ピアノって絶対に本性が出るんじゃないか

__ 
ピアノをやっている時の感覚について。「芽吹きの雨」と「キャバレーナイト」で劇伴をされていましたね。「キャバレーナイト」は原作の疾走感を拡大解釈して奇妙でハデな世界にしていました。寂しい曲も激しい曲も弾かれていた三木さんが素敵でした。どんな感覚で弾いていましたか?
三木 
普段の演奏の時とは違いました。私はまず、普段は自分の中でストーリーを作るんですよ。こう言うストーリーを表している曲だ、と、情景を具体的に思い浮かべて。でもキャバレーナイトの時は、路地から来たオバ達の役として弾いてくれと言われていたんです。だから私としてでは無くオバとして路地から見送ってきた者達への想いを鎮魂歌にのせたんですね。自分の気持ち的にもの凄くしんどかったんです。自分が見送ってきた者を思う気持ちがずっしりとあって。あのまま終わっていたらしんどかったと思うんですけど、でもその後のキャバレーのシーンでは華やかに吹っ切れていました。私もキャバレーのお嬢さんの役でしたし。私としてではなく他の誰かとして演奏する。不思議な感覚でしたね。
__ 
そうですね。
三木 
私が大学を出てから演劇に関わろうと思ったのは、ピアニストの出てくる作品を見た時、「絶対にこの役柄の人はそんな弾き方はしないだろう」という違和感なんです。ピアノって絶対に本性が出るんじゃないかと思うんですね。大学の先生はいつもはフワフワしてはる人なんですけど、いざという時はパシっと言う人で、門下生はみんな「こっちが本性だな」と思っていました。そしたら実際演奏もパシっとした感じで。本当の性格って音に出るんですよね。そういうのが分かっていると、劇中での演奏の仕方と役柄の性格に違和感を感じたりするんです。繊細なキャラクターのはずが、音楽の弾き方がバリバリしてたり。代弾きする人も、役者と同じぐらいその役について研究するべきなんじゃないかなと思うんですよね。だから、お音楽だって性格があるんだと、それを表現したいなと思って演劇を始めました。

vol.425 三木 万侑加

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2015/春
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三木

