あれから

__ 
高木さんがいま、ダンスをされている経緯を教えて頂ければと存じます。
高木 
ちゃんと始めたのは大学生の時です。造形芸大に入ってからコンテンポラリーダンスに出会って、作品を見たり授業を受けたりしていて。それでdotsの公演に出てみませんかと誘われて、最初は軽い気持ちだったんですけど。それが今に至ります。
__ 
dotsの代表、桑折さんの印象はどうでしたか。
高木 
私自身、大学に入る前からメディア・アートや現代美術が凄く好きで。桑折さんとは、そういうものを面白いと思う感覚が近いなと思いました。すでにこんな風にカッコイイ舞台を作っちゃっている人がいるんだ、って。
__ 
dotsは「カカメ」という、伝説的な公演がありましたよね。とても見たかったです。
高木 
いえいえ、ありがとうございます。ご覧頂きたかったです。
__ 
今は、どんな風にダンスと関わっているんですか?
高木 
最近は色んな振付家や演出家の作品に出演させて頂く事が多いですね。そろそろまた自分の作品を創りたいと思っています。
__ 
とても楽しみです。是非とも参りたいと思います。
dots
京都を活動拠点に作品制作を行っているパフォーミング・アート・ユニット。2001年、桑折現を中心に京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科一期生が集まり結成され、「空間」「映像」「身体」をキーワードに活動開始。2005年より桑折現を中心にプロジェクト単位でメンバーを構成し、作品制作・発表を行っている。(公式サイトより)

タグ: その人に出会ってしまった


三重だからこそ作れる作品

__ 
という事は、鳴海さんは「葉桜」自体にはそんなに思い入れはない。
鳴海 
そうなんですが、実は岸田國士に対しては少し苦い思い出があって。昔短編をナチュラリズムで演出したんですけどいまいち面白さが分からなかったんです。でも今回のお話を頂いて、これはと思って。
__ 
ある意味、リベンジ?
鳴海 
そうなんですよ。岸田作品に勝ちたいですね。先日リーディング公演をした時には手応えがあって。この作品、作れるという予感があります。
__ 
母子二人の話ですね。
鳴海 
お芝居としては45分ぐらいのものになります。ええ、短いんですよ。正確な尺はまだ分からないですけど。
__ 
二人芝居を全国で持っていく。三重発信のポータブルな作品は珍しいというか、あまり記憶にないので楽しみです。どんな作品が見れるのか。
油田 
2007年に、三重県文化会館で平田オリザさんが「隣にいても一人・三重編」という作品の公演企画を製作されたんです。2バージョンのキャストを公募で集めて。全国でいろんな地域のバージョンを作って一斉に行う、という試みだったんです。地方で公募型演劇製作って割と大きいスケールの公演企画をやりたがるんですね、沢山の人数を公募集めて上演する、でも続かない、という。でも「隣にいても一人・三重編」はそうではなくて、かなり絞り込んだ少人数のキャストであれば、地方でもクオリティの高い作品が作れるんだという事が分かったんですよ。オリザさんがそれを証明したというのはあります。
__ 
なるほど。
油田 
それからこのしたやみさんと仕事をして、鳴海さんとも出会って。地方から外に向けて、作りこんだ作品を持っていく事に、じりじりと迫っていった感じですね。あとは、実はあんまり大都会に出そうとは思っていないですね。去年は広島・金沢だったし、「人間そっくり」は松山・長崎・宮崎と、関西以西に今年はお邪魔する予定だし。演劇シーン的に、東京・大阪を強く意識するというのではなくて、地域にいる演劇人同士でやっていきましょうというのも、お互い、面白いものが出来るんじゃないかと。逆に、向こうの地域の方が来てくださったりもするし。
__ 
都市部で作られてはいないという事は、集中して作られた作品と言えるのかもしれませんね。付随した情報が多すぎないという意味で。そのクオリティを目の当たりに出来ればと思います。
油田 
鳴海さんがこうやって三重に来ていただいたのもあるし、それは大きいですよね。これからいよいよ、パッケージの大きい作品も作れるかもしれない。4、5年ぐらいすれば三重からも本格的な作品が生まれ続ける土壌が整ってくるかもしれない。この「葉桜」が少人数の作品のモデルになって、段々と大きくなっていって。
__ 
若手に対する良い例になればいいですね。
油田 
本当にそうですね。

