何かを期待させてしまうような

__ 
お客さんの前に立って見られている時、役者としての理想的自分像は?
菅  
何年か前からなんですけど、お客さんに視姦されるような俳優になりたいという夢というか、理想があります。
__ 
何かを期待させてしまうような人?
菅  
素敵だと感じさせるような。

vol.486 菅 一馬

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2016/春
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菅

質問 山崎 恭子さんから 菅 一馬さんへ

__ 
前回インタビューさせていただいた山崎恭子さんから質問です。「アイドルが好きだそうですが、それは何がキッカケですか?」
菅  
歌詞ですね。特につんく♂さんのメッセージには何回も救われています。つんく♂さんリスペクトです。
アイドルというと、キャピキャピぶりっ子自分大好きってイメージがあるかもしれないんですけど、大きく区切ると、歌手でありパフォーマーなんですよね。一糸乱れぬフォーメーションダンス、そのうえ生歌で16ビート刻んで歌うんです。1日2時間のライブを3回まわしとかするんです。可愛くキャピキャピしてるだけの人たちにそんな事出来ないですよね。みんな毎日努力して歌やダンスのクオリティを上げようとして、頑張ってるんですよね。そんなプライドを持ってアイドルという仕事をしている姿が本当にカッコいいとぼくは思って、応援したくなります。

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2016/春
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菅

自分と・・・

__ 
今後、どんな感じで攻めていかれますか?
菅  
自分と向き合って、自分の肥やしを増やす。です。

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菅

ロンハーマンのマグカップ

__ 
今日はですね、お話を伺えたお礼にプレゼントを持って参りました。
菅  
ありがとうございます。本当に、色んな人のインタビューで色んなプレゼントをされてますよね。
__ 
いえいえ。どうぞ。
菅  
(開ける)可愛い。カルフォルニア・・・。これぐらいのカップが今、無いんですよ。この間割れてしまって。
__ 
お使い頂ければ幸いです。

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2016/春
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菅
山崎 
公演が終わって、一日ぐらい何もしないで過ごそうと思ってたんですけどムリでしたね。ダメですね。ウルフの本が新しく届いたので読んでたり。
__ 
それ以外は、どんな日々ですか?
山崎 
何だろう、何してたかな。部屋の掃除をめっちゃしてました。衣替えをしようとしたら、こんな服持ってたかな、でも確かにこんな服あったわ、みたいなのが出てきて・・・。面白いですよ。毎日着ていた服なのに忘れてるという、この無頓着さ。
__ 
突き放した言い方になりますけど、過去を忘れて前に進めてるんじゃないですか。
山崎 
めっちゃ良く言ったらそっすね。でも真実の所在は物忘れが激しいということだと思います。
居留守
言葉と身体の距離を“いま・ここ”を支点に測ることで重層的な空間を作り上げている。主な作品に、小説家・詩人の多和田葉子の小説をコラージュした『わたしのいるところだけないもない。』同じく多和田葉子の小説を下敷きにした『アルファベットの傷口』、マルグリット・デュラスの『アガタ』とデッサンの教則本『デッサンの眼とことば』コラージュした『あなたよりも、あなたとわたしと一つにしても。』、ガルシア・ロルカの『ベルナルダ・アルバの家』を使用した『べルナルダ家』がある。2016年よりアトリエ劇研想像サポートカンパニー。

