出会いと別れ
- __
- FTPというか、劇団衛星※との出会いと別れについて、です。まず、どんな経緯で入ったんですか?
- 楠
- 4回生の時に声優の養成所に通っていて、他にも大学で演技の勉強ができるようなところがないか探したところ、蓮行さんが教えている授業を見つけました。子供たちとお芝居を作るWSを学生が企画実践する授業です。そこで京都の演劇と出会い、アルバイトの期間を経て、卒業後フリンジシアタープロジェクト(FTP)に入りました。
- __
- そして、辞めた。
- 楠
- そうです。今でも顔向け出来ないぐらい、迷惑を掛けたし申し訳ないと思っています。でも、FTPを辞めなければ出会えない人たちや舞台に沢山出会えました。FTPにいないと出来ない経験は山ほどあったんですけど、FTPを辞めないと出来ない経験が私にはたくさんあったんです。私はそれを選べて良かったです。辞める辞めないで悩んでいた時相談に乗って下さった方々には、今でも本当に感謝しています。辞める事自体も迷惑になる状態で本当に苦しかったですが、それでも、辞めたことを後悔したことはないです。
- __
- じゃあ、良かったんですよ。それは。
- 楠
- でも申し訳ないです。たいしていい働きも出来なくて・・・。
- __
- だからこそ、楠さんがもっと大きくなって、衛星を見返すぐらいの存在になってもらわないと困るじゃないですか。
- 楠
- それは、そうなのかもしれないですね。
- __
- 楠さんは、いまどんな感じで演劇を続けていきたいですか?
- 楠
- FTPで働いて、辞めて、それで思うんですけど、今の京都で役者として演劇を仕事にするというのは、ステージ以外の部分で働くしかないんですよ。私はワークショップや教育に興味がないので、時間やお金だけをみれば割りのいい仕事が他にいくらでもある。だから今は割り切って、アルバイトで効率よくお金を稼いで、それで自分の演劇をしています。とても幸せです。
- __
- なるほど。
- 楠
- 演劇教育で働くプロのあり方もその功績も、凄い事だと思います。でも私は、お金を稼げることだけが演劇のプロなのではないと思っています。
- ※劇団衛星
- 「小劇場での演劇でしか絶対に表現できない舞台表現」を極めるべく、1995年6月設立。「演劇人=アルバイト生活」の常識を破った、フリンジ業界における非常に珍しい専業演劇人集団である。京都を拠点に、既存のホールのみならず、寺社仏閣・教会・廃工場等「劇場ではない場所」で公演を数多く行い、茶道劇「珠光の庵」や裁判劇「大陪審」などの代表作を全国で上演。また、演劇のポテンシャルを利用したワークショップなど「演劇のないところに演劇を送り込む」活動を、幅広く展開中。(公式サイトより)
私と壱劇屋
- __
- 小刀さんが演劇を始めた経緯を教えてください。
- 小刀
- 結構昔からアニメが好きで、当時、アニメの声優になりたかったんですよ。でも、高校演劇に入ってからは演劇の方がおもしろいなとなって。壱劇屋の事は先輩に教えてもらって、ずっと見てました。そこからですね。
- __
- いつぐらいから見てるのでしょうか。
- 小刀
- 何回公演か分からないんですけど、「マリオネット・クインテット」という作品から見てますね。
- __
- 私の知らない壱劇屋の歴史ですね。
- 小刀
- もう6年ぐらい前ですね。
- __
- 壱劇屋に参加したのは。
- 小刀
- 「BlackSpace」からです。出演者募集のチラシを見て応募して、それから「BlckSpace」の再演と、「6人の悩める観客」に客演で出てました。高校卒業して、壱劇屋が好きな劇団なので、入りたいなあと思っていたんです。
「これが演劇ですよ」
- __
- 大橋さんが演劇を始めたのはどのようなキッカケがあったのでしょうか。
- 大橋
- 当初は声優になりたかったんですよ。それで演劇部に入ったんです。少女マンガが大好きで、ママレード・ボーイとか、こどものおもちゃとか。りぼん系のアニメを好んで見ていたんです。そのうちに声優になりたいと思って。神谷明さんの著書の「きみも声優になれる!!」という本を読んだら、舞台をやれって書いてあったんです。声優というのは元々、舞台をやっている人たちに任せられていたらしく。中3の段階で演劇=ダサいというイメージがあったんですが、高校から演劇部に入りました。