タグ: その人に出会ってしまった 今年のわたし


何をしたいか考えたら演技だった

__ 
演劇を始めた経緯を教えて頂いてもよろしいでしょうか。
伊藤 
めっちゃ最初から話していいですか。
__ 
もちろんです。
伊藤 
子供の頃からミュージカルが好きだったんです。おやこ劇場に月一回連れていって貰ったりして。母親も好きだったんでしょうね。(ちなみに、絵の教室にも行ってました。)学校の演劇鑑賞会で劇団四季を観てミュージカルが好きになって、でも高校は演劇部は敬遠してて。宝塚とかは好きで、ずっと見に行ってたりしてたんです。
__ 
なるほど。
伊藤 
高校は進学校だったので大学に進むのが当然だったんですけど、私のいた国際教養科は熱い人が多くて、将来は何になりたいとかを語り合ってたんです。その中で一人の子が「私、みんなに黙ってたんだけど、今まで新聞記者になりたいとか言ってたんだけど、本当は歌手になりたいねん」って。そんなきらびやかな芸能生活を送りたいとか言う人なんて入学時からいてなかったし、でも当時ASAYANが流行ってたのもあるし、私も「ああ、自分のやりたい事をやってもいいんや」ってなって。高校3年ぐらいの時から劇団ひまわりの養成所に入りました。
__ 
なるほど。
伊藤 
じゃあ大学行かなくてもいいや、となって。就職しながら週3のレッスンに通って歌とかダンスとかを習う生活を2年続けていました。
__ 
二十歳ぐらいですね。
伊藤 
その時に永津とも出会いました。でも子供の頃からバレエをやっている子を目の当たりにすると能力の差が歴然で。歌もダンスもいっぺんにしようと思ったら私空回りしてる、ってなってしまって。私は一番、何をしたいか考えたら演技だったんですよ。2年続けていた会社を辞めて演技専攻クラスに入りました。その編入も永津が一緒でした。
__ 
なるほど。
伊藤 
その課程を1年間、修了公演みたいなのもあって。ひまわりの劇団員になって、しばらくしてAripeを結成したんです。

タグ: 演劇研修所 その人に出会ってしまった バレエやってた 二十歳のわたし プロの仕事 ロックな生き方


京都に残る

__ 
勝二さんが演劇を始めた経緯を教えて下さい。
勝二 
中学の頃、それまで取り柄がなかったんですが、文化祭で舞台に立ったら認められた感があって。高校で演劇部に入ったんですが、それが30何人も部員がいる強豪だったんですよ。何となく始めたハズだったのに、熱心にやっている人もいて・・・高校の有志が集まって年度末に公演する劇団もあって、そこに参加していたら面白いなとなってしまって。大学で京都に来たんですけど演劇部が合わない感じがして入らなかったんですけど。
__ 
なるほど。
勝二 
で、ニットキャップシアターの「愛のテール」をアーコンで見たんですけど、それが衝撃で。京都にもこんな演劇がやってたんだ、と。それからごまのはえさんやハラダリャンさんのWSを受けて、しばらく京都に残ろうと思いました。それまでは実家に帰ろうぐらいに思ってたんですけどね。ハラダリャンとも出会って、テンケテンケテンケテンケを旗揚げして活動していました。7回公演までやってましたね。
ニットキャップシアター
京都を拠点に活動する小劇場演劇の劇団。1999年、劇作家・演出家・俳優のごまのはえを代表として旗揚げ。関西を中心に、福岡、名古屋、東京、札幌など日本各地で公演をおこない、2007年には初の海外公演として上海公演を成功させた。一つの作風に安住せず、毎回その時感じていることを素直に表現することを心がけている。代表のごまのはえが描く物語性の強い戯曲を様々な舞台手法を用いて集団で表現する「芸能集団」として自らを鍛え上げてきた。シンプルな中にも奥の深い舞台美術や、照明の美しさ、音作りの質の高さなど、作品を支えるスタッフワークにも定評がある。(公式サイトより)
ニットキャップシアター第13回公演 スロウライフとことこ vol.3「愛のテール」
公演時期:2003年7月12~17日。会場:アートコンプレックス1928。

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vol.397 勝二 繁

フリー・その他。

2015/春
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勝二

京都に出会い、京都で出会う

__ 
横山さんがお芝居を始めた経緯を教えてください。
横山 
そうですね。小学生の時に学芸会で褒められたのがきっかけだと思います。それで、中学校、高校と演劇部に入って・・・。なんというか、お芝居をやってる人たちと居るのが楽しかったんですよね。そして、高校2年の頃にヨーロッパ企画さんの「サマータイムマシンブルース2005」を生で観劇して、それが凄く面白かったんですよね。漠然と関西に憧れを持っていたこともあって、大学進学を機に札幌から京都にきて、劇団立命芸術劇場に入団して、月面クロワッサンと出会って。
__ 
月面クロワッサンに出会ったのはどんなキッカケが。
横山 
第一回の学生演劇祭ですね。僕はその時脚本、演出として参加していまして。僕らの次に月面クロワッサンが上演するというプログラムの日があったんですけど、終演後、主催の作道が「すいません。横山さんのお芝居を拝見させて頂いたのですが、ちょっと暗いなと思いまして。僕と一緒に前説をして空気を和らげて貰えませんか」と声を掛けられて、作品と作品の合間に前説をやる事になったんですよね。びっくりしました。その流れのまま月面クロワッサンを初めて観劇して、「どっちみち阪急河原町」という作品だったのですが、明るくて突き抜けた素直なお芝居で、本人とのギャップもあって凄く記憶に残っています。
__ 
2011年に横山さんが「バイバイ、セブンワンダー」で客演されていましたね。入団されたのは2013年でしたね。2年ほど、考えられていたと。
横山 
はい。卒業後、就職せず演劇を続けるかどうか悩んでいたこともあって。ただ、作道の演劇を続けるとは、仕事にするというのはどういう事なのか。作家としてだけでなく、プロデューサーとしての発想やバイタリティーに強く惹かれて、入団しました。
__ 
素晴らしい。ベンチャー企業に入ったという事ですね。
横山 
そういうことなんですかね。けども、新しい取り組み方をしているというワクワク感はあります。もちろん僕たち自身も、自分達のやっている事が正しいのかどうかはわからないですけど。
__ 
正しい事を正しいやり方でやったら何も問題はないと思います。
横山 
それが一番難しい事ですけどね(笑う)