でも、最近はちょっと、楽しもうと

__ 
「お酒に酔っている時にこそその人の本性が出る」、とよくいいますよね。俳優や演奏者にしても、集中が高まるにつれ陶酔状態になるのかもしれません。それは無意識状態になる、とも言われていますね。先日インタビューさせていただいた吉見拓哉さんが仰っていたんですが、彼はそういう状態には大きく「トリップ」と「メディテーション」の二つがある、と。彼は仏教に造詣が深いのですが、トリップは自己を忘れた破壊的な衝動に基づく酩酊であり、「メディテーション」は自己に沈潜し調和の世界に溶け込んでいく、うんぬん・・・
三木 
メディテーションしているような状況になった時は、「芽吹きの雨」をヴォーリズ学園の記念祭でやらせて頂く機会があって、その時が近いかもしれません。学園の創設者、一柳満喜子さんが弾いていらっしゃったピアノを特別に使わせて頂くことになって。目の前に満喜子さんのお写真があって、見守られている感覚が出てきて。で、後ろから満喜子さん役の飛鳥井かがりさんの声が聞こえてきた瞬間に涙が出てきて、フアーってなったんです。飛んでるみたいな溶けていくみたいな感覚でした。外的な要因があると、持っていかれるような気がするんです。トリップだったり無意識になる時は内的な要因が多いと思いますね。
__ 
無意識になる事もある?
三木 
私は入り込んでしまうんですよね。ピアノの置き位置上お客さんに真正面を向いて演奏する事が少ないですけど、その時にグァっと入り込んでしまうんですね。でも、私らしく演奏していると言われる時は、そう言う時になりふり構わず弾いていた時ですね。誰かが聴いている、採点しているとかは全く気にせず、自分の演奏を聞いてくださいというワガママを言っている状態。酔に酔って周りが見えていない時。自分の常日頃抑えている感情が爆発している時、ですね。私は大学がカトリック系だったんですけど、音楽は神に捧げる演奏と言う前提はあるにせよ、自分の事を伝えようとしている時の方が感情的になっているのかな。だから、例えば学生の演奏の方が自由なんですよね。先生方の演奏はテクニックが凄くて、あの技は凄いなとか思うんですが。
__ 
なるほど。どちらが良いとかではないのかもしれませんね。
三木 
私の場合ですが、聞かせたいメロディがあったら、そこは無意識でも弾けるまで練習します。意識している時点で前後とつながらなくなる気がするんです。ここは盛り上げたい、なら、無意識のレベルで出るまで・指がメロディに持っていかれるぐらいの勢いで、自分の感情を導かないといけない。多分お芝居でも同じだと思います。私は基本は無意識でやる事が多いんですよ。先日、映画監督の武正晴さんにWSでお世話になった時、「無意識だけじゃダメなんだ」と実感して。お芝居で完成させる時には、ちゃんと狙ったところに何かをしないとダメだと。もちろん、狙いだけで行ってもダメ。無意識から出た事をちょっとだけ大きめにすること。・・・意識と無意識を、この五月に考えに考えたんですよね。その時改めて、ピアノも演技もダンスも、表現するって全部繋がってるんだなと思いましたね。難しいですね。でも、最近はちょっと、楽しもうと思っています。
__ 
楽しむ?
三木 
二年程前にコンドルズの近藤良平さんに「どうして踊っているんですか?」って聞いたんですよ。私は「何かをやるんだったら良いものが生み出せないと、と思っているのですが」と。そうしたら、もちろん良平さんには何か考えていらっしゃるものがあると思うんですが、私が思い詰めているのを察されたのか、「そんな事考えなくてもいいんじゃない?楽しかったらいいんじゃないか、楽しいという気持ちは重要だよ」と。その時は単に、そうなのかなと表面的に理解しただけだったんですが、最近改めて考えたら、これまで続けてこれたのは楽しいという気持ちがあったからだし、楽しいから・楽しそうだからやってみようというのは大切なのかもな、と。

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三木

誰かの感情を動かす

__ 
いつか、こういう演奏が出来るようになりたい、等はありますか?
三木 
何だろう。私、誰かの演奏を聞いて救われたと思う事が多いんですよね。私もいつかそう言われたいと思っていたんですが、今でもそれは多分あるんですが、自分のそばにいる人の為に演奏したいんですね。私にとっては両親、特に母なんですが、私がピアノでのお芝居でも、表現の道を選ばせて良かったなと思ってもらいたいんですね。究極的には、自分が想う人に幸せになってほしいんだと思います。
__ 
報いたい。
三木 
誰かの感情を動かす事をしたい。幸せな方向に気持ちが動くようにしたいんですね。例えば、悲しい曲を聴いたとしても「生きていて良かった」と思ってもらえるような。それは自分のエゴかもしれないですよ、そういう安心なのかもしれないし。でも、それは私にとってはお金以上の安心なんですよね。良かったよって千円渡されるよりも、誰かの気持ちが動いた方が私にとっては安心なんです。
__ 
スレた、ビジネスだけのやり取りじゃない、濃い感情のやり取りですね。
三木 
お金を稼ぐ事が価値だという人もいるし、誰かの役に立ちたいという人もいるし。でも今の私は誰かの幸せの為になってほしいなと思っているんですね。もちろんお金を稼ぐ事も大事なんですがそれが第一条件ではないと言うか。例えば思春期って自殺したいとかすぐ思っちゃうじゃないですか。でもその翌日にいい映画を見たら、その映画を見る為に今まで生きてきたんだって思える。なんか、そういうものを作れるようになりたいと思っています。