居留守「運良く陸地を見つけ、上陸する際の注意点。」

__ 
居留守「運良く陸地を見つけ、上陸する際の注意点。」面白かったです。この作品を作るにあたって、どんな事がとっかかりになりましたか?
山崎 
テキストは自分では書かないのでまず何を素材に選ぶのかから入るのですが。稽古始める前にいくつかの候補があってその中にウルフの「灯台へ」もありました。一つの文章に複数の声が入り乱れている状態、これなら出来そうだと思ったんです。できるってのはなんの確信もなく思ったことなんですが、多分その多声性に演劇的なものを感じたんだと思います。で始め読んで思ったのが、主観カメラで世界を撮影している状態のひとたち、みたいなイメージを持った、なのでライヴカメラを使いました。
__ 
終わりのあるような物語ではない、抽象性の度合いの高い構成の演劇作品。その中で、言葉はどのように存在しましたか?言葉は一つだけでは存在出来ない。不連続体としての言葉は存在するだろうか。
山崎 
言葉を語る時に、身体を引き合いに出すのが私はやりやすいのでキーワードとして出すんですが、たとえば「波」はわかりやすい空間や時間設定がなくて、言うなれば人の脳味噌だけがスペースとしてあるんです。この小説には「部屋」という言葉が頻出するんですが、それが「脳の中」だと私には思えたんです。脳みそも体ですが、脳みそというか脳内で精製されるヴィジョンが登場人物の住処な感じで、それはフィジカルではないといってもいいと思う。
__ 
脳の中。
山崎 
脳の中つまりイメージやヴィジョンをどうしたら身体をもっている俳優が発語できるのか、ウルフの言葉のどうしても身体にまとう事が出来なさみたいなのをクリエイション中すごく感じていて。でも、居留守はそこを面白がっているんじゃないか。ただ、それらが分離している状況をずっと観続けるのは厳しいし、それだけを見たいという訳でもないな、と思っていて。一瞬、まとえている状態を見る時に快感を覚えるんです。ウルフの言葉とそれが俳優の身体がどんな距離感を持つか、に興味があるんですね。
__ 
身体と言葉との乖離に興味があるんですね?
山崎 
多分、言葉は元々自分のものではないという感覚があるんです。今は日本語で考えてるし喋ってるけど、スペインに生まれたらスペイン語を喋っとるよ、と。それが出発点になってるのかなと自分では思います。よく思い出すのが出身が雪国なので冬にものすごく雪が降るんです、そうすると雪が音を吸収して本当に静寂が降りてくるような状態になる、私アホな子供だったんで雪が積もってる中外に出て誰もいないな畑とかで遊んでたんですけど、当然時間が経つにつれて体が冷えてくる、本当に寒いと“寒い”じゃなくて“痛い”になってくるんです、そうやってその感覚を言葉で追っているとだんだん体が冷えて自由が利かなくなって体がただのモノになる、感覚を捉えていたはずの言葉が漂白されて身体が漂流する、自分のモノなのに自分のモノじゃない、それは誰かの言葉を借りると、モノと非モノ、客体でありしかし内面を持った客体、とを行き来する状態になるんです、ちょっと言語化しにくいですが、それが体と言葉の関係について考えるときに実感としてもてる言葉と感覚です。それの経験を通して言葉と身体を理解しようとしている感じはします。
__ 
言葉と身体が接岸する瞬間と、全く離れている状態。この二つの状態の隔たりは凄いですね。でも、接岸する時は訪れる。
山崎 
そうですね、多分接岸する条件として「人が見ている」という要素が確実に存在していて、それは眼差しの要求に答えているんだろうなと思います。彼岸と此岸にあるものが出会ってしまう瞬間、それは決して俳優による役の人格や感情の演技というコンテキストに依ったものではなく、演出として「そう見えてしまっている状態」を作りたいと思っているのじゃないかと思います。
居留守「運良く陸地を見つけ、上陸する際の注意点。」
公演時期:2016/9/23~25/31。会場:人間座スタジオ。