タグ: 自分を変えた、あの舞台 その人に出会ってしまった 入団の経緯 学芸会


「グッド・バイ」「ぼく」

__ 
毎月、何かしらの舞台に立っている平林さん。今年の3月に出演された「グッド・バイ」が記憶に新しいです。とても面白かったです。あの嘘・誤魔化しまみれの宴会のシーンとか、凄かったですね。
平林 
ありがとうございます。嵐のように過ぎ去っていきましたね。まず山崎君の粘り強さが非常に強いというか。
__ 
本当に強烈でした。岡田あがささんが凄かったし、全ての女優が凄かったですね。
平林 
演出の山崎くんとは、きたまりさんとAI・HALLで作った「ぼく」で出会ったんですよ。「ぼく」は他にも色々な出会いがあって面白かったです。
メイシアタープロデュース公演 SHOW劇場 vol.8「グッド・バイ」
公演時期:2011/6/10~12。会場:吹田市文化会館 メイシアター 小ホール。
“Taka a chance project026”  KIKIKIKIKIKI『ぼく』
公演時期:2014/12/31~12/31。会場:AI・HALL(伊丹市立演劇ホール)。

タグ: 優しい嘘 その人に出会ってしまった 今年のわたし


出会い・不条理

__ 
まず、平林さんがお芝居を始めたのは、どういう経緯があるのでしょうか。
平林 
大学からです。中学高校とずっとブラスバンド部でサックスをやっていて、大学でも軽音楽部に入ろうと思っていたんですが、クラブを覗いてみたらあまり興味をひかれなくて。じゃあ何しようと思ってたら、ある日、仮装して学内を練り歩いている人達に出くわしたんです。面白そうなのでついていったら、すごく狭い部屋に閉じ込められて地べたに座らされて。そのまま芝居が始まったんですよ。間近で大きな声を出されるし、音楽もがんがん掛かるし、びっくりしました。
__ 
それが演劇との最初の出会いだったんですね。
平林 
そうですね。やっぱり不条理な感じでしたね。いきなり大きな声を出したりとか。
__ 
ショックな体験でしょうね、それは。
平林 
終わって、役者の人と喋ってみたら全然普通のおとなしい人で。そういうところも面白いなと思いましたね。

タグ: その人に出会ってしまった


コメディと出会って

__ 
芝さんは、いつからお芝居を始められたんですか?
芝  
18で大阪に来て、短大に入学したんですよ。演劇サークルに入ったんですが、保育科だったのですごく忙しくて、私だけ公演に出られなくて。見るばっかり。
__ 
最初は役者をやりたかった?
芝  
そうなんですよ。高校には演劇部が無かったので。短大は実習で忙しかったので見る専門、みたいな感じで。
__ 
劇団ガバメンツに入ったのはいつ頃なのでしょうか。
芝  
26歳まで保育士をやってたんですが、辞めるのと同時に演劇を本格的にやろうと思って。客演したのがガバメンツだったんですよ。コメディが面白くって。
__ 
チームメイトっていうんですかね。そういう存在に出会えるかどうかが、人生の幸せを決めるような気がします。
芝  
メンバーも大好きで、子供みたい。近藤くんもひらちゃんも裕子ちゃんも、辞めちゃったけど青木さんも、自分の息子や娘のように思ってます。可愛い。
__ 
ガバメンツに出会ったのはどんな経緯が。
芝  
ガバメンツの制作の渡辺大ちゃんに声を掛けてもらって出演したんです。これが、コメディって面白くて、こんな笑ってもらえることがあるんだ、って。早川さんの作品と芝居に向かう姿勢が素敵で、周りのメンバーも魅力的で、この人達と一緒に活動していくぞって、出会ってすぐに決めました。