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三木

質問 田辺 剛さんから 三木 万侑加さんへ

__ 
前回インタビューさせていただいた、下鴨車窓の田辺さんから質問を頂いてきております。「お気に入りの喫茶店があったら教えて下さい。」
三木 
あ、田辺さん。ええと、梅田にあるカフェーヌですね。とても落ち着くお店です。大学時代からたまに行っています。奈良だったらフランツ・カフカですね。背の高い本棚が壁一面にある、静かなお店です。田辺さん、本がお好きそうなので、カフカがオススメですね。
__ 
今興味のある人・分野はありますか?
三木 
何にでも興味を持つので・・・でも、次に参加するCHAiroiPLINの芝居の作り方に興味があります。お話を聞くところによると、皆で案を持ち寄ってばーって作っていくみたいなので、それがどんな感じか興味があります。東京で、今までにないぐらい長期滞在するんです。滞在で何かが変わったらいいなと思っていますね。1を10や100にするのはこれまでやってきた事だから慣れているし得意な方なですけど、0を1にするのはとことん苦手で。自分には向いていないんじゃないかと思う事も多くて。変われるキッカケを掴めたらいいなと勝手に期待しています。
__ 
創造する力、ですね。
三木 
そうですね。周りにはそれが上手い人が多くて。しかもその時に、ちゃんと相手の事も考えたやり方を取る人もいて。すぐにそんな風にはなれなくても、そうなれる様に今回も何かを盗んでやろうと思っています。

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三木

方向性を探しながら

__ 
今後、どんな感じで攻めていかれますか?
三木 
一箇所にとどまっているのはあまり好きじゃないんですよ。だから自分に合うのはフリーランスという形なんですかね。せっかく身軽なんだから、色んな事をしようと思います。漠然としていますけど。大学を卒業して3年経つんですが、20代の間はまだまだ勉強だと思っていて、でも勉強しつつもそろそろ方向性を探していきたいな、と。とは言えそれを探すのが人生だと思っているところもありますので、多分一生探し続けるんだろうなと思います。
__ 
分かりました。ありがとうございます。

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三木

デッドストックのティーカップ

__ 
今日はですね、お話を伺えたお礼にプレゼントを持ってまいりました。大したものではないんですが。
三木 
ありがとうございます。嬉しい。(開ける)あ、素敵じゃないですか。東京に行くとき、食器をどうしようかと思ってたんですよ。
__ 
デッドストックのティーカップです。
三木 
めっちゃ嬉しいです。ふふ。


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三木

下鴨車窓 #12『漂着(island)』

__ 
今日はどうぞ、よろしくお願い申し上げます。最近、田辺さんはどんな感じでしょうか。
田辺 
いまはちょうど、下鴨車窓の新作「漂着(island)」のツアーの中休み中ですね。6月に京都があって、香港・マカオと行って、つい先週大阪で公演を終えました。国内外で6都市で上演するんですが、残りはお盆明けに三重と東京で上演する予定です。
__ 
ありがとうございます。ツアーの手応えを教えていただけますでしょうか。
田辺 
そうですね、香港・マカオには沢山のお客さんに来ていただきまして。すごく熱心に見ていただけたのは凄く嬉しかったです。日本の国内バージョンを縮めて1時間にして、一人で語る長い台詞は字幕ですべて出して、短い会話のやりとりは何の話をしているのかと説明を字幕にするという形で。ちょっと頑張って見ていただかないといけない仕掛けになっていたんですけど、熱心に見ていただいて。アフタートークでもずっと質問が出てきて。字幕の情報が少ないからこそ面白がっていただけるお客さんもいて。トークが終わってからも楽屋まで追いかけて質問してくださるお客さんもいました。賑やかな公演になったと思います。嬉しかったですね。
__ 
ありがとうございます。手応え充分という感じでしょうか。
田辺 
そうですね、これが次に繋がればとても嬉しいですね。
下鴨車窓
京都を拠点に活動する劇作家・演出家の田辺剛が主宰するユニット。公演ごとに出演者を募る形を取る。
下鴨車窓 #12『漂着(island)』

孤島に流れ着いた
瓶詰めの手紙が呼び起こす
記憶と出発の物語
脚本・演出:田辺剛
出演:藤原大介(劇団飛び道具)、柏木俊彦(第0楽章)、福田温子(てがみ座)、飯坂美鶴妃(枠縁)、菅一馬(デ)

【三重公演】
会場:三重県文化会館
日時:
2015/08/22(土)18:00~
2015/08/23(日)14:00~
【東京公演】
会場:こまばアゴラ劇場
日時:
2015/08/26(水)19:00~ 2015/08/27(木)19:00~
2015/08/28(金)14:00~ 19:00~
2015/08/29(土)14:00~
2015/08/30(日)14:00~

