経験と総括・2

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山野さんがお芝居を始めた経緯を教えてください。
山野 
高校2年の時に文化祭で、クラスで演劇を作る事になったのが人生最初の舞台でした。ちなみに、高校の時の担任の先生が劇研アクターズラボの田中遊さんの公演クラスに参加していたんです。渋谷善史さんという方で現在も田中遊さんのユニットの正直者の会.labで活動されています。その渋谷さんのクラスで文化祭に出て舞台に立ったのが最初です。
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いかがでしたか。
山野 
良かったです!!すごく褒めてもらえて・・・。高校時代の唯一のいい思い出ですね(苦笑)重要な役でプレッシャーも大きかったし、仲間同士で衝突もしたりで大変でしたけど・・・。本当にやっておいて良かったです。僕の人生を大きく変えた出来事でした。しかし、その舞台の直後に急激に体調を崩しまして・・・病院に行ったところある精神科の病気になってしまっていたんですね・・・。実は育った家庭の環境が非常に悪くて・・・物心ついた頃からあまり自分の家庭が好きではなかったんです。そのストレスからか高校に入学した頃から体調も精神状態も悪く、騙し騙し必死に耐えていたんですが、ついに溜まりに溜まったフラストレーションが爆発してしまって・・・。以来学校にもまともに通えなくなり、処方薬依存でボロボロの状態で勉強どころではなくなってしまって・・・。なんとか高校は卒業できましたが当然受験勉強も進学出来ずそのまま自宅に引きこもるようになってしまったんです。
__ 
なるほど。
山野 
それからしばらくブランクが空くんですが、22歳の時にインターネットで某演劇サークルがメンバーを募集していてそこに入ることにしたんです。理由としては当時の僕は仕事も勉強もできていない、友達もほとんどいない、まあニートだったわけで・・・(苦笑)それが嫌で少しでも社会との接点を持たなくてはと思ったんです。「あの時素晴らしい経験を与えてくれた演劇なら自分に希望を与えてくれるのでは・・・」という思いで(苦笑)で入団してしばらく活動していたんですが正直ものすごく面白くなかったんです。考えが甘くて、だらだらしてて。あまりにも演劇を趣味として見ていたので。
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つまり、良くなかったんですね。
山野 
そうですね・・・。そこでしばらく悩んでいたんです。「そのサークルを辞めようか・・・しかし辞めたところで全くの無名の僕がどうやって芝居を続けるのか?いや自分が頑張ってそのサークルを立て直すべきなのか?しかしそのサークルの方達とは根本から考え方が違うのでは?」とかウダウダ考えている矢先にふつうユニットの廣瀬信輔さんと出会ったんです。確か2011年の1月だったと記憶しています。そこで廣瀬さんに気に入ってもらえてふつうユニットの「スペーストラベラーズ」という作品に出演させていただいたんです。その現場で廣瀬さんや他の共演者の皆さんに良くしてもらって・・・随分久しぶりに同年代の人達と関わることができて、喋って、遊んで、作品を造って・・・本当に楽しい現場でした。これをキッカケとして人と関わることを覚えて、徐々に引きこもりからを脱出することができたんです。
__ 
廣瀬さんと出会ったのはどんな経緯が。
山野 
谷さんが参加されていた、劇研アクターズラボの「恋愛論」という作品の挟み込みに、ふつうユニットの出演者募集のチラシがあったんです。当時の僕は今以上に演劇のことを何もわかっていませんでしたから・・・堅苦しいチラシとかだったら逃げ腰になってしまって絶対行けなかったと思うんですけど、そのふつうユニットのチラシがまあ、そのあまり上手くない絵が表にデカデカと描いてあって(笑)書いてあることも砕けた内容だったのでここなら自分でもと思い連絡をとってみたんです。そしたら連絡してきたのは僕一人だけだったらしくて(笑)それがきっかけで(苦笑)もしそれが無かったら現在の自分はなかったかもしれませんね(苦笑)

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vol.364 山野 博生

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2014/春
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山野

