分母/幻の階段

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iakuのウェブサイトでブログを拝見しまして、気になる文章を見つけまして。
「板の上で(または板じゃないところで)、身体が躍動したり疲労したり、肉体そのものが美しかったりダラしなかったり、空間と人物の配置だけで宇宙になったり何にもない場所になったり、無限の風景や空間を生み出せる演劇の表現って凄い。こんな風に言葉にすること自体が野暮とも言える。

自分がやってるストレートプレイは、せっかくの【無限】なものに【制限】をつけてしまっているんじゃないかって思うときがあるけど、【無限】は【無限という制限】の中でやってるとも言えるし、【制限の中に無限】を見つけることもできるんじゃないかとも思う。

ストレートプレイにもまだ可能性があるって思える内は、僕は人間を描きたいし、ドラマを見つけたい。そして、戯曲や台詞や意識と格闘して「人間味」のある演劇を作りたい。

わずかな時間しか生きられない人間の底の浅さ(あるいは深さ)、緩い根拠に固執するひ弱な意地、他人のことを分かったようにしてみたり、自分を賢そうに見せる振る舞い、自己欺瞞、自己顕示などなど、すべてが愛おしいのです。これもまた「博愛」を装っているのか? ああ「人間味」って美味だなぁ、珍味だなぁ。」
iaku diary July 15, 2012「演劇について。」より
横山 
ええ。
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これまでストレートプレイを書かれてこられた横山さんが、こういう風にお芝居の制限のなさや、一瞬の表情に宿る無限の奥行きについて、強い直感を受けられているという事実が、すごくジャンルレスな出来事のように思えて、とても痛快だったんですよ。
横山 
その当時、sundayとひょっとこ乱舞を見て、それに動かされて書いた記事だと思います。僕の書く作品に比較的近い、会話を用いた劇なのに、会話という制限に収まらない演劇をしているのが面白かったんですね。それ以外にもそうした作品を僕は許容出来るんですが、でも僕が創作するには向かない作品の形だと思っていて。
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その上で、共感というか、衝撃があったんですね。
横山 
そうです。僕が書けないような作品がもっともっと沢山あって欲しいんです。ちゃんとそれが世の中にある事。僕が書くストレートプレイがあって、ショーのような作品もあって、コンテンポラリーがあって、前衛もあって・・・ものすごい量の分母が、演劇にはあって欲しいんです。それらの出来るだけ多くを許容出来る視点を常に持ち、作品作りに当たりたいという思いがあります。
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そう、色んなジャンルがある事がそのまま豊かさなんですよね。
横山 
もちろん、お客さんに「全てのジャンルを楽しめ」なんて無理強いは出来ないんです。でも、お客さんに求める事があるとすれば、それは自分の苦手な分野が何かを知っていた方がいいという事。難しいからと言っても、それを遠ざけたり偏見を持つのではなくて。もちろん、僕個人にも苦手な分野はあるんです。自分の知識が薄いせいでアンテナが拾いきれなかった作品については言葉が持てず、無力感に打ちひしがれるんですけど・・・そういう時は、自分がもっとその作品を読み込むとか、戯曲としてそこに何かを加えたりとか、そういう可能性を自分に期待しまいます。読みきれなかった自分を許容した上で、難解な演劇の広がりを期待したいんです。
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難しい作品。我々はまるでそういうものが、階段の上のもののようであるかのように考えてしまいますね。「ハイカルチャー」という言葉があるように、普段の生活のレベルよりも上のものとして。(もしかしたら演劇自体が階段の上にあるのかもしれませんが。)下=行きやすいエンタメ作品という事になるのでしょうか。
横山 
ええ。
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でも、階段の上の人々が下に対して大きな態度を取ったり、侮ったりする訳ではないし、そうあるべきではない。その逆も同様で。
横山 
でも、どうしても配置されてしまう訳で。僕もどこかには配置されているんです。マップでいいと思うんですよね。上か下かではなくて。あと、もし要望があるとすれば、難しい演劇を難しい言葉で語るのは、あまり広がりがある事だとは思えないんです。難しい言葉を簡単な言葉で語ってこそ、裾野が広がるんじゃないかなと思うんです。何様のつもりだと言われるかもしれませんが。

タグ: アートへの偏見1「訳の分かんないやつでしょ」 難しい演劇作品はいかが


劇団員の手売りについて

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ちなみに、四葉さんは今後もお芝居を続けていかれるのでしょうか?
四葉 
いえ、私は普通に就職するつもりです。ただ、お芝居の世界には関わっていく予定です。エンターテイメント系の企業に就職が決まっているので。まあ、卒業出来ればですが(笑う)。でも、自分でクリエイトするのはもしかしたらこれで最後かもしれないですね。その分、この卒業公演には力を入れています。
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なるほど。就職されるんですね。ちなみに内定は。
四葉 
はい、もう頂いています。そこで勤めて、お芝居の事をもっと広めていきたいなと。
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広める。
四葉 
今のアマチュア劇団の人たちって、チケットを売るのって大変じゃないですか。どうしても知り合いに手売りするしかない。ぶっちゃけ、知り合いしか見に来ない。もっと効果的に広く売って行けるシステムを働いていく中で考えて行こうと思っています。本当は劇団を続けていきたかったんですけど、そのままでは社会に関われないと思ったんですね。
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そうかもしれませんね。ちょっと話は戻って、劇団員の手売りについて。最近は例えば、一つの公演の予約をホームページなどで予約が出来るところが大多数です。でも、そういうシステムが用意されているのはいいんですが、例えば参加者が多い作品ほど集客率が良かったりするのを見ると、やっぱり手売りだなと。とすると、大多数の見に来ない人から見たら「何か内向きな事やってるな」みたいな偏見が付いていたりするんでしょうねえ。
四葉 
そうなんですよ。「ああ、ガンバって」みたいな。劇団四季とかはまだ、みんな何となく四季の作品をテレビで見て知っているから受け止められているけど。
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四季も宝塚も、独立して認められていますからね。芝居を見る、というレジャーの選択肢の一番最初に来ていて、その下には何もないというか。
四葉 
映画を見るのと同じようにあってほしいんですけどね。フランスやイギリスとかだと結構身近で、例えば地域に劇団と劇場が根付いていて、週末にみんなで見に行くみたいなテンションらしくて。日本にはそういうのはないですね。
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そうですね。
四葉 
でも、例えば新感線に見に行くお客さんはファンを始め、幅広い客層がいますよね。チケットがいくら高くて、つまり敷居が高い舞台にお客さんが沢山入っていて、逆に敷居が低いはずの小劇場には入らない。何かなーって思います。
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果たして、小劇場を見に行くというオプションはいつ加わるのか、ですね。
四葉 
そうですね。小劇場ってクローズな印象の人が多いと思われているから、というのもあるかもしれませんが。
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確かに。

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