わからなくなってしまったこと

田辺 
ただ最近は、作品が面白いのかどうかというのは、自分自身ではもう分からなくなってきてますね。面白かったと仰っていただけるお客さんもいれば、そうでないお客さんもいる。いろんなリアクションがあるなかで、もはや面白いのかつまんないのかのどっちなのかはよく分からないと。もちろん、今自分ができることのベストを尽くしますし、尽くすしかないんですが。それができないというのはもちろんダメでそれができているかという自問自答はいつもありますけど、その結果、観客の反応については分からない。予想もできないしもうしてません。
__ 
それは、もしかして「褒められても貶められても何とも思わない病」ですか?いや、私もこの10年続けてきて、色んなお褒めの言葉だとかお話を頂いたり、または様々なリアクションを頂いたりしてきたんですけど「評価されたりそれなりに扱われても心が動かなくなってしまう」?いつかマツコ・デラックスも言っていましたが。
田辺 
いえ、お褒めの言葉はそれはやっぱり嬉しいんですよ。ありがたいことだし、救われたような気持ちになるし。つまんないと言われるよりも。それは確かなことでして。でもやっぱり何だろう、地元ではなく知り合いもいないような地域で公演をしたときに、自分の作品の評価はもう予想がつかない。20代から30代にかけての時期は京都でしか公演していませんでしたから、だいたいどんな人が客席にいるのかが分かるんですよね。言わば小さい村の中で活動しているイメージ。だから好評も不評も予想できるところがある。いきなり外に出るよりも集団や作品の足元を固めるという意味ではそういう時期は必要なんですけどね、もちろん。でも今のように広がりが得られれば得られるほど果てが読めなくなる。面白いと仰っていただいた言葉を頼りにはするが、それで完全にホッとするということはないですね。
__ 
ああ、私の感覚とはかなり違いましたね。でも、目標が見えなくなるような気がする、という事なのかなと思ったりするんです。

巡り合わせがずっと続く

田辺 
去年までアトリエ劇研のディレクターを務めましたが、それも終わりまして。まあ、一つの丘に登ったというところなんだと思うんですけど。そこを降りたらどうするんだろうという漠然とした不安は終わりが近づく頃にはあって。でもそういう職種なんだろうなと思います。なかなか数値目標ということにはならないし。不安との戦いになるのかなと。
__ 
不安を抱くような予感はありますか?
田辺 
まあ、どうなるんだろうなとは時々思います。今回の香港・マカオだってお話をいただかなければ行くことはなかったですし。そういう巡り合わせというものもありますから。ただそうはいっても結局は楽観的なんです。楽観というかあんまり思いつめないでいられているというのはあります。まあ、生活が立ちいかなくなければ考えなおすことになるとは思いますけど。抱えている仕事がすべて終わって半年間何の依頼も来なくなったら演劇は辞めて別の仕事に就くという自主ルールがあるんですけど。「あなたにはもう声を掛けません」とは言ってもらえないですからね。待つしかない。
__ 
半年間干されたら辞めるルール!
田辺 
二年前には今年に海外公演が実現しているとは予想もしていなかったし、来年の予定はだいたい決まりましたがそれ以降はまだ分からない。その一方でわたしは結婚して子供もいるし、中年になって自分の体力とか病気とか、実家の親のこととか、考えだしたらキリがない。無計画ってことではないし将来のための準備もしますけど、それでも先のことは分からなかったし、これからも分からない部分はある。待つのが仕事というか待つ人生というか。