都市と彼の10年

金田一 
京都に来る前に、人に「何であんな時間の止まった場所に行くのか」と聞かれたんですよ。僕はその言葉の意味が分からなくて。止まっちゃいないだろうと思ってた。んで来てみて、その「時の止まった」という事、ちょっと分かった気がする。スピード感がないのかもしれないね。
___ 
分かる気がします。
金田一 
演劇のレベルとか進歩の話じゃなくて、自分達のやりたい事を手あたり次第やる、という体勢じゃなくて、自分のやりたい事を突き詰めてやる。そういう芝居をしている人たちが多いという事なのかな。それが僕に繋がっているのかもしれない。
___ 
金田一君は、今は「掘り下げている」?
金田一 
どうだろう。大学卒業して10年経って戻ってきて、こっちでも演劇を作って。別にブランクがあった訳じゃないけど、もうほとんど演出の素人のところから作ってる感覚なんですよ。「いい加減お前演劇分かれよ」って気持ちになっているんです。京都の、時が止まっている感覚が、どこか僕に繋がっている気がする。
___ 
突然だけど私は、個人的には京都の演劇人には共通して、「敵愾心」そのものが身に付くんじゃないかなと思います。もしかしたらそれが、掘り下げ本能の核かもしれない。変な事を言うようだけど。
金田一 
敵愾心?東京への?
___ 
分からない・・・対象は大阪かもしれないし、政府かもしれないし、既存の物すべてかもしれない。基本的には何かに反抗するという気概があるんですよ。実感として凄くある。学生運動からそれが引き継がれているのかな?
金田一 
うんうん。
___ 
何となくそのまま普通の事をやる、みたいなのを嫌う、みたいな。だから感情を表現する演技が、パロディ以外では少ない気がする。抑えたり無表情になって、その奥の表情を引き出すためにね。善し悪しはともかく、そこに何かある事を祈って。
金田一 
確かにね。東京の方が派手なんだよね、変化が。「毎回あいつ、同じ事やってんな」というのが、あんまりないような気はする。それでも、残っていくのはスタイルを確立させた人ばかりなんだよね。

タグ: 俳優のブランク 時間停止都市としての京都


わたしとドキドキぼーいず

ヰトウ 
演劇を始めたのは中学からでした。高校ではやってなかったんですけど、大学から再開したんです。高校3年間のブランクはあったんですが、でも大学はそこはあんまり重視していないので気にはしなかったんです。でも劇団に入って「お前なってねーよ」って言われるんですよ。演技出来てねえし、芝居へったくそだし。そういう部分を、すがるようですけどドキドキぼーいずで育めたらなと。
___ 
自分で、そこを伸ばしたいと思っているんですね。
ヰトウ 
本間さんに、役者として必要としてもらえるようになりたいですね。そうならなきゃいけないんですけど。いま、そこを目指して頑張ってます。
___ 
それは、人間としても?
ヰトウ 
そうですね、大学では教えてくれない部分の勉強も多いです。わたし見た目ちゃらんぽらんですけど(笑う)。年上の人がいっぱいいる現場に行く事が多いので、話し方とか振る舞いをすごく叩き込まれて。しっかりしているところはしっかりしているんです、ドキぼ。

タグ: 俳優のブランク 私の劇団について


KAVCプロデュース 木皿泉×末満健一「君ほほえめば」

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今日はどうぞ、宜しくお願いします。
清水 
よろしくお願いします~。
__ 
お久しぶりです。本当に。先日のKAVCプロデュース、木皿泉×末満健一「君ほほえめば」に出演されていましたね。大変面白かったです。
清水 
ありがとうございます。
__ 
いかがでしたか。
清水 
私は木皿さんの作品が大好きで、「すいか」ファンとしてはもう、とても光栄だったんです。ちょっとお話は違うんですが、3人の女友達が一緒に暮らし始めるという話で。オーディションに受かった日から、恥ずかしい話、毎日泣いてて。
__ 
えっ。
清水 
舞台のブランクもあったし、舞台が好きなだけでやっていいのかなと。責任感と嬉しさで葛藤の日々でした。
__ 
清水さんのブログに、最後の一週間でまとまっていった、という実感があったそうですね。
清水 
途中、キャストの変更があったりして。私自身もそれまで不安が残っていたんです。でも最後の一週間、みんなとお互いの考えている事を正直に打ち明けたりしたら、やっとほぐれてきて、自分が立つ舞台の姿が見えてきたんです。最後でもっていけた感じでした。
KAVCプロデュース 木皿泉×末満健一「君ほほえめば」
公演時期:2013/3/14~18。会場:神戸アートビレッジセンター。