役柄の意義をどこにおくべきか

__ 
前回インタビューさせていただいた大原研二さんと、役作りについて話したんですよ。役作りはやっぱり、言葉をセリフとして発する為の積み重ねで、そこには様々なアプローチがある、と。その人物の価値観がつまりその人の生き方ですから。山崎さんは、そういうアプローチではなく、演出として、身体と言葉の重なる瞬間を作ろうとしている?
山崎 
役作りというのは、もしかしたら必要なのかもしれない、でも、役作りとかその役の背景の重要性は、その一人のひとを取り巻く空間がどうなのか、に思えるんですよ。内面がどうであるというよりも、その人がそうなってしまう環境の方が私にとっては重要なんですね。その空間ってのはアクティングエリアなんですけど、そこで人物の状況が可視化されている状態の方が面白いと思うんです。だから、内面にはこだわらないですね。でも、ちょっと話の流れが変わってしまうかもしれませんが、12月に再演っというかウルフのテクストを使ってまた作品を作ろうと思っていて、今その稽古をしていいるのですが、その作品の中心のテクストに9月にも使った『波』を中心に置こうと思っています、このテクストはどうしょうもなく読み手の個人的経験を要求してくる。ものすごく断片的で、断片的だからこそそこに余白ができて、その余白を埋めるために読者の経験のようなモノを要求してくる、その経験にウルフの言葉が再びフレームを与えて、読み手の内面をえぐってくる、それとをどう空間に落とし込んでいくのかにかなり苦戦しています。

そして聞き手はどう存在しているべきだったのか

__ 
「運良く」を拝見していたとき、私は4回から6回寝ました。原因は何故かを考えたんですが、それはもしかしたら、役者が他の役者の言葉を聞いていない、と感じたからじゃないかと思うんです。会話劇において、観客は、喋っている役者の方を観ながら、白目で、もう一人の役者の方を観ている。聞いている役者と自然に同調しているに違いないんですよ。居留守の場合は、やり取りが無かった為に情報の流れを掴めずに意識が付いていかなかったのではないかと思う。
山崎 
いま言われて気づいた事ですけど、喋るという行為は聞くという行為がなければ成り立たない、その聞き手は“あなた”であっても“わたし”自身であってもいいのだけど。聞き手がいないと喋れないというところはあって。でもその状態が、カメラで撮られてしまっているシーンときっとリンクするだろうなと。
__ 
なるほど。
山崎 
それと、ブレイクがない、というのは、お客さんには言われました。ずっと緊張しっぱなしで。

断絶

__ 
そしてもちろん、居留守の追求している「テキストと身体の断絶」には可能性がある。役者がセリフを喋っていながら、そのそばから身体と言葉がどんどん断絶していっている。その面白さは確固としていました。
山崎 
言葉を強く意識しながらもそれをどんどん遠ざけている、遠ざかっている感じ。言葉に溺れるという感想も貰ったんです。もちろん全て伝わるとは思っていなくて、重要なキーワードだけ伝わればいいとは思っているんですけどね。演劇枠組みの中でも重箱の隅をつつくみたいな作品はどこまで許容されるんだろう。「芸術家は芸術家らしく自分の道を行ったらいいんだよ」というのはおこがましいというか、一人でやってろよ、と思われるのかもしれない。ではどうやって、アプローチというか、橋を作るべきなのか。
__ 
私としては作品自体に構成を設けて、分かりやすく見せた方が理解されやすいと思いますけどね。でもそうするとまた一つのストーリーになっちゃいますけどね。
山崎 
美しい宗教画の、グリッジというか、原型を止めない感じの平面作品が凄く好きなんですけど、それは原型を知っているから分かるんですよ。それこそ破壊のみでいくのか、原型を見せて破壊を始めるのか、全然違うんですよ。例えばロミオという役柄がいて、それがどう破壊されてしまうのかを見せるのがお客さんには親切だとは私も分かってるんです。けど、ホンマにそれをするのか?と考えると、別にそれはええんちゃう、と。ワガママさというか、大人になれないというか・・・。
__ 
観客も、タイプによっては、破壊される様を観たいと願っている人もいるでしょうね。そういう人は個人の事情を客席に求めがちでしょうね。芸術を求める人にこそ要求される舞台なら、そういう方たちへもっと訴求すべきなんじゃないか?
山崎 
全員に分かるエンターテイメントを作っている訳ではない。なら、自分が思っていることを誠実さを持って突き通すのが、当たり前ですけど必要ですよね。脱線しますけど、共感して泣くって面白いなと思う。誰かに起こったストーリーに泣くというのは、「自分は一人ではないんだ」という再確認をしているのではないか?と思って。共有する事で確認する、それは悪い事ではないし物語の持つ力だと思うんですけど、そういう人に「いやいやあなたはやっぱり一人だよ」と確認させたい気持ちもある。あなたは一人だから泣いている、のだと言いたい。
__ 
一人に立ち返る瞬間。
山崎 
なんていうか、例えば舞台上に家庭用の扇風機が置かれていて、その風でレースのカーテンが機械的に揺れている、カーテンが風に揺れるってロマンチックというか感傷的なイメージなんですけど、たとえばそれにちょっとセンチメンタルなセリフがあって涙がでるとする、つまり感動するとする、でも、それは作られた感動で仕組まれたものだからそんな安っぽいものに心を動かされていることを嘲笑ってやりたい、っと一方で思いながらもその感動自体をわたしはとても大切なことだと思う。独りよがりな自己満足の世界を嘲笑ってやりたい、でも同時にもしかしたら独りよがりな自己満足はとても柔らかくてはづかしいもの、そのはづかしさってもしかしたら重要なのではないかと思う。先と言っていること食い違っているかもしれませんが、でも多分一つのことを言いたいのだと思う。