タグ: コメディリリーフ その人に出会ってしまった


アバターズ

__ 
演劇を始めた経緯を教えてください。
松下 
高校演劇をしていて。私の入っていた高校が、芸能文化科という特殊な科だったんですね。部活というよりは授業で演劇を学んだんです。そこでスタニスラフスキーに出会ったんですよ。部活と授業の、演技の深さの違いが面白かったです。これは一生かけて勉強しないと分からないなと。
__ 
がっかりアバターに入ったのはどのような経緯が。
松下 
「啓蒙の果て、船降りる」で参加したときに、アンディさんに「入ってよ~」って言われてて。本気かどうか分からなかったので、「う~ん」って言ってたら、気付いたらHPに自分の名前があったんです。あ、入ったんやって。劇団員なんや、あたし。
__ 
なるほど。すでに動かせないぐらいのポジションとして坂本さんの中にあったんですね。では、がっかりアバターの魅力とは。
松下 
劇団員に凡人が一人もいない事ですかね。
__ 
そうですね。
松下 
キャラクター性が強くて。なかなかこれだけのメンバーが揃う事はないと思います。
__ 
乾さんの髪の毛はさらさらだし、夢子さんは色々すごいし、松下さんは・・・
松下 
私はよく、アバターの中ではまともだと言われます。アンディとかにはクソアマとか言われますけど・・・
__ 
それは愛情表現ですね。そして葛原さんは。
松下 
葛原さんは凄いですよ。夢子オンデマンドよりも凄い精神状態かもしれない。
__ 
え、そうなんですか。あの夢子オンデマンドを超える?
松下 
わかんないですけど。明日、がんばってください。

タグ: 愛情表現 乾寿々香 その人に出会ってしまった 私の劇団について


夢子が始まった日

__ 
オンデマンドさんが演劇を始めた経緯を教えてください。
夢子 
高校の演劇部からです。私が入った時、既に先輩は1人だけでした。私も最後には一人になっちゃったんです。大会には出ました。友達にめっちゃ無理言って裏方してもらって。
__ 
がっかりアバターとの出会いは。
夢子 
高校卒業して専門行って、卒業しても就職出来なくてバイト転々として、職業訓練校行って、ふにゃふにゃになってて。人生で演劇が唯一褒められたんです。やろうかなと思って、でも知り合いとかいなかったので、「大阪 劇団員 募集」で検索したらいっぱい出るんですけど、どれを選んだらいいか分からなくて。mixiで探したら、だいぶ遡ったらあったんです。がっかりアバターの旗揚げ公演、小屋だけ押さえてメンバーがいないと。
__ 
ありえないですね。
夢子 
他の劇団の募集を見たら、週何回稽古に来れるかとか公演の感想書いてとかめっちゃ敷居が高かったんですけど、がっかりアバターは「パンツ履いてたらOK」みたいに書いてて。パンツ履いてるからいけるかなと。
__ 
ええ。
夢子 
HP見たら、ウイングカップを穫った「啓蒙の果て、船降りる」の紹介文にすっごい下品な事が書いてあって。どうせならここまでしたいなと。それで連絡取って、アンディさんに会いました。来月で1年になります。
がっかりアバター第二回公演「啓蒙の果て、船降りる」
公演時期:2012/11/10~11。会場:ウイングフィールド。

タグ: 下着の色 その人に出会ってしまった 入団の経緯


いていいんかな

__ 
演劇を始めた経緯を教えてください。
乾  
私の入っていた小学校では、六年生になると卒業公演をするんですよ。ライオンキングをする事になって、私は子供心に悪役をやりたいと思っていまして。ずっと。オーディションで、スカーという役をさせてもらいました。
__ 
いかがでしたか。
乾  
終わった後、あまり遊んだ事のない子や親御さんから、「良かったよ」と言ってもらえて。それで調子に乗って、演劇を始めました。必要とされているのが嬉しいのかもしれません。
__ 
必要とされたい?
乾  
役があると、「いていいんだ」って自然に思うんです。稽古場なんて、それだけで楽しいですね。本番が終わった後に、お客さんから声掛けてもらったりするとすごく嬉しい。
__ 
最近、私は闇金ウシジマくんが好きで。そこに出てくる登場人物の半数以上が、「誰かに必要とされたい」って思ってるんですよ。依存を止められない癖に、寂しい自分は客観視して、批評までしてしまう。
乾  
だから人気があるんでしょうね。必要とされたいってきっとみんなあると思うんです。稽古場というか劇団って、いる事を許されている気がするので。でも「いていいんかな」って思っちゃうんですけど。
__ 
私の中では、がっかりアバターにおける乾さんの存在はもう必要不可欠ですけどね。
乾  
えーっ。いつ捨てられるかと思ってますよ。
__ 
いやいや。少年役がはまりまくる感じ、がっかりアバター独自のかぼそい変態性に最高にハマっていると思いますよ。
乾  
劇団とか、入るつもりは無かったんですよ。それまでにもお芝居に出させてもらった事はあるんですけど、がっかりアバターは稽古も含めてあまりにも楽しくて。これ、もう出られないのが、めっちゃ嫌だと思って。「入っていいですか」と言って入れてもらいました。
__ 
がっかりアバターに出会った経緯は?
乾  
中学3年の時に、文化祭で坂本さんの舞台を見たんですよ。この人は凄いと純粋に思って。今でも雲の上の存在なんですよ。衝撃を受けて同じ学校に入ったんです。
__ 
なるほど。
乾  
その時にやってたのが、舞台の上に男の子が寝かされて「死体や」って言って。アンディさんが体育館用の掃除機でその男の子の乳首を延々と吸うっていう。学校の文化祭なので、当然父兄が来て見ていて。もの凄い空気でした。
__ 
どのくらいの作品でしたか?
乾  
覚えていませんがもの凄く長い時間だった気がします。緊張感がありました。アンディさん、輝いてました。衝撃でしたね。

