KYOTO EXPERIMENT オープンエントリー作品 - Theatre Company shelf『shelf volume 18 [deprived]

矢野 
今度京都に持ってくる作品というのが[deprived]というタイトルで、東京では(仮)とタイトルにつけて4月に上演したんですが、20人しか入らないギャラリーで、一週間ほど上演したんですね。音響や照明効果に頼らず、同じ空間で、観客と空間を共有して、物語を物語るという作品です。一度徹底的に、演劇に付随する様々な要素を削り落として俳優の“語り”の力だけを使った作品を作りたくて。
__ 
東京で上演して、いかがでしたか。
矢野 
今回の[deprived]に限らず、僕たちは基本的に、都度、再演に耐え得る強い作品を作るんだ、という気持ちが強くあります。僕は専業の演出家なので、基本的にテキストは他の誰かが書いたものを使う、というやり方を取っています。セットなども極力作らず、音響も薄く、観客の無意識を支えるように入れるか、あるいは最近はもう音響は無くてもいいかな、という感じで。だいたい装置を建て込む、という感覚からはもう10年ぐらい離れていますね。ただ、再演に耐え得る、といってもそれは同じものを正確に再現できるようにする、ということではなくて、つまりどこに持っていっても同じように上演できるパッケージ化された閉じた作品ではない。環境、つまり劇場という建築物の歴史や場所性、ロケーションなど大きな要素まで含めて、それらを含みこんで、その都度ちょっとずつ作り替えて、稽古場で出来るだけ柔らかく且つしなやかなものを作って、それを現場で毎回、アジャストしてから上演するという感じで。俳優には、まあ相当な負担がかかるんですけど、そういう風に劇場というか<場>の魅力を引き出した方が舞台芸術としてもっとずっと楽しいんじゃないかと。お金が掛からない、というのもありますけどね。でも、貧乏ったらしくはしたくなくて。
__ 
そうした上演形態が、shelfのスタイルですね。
矢野 
貧乏ったらしくしたくない、というのはこちらの気構えの問題でもあって、経費をケチってコンパクトにするというよりか、稽古場で相当な時間をかけ、試行錯誤しながら練り込んで来たものを1ステージ20人しか見られないような空間で上演する。それってむしろ、凄く贅沢なことなんじゃないだろうか、と。もちろんそこには懸念もあって、1ステージ20人だと、変な話客席が全て知り合いで埋まってしまうかもしれない。でもそれは何とかして避けよう。出来るだけ当日券を用意するとか、常連客しか入れないような一見さんお断りの飲食店のような雰囲気じゃなくて、誰でも入れるような、そんなオープンな空間を作ろうと。そのように、どうやって自分たちの存在や場所そのものを社会に対して開いていくか? ということについては、これからももっともっと考えていかないといけないと思っています。ただ先にも言ったように、自分たちのやりたいこと、課題、やるべきことが見えて来ているという意味では今は本当にとても充実した毎日を送っています。
__ 
課題が見えるという事は、少なからず問題に直面していた?
矢野 
将来的に考えて、何というか、テレビの仕事や、演劇、コミュニケーション教育など教える仕事、レッスンプロっていうんですかね、そういう二次的な仕事でなくちゃんとしたアーティストが、純粋に演劇作品を作ることでそれで対価が支払われるような社会になっていかないと、それはちょっと社会として余裕がないというか、貧しい社会なんじゃないかな、と思うんです。例えば俳優や、スタッフにしても例えば子どもを育てながらも演劇活動が出来るような、そんな世界になっていってほしいんです。まあ、そもそも演劇制作って、ビジネスとしてはすごく成り立ちにくいものなんですけどね。資本主義の、市場原理の中では回っていかない。だけど、や、だからこそ一人一人がただ良い作品を作ればいい、作り続けていれば、というのは違うと思ってて、それはそれでちょっと独りよがりな発想だと思うのです。で、だからそういうところから早く脱して、演劇に関わる一人一人が将来についてのそれぞれ明確なビジョンを持って、これからはそれぞれが一芸術家として文化政策などにも積極的にコミットしていかなければならないと思います。じっくりと作品作りをしている僕らのような存在が、ファストフードのように消費されるんじゃなくて、きちんと評価される。社会のなかに位置づけられる。国家百年の計、じゃないですけど、二年とか三年とかそんな目先の利益じゃない、大局的なビジョンを持って、演出家とか、劇団の代表者という者は活動をしていかなきゃいけない。そんなことをずっと考えていて、いろいろと、作品作りだけじゃなく制作的な面でも試行錯誤をしています。