演劇に触れた瞬間

__ 
演劇を始めたのはいつからですか?
山崎 
小学校3年の頃です。母が演劇好きで、進められて。大阪の知り合いがやってるから、そこに行こうと。演劇というよりも都会に憧れて、みたいな感じです。でも結局演劇じゃなくてバレエとかジャズとかコンテンポラリーとかのダンスを中心に習い始める。でも、父が彫刻家で、その影響もあって高校まで画家になりたかった。小さい頃の夢はゴッホでした、でもあの人おかしくなって死ぬじゃないですか、ちょっとそれは勘弁願いたいなっと思ってた。画家みたいに一人で黙々と自分と向き合うみたいなものに強い憧れは今でもあります、でも一人でやってたら死んでしまう人種もいるから、私じゃない別の誰かと作品を作った方がなんかたのしそうだな、と、ってか一人でキャンバスにむかってるとなんか嫌になってくるんですよ、刺激がないから。でも演劇を始めたのは大学3回生からです。入学してから3回生の冬まではダンスをしてました。踊るのも好きです。身体は見ていて飽きないから。

質問 大原研二さんから 山崎 恭子さんへ

__ 
前回インタビューさせていただいた、大原研二さんから質問です。「今ドライブに行くなら、どこに行きたいですか?」
山崎 
海に行きたいですね。もうちょっと寒くなってからかな。誰もいねー、って。掘ってみたら何も出てこなかったな、ってやりたい。内陸出身なので海に憧れがあります。長野県。
__ 
長野県には海がない。
山崎 
すっごく昔にはあったみたいです。鯨の骨が出てきたらしいですよ。むかし博物館でみたような、もしかしたら記憶の捏造かも、憧れって怖いですね。

戯曲と脱構築を行き来する

__ 
今後、どんな感じで攻めていかれますか?
山崎 
多分、同じような感じでやっていくと思いますが、戯曲の方が分かりやすいので、そちらに一度戻ってもいいのかなとも思いますし、交互に行き来しながら作品を作ろうかな、と。
__ 
テキストと脱構築を行き来する。
山崎 
戯曲をわざわざ壊すのは、そもそも戯曲や物語にこだわりがない、でも演劇は戯曲を使った方が効率が良い・・・うーん何て答えたらいいのか(笑う)もっとざっくりした質問に買えちゃいますが、過去書かれたテキストを使うのは何故かというと、残っているものはつまり歴史を持っていて、そこを信じている、というのはありますね。絶対に。そう考えると、小説でも戯曲でも構わなくて。

とても美しい石鹸(暗い沖と明るい水内際、そして誰も足跡を付けていない浜辺を閉じ込めたような)

__ 
今日はですね、お話を伺えたお礼にプレゼントがございます。
山崎 
ええっ。いらんいらん。いいんですか。
__ 
もちろんです。
山崎 
開けていいんですか?
__ 
どうぞ。
山崎 
(開ける)あ、ありがとうございます。きれい、海っぽい。