タグ: 文化祭前夜 その人に出会ってしまった 衝撃を受けた作品 調子のってた ポジショニング不安 ライオンの話題


長い付き合いになるんです

__ 
山本さんがお芝居を始めたのは、どんな経緯が。
山本 
高校演劇から、ですね。中学生まで人前に出るのが苦手だったんですが、そういう自分を変えようと演劇部に入りました。そこで演劇楽しいなと今に至る訳です。
__ 
なるほど。
山本 
高校時代に大熊さんと竹村さんに出会いまして、一緒に舞台に立たせてもらって。その後も一緒に作品作りをしています。
__ 
山本さんにとって、壱劇屋は正直、どんな集団なのでしょうか。
山本 
高校時代からつきあいが長いんですよね。僕も劇団員なんですけど、先輩後輩という関係性は強いですね。仲が良くて、感覚が合うというのは長所だと思います。芝居の感想とかも、結構合うんですよ。

タグ: ヘラヘラ笑う俳優 その人に出会ってしまった 関係性が作品に結実する


ギアと僕の日々

__ 
今日はどうぞ、宜しくお願いします。河原さんは最近、どんな感じでしょうか。
河原 
最近は、壱劇屋の稽古が毎日あるのと、ギアの舞台スタッフをしていて、そちらで働いていますね。他は、ダンスの稽古しているか、バイトしてるかですね。
__ 
ダンス?
河原 
ブレイクダンスです。専門学校の俳優学科に入って、選択授業でブレイクダンスを取ってから、ずっと続けています。卒業してからもブレイクダンスの教室に行っていて、講師のHIDEさんが出演されているギアを見て。そこで、自分がやりたい演劇の1つの形を見たんです。ギアが、僕の原動力です。
__ 
そうなんですね。ギアは最高に面白いですよね。原動力とは。
河原 
お芝居とブレイクダンスが融合した、僕の夢を叶えたような作品だったんです。すぐにギアの出演者オーディションを受けたんですがちょっと実力が足らず落ちてしまって。スタッフとして働かせてもらっている時に大熊さんに出会って。壱劇屋が高いレベルでパフォーマンスと演劇を融合させているのを見て。僕も将来、ブレイクダンスと演劇が高度に融合した作品を作りたいと考えています。
壱劇屋
2005年、磯島高校の演劇部全国出場メンバーで結成。2008年より大阪と京都の狭間、枚方を拠点に本格的な活動を開始。主な稽古場は淀川河川敷公園で、気候や時間帯をとわず練習する。マイムパフォーマンスを芝居に混ぜ込み、個性的な役者陣による笑いを誘う演技にド派手な照明と大音量の音響と合わせ、独自のパフォーマンス型の演劇を行う。イベントではパントマイムやコントをしたり、FMラジオにてラジオドラマ番組を製作するなど、幅広く活動している。(公式サイトより)
ギア -GEAR-
言葉を全く使わず五感を刺激することで楽しむ日本初の公演が京都で始まります。タイトルは『ギア -GEAR-』。ストーリーはおもちゃの「ドール」が人間化したロボット「ロボロイド」とふれ合い、あるきっかけによって人間の心を持つようになるという内容ですが、世界レベルのパフォーマーが、マイム、ブレイクダンス、マジック、ジャグリングを使い、アクション、表情、ダンス、音楽、映像などで、言葉を使わず五感を刺激することによって表現します。ほんものの工場に迷い込んだようなリアルな舞台セット、飛ばされそうな強風が吹き荒れる演出、また今話題のプロジェクションマッピングや、フルカラーLED搭載の光るドレス、そして『ギア-GEAR-』専用にカスタマイズされた最大1600万色を自在に操ることのできるレーザービームといった、最新の技術との複合により、今まで体験したことのない感動を与えてくれます。なお、2012年4月に京都で開始したロングラン公演は、2013年9月には400回公演を達成、そして来場者数は2万5千人を突破しました。(公式サイトより)