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交錯する視線が生み出す

__ 
今回、残念ながら伊藤さんのお芝居は最後。終わった後にもっと残念に思うんだろうなあと思います。さて、豆企画ですね。延命聡子さんが演出という事ですが、これまでにも出演はされていますよね。
伊藤 
そうですね、3回ほど。座組も見知った人たちばかりで、ホントに気楽に稽古出来ています。人間関係で悩む事が一切ないですね。
__ 
あの時代のケッペキメンバーですよね。素晴らしい。寮食とかでやっている人たちの気を使わなくて良さ、これが存分に味わえますよね。敷居が低いというか。
伊藤 
テキトーっていう感じですけどね(笑う)悪く言うと。
__ 
楽しみですね。「2001人芝居」。
伊藤 
演出の延命さんが、もう知り合って10年ぐらい経つんですけど、僕の良いところも悪いところも分かってくださっていて。どうすれば人に受け容れられるかという演出もしてくれます。
__ 
伊藤さんの長所、それがどう受け止められるべきか。それを発見して更新し続ける努力がきっと必要ですね。では、見に来たお客さんにどう感じてもらいたいですか?
伊藤 
最低限、出演者一人で芝居が出来るんだと。そういう事を証明したいんです。今回セットも小道具も少なくして、役者一人だけでこれだけ演劇を成立させられるんだ、と。
__ 
頑張って下さい。成立していない瞬間はきっとあると思うんです。その期間はつまり、観客席と舞台の関係がブレた状態だと思う。その時、伊藤さん個人の味がテキストの下から這い出して、観客の価値観に掛けられる筈なんですよ。一人芝居ならなおさらそういうシーンが大事なんだと思う。大丈夫だと思いますよ。
伊藤 
大丈夫ですかね。
__ 
あとは体調次第じゃないですかね。

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vol.353 伊藤 泰三

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2014/春
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伊藤

舞台映像という仕事[4]

__ 
舞台を撮影するときに、何に気を付けていますか?
武信 
一番気を付けているのは、僕だけの視点にならないようにしています。物語を出来るだけ理解して、そこから離れないようにしようと注意しています。僕の視点は絶対入っちゃうから、でも、物語を分かりやすくするための視点を常に持つようにしています。
__ 
ありがとうございます。具体的な撮り方で言えばいかがですか?
武信 
例えば、役者さんが移動する時にカメラを強引に移動したりしない事ですね。歩くのに合わせること。「カメラが先に動くな、役者が動くからカメラも動くのだ」、という事ですね。微妙なラインの話ですけど。
__ 
あ、何か分かる気がします。ありがとうございます。いつか、こういう作品の映像を撮りたい、というのはありますか?
武信 
具体的なものはないんですけど、色々な舞台の映像を撮影させていただいているので、基本的には網羅してしまっているというか。でも、これまでのやり方が通用しないような、とんでもないものがやってみたいと言えばやってみたいです。

