪大学劇団ちゃうかちゃわん内プロデュース団体として、バリバリのエンタメ公演を行いました。2011年10月と2012年1月に、現在の作演体制にて第2回公演、第3回公演を行いました。2013年1月、思い出したように第4回公演を行いました。以後、継続して活動し、現在は阪神間の学生劇団OB&OGにて運営しています。(公式サイトより)
うんなま ver11.「search and destroy」
<大阪公演>
【会場】
ウイングフィールド
【日時】
1月26日(金)19:00~
1月27日(土)11:00~、15:00~、19:00~
1月28日(日)13:00~、17:00~
ウイングフィールド提携公演
大阪市助成公演

<東京公演>
【会場】
花まる学習会王子小劇場
【日時】
2月17日(土)15:00~、19:00~
2月18日(日)11:00~、15:00~
TPAMフリンジ参加作品

【料金】
一般当日 3300円
一般前売 2800円
早割 2500円(大阪公演:~2017/12/31、東京公演:~2018/1/31)
25歳未満 2000円(当日、前売共に。要証明)
高校生以下 1000円(当日、前売共に。要証明)

【キャスト】
雀野ちゅん
司城大輔◇
繁澤邦明
藤原政彦
(以上、うんなま)

イトヲ
九鬼そねみ
(努力クラブ)
海月◆
笹暮とと◇
ことね
(箱庭計画)
neco.◆
(猟奇的ピンク)
平山ゆず子
宮本将吾◇

大石英史〇
佐々木ヤス子〇

◇…大阪公演は映像出演
◆…東京公演は映像出演
〇…映像出演

【スタッフ】
舞台監督 西野真梨子
舞台美術 久太郎(Anahaim Factory)
照明 山口星
音響 浅葉修(Chicks)
映像 鈴木径一郎(sputnik.)
映像操作 しきぶ(ポッキリくれよんズ)、永渕大河(演劇集団ゲロリスト)
宣伝美術 高田悠史
舞台写真 小嶋謙介
制作 藤原政彦(うんなま)
制作協力 尾崎商店
サポート 秋桜天丸(うんなま)
協力 うんなまフレンズ

旗揚げ

__ 
繁澤さんが作品を上演しなければならない理由、と聞かれたらどうお答えになりますか。
繁澤 
僕自身の、という事であれば、そうですね…僕は前職サラリーマンで、この夏から應典院で働き出して。人からは「いよいよ演劇宣言したんだね」みたいに言われることもあるんですね。でも、僕自身が上演しなければならない理由みたいなのを気負っているわけではなくて。気がついたらしちゃう、みたいな。
__ 
なるほど。
繁澤 
もともと僕は大学の学生劇団から演劇を始めたんですけど、就職した時には芝居を続けるものとは思っていなかったんですよ。配属が大阪のわりと近隣で、なまじっか演劇ができちゃった。就職したての時に学生劇団の先輩から客演の話を頂いて、いくつか客演の話が続いて、うんなまでも公演を打って。色々と大変なことはあったんですが、話を貰ったり縁が続いてやっているうちに、面白がってくれる人がちょっとずつちょっとずつ出てきて、おかげさまで続けられている、という感じです。