タグ: 壱劇屋の無謀さについて その人に出会ってしまった


カメハウス第漆回公演「MEMENTO」

__ 
今日はどうぞ、よろしくお願い致します。京都ロマンポップの玉一さんにお話を伺います。京都ロマンポップは昨日、UrBANGUILDで公演「ニホンノカビ」を終えたばかりですね。お疲れ様でした。最近はいかがですか?
玉一 
ありがとうございます。よろしくお願いします。今は、カメハウスの公演「MEMENTO」の稽古が始まっています。以前、プロデュース公演の時にカメハウス主宰の亀井さんと出会ったんです。今回はその縁からの参加になりました。世界観の作り込みが凄いんですよ。台本と一緒にキャラクターの設定資料を頂いたんですが、それがこと細かに書かれていて。それを読んだだけでも世界観が分かるんです。
__ 
楽しみですね。
玉一 
はい!とても。
京都ロマンポップ
「物語は幸せへの通り道」京都ロマンポップは、2005年京都を拠点として旗揚げしました。作品は、よりふじゆきによる脚本:本公演と、向坂達矢による脚本:さかあがりハリケーンの二本を支柱としています。本公演の舞台設定は、古代ローマ、中世ドイツ、昭和初期日本、そして現代と多岐にわたっていますが、一貫して描かれているのは普遍的な人間の悲しさや苦悩であり、そこから私たちの「生」を見つめなおす作品です。哲学的な言葉を駆使しながらも、役者の熱や身体性を重視する、ストレートプレイ。「ロマンポップ」の名前の通り、エンターテイメント的な要素も取り入れながら物語を紡ぎます。さかあがりハリケーンは、短編作品集です。その作品群は「コント」ではなく「グランギニョール」ただ笑える作品ではなく、どこか屈折した退廃的な空気が作品に漂います。歌やダンス、身体表現を最大限に取り入れていますが、対峙するは「現代の演劇手法」です。(公式サイトより)
カメハウス第漆回公演「MEMENTO」
公演時期:2013/12/27~12/29。会場:道頓堀ZAZA HOUSE。

タグ: その人に出会ってしまった 私たちの世代 Urbanguild 世界観の作り込み


受けてみようかなっ

___ 
佐々木さんは神戸大学の学生劇団のご出身なんですよね。
佐々木 
そうです。自由劇場です。神戸大にははちの巣座もあります。仲いいんですよ。
___ 
外部への出演が多いですが、それはいつ頃ぐらいから?
佐々木 
今年の2月にレトルト内閣さんに出演してから、です。先輩が勧めてくれたオーディションに運良く受かって。受けてみようかなっ、という軽い気持ちでした。
___ 
ご自身としてはどんな体験でしたか。
佐々木 
みなさんとても優しくして下さって、かのうとおっさんのお二人にも出会えたし、ホントに貴重な体験でした。
自由劇場
神戸大学。2013おおさか学生演劇祭にて優勝。新人公演「花の紅天狗」(公演時期:2013/9/21~22。会場:神戸大学シアター300 )

タグ: オーディション その人に出会ってしまった 「かのうとおっさん」という特異点 レトルト内閣のウワサ


vol.315 佐々木 ヤス子

フリー・その他。

2013/春
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佐々木

部活選び

__ 
嘉納さんがお芝居を始めたきっかけを教えてください。
嘉納 
高校では陸上部に入ろうと思ってたんですが、無かったので演劇部にしました。それが最初です。
__ 
演劇が陸上の代わりの選択に?
嘉納 
中学時代に友達に借りたガラスの仮面と、あと5歳くらいに学童保育のお遊戯会で「セロ弾きのゴーシュ」をやったんですが私はヒバリ役で「私たちは喉から血が出ても歌うのになぜあなたは弾かないのですか」という台詞を泣きながら熱演してたらしくて。あとは、高校入学時、部活選びで迷っていた時期にウチにきた祖母のすすめですね。
__ 
有北さんとの出会いは。
嘉納 
大学の演劇部です。私が2回生で自主引退したときに文化祭があって、私も時間があるし、何かしたいなと。演劇部で馬のあったおっさんを誘って、文化祭で自主公演したのが最初です。それから外部公演をし始めて。卒業してからも続けています。