偶然を踏みしめて

__ 
「漂着」の登場人物たちも、例えば船だとか、あるいは元いた街だとか、つまり社会から漂流してしまった人々。例えば飯坂さんの演じた、行き倒れの死体。または、元の街から離れた、工業地域の真横に引っ越した夫妻。個人的な見立てですが、セーフティネットから投げ出された人々が辿り着いた場所で何をよすがに生きるのか、ということを描いた作品だったのかなと思うんです。この作品を現代で上演することに、どんな意味があっんだろうと思いまして。
田辺 
今回の元になったものは(「初演版」といいますけど)2010年に上演されました。わたしが書いたものを福岡の演出家が上演したんですね。その時は今回の作品でいうと映像世界の中の、島に軟禁されている夫妻の部分だけだったんです。しかも夫婦の設定でもなく資産家の男が一人で瓶の収集をしている。登場人物も全部で3人しかいない。
__ 
ええ。
田辺 
そして去年。その福岡の演出家から香港・マカオでの上演のお話を頂いて。せっかくの機会ということで過去の作品の資料を香港に送ったら採用されたんです。他にもいくつか候補の団体があったらしいのですがありがたいことに。じゃあやろうと。「漂着」を選んだ理由としては、自分でも演出したい作品でしたし、海外で上演するということが瓶の中の手紙のシチュエーションとも重なっているように思えまして。旅公演としてもコンパクトな座組でいけそうだと思いましたしね。ところが多少は書き直しをしようかと思っていたところ、ずいぶん直すことになりまして。初演からの5年の間に、僕の趣味趣向も変わってきて、いろいろ違うなと思うようなことがあったんですね。
__ 
というと。
田辺 
ここ十年くらい、わたしの作品は、現代日本から時代も場所も遠く離れた世界を設定してそこに生きる匿名の人々の物語を描くという方法をとってきました。「漂着」の初演版もそういう書き方でした。その方法をやり始めた頃は四苦八苦しながら実験や挑戦をしている感覚が強かったのですが、それがだんだん薄れてきて自分にとって当たり前のことになってしまったと。自己模倣のサイクルに入るような危機感を持つようになって。それで最近は舞台は現代日本のどこかで登場人物には名前もちゃんと付いてるという、ごく「普通」のことに挑戦し始めた。それで「漂着」を上演するのも何か工夫が必要だと思ったんですね。名前をもつ映像作家とその妻が生きる、わたしたちの日常に近い世界があって、一方で匿名の人々による異世界を映像作品の世界と見立てて設定しました。
__ 
二つの世界のお話でしたね。
田辺 
だから例えば飯坂美鶴妃は、かたや映像作家の部屋のそばに辿り着く溺死体で、かたや映像作品の世界では生きた者としてある目的で夫妻のいる島に辿り着く女という二役を演じます。一人の俳優が二役を演じることで二つの別世界があることを示し、またそれぞれをつなぐ役割も果たします。
__ 
人は漂着しますね。
田辺 
目標や目的を持つというのが人の生き方であると、何にしろすべてに目的がハッキリとあることが肝心だとされています。そういうことで世の中はまわっているし、わたし自身もそういう流れのなかに身を置いて生きている。でも無目的であることにも意義はあるのではないかと。現代では宛名の無い手紙はただのエラーですが、それだって失われてはいけない手紙ではないかと。そうしたところに人間の社会や生き方の本当の一つがあるんじゃないかなと思っているんです。むしろ無目的であることが本来の在り方だろうって。わたしたちの実際の生活は目的的な営みによって前に進められているし、そのように見えますけど、私たちの足元は無目的なものやある種の偶然のようなもので成り立っているんじゃないかと。物語になるのはいつも後から振り返ってのことですからね。
__ 
偶然によって左右されているのかもしれない。人生の選択は偶然性と不確かさで出来ている。現代人だって、いつ難民になるか分からないですしね。「漂着」はその不安が出発点なのかなと思ったんです。
田辺 
自分自身の宛てが分からず、先行きもよくわからない。流されているあいだは身を委ねるほかなかったりする。けれども一度どこかに辿り着いたのなら、そこからは偶然に身を任せるだけではなく、自分の意思を持って踏み分けていかなければいけない。作品の登場人物はそれぞれの判断を下して次の歩みを進めようとしている。そういう描写はあるかなと思います。