根っこのマインドと、出力

繁澤 
僕の表現欲求の根源って何だろうって考えると、結局は中学生ぐらいの時にハマった音楽、特に洋楽というかロック、パンクなんですね。こんなこと言ってもいいんだ、ていう。ギターの轟音とかシャウトとかノイズがあったり、ビートにのせて叫んだり。えも言われぬ、フラストレーションに対するエネルギーの発散に、14歳ぐらいの僕のモヤモヤみたいなのがものの見事に乗っかって気持ちよくなるみたいな。まあ、そのくらいの時期に聴く音楽はだいたいそんな感じだと思うんですけど。
__ 
ええ。
繁澤 
概念的にも出力的にも、僕は音楽がすごく好きなんだなってつくづく思うんですね。根っこの目指しているものは音楽の歌詞かもしれないです。曲に乗せるとなぜこんなに説得力を持つのか。力、共感、カッコいいなという気持ち。で、多分僕はそれをやりたいなと思うんですよ。音楽的な演劇、と言うとまた違うんですが、僕、よくできた物語にあまり興味がないのかもしれません、きっと。キャラクターがうまくできていて連携して、伏線を回収して・・・(単純に僕もそういう能力がないだけかもしれないんですが)ピンとこないんです。それよりも本当に、出来事としての時間を舞台上に作る事にすごく興味があります。だから台詞とか、本当に手段に過ぎない、ということを俳優に伝えます。気持ちが昂っている時は「台詞はゴミです」みたいな言い方もします。台詞の聞こえの良さは俳優に任せているところもあったりするので。僕自身、実は最近まで、自分の書いた台詞を読むのがすごく嫌だったんですよ。俳優をするっていう作業自体はすごく好きなんですけど。
__ 
なるほど。
繁澤 
はなから、舞台上で完結させる気持ちがないのかもしれません。帰結よりも、その瞬間の確かさを作りたい。どこかで聞いた言葉なんですが、よくできた物語の神になるよりも、一瞬一瞬の、どこか確かな時間をつくる霊媒師と言うか。偶然・まぐれ・自己満足という言い方も出来るかもしれませんが、自分がそういうところに面白みを感じている以上、他の人もきっと面白味を感じられるんじゃないかなと思っています。80分の芝居を作るんだったら、凄い10分を作れたらと思うんです。もちろん、80分全てを良いものにする努力はしますが。すごく大きな物から、何とかもぎ取った瞬間そのものを舞台上に載せたい。

「時間の構成」

__ 
繁澤さんは、構成に興味がない。
繁澤 
うーん、そう言われるとありますよ。ちょっと語弊のある言い方をしてしまったかもしれません。僕自身があまり集中力がないので、75分程度の作品にしているんですが、その時間をどう構成するかには興味があります。そんなに興味がないのは、物語の構成に対してですね。
__ 
物語の構成と時間の構成を同一視してしまう、まあそれは普通かもしれませんがね。
繁澤 
お芝居を見るときに物語ありきで見る人は多いですよね。きっと。という僕らも、物語ゼロの乱痴気芝居をやっている訳ではないので。でも、プチ物語の要素というべきもの、トラック、が異様に大量にある、みたいなことをやっています。DTMを始めたての人の練習ファイルみたいな事をやったりしているのかもしれません。やたら打ち込みが多い、みたいな。

純粋な検索は廃れてしまったのかもしれない

__ 
いま、どんな思いや、狙いがありますか。
繁澤 
そんなに僕らは共有しなくていいんじゃないのか、共有というのは素晴らしいことだけれども、という事が一つあります。狙いとしてあるのは、意味としての社会を、どう作品に結びつけるかということなのかな。僕の創作の要素の大半は、「私ってなんだろう」「なぜ生きるんだろう」という、誰もが必ず負う哲学的?問いに伴うフラストレーションと昇華への欲求なのかなって思っています。幼稚かもしれませんが。今作っている「search and destroy」の「search」はネット上における検索のことも指していてたりして、何と言うか、僕らが生きている中で根っこにあるインターネットだったりスマートフォンだったりでは、純粋な検索というのはもうおこなわれていない、て言われたりしますよね。過去の検索履歴による検索だったり、プッシュ通知で向こうからチカチカと光って知らせてくる。知りたくない情報というのが向こうから送られてくる。あまりにも僕らは情報に溢れすぎなんじゃないかな、僕らはそこまで共有をしなくていいんじゃないのか、と。
__ 
ええ。
繁澤 
ただ、自分が思った以上にやりたいことが多すぎて、とっちらかって、かえって静かな作品になるかもしれません。