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勘違いしないで

__ 
踊る時に、お客さんの視線と向き合う時に何を考えますか?
木皮 
これまで単独公演を4回しているんですが、踊っている時の感覚として、「見られるシーン」と「見せるシーン」がスイッチする感覚があります。
__ 
というと?
木皮 
あえてお客さんと繋がらないで、お客さんに発見してもらうシーン。そのメリハリは意識していますね。僕のダンス作品では喋ったりアイス食ってたりして、結構マヌケなシーンが多いんです。
__ 
かなり冷静にダンス中の現在に向き合っている印象を受けますが、木皮さんご自身には何らかの手応えはありますか?
木皮 
手応え。うーん、やっぱり無いですね。それは観客の感覚なので。「さっきはいい空気作れたな」と思っても、実際はそんな事一切ないだろうし。それは僕の勘違いだろうと思うんです。想像で観客の事を理解なんて、出来ないんですよ。そもそも、予想の組み合わせでしか演出は出来ないんだったら、実際に上演している時の手応えも当てにならないんじゃないかと思いますね。終わってから気付けばいいと思うんです。
__ 
気構えとして素晴らしいと思います。私はこれまで、劇場が一つになっている状態というのが舞台芸術の至高の一つだと思っていますが、確かに、それを舞台上で感じて、何も出来なくなってしまうというのは恐るべき事ですね。

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vol.320 木皮 成

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2013/春
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木皮

饒舌な沈黙

片桐 
よく言われている事かもしれませんが、作品はその場にいる、お客さんを含めた全ての人で作るんですよね。
__ 
片桐さんは、そこに可能性を感じているんですね。
片桐 
同じ作品をやっていても、お客さんが参加していると感じた回は、全体として凄くいいものが出来た、と思えるんです。その逆もあります。演出に言われた事を忠実にやっていても、「これでいいのかな」と迷う瞬間があるんです。お客さんの「無言」という反応を皮膚で感じた時には、やっぱりそうなんですよ。
__ 
演劇は観客と作るものである、という言葉はよく聞きますが、なるほど。お客さんの無言のうちの反応を、舞台上の片桐さんが頭ではなく皮膚で感じている。その応酬は、作品に直接的な影響を与えうる。笑いとか拍手とかの表面のレベルじゃなく、もっと深いところで繋がってたんですね。
片桐 
結局、コミュニケーションなんですね。作品の上演はもちろんただの一方向じゃなくて、その交換が豊かであればあるほど、やる意義はあると思うんです。

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vol.288 片桐 慎和子

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2013/春
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片桐

自由について

イガキ 
だから逆に、現場に行かなくてはならないライブの魅力が再発見されるといいなあと思うんですよね。USTREAMで済ませないで。
___ 
ひきこもりでもない限り、家にじっとしている事は出来ないですもんね。たくさんの人が集まって盛り上がっている場所に対して、人はどうしても惹かれるんだと思います。中国ではAV女優の蒼井そらが大人気で、ライブをすると一万人からの人間が集まるそうですよ。
イガキ 
生でカワイコちゃんを見たいんでしょうね。
___ 
その上に、ネタとして盛り上がりたいという欲求があるのかも。
イガキ 
私もライブに関わる者として、どうしたら人を会場に呼び込めるのかがずっと課題です。難しいですよね。
___ 
そうですね。音楽ならではの苦労はありますか?
イガキ 
やっぱり演劇やダンスだと、映像と生はまるで違うんですよ。映像だと見えない視点がどうしても存在する。
___ 
そして、視線を動かすという動物的な快楽は観客席の特権ですね。
イガキ 
音楽は、CDの方がよく聞けるという人もいるんです。もちろん、LIVEでなくてはよりよい音は出せないというアーティストもいるんですが。ライブの魅力は、ライブならではの難しさと表裏一体だと思っています。
___ 
舞台でバイオリンを弾いている時、どんな事を考えていますか?
イガキ 
現場によりますが、自分から出てくるものを、どれだけフィルターを通さずに出せるかに集中しています。それを現場で考えていたら遅いので、心がけるという感じですね。うん、もっと自由になれるように、と願っています。
___ 
「自由になれる」。舞台で作品を表現する時に、身体が自由になって、それどころかお客さんも自由さを感じて、ってなかなかないですよね。

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お客さんの楽しみ方を即座に考えつく(!)