タグ: 文化祭前夜 迷っています その人に出会ってしまった お遊戯会


コレはホントに凄いぞ

__ 
石田さんが演劇に出会ったのはどのような経緯があるのでしょうか。
石田 
二十歳ぐらいのとき、友達が劇団に入ったんです。これ実は、LINX ’ S のテーマ曲を作ってもらった僕の高校時代の友人、JOE BLUES(T∞Virus) なんです。そしてその劇団というのは「マッドエンジェルス」というRock Musical 劇団なんですが、(故、我王銀次氏の基、祭健太氏、角谷芳徳氏、率いる、Rock Musical 劇団)その公演に行ったのが初めてです。もちろんめっちゃ面白かったんですが、芝居を沢山見るようになったという訳ではありませんでした。ただ、そこに客演されていた伊藤えん魔さんは忘れられません。主役を食うような事ばっかりする悪役で、迷いの森に来てしまった主人公達に道を教えるセリフが「じゃあ教えてやる。この道を真っ直ぐ行ったら豊中庄内の駅に出るから、そこで電車に乗って帰れ」と。ファンタジーからいきなりリアルな話に分断されて。それが強烈に残ってましたね。
__ 
なるほど。
石田 
で、それからかなり経って。上の娘(大牧ぽるん)の学童保育の指導員がPEOPLE PURPLEの団員さんだったんですよ。その縁で、KAVCにまで公演を見にいきました。「龍的雲(ロン・ダ・ユン)」。それがまた、あまりに面白くて、それ以降PEOPLE PURPLEだけは必ず行っていました。ただ、色んな所に行くようになったのは、紹介でストーンエイジの公演に家族で行ってからですね。また懐が深いんですよ、打ち上げにも行かせてもらったり、宴会で役者さんとも話せたり・・・。その頃、当時やっていた仕事を辞めたんです。
__ 
思い切りましたね。
石田 
そのタイミングで、何故か特攻舞台Baku-団(現ステージタイガー)の「3ツ目ル愛ズ」を見て。それが本当に衝撃を受けたんです。虎本さんの脚本の力で僕は変えられてしまったんですね。コレはホントに凄いぞ、と。その後、色んな舞台を熱心に観に行くようになりました。だから、結果的に観劇熱キッカケは特攻舞台Baku-団ですね。でも打ち上げに呼んでもらって僕の活動フィールドを広げてもらったのストーンエイジさん。そのキッカケ実はあんまり分からないんですけど。当時何もしていなかったのに。でも、制作の方に「いいですよ来て下さいよ」って。
__ 
紛れ込んでいた、という感じなんですね。
石田 
そうなんですよ、でも行ってみたら良くしてくれて。そうした色んな繋がりから、なんと舞台に出演する事になったんです。最初はお手伝いだと思ってたんですけどね。その時に、芸名が欲しいなと。ストーンエイジ主宰の鮒田直也さんに「石田1967(ナインティーンシックスティセブン)」と付けて頂きました。何故かというと、鮒田さんと僕が同じ世代で、「僕ら世代が頑張らないといけないよね」って。最初はピンとこない名前だったんですけど(笑う)、言ってる内に面白いなと思えてきて、今僕は石田1967です。
PEOPLE PURPLE
2000年1月に作・演出の宇田 学(うだまなぶ)を中心に芝居好きの人間が集まって旗揚げした劇団です。「生でお芝居を見ることのなかった人達にそのおもしろさを知ってもらい、芝居文化を広めていきたい!」という強い思いのもと、神戸を拠点に活動してきました。情熱的な感情を色で表すなら、『赤』。冷静な感情を色で表すなら、『青』。そのどちらも表現するから、『パープル』。「ピープルパープル」って語呂がいいので決まりました。略して「ピーパー」です。(公式サイトより)
劇団The Stone Age!!!
1998年、夏――。大阪シナリオ学校卒業生で立ち上げた劇団「SALT MAKERS」解散後、鮒田を代表とし、坂本・緒方・中井の4人で劇団「The Stone Age」を旗揚げする。現在劇団員は、アサダを加えた中年男5人と閑社明子(制作)の6人。橋の下、この世とあの世の境目などを舞台に一幕で展開するオモロ儚い作品を上演。また、悪の秘密結社ショッカー、倒産寸前の女子プロレスなど特異な世界の人々の熱血を描く青春ドラマチックコメディも手掛ける。目指す作品は笑いとドラマの奇跡の融合。2007年より公演活動休止。2010年から新しい公演シリーズを立ち上げ、活動再開。(公式サイトより)
特攻舞台Baku-団改めステージタイガー
超体育会系演劇。俳優達の鍛え上げられた圧倒的な筋肉。それに最大限の負荷をかける事により、人間の奥深くに眠る野生のエネルギーを創出する。そんな超体育会系演劇を目指すステージタイガーは、関西を代表する強く、切なく、そして狂おしい劇団です。15名を越える劇団員で、自主公演だけに収まらず、ライブハウスから廃校まで、年10本以上のイベントにも出演中。今日もあなたの元へステージタイガー。もう、君にムキキュン。(公式サイトより)