最近のこと

__ 
今日はどうぞ、よろしくお願い申し上げます。最近、大原さんはどんな感じでしょうか。
大原 
最近は本当に、舞台の仕事ばっかりで。ちょっと無理言って演劇の仕事ばかりさせてもらっていました。結果として色々と気づくことがあって。意外とまだまだやれることがあるな、とか、もっとこうすることができたらいいのに、とか。小劇場界だけじゃなく、演劇界・映画界ひっくるめて演者がやりやすくなるための諸々の課題にぶつかることができました。ある演出家からは「君のやり方はキチガイか」と言われました。今年は本当に面白かったです
__ 
素晴らしい。キチガイは褒め言葉みたいなところありますよね。
大原 
一緒にやりたいと思う人たちにもそういう部分はあるから、変な話ですけど、励みにはなりますよね。
DULL-COLORED POP
2005年11月、明治大学文学部演劇学専攻および明治大学脱法サークル「騒動舎」を母体に、『東京都第七ゴミ処理施設場ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』で旗揚げ。主宰・谷賢一を中心にゆるやかにメンバーを入れ替えながら活動する演劇ユニット。重厚な悲劇からくだらないコメディ、ロック・ミュージカルや翻訳劇まで手掛け、演劇の可能性を隅々まで追求する欲張り劇団。人間性の最も暗くグロテスクな一面を、物語性に立脚したあくまでポップな言葉とスタイルで描きたい。(公式サイトより)

悪い芝居リインカーネーション「春よ行くな、」

__ 
悪い芝居リインカーネーション「春よ行くな、」もうすぐですね。
大原 
そうですね。
__ 
私は一番最初のステージを拝見します。
大原 
是非是非、楽しみにしていただいて結構です。僕も初演を拝見していて(実はそれが山崎彬君の作品を見た最初のものでした)、彼はすごく自分自身の作品を作る人だなあと思いました。再演に選ばれたのも分かる気がします。山崎くん自身も、劇団初の再演として「春よ行くな」が選ばれるのは自然だったみたいで。彬くんにとってもひとしおの印象が残っている作品なんだなあ、と。
__ 
個人的にも存在感のある作品です。恋愛の不条理感そのものに向き合わせてくれるというか・・・私にとっては大事故のような出会いだったんですよ。
大原 
僕は外からも中からも見ているから思うんですけど、ドラマチックな事が起こる作品ではないじゃないですか。大きな出来事があってからの話。じんわりじんわり、奥の方をなでられていくような手触りみたいなのはより感じます。これがこの作品の肝なんだろうなと思う。この間彬くんも言ってたけど、言葉にならないけれども言葉にしようとしている何か、みたいな奴が立ち上がってくることを期待していて、お客さんにも「何だこれ」と思ってもらえるようなことを期待しています。
__ 
この戯曲、人間が葛藤に直面してどうこうという話ではなく、起こってしまった過去にひたすら傷付けられる。それをもう一度見るというのは、どういう体験なんだろう。
大原 
キャストが変わって、若干の書き直しもあって。登場人物全員コミュニケーションが上手じゃないんですけど、そんな中でもみんな幸せになろうとしてるじゃないですか。賛否あれど。そこがもどかしくも愛おしいところですよね。絶望してたらもっと何も起きないし、もぞもぞしないで生きていけるんだろうなあ、むしろ生きていけるんだろうなあ、全員まだ幸せになりたいという希望を持てているから苦しくて、愛せちゃうんじゃないかなあと。
__ 
見ている側はたまったものじゃないですけどね。
大原 
僕自身、今回の「春よ行くな、」の反応が読めなくて。自分としても見に来てほしい作品です。スカッとする芝居じゃないし、心がキュウッとするんですけどそれは希望の裏返しだから。観ている人も絶望していたら多分ムズムズしない。それは自分を何とかしたいという心の証なのかもしれない。是非見に来て、ムズムズしてほしいですね。
悪い芝居リインカーネーション『春よ行くな、』
【作・演出】山崎彬 【美術】杉原邦生(KUNIO) 【音楽】岡田太郎