__ 
というのは、ストリップ劇場に来ているお客さんの目線って、性欲目的と鑑賞目的が同時にあるんですよ、多分。それに耐えうるものを持っていかないと、すぐにつまらない時間になってしまうのではないかと。
葵  
お客さんは踊って脱いで、という流れを分かってるから、そういう面では受け身なんですよね。ステージを見るぞ、というよりは消極的なんじゃないかなって。だから、「分かってくれるかな?」だと絶対伝わらないんですよ。
__ 
へえー。
葵  
自分が興味がないと、見なくなるんです。持ってきた新聞を読み始めた人もいたりして。
__ 
ええっ!もったいない。でも、同じ事をし続けていると目線がそれるんだろうなあ。
葵  
うんうん、脱ぐっていう事に飽きる。
__ 
演劇のように、柔軟に別のネタに接続したり、場面を転換できない。ダンスのように、芸術の追求もちょっと制限がある。その上、脱ぐというプライズを過ぎたら、すぐにハイハイってなっちゃうかもしれない。女性の体だって、お客さんによっては見飽きているものだし。貴重である事は代わりはないけど。
葵  
そうですね。10年15年の経験がある先輩の方って舞台上ですごく遊ぶのが上手で、見せ方を知っているんですよ。強い身体を持つ反面、観客の視線にめっちゃ敏感だと思うんです。空気によってはしゃべりだしたり。
__ 
へえー。
葵  
常連さんばっかりの4回目の終わりとか。その場のノリを感じ取るのがすっごいうまいから、その時のお客さんの楽しみ方を即座に考えつくんですよね。
__ 
なるほど。それは凄いですね。

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vol.156 葵 マコ

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2010/春
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葵

お客さんを意識するかしないかというと・・・

__ 
宮川さんの演じたキャラクターの中の一人に、相対性理論がツボにハマる女子高生がいたと思うんですけど。
宮川 
ああ、あのちょっとこまっしゃくれたねー(笑)。
__ 
あの役が凄く、印象に残ったんですよ。
宮川 
女子高生役とかモデル役は、だいぶ自分からかけ離れたところにいるから、大丈夫かなあって思っていたんですけどね。
__ 
いやいや、全然大丈夫でした。でもあのキャラクターだけ、ほわーんと、あらぬ方向を向いていて観客の目線を全然気にしていないみたいな。そんな、フレームから演技を使い分けられるって凄いなあと。
宮川 
お客さんを意識するかしないかというとしない方なんですよ。自分の作ってきたものを、その時に遊んでみたりちょっとずらしてみたりはするんですけど、それはお客さん側に合わせて、というのはないですね。
__ 
なるほど、言われてみれば・・・。あ、これって伝わりにくいな。とにかく、宮川さんの舞台でのそういう振る舞い方、すごく面白いし、好きです。

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課題

高原
でもなー。色々課題は残ったわ。
__
それはどんな?
高原
もっとやれたんじゃないか。
__
欲が?
高原
家屋全壊は、ステージ数長かったから。芝居全体が。公演スケジュールの前半と後半で、演出の注文が変わって、テンポをめちゃ早くしなくてはあかんかって。それで坂口さんとかがテンポを上げたり。しかも芝居を作っていくのが上手いし。
__
うん。
高原
芝居の長さが当初と十分以上違うねんか。その変化にすぐ対応できへんかった。
__
坂口さんが作っていくっていう話だけど。観客の反応を見て芝居をコントロールしていくといくとか、そういうことだよね?
高原
うん。
__
舞台にいながらにして、観客の反応を理解するのって難しいじゃないですか。でも坂口さんは、具体的にはどういう感覚なのか分からないけどそれを捉えてる。で、サッカーで言うアイデアみたいに芝居を作っていくみたいな。ロナウジーニョのドリブルのように、本番で発揮されるアイデア。
高原
うん、この公演ってよくサッカーで例えられてて。サッカーっていうかフォーメーションっていう部分で。どういうプレイが「家屋全壊」で求められているかっていう話があって。相手をみてパスを出すんじゃなくて、この辺にいるやろなって想像して打つみたいな。そういう信頼関係みたいなものが求められてて。時間の短縮のためにも。そういう意味で、坂口さんて直感で見てはるし、そのパスにわたわたしてしまっていたな、とか。そういう反省はある。
どん亀演劇祭のvol.3 家屋全壊
公演時期:2006年3月8日~12日。会場:精華小劇場
坂口さん
フリーの役者。

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