手紙

田辺 
そもそもこの作品のキッカケはロシアの詩人であるオシップ・マンデリシュタームの、詩とは何かというテーマで書かれたエッセイなんです。これをそのまま演劇にしようと思ったのが初演の時でした。詩とは瓶詰めの手紙のようなものだ。言葉とは同時代に生きる人に向かって、正確に早く意味を届けるのが目的だけれど言葉の役割はそれだけではない。特に詩は瓶詰の手紙のようなもので、届くかどうか分からないし宛名も書きようがない。ある日偶然に砂浜を歩いていた人が拾って、読まれた時に初めてその人宛になる言葉だと。つまり、詩とは未来に向けた言葉なんですよ。必ずしも同時代に向けて書かれた言葉ではない。この言葉に凄く感銘を受けたんですね。当時はそのことを演劇で表現しようと思っていた。ただ5年経った時に、もう少し押し広げて考えたいなと、そのエッセイのことだけでは狭すぎるなと思って、それも書き直す動機の一つです。
__ 
ロマンチックですね。
田辺 
それは初日のトークの時に、あるお客さんにも仰っていただいて。花を使ったこともロマンチシズムだと言われましたね。ロマンチシズムの自覚はないのですが、けどそれもそうなのかなと。

あらゆるものが漂い、流れ、そこに辿り着いた

__ 
初演時の執筆時と、今回の書き直し時に、どのような感慨がございましたでしょうか。
田辺 
初演版では舞台は陸地だったのですがそれを今回は島に変えました。それでタイトルに括弧書きでislandと入るのですが、それは現在のわたしたちの生活が孤立であるとか閉塞だとかそういう感覚が、5年前に比べると強く意識されているんだと思います。しかも島に住む夫婦は軟禁されていて、孤立無援の状態。隔離されている。その辺りも劇の初期設定として明確にしておきたいと思ったところです。初演は瓶が漂着物として焦点が当たり続けていましたが、今回はさまざまな人物も漂着していると言える。あらゆるものが漂い、流れ、そこに辿り着いた。演出するにもそんな雰囲気が上手く出せればなと思いました。

質問 イトウワカナさんから 田辺 剛さんへ

__ 
前回インタビューさせていただきました、イトウワカナさんから質問です。「書く時のお供はありますか?」お菓子だとか、そういうものですね。
田辺 
イトウワカナさん、知り合いです。ご無沙汰していますが。お供か・・・目薬ですね。それまでの色々な雑念を払うために目薬をさす、半分儀式みたいになっていますね。最近は喫茶店で執筆することが多いんですけど、その時に目薬を忘れた時は焦ります。

言葉を引き出す作品

__ 
今回の「漂着(island)」。見てもらったお客さんに期待することは何ですか?
田辺 
この作品をキッカケに観た人のなかに言葉が生まれるといいですね。観た人たちのあいだや、一人でもSNSの上で何かお喋りが始まると嬉しいなと思います。そうやって語られることで作品って育つんだろうなと思います。演劇については特に。
__ 
なるほど。
田辺 
単に面白かったつまんなかったのジャッジしかないのだとしたら、その作品は消費の対象以上のものにはならないと思うんですよね。「アレは何だったんだろうか」とか疑問が出されて、たとえ答えにたどり着かなくても、お喋りのキッカケになることが作品の本分なんじゃないかと思うんです。そうなるといいなあと思います。これは今回に限らず、いつも思うことですけどね。
__ 
ありがとうございます。
田辺 
今回は特に、観てすぐには言葉にしづらい作品だと思います。ただ作り手としては、簡単に言葉に要約されてなるものかという気持ちもあります。

次の下鴨車窓

__ 
今回の「漂着」を経て、今後書きたいものは見えていますか?
田辺 
そうですね、去年あたりから書く方法が変わったというのもありまして(登場人物が匿名ではなく名前が付いていて、つまり観客の生活と地続きな形になったんですね)、「漂着」の場合は半分半分なんですけど、これまでのことを活かしつついい模索が出来ればと思いますね。その試行錯誤が面白おかしく出来ればいいなと。
__ 
新しい挑戦と、試行錯誤。