タグ: 伊藤えん魔さん その人に出会ってしまった 衝撃を受けた作品 二十歳のわたし


こんな面白さもある、そんな面白さもある

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これまで数多くの舞台に立っているユーコさんですが、これを機に変わったと実感した作品はありますか?
山本 
東京に行く前なんですけど、石原正一ショーですね。
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なるほど。ドカコと野球狂の詩子。
山本 
演出方法というよりも、共演した兄さん姉さんの楽しそうっぷり。それまで私は頭でしか演劇をやってなかったから。武士道でやってたから。そういう価値観だけじゃない、まず自分が楽しくないとお客さんも楽しくないやん、みたいな事を、言われるのではなく実際に目にしてん。凄く考え方が変わったんです。少なくとも心持ちは変わって。で、東京に行ってからはコントやっててん。
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コント。
山本 
「ラ・サプリメント・ビバ」という。言うたらお笑いの人やねんけど。その人がお芝居よりのコントをやりたいという出演者募集のチラシを見て、同時にリリパット・アーミーの舞台にも出演が決まったから、両方同じ時期にやって、その後に平田オリザ・松田正隆の「天の煙」にも出て。違う種類の作品にどんどん出会えて、こんな面白さもある、そんな面白さもある、って。
石原正一
演劇人。石原正一ショー主宰。1989年、演劇活動開始。1995年、"石原正一ショー"旗揚げ。脚本演出を担当、漫画を基にサブカル風ドタバタ演劇を呈示。関西演劇界の年末恒例行事として尽力する。自称”80年代小劇場演劇の継承者”。外部出演も多数。肉声肉体を酷使し漫画の世界を自身で表現する"漫画朗読"の元祖。"振付"もできるし、”イシハラバヤシ”で歌も唄う。(公式BLOG『石原正一ショールーム』より)

タグ: 石原正一ショー その人に出会ってしまった 退団したら・・・ 分かりやすい面白さと芸術的な面白さの中間 垣根の無い世界へ 平田オリザ


本当に楽しそうに

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清水さんがお芝居を始めたのはどういう経緯があるのでしょうか。
清水 
元々中学からダンスをやっていて、ダンサーになりたかったんです。ヨーロッパ企画で芝居をしながらディズニーランドのオーディションを受けていて、でもその内にお芝居が楽しくなってきて。いつの間にかダンスは仕事から趣味になっていきました。
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そうなんですね!ダンサーだったとは知らなかったです。
清水 
よく言われるんですよ、踊れそうには見えないって(笑う)。でも何度か、お仕事で踊った事はあるんですよ。
__ 
いま芝居を続けているのには、どのような理由があるか説明出来ますか?
清水 
うーん、なんやろう。傲慢かもしれないですけど、これまで生きてきて、自分が、他人とかなり違う感じ方を持っているんじゃないかなと。
__ 
そうでしょうね。
清水 
恥ずかしいですけどそういうのがあって。それが誰かの楽しみになったらいいなと思うんですよね。私、ままごとの端田新菜さんが大好きで、この人に出会えて本当に嬉しい、と面識ないのに片思いしてます。あの人は本当に楽しそうにやっていて、見ている人が幸せになるんですよ。私も、誰かにとってのそういう存在になれたらなと思います。
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「いぬ」の事とか、ですね。私は多分、その一人です。
清水 
ありがとうございます。
ヨーロッパ企画
98年、同志社大学演劇サークル「同志社小劇場」内において上田、諏訪、永野によりユニット結成。00年、独立。「劇団」の枠にとらわれない活動方針で、京都を拠点に全国でフットワーク軽く活動中。(公式サイトより)

タグ: 見ている人が幸せになる その人に出会ってしまった


vol.298 清水 智子

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2013/春
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清水

未知の世界で最初に出会う

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松田さんがお芝居を始めたのは、どのような経緯があったんでしょうか。
松田 
私は30歳の頃、一度転職をしているんですよ。前職場と今の職場の間に少し間があるのですが、その間に「滋賀県演劇アカデミー」というWSに参加したんですね。今から考えるとものすごく安い料金でした。しかも講師は青年団の志賀廣太郎さんで、丁寧に教えて頂きまして。それが最初ですわ。子供のとき、学校で「嫌いな先生の教科が嫌いになる」っていうことってあるじゃないですか。それぐらい未知の世界で最初に出会う指導者って大きいんですよね。志賀廣太郎さんという良い人に出会えてラッキーだったなと思います。
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ああ、社会人になってから演劇を始めるって結構珍しいかもしれませんね。
松田 
演劇人って、学生時代に演劇を始めて30歳を過ぎたあたりで辞めいく人が多いでしょう。結婚とかで生活がかかってきて続けられなくなって・・・本当に惜しい事に。私の場合は逆で、30歳から始めて、その時点で既に仕事をしていた訳ですから、今も仕事をしつつ芝居を続けてます。
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確かに、その意味では松田さんは逆ですね。

タグ: 分岐点 その人に出会ってしまった 就職と演劇の二択 静かな演劇と「出会う」


vol.293 松田 裕一郎

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2013/春
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松田