純愛と偏愛のあいだにある溝に挟まって身動きが取れなくなった人間たちは
舞台一面に広がる空っぽの客席から睨む存在しない無数の目に怯え
やがて劇場から逃げ出した

2013年に散った悪い芝居vol.15『春よ行くな』が人知れず再び咲き誇る

愛や情や正義や希望に姿を変える前の
言葉や行為や花束や歌や演劇に姿をかえる前の
「なにか」

上演してしまった瞬間に消えてしまうその「なにか」を『春よ行くな、』と呼んでみたい

過去を今だと感じ今を未来だと信じられないすべての人たちに送る異情演劇です

春よ行くな と叫ぶときには もう春は 行ってしまっている

出演
奥田ワレタ (クロムモリブデン)
大原研二 (DULL-COLORED POP)
永嶋柊吾
片桐はづき
北岸淳生 (悪い芝居)
斎藤加奈子 (ろりえ)
植田順平 (悪い芝居)
山崎彬 (悪い芝居)

京都公演
終了しました。
2016年9月22日(木・祝)~26日(月)
京都芸術センター 講堂 地図
東京公演
2016年10月4日(火)~10日(月・祝)
テアトルBONBON 地図

4日(火) 19:00 [A]
5日(水) 19:00 [B]
6日(木) 19:00
7日(金) 19:00
8日(土) 13:00/18:00
9日(日) 13:00/18:00
10日(月・祝) 14:00
※受付開始は開演の1時間前。開場は30分前

[A][B]]はアフタートークあり
[A] … 谷賢一 (DULL-COLORED POP) さん
[B] … 奥山雄太 (ろりえ) さん

一般:3900円
学生:2900円 ※要学生証
※全席指定。税込。当日は各500円増。

ずらされている言葉

__ 
意気込みを伺えれば。
大原 
今回は珍しい役柄なんです。いつもはもっと派手な演技が多い役所なんですけど(現代劇なのにギリシャ悲劇のような)、今回は本当に生々しいシーンも多いんですけど、とっても自然体に近い演技体だと思います。言葉に出来ない何かが体に乗っている状態。普段とはちょっと違う状態で演技してるなあと思います。それが段々と楽しくなってきてますね。
__ 
最初は違和感がありましたか。
大原 
普段自分が重要だと思っているのは言葉なんですけど、それにノイズになってしまうような身体の動きが多かったり、あとは「たどり着けない言葉を出してほしい」と演出されたり。どういうことかというと、しゃべっている本人にもそこまで確信が持てない状態、という・・・それは、大丈夫なのか?と最初は思っていました。本当にもぞもぞせざるを得ない状態って。でもそれが今は楽しいですね。お客さんにどう届くのか、反応が待ち遠しい。今では、多少なりとも、行きたいところに手が掛かっている状態です。
__ 
もぞもぞする・・・。ですよね。あーと・・・私、時々たまに、左中指の内部の筋の、掻けない部分が痒くなるんですよ。それは筋の内部の連動の問題だけじゃなくて、人体っていろんな機序を内部に持ちながら外界内界の様々な仕組みにさらされながら揺らいで、その中で適応するために日々色々なシステムを改良したり編み出したり保守したりするじゃないですか。生殖もある。ただ、この痒みはいやにハッキリすぎていて、何らかの過ちでも犯さない限りここまでにはならない。
大原 
一つのバグのような痒み?
__ 
一つには、変な力の掛け方をしているからなんじゃないかと思っています。それには絶対に生き方が影響していて、だから、リラックスは人間の獲得した高度で悲しい身体制御だと思う。だって獣は死んでも出来ませんからね。
大原 
なるほどね。
__ 
「春よ行くな、」の「むずむず」は、身体がリラックスしているときに突然襲う反響のようなものなのではないかと思う。
大原 
むしろ、リラックスした状態、構えていない状態から生まれているそれは、とても本人性を反映しているという事ですね。それは言い得て妙かもしれませんね。人間って結局、伝えたいからこそ言葉を選ぶし探している。捕まえられる人はともかく、捕まえられない人は、何もない状態でいるしかない。その場の反応に寄りながらしゃべるしかない。やっぱりそこにはその人だけの生きざまが出ちゃうんでしょうね。
__ 
そうですね。
大原 
掴まれる言葉もないし、揺れながらしゃべるしかない。僕自身は多分真逆なんですよ。捕まえてから喋りたい、それまでは喋りたくないかな、誤解は言葉の産物だから、簡単に出てくる言葉じゃなく、せめて自分が捕まえた言葉で喋りたいですね。「春よ行くな、」の登場人物は、僕からすればものすごくチャレンジャーで、ある意味そちらの方が自然なんでしょうね。