タグ: 俳優のブランク オーディション 恥ずかしいコト 舞台にいる瞬間 一段落ついた


vol.298 清水 智子

フリー・その他。

2013/春
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清水

もう一度始める

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桐山さんは、一時期芝居を遠ざかっていた時期がありますよね。
桐山 
そうですね、仕事に就いてから3~4年、遠のいていました。
__ 
もう一度始めるというのは凄くエネルギーのいる事だと思いますが。
桐山 
そうなんですよ、何の舞台を観ても辛く感じる事がありました。何で僕はあそこにいないんだろう、って。でもブランクが長かったので、芝居の世界にどう戻ったらいいのか分からなくて。活動再開したのは、由良部正美さんの舞踏のワークショップからでした。
__ 
あ、そうなんですね。
桐山 
それから、まだ何かやれるかも・・・、と少しずつ思えてきて。やみいち行動に復帰させてもらったり、中野劇団に出させてもらったり。これからも、働きながらできる範囲で続けていきたいな、と思います。

タグ: 俳優のブランク


京都大学文学部学生控室

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もう何年くらいでしたっけ。やみいちは。8年くらいでしたか。
藤原
いや、8年じゃないね。10・・・13年か14年くらいやってるんじゃないかな。
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大昔ですね。
藤原
何年か前に、十周年の公演をやったから。でも中断期間も含めて、途中中断期間もあって、それも含めてだから。
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初めてみたやみいちが、何だかよく分からないシェフの絵のやつで。
藤原
シェフの友。
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それです。本当に新鮮でしたね。料理したり、役者のテンパってる姿だったり。ずっと高校演劇しか観てこなかったんですけど、そこで初めて小劇場演劇に触れたんですよ。私個人の演劇観は、今でもその影響を強く受けています。本当に、やみいちはずっと続いていってほしいなと思います。
藤原
まあ、かなり現実的な問題としてブンピカの存続は実は微妙だからね。
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マジですか。
藤原
ブンピカが無くなったら一つの大きな節目というか、どうしようという事になるわな。
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考えられないですね。
藤原
確定ではないんだけど、大学の長期的な計画ではなくなる事になってる。私の知っている範囲の計画ではグリーンベルトになる予定なのよ。
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グリーンベルトと言えば、立て看板関係を思い出します。石垣CAFEとかありましたね。考えさせられます。
13年か14年くらいやってる
92年8月「ムツゴロウといっしょ」が初行動である。当時は「裏劇団やみいち」と名乗っていた。初回開演時には客席には観客が一人しかいなかったのも今となってはいい思い出である。(藤)
3年のブランク
第3回行動から第4回行動まで、3年のブランクがある。メンバーが就職したりして芝居から離れていた事などが原因。(藤)
第6回行動「シェフの友」
第6回行動「シェフの友」の事である。チラシのイラストはシェフチェンコ選手。現チェルシーFC所属。もちろん「シェフの友」だからシェフチェンコなのである。(藤)
大学の長期的な計画
国立大学の行政法人化に伴い、各大学は国からお金が取れるうちに資産価値を増やしておこうと施設整備に力を注いだという経緯がある。その結果、京都大学でもかなり性急な整備が行われた。また、その過程で立て看板の乱立する百万遍の石垣を一掃してこぎれいな大学にしようという意図も見られた、などなど。(藤)
石垣CAFE
石垣CAFE・・・京都大学の石垣周辺整備計画に同大学の一部学生が反発、「長年親しまれてきた石垣の風景と、立て看板を自由に出せる大学を守りたい」という理由で京都大学の百万遍に面する石垣の上に小屋を設営、CAFE及び寮を出店?した。詳しくはリンク先を参照の事。

タグ: 俳優のブランク