ウェットなセリフについて

__ 
「ANCHOR」を拝見していて思ったことなんですが、繁澤さんは、人物に対して「孤独であれ」とか「独立しろ」「強くあれ」みたいに、突き放すようなメッセージを持っている作家なんじゃないかなと思ったんですよ。で、さきほど、「共有」について意識しているところがあるとおっしゃっていたので、まあそういう方向性があるのかなと。
繁澤 
そうですね…、外部向け企画書に「不安に対して強く緩やかに立ち向かう」ということは書きました。他人に対して独立せよと言う気持ち、あるのかもしれませんね。と言いつつ、言葉を選ばずに言うと、独立というか、そもそもあんまり興味ないのかもしれません。「なんだっていいじゃん」みたいな。僕らの作品も、人によってはすごくドライな作品だったという感想もあれば、ウェットだったという方もいて。でも基本的に僕の書く台詞はウェットなのかなって思っています。僕がその、人間に対して感じる魅力というのは、もしかしたら、幼少期に観たディズニーとかワーナーブラザーズのアニメの登場人物に対する思いと変わらないのかもしれない。ある種、甘ったるい、甘っちょろい希望というか。そういう意味では潔癖なのかもしれませんし、幼稚なのかもしれません。でも、「生」は肯定したい。

幕が降りて・・・

__ 
「生」を肯定できるか、ですか。まあそれは地獄さえ楽しめるかどうか、というところだと思うんですよね。まあ言うて地獄って結構楽しい設定にしてあるじゃないですか。あれ作った人はたぶん楽しかったと思うんですよね、構想してる時。特に何度も蘇ったりとか。多分人類史で初めて「リセット」という概念が生まれたんだと思うんですよ、地獄とともに。
繁澤 
ああ、確かにそうかもしれませんね。やっぱり現世をどう生き抜くかに尽きるというか、そういう発想にはなっていくかもしれませんね。あ、で、「独立せよ」でしたっけ。僕は、ある物語が完結した後の、エンディングで出てこなかった続きの積み重ねが人生だと思っている節がありますね。人生のエンディングってあくまで死だと思うんですが、いろんな物語の最後には「Fin.」ってつくじゃないですか。でも僕らの人生には「Fin.」はつかないんですよ。僕らの日常って終わらないじゃないですか。そこに対する疑問はあるかもしれないです。アフターエンドへのぼんやりとした不安があると思う。ぼくが人生をしんどいと思ってるんだったとしたら、「Fin.」出来ない事への反感はあるかもしれません。世の中の誰も彼もが良かれと思って仕事をしたりなんだりして生きてるけれども、みんながハッピーにはなれないんだろうな、その物悲しさに対してシャウトしようぜとりあえず、というのが僕の音楽だったのかもしれない。僕のそういうモヤモヤって、僕が死ぬまで終わらないんでしょうけどね。

確証

__ 
アフターエンドについてもう少し伺いたいと思います。終演した後の、宙に浮いた関係性みたいなことなのでしょうか。確証がないと言うか。
繁澤 
ハッピーエンドに終わろうが、最終的にバッドエンドにどうあがいてもなるのかもしれないと思っていて。重い病気になったり、別離したり。根源のフラストレーションには時間への不満があるのかもしれない。それが、ないものとして扱われるのが、時に嫌というか。時間が過ぎていって、そのままではいられない私たちへの不満や不安があるのかもしれません。ネガティブですが、このまま世の中はあまり良い方向には進んで行かないのかもしれない、いやきっとそうなんじゃないか、という不安。アフターエンディングの連なりの末にいるような気がしていて。

質問 うらじぬのさんから 繁澤 邦明さんへ

__ 
前回インタビューさせていただいた、劇団子供鉅人のうらじぬのさんから質問を頂いてきております。「芝居以外で何かやれ、と言われたら何を始めますか?」
繁澤 
音楽なんですけど、それもある意味芝居と同じですね。大学生の頃に戻れるなら、ワンダーフォーゲル部に入りたいですね。ヤングでピチピチな気持ちと身体で挑戦したかったです。
__ 
山ですか。
繁澤 
純粋にサークル選びの候補の一つだったんです。陶芸部も候補でした。単純にお金が掛かりそうだったからやめたんですけど。だいぶ前に六甲山に登ったんですが、やっぱり気持ちいいですね。海とか、山とか。