質問 西村 麻生さんから 大原 研二さんへ

__ 
前回インタビューさせていただいた、VOGAの西村麻生さんからの質問です。「落ち着く場所を教えてください」。ちなみに西村さんは美術館、だそうです。
大原 
最近は、意外と、自分の家が好きです。特に自分から落ち着くようにした訳じゃないんですよ。家の中のものをほとんど全て居抜きみたいな感じでもらい受けたんですけど、だから全然手を付けてないので生活感があまりないんですが、キレイに維持されていて。ぼーっとするにも考えごとをするにもちょうどいい。最初に今の家に会った時から、ここをきちんと自分の家にしようと思ったから、かな。「帰ってきた」というスイッチの切り替えが出来ていますね。

矛盾、と、届かないところ

__ 
最近、俳優として考えているテーマは何ですか?
大原 
さっきもちょっと言ったんですけど、言葉の使い方というか、その言葉を選んだ、使わざるを得なかった背景というのがあるんですよね。いい俳優さんって、その言葉に反映されている価値観や背景が聞こえてきて、何でもないセリフから聞こえてきて感動する。その積み重ねが、人物そのものを紡いでいて、人間だから太刀打ち出来ない矛盾とか葛藤、ただ喋っているだけでそこに届くような事があるんですね。その瞬間が好きんですよね。僕はどれだけ、その人物の価値観に裏付けられた言葉に近づけられるんだろう。一語一語に人物が乗り切らないこともあって、その乗り切らないという事自体もまた人物の性だったりする。それを紡いでいけたら、僕の好きな瞬間が起こせるんじゃないかな。という事は考えています。この間長塚圭史さん演出の「浮標」の再々演を見たんですけど、言葉で伝わってきたものが、再演とは劇的に受け取るものが違ったんです。楽屋に挨拶に行かせてもらったんですが、ちょっと熱っぽくなってしまってました。感じ取れるものの量が劇的に変わっていて。再演もおもしろかったけど、再々演は俄然面白い。作品が育つ、という事があるんですね。芝居が深まるって、こういう事なんだなあとそのとき思ったんです。
__ 
役者は喋れますからね。
大原 
そう、ダンサーと違って、役者は真っ正面からセリフを喋る、というのが大前提というところがあります。そうなると、言葉からは逃げられない。とはいえ、セリフを言う機械であってはならないんですよね。そんな中の「春よ行くな、」ですね。
__ 
俳優って、テクニックを用いて、価値観そのものを問い直す仕事なんじゃないかと思っているところがあります。言葉を通して価値観を作ったり壊したり、それはもちろん人生で誰もがしている事で、しかしそれを「上演」するのは役者だけですよね。
大原 
お芝居という大仰な言い方をしなくても、誰しもが演じている。でも、セリフを言うという行動は、普段の自分たちに出来るかというと別で。目の前にある「コーヒー」を指した時でさえ、各々にとって味も受け取り方も違う。それぞれが背負っている価値観はそれぞれに違う、ということがはっきりしたときが面白い。役者はそこを自覚しながら、無意識でいることにしなければならないというところがあるので。そこで結局、テクニックが必要とされるのかなと思います。