外に行く

__ 
今後、どんな感じで攻めていかれますか?
田辺 
さまざまな地域での上演を、特に海外、アジアについて上演する機会を探したいです。単純ですけど先日の香港・マカオのツアーで視野が広がりました。また東京に行く機会も増やそうと思います。この「漂着」のツアーも東京公演が最後に控えているんですね。向こう1年に関してはあと二本を東京で上演することが決まっています。
__ 
外に出て行きたい。
田辺 
そうですね、そういう欲求がより確かなものになりました。レパートリーの作品も出来ましたし。去年にやった3人芝居なんですけど、今年もスペース・イサンで上演しますし、九州での公演も考えていまして。いろんなところに持っていくことを考えています。
__ 
田辺さんの戯曲が色んなところで上演されて、見た人に話されるようになったらいいですね。
田辺 
そうですね、対話と出会いたいというか。その対話に耳をそばだてる時が僕にとっては幸せなので。もちろん否定されて傷つくこともありますけど、スルーされる空しさの方がきついですね。そのためにもさまざまなところに行きたいですね。

インスタントBBQセット

__ 
今日はですね、お話を伺えたお礼にプレゼントを持ってまいりました。
田辺 
ありがとうございます。前回はイヌの写真集でしたね。
__ 
そうでしたね、何故か。今回もまた大したものじゃないんですが。
田辺 
(開ける)あ、バーベキューですか?
__ 
インスタントセットです。
田辺 
ああ、燃料入り。面白いなあ。ありがとうございます。キャンプとかに行った時のね。ありがとうございます。


寒いとね、気持ちが切れる

イトウ 
そうなんですよ、冬の間演劇作ってなかったんですよ。寒いから。寒いとやる気がなくなるので。
___ 
あ、わかりますわかります。
イトウ 
やりたくなさに去年の秋にプッと気持ちが切れたんです。それなら今のうちに思いっきり休んでやろうと。春から動き出して、そろそろ暑くなってきたのでやる気が出てきたんですよ。
___ 
気持ちが切れるって、いい感じの表現ですよね。
イトウ 
心が折れるよりはいいですよね。
___ 
「心が折れる」を言い出したのはアジャ・コングだそうですね。イトウさんは心が折れた事はありますか?
イトウ 
あります。折れる時は、「メキッ」と、自分が真横に折られた気分になるんです。
___ 
では、「折れた」という状態から、「戻った」?「立ち直った」?それとも「折れたまま生きている」?
イトウ 
うーん。戻るんですけど、折れたところまで可動域が広がったみたいな戻し方をします。知っているところが広がったというか。私はここまで折れる事ができるんだ、みたいな。経験というか。
___ 
という事は、ちょこちょこ折れたらその分・・・
イトウ 
そうですね、傷つくのは当然嫌いなんですけど、それ自体はとても良い事だと思っていて。他人に傷つけてもらう度に、自分の形がはっきりするというのはあるかもしれません。
___ 
素晴らしい。そして、寒くなると気持ちは切れる。
イトウ 
それは基本的なやる気の問題かもしれませんけど。
___ 
気持ちが切れるのを是としますか?非としますか?
イトウ 
今はもう、仕方のないこととして捉えています。だから雪が降る前に岩盤浴に通ったりしていますね。体温を上げていく、みたいな努力をしながら冬をやり過ごすんですけど。だから・・・非ですね。あったかい所に移りたいんですよ。
___ 
言ってしまいましたね。はっきりと。
イトウ 
自分からね、まあ前から言ってるんですけど(笑う)でも去年、薄暮という作品で雪の事を書いたんですけど、自分が雪のある国で生まれた事は認めていかないとな、と思っています。雪が降ると気持ちが切れる事も含めて。私、白い色が絶望の色だと思ってるから。
___ 
白が絶望の色・・・。
intro
2006年に俳優・イトウワカナのプロデュースユニットとして活動開始。2008年、札幌の小劇場演劇祭「遊戯祭08-太宰とあそぼう-」(主催:遊戯祭実行委員会、コンカリーニョ)で「5月1日」(原作:太宰治「女生徒」)を上演し最優秀賞受賞。その後、2009年6月より劇団として活動開始。メンバーは脚本、演出のイトウワカナを筆頭に俳優6名と技術スタッフ1名で構成されている。平均年齢37歳。「introの演劇はintroの演劇としか言いようがない」と言わしめる個性際立つ舞台表現、奇抜なポップ感覚、非日常を感じさせながらも日常的な言葉の数々を駆使し、観客の体感にコミュニケートしてゆく演劇スタイルは、「音楽的」「詩的」と評され独自の魅力を放つ。