アンチテーゼ

撮影:小嶋謙介
__ 
これまでに繁澤さんが作られたシーンの中で、きっと誰にも真似できないであろうものを教えてください。
繁澤 
演劇って、読み物でもあり楽譜でもあり作業書でもある、という考えがあって。そういう意味では同じようにやったら誰にでも同じ事が出来ると信じているところがあるんですけど。でも、「ANCHOR」のラストシーンは好きでしたね。どの作品にも、これがあって良かったというぐらい好きなシーンはあるんですけど、これ以上のラストシーンは作れないんじゃないかと心配してるぐらい。
__ 
ああ、あれは良いラストでしたね。
繁澤 
あれも色んなモチーフがある作品なんですけど、あの作品を終わらせる上であのシーンは理屈が通っていると思いますし、舞台上で爆弾と定義されているスピーカーの音量が上がっていって、一瞬で音と照明が消えて、次に薄明かりの、昼ないし夜の薄明かりの中、何でもない時間が一分ぐらい経って、あれは他の世界から完全に独立している時間が作れたんじゃないかと思っています。演劇って、「現実」を「再構築」して「再出力」することなんじゃないかなって思ったりしているんですけど、あのラストシーンはその白眉というか、それまでの時間が報われる一分だったのかなと思います。演劇が舞台上に異世界を作ることができるのだとしたら、まさに、他の時空間と独立したものを作る事が出来たのかなと思います。
__ 
この言い方だと二次元的ですけど、それを切り取るという作業が出来た、という事ですね。
繁澤 
僕の中でエンディングとして切り取った、という事だったと思います。僕は、役者として舞台に出る時はものすごくのめり込んでしまうんですけど、舞台の本番ってそれ以外の事を気にしなくて良い時間だったりするじゃないですか。色んなルールはあれど、世の中の道理から解放されて独立した空間というか。
__ 
アフターエンドと、何か関係を見出すとしたら?
繁澤 
「ANCHOR」のラストはアフターエンドの不安から解放されているのかもしれません。あの瞬間が5時間とか100時間とか続くかもしれないし。本当に、舞台上で起こる事のピリオドが打てたんじゃないかなと思っています。あの作品はあれで終わるべきだったと思うし、あれが永遠に続くと、そう思いたいですね。
__ 
完結しないもの、氷山の一角を見せたいと最初におっしゃいましたが、観客がもしそういうものを観たら、「終わらない」という事を予知して、もしかしたら怖いと思ってしまうかもしれませんね。
繁澤 
終わることって、やっぱり優しい事だと思うんですよね。辛い仕事も提出すれば終わるとか、マラソンとかもそうだし。人生の最終的な救いって死ぬ事だとも言えるし。「search and destroy」でやりたいのは、こんなにフラストレイティングだけどまあボチボチ頑張ろう、というか。終わらないことへの肯定に何か出来ればいいなと思っているフシはありますね。ナイーブな、辛い苦しい作品にはならないと思うんですが、それをもっともっと前向きに、観る人にとってのアンチテーゼになる作品になればいいなと思います。アンチテーゼってテーゼに対して立ち上がってくるものですよね。より良いものになる為の踏み台、というか。「うんなま」という劇団名に変更して、生に対して「うん」というアンチテーゼになる、という理屈を主張してるんです。
__ 
私は今知りましたけどね。
繁澤 
僕も今初めて話しました。いや、さも最初からそれを狙っていたかのように人に会う度主張するようにしています。そうですね、ものすごく大きなものを一角しか見せないというのは創作者としては怠慢なのかもと思う部分もあるんですけど、このエネルギーを以て終われたらなと思っています。「ANCHOR」はビタっと終われたんですが、「search and destroy」はブワっとした推進力をユルく以て終われたらと思っています。抽象的な見方でしか作品を語れないのは僕の悪いところなんですけど。結局世の中ってあんまりうまくいかないし、フラストレイティングで最適解があるのかどうか分からない。みんながみんな幸せにはなれないし、自分も不安だと思ってしまいがちだけどしなやかにゆるやかに、「あなたとわたし」の繋がりとともに踊っていこうぜみたいな、健全な話にしたいと思ってます。
ver.10 ウイングカップ7 参加『ANCHOR』
公演時期:2016/11/4~6。会場:ウイングフィールド。

やりたい限り

__ 
今後、どんな感じで攻めていかれますか。
繁澤 
そうですね、12月に岸井大輔さんの戯曲を上演する機会があったり、1月2月に大阪、東京で出来たり、その次はアイホールで上演出来たり。とっちらかるかもしれませんが、表現欲はたぶんまだしばらく続くと思うんで、無理せず、やれる限り無理したいと思っています。