心の積み上げ

__ 
最近、児童心理学の本を読んで影響されまくってるんですけど・・・
大原 
ははは。
__ 
心は幼児から積み重なるようなモデルで成長していくらしいんですね。それは人類共通で。そこに精神医学は成立していると思うんです、そして、俳優も演技をするときに、心の機序を無視して役作りをすることは出来ないし、また一方では、それを無視した方がいい場合もある。
大原 
そういう部分でアプローチする人もいるし、離れようとする人もいる。どんなやり方をするにしても、役作りするうえで意識する意味はあると思います。見ている人にも同じように心がありますからね。
__ 
役作りという、ありふれていながら非常に謎めいた作業。もしかしたら、そのあたりもお客さんが楽しめるようになったら、きっともっと面白いと思うんですよ。
大原 
それに触れられるようになったら、どのぐらい反応があると思われますか?実は自分も自主稽古を開催していて、誰でも来て良い、僕が好きな役者さんと試したいことをするだけの時間なんですけど・・・役者が、どんな事を考えているか。お芝居をあんまり見ないけれども、潜在的に興味のある人がきっといて、そんな人に見てもらいたいと思うんですけど、中々来てもらえず(笑う)果たして、どれぐらい面白がって貰えるのかな、と。
__ 
役者のテクニックって、見えにくいし数値化出来ないし、でも実感は強いし確固としてそこにあるし、つまり主観そのものだから。でもそこに付き合うと非常に新鮮な知的満足があるんです。文学的な。
大原 
だから、エンタメ的な楽しみ方ではないですね。
__ 
そうですね、でも、知的満足という言葉だけでは括れない何かがある気がしています。というのは、最初に大原さんが仰っていた事が引っかかっていて、「役者が演じている人物のセリフが、その人物が本当に言いたい事や価値観に届いていない瞬間」。私はその瞬間は非常に面白いなと思っていて。幼児の泣き声が聞く人の心を締め付けるのと同じで、あれは「悪いお母さん」への恨みだったり、表現する事の出来ないムズムズだったり、そういうもどかしいモゾモゾするような演技体なんですよね。もしそこを演劇ベースで取り扱うことがあったら、これは興味を引くと思います。
大原 
いつも観て下さるお客さんがそういう楽しみ方をしてくださるのはやっぱり、なんとなく分かります。演技の深いところまでマニアックに追求する人を目の当たりにすることで、そういう知的な満足があって、お芝居が面白いという認識がもっと深まったりしないかなあと期待しています。もしそれが広まるんだったらもっと色々なところでやりたいなあと思っています。でも何せ、求める人がいないんだったら難しいですからね。
__ 
もしこれを読んでいて、興味がある人がいたらぜひ。
大原 
是非。本当に、そういう瞬間を楽しめる時間を用意します。

これから

__ 
お芝居を始めた頃に衝撃を受けた作品は?
大原 
惑星ピスタチオの「破壊ランナー」です。当時知り合った人たちに話を聞いて、こんな演劇もあるんだなあと。
__ 
いつか、どんな演技が出来るようになりたいですか?
大原 
あはは、夢みたいな理想でいいなら。舞台の上で、何か知らないけど期待してしまう人。何でもないんですけど注目してしまうような役者。どんな空間にするのか、何をするのか、そこにいるだけで期待してしまうような役者さんが素敵だと思います。夢です。
__ 
それはそうなっていると思いますけどね。
大原 
ははは。
__ 
今後、どんな感じで攻めていかれますか?
大原 
結局、手強い人たちとストレートプレイをやりたいと思ってるんですね。ここ数年は舞台を詰め込んだんですけど、それも善し悪しで、色んな機会を逃しちゃったりしたので。少し、とんがった会話劇を、上の人たちとやれるように首を突っ込んでいける時間をかけようと思っています。その代わりに、もうちょっと映像の仕事を作る機会を作りつつ、むしろ舞台にも出る機会も・・・って、こんな事言うとお前映像の仕事やる気ないだろと思われそうですけど(笑う)