白と色のあいだ

___ 
イトウさんにとって、白は絶望の色?
イトウ 
そうなんですよ、黒じゃなくて。ただただ白いのって怖いんですよね。距離感もなくなるし、寒いし。だから色が付いているような風景が嬉しいんですよ。南の国とか、大阪もそうですけど。札幌は、花が春にどばっと一斉に咲くんですよ。だからそれは好きな風景です。
___ 
この間、満月動物園の戒田さんにインタビューさせていただいた時、戒田さんは「白は無の色」だって仰ってましたね。
イトウ 
戒田さん!私、戒田さんと色々似てるんですよ。
___ 
シアトリカル應典院の既設の幕が白だから。
イトウ 
ああ、そういえば仏教的には無は白ですよね。色彩に黒はあんまりないかんじ。
___ 
そして、イトウさんにとっては絶望の色。
イトウ 
そうですね。怖いですもん。私の地元では人はあっさりと死ぬんですよ。冬場に酔っぱらって外で寝ちゃう若い人とかいるんですけど、自殺行為なんですよ。だから私あったかいところに住みたいんですけどね。なのに私、異常にロシアが好きで。(南北に)引き裂かれてるんです、最近。

intro再演公演「蒸発」

___ 
introは8月・9月に「蒸発」を再演するのですね。素敵なチラシですよね。
イトウ 
初演と全く同じなんですよ。
___ 
どんな感じになりそうでしょうか。
イトウ 
2011年に初演で、出演者も3人入れ替わっていて。でも今回の再演をやるにあたり、チラシと台本と舞台美術は初演と全く一緒にする事にしたんです。この作品は実験的な要素が強いんです。感情表現を言葉でやらない、全部肉体表現にするというやり方に決めています。だから役者が変わるとだいぶ変わるんですよね。さらに、今回は映像と音楽を入れる事になりまして。初演をリミックスしている感覚です。
___ 
初演を見た方にとってはまさにリミックス版ですね。
イトウ 
初めて見た人にはハードハウスみたいな。まあトンチキな感覚の作品なんですけど。
___ 
トンチキ?
イトウ 
初演の時のお客さん、結構、「なんだったんだ・・・?」みたいなポワンとした顔をして劇場を出ていったので。今回の再演もああいう感覚に陥ってもらいたいんですね。肉体感覚に戻したい。感情が動いたというよりは、「腕が動かない気がする」みたいな。
___ 
動物的な?
イトウ 
動物的な瞬間もありますね。
___ 
肉体感覚を通して、動物としての人間に近くなっていく?
イトウ 
でも、関係性はやっぱり入れたくなるんですよ。でも役者は沢山の事は出来ないらしくて。肉体表現でいろんな感情を同時にやるのが難しいらしいです。「気に入らないけどちょっと好き」みたいな事は動きはできないらしくて。凄くシンプルになっていく。みたいな。見ている方はそれは気持ち悪いのかもしれない。
intro再演公演「蒸発」

あらら、どこに消えたんだろう未来!!!

雨漏りのひどい一軒家を舞台に、現在過去未来の罪を擦り付け合う者たち。 僕らには大事な妹がいた。
けれど、妹はどこへ行った?
僕らの大事な妹を傷つけたのは誰だ?
僕らの大事な妹は、いつまで存在していたんだ?
僕にも、誰にもわからない。
けれど、今日は妹がうまれた日だった気がする。
さあ、祝おう。僕らは家族だ。
まぎれもなく、僕らは家族だ。
2011年札幌劇場祭Theater Go Round 演出賞受賞、体感必須のintro式エンタテイメント。

作・演出:イトウワカナ
出演:菜摘、のしろゆう子、佐藤剛
松崎修(静と動)、有田哲(劇団アトリエ)
潮見太郎(劇団オガワ)、宮沢りえ蔵(大悪党スペシャル)

札幌公演 <札幌演劇シーズン2015夏 参加公演>
日程:2015/8/6(木)~/14(金)
会場:ターミナルプラザことにパトス

大阪公演
日程:2015/9/4(金)~6(日)
会場:in→dependent theatre 1st