- __
- というと。
- 大橋
- 何故かと考えたら、それは小学校の頃に見た巡回演劇なんですね。子供に見せるには、あまりに教条主義的というか説教臭いと感じたんです。もちろん素晴らしい作品が多いし、選ぶのは指導をされる先生方であるという構造もあるので、誰が悪いという事ではないんですけれども。演劇に対するそうした思い込みはあったんですが、いい部活でした。
- __
- 最初は役者だったんですか。
- 大橋
- はい。でも、全然上手く出来なかったんですよ。最初に貰ったのはセールスマンの役だったんですが、県大会進出の二週間前で降ろされたんです。大会ではピンスポを当ててました。何でダメだったんだろう、それはやっぱり、他人とのコミュニケーションが苦手だったんですね。人と対する時に緊張してしまう。そんなのが演技なんて出来る筈がないじゃないか。そういうコンプレックス的な部分が、演劇をやることで、演劇に逆照射されたんですね。しかし、その中で自分を見つめて相手と向き合って、その上で生まれるドラマが演劇の良さだと気づく事が出来ました。そういう芸術ですよね、演劇って。
- __
- 素晴らしい。
- 大橋
- そういう事を、高1の頃には大体直感していたんです。高校卒業時、進路を考える時期になって色々迷ったんです。みんな、演劇をやればいいのにって思って。その頃、キャラメルボックスの加藤プロデューサーを知って。この人みたいに、世の中に演劇を広めたいなあと思ったんです。あと高3の時に平田オリザさんのワークショップを受けたのも大きいですね。3日間くらいで小作品を作るんですが、「これが演劇ですよ」って分かりやすく解説してもらった気がしました。
めっちゃ生き生きしてた
- __
- すみません、今日は大事な時間を使わせてしまって。今日はどうぞ、宜しくお願い致します。
- 押谷
- いえいえ。とんでもありません。こちらこそ、お願いします。 <
- __
- 早速ですが、押谷さんはどういうきっかけから演劇を始めたんでしょうか。
- 押谷
- 始めたのは仕事にも慣れて余裕が出て来た頃です。それまでを振り返った時に、まだやっていない事があるなあと思ったんですよ。
- __
- ええ。
- 押谷
- その時なら、まだ自由が利くと思ったんですね。仕事を辞めて、AI・HALLファクトリーに参加したのが最初です。
- __
- やりたかった事というのは、そのままお芝居だったんですか?
- 押谷
- その前から声優とか、演じる事に興味があって。でも環境とか年齢とか当時の進路とか、将来の展望を考えるに、現実的な道を選んで来たんですよね。いつか出来たらいいなと思っていながら、なかなか決断できずにいました。
- __
- なるほど。初舞台はどうでしたか。
- 押谷
- 観るもの聞くもの全てが楽しかったですね。14、5人で、見ず知らずの人が集まって一つのものを作り上げていくのが、過程も結果も楽しくて。仲間と一緒に作りあげたものがすごく愛おしかったんですね。
- __
- なるほど。
- 押谷
- 親を公演に呼んだんですけど、「めっちゃ生き生きしてた」と言ってくれたんですよね。自分も楽しかったんですけど、周りもそう言ってくれた事が、自分の大きなステップになったと思います。
- __
- なるほど。ありがとうございます。
二つの出来事が重なって
- __
- ところで森田さんは、どういう経緯でお芝居を始められたんですか?
- 森田
- ある日、職場に来ている営業の人が「今度芝居をするんですよ」って。それまで私は芝居なんて関わった事もなくて、京都演劇界なんてものがあるという事も知らなかったんですよ。
- __
- それは、そうでしょうね。
- 森田
- でも、働きながらそういう事に関わるっていいなあって思ったんです。私もその頃、声優の養成所に行っていて。
- __
- ええ。
- 森田
- それと同時期に、同じ養成所に通っていた人から女優を探しているって話があったんです。それがPASSIONEでした。その二つの出来事が重なって興味がかき立てられたんです。どちらか一方がなければ始めてなかったと思います。
- __
- 初舞台は。
- 森田
- いきなり、舞台のことを何も知らない状態でPASSIONEの公演に出る事になったんですよ。しかもアートコンプレックス1928※で、かつ主役級の役で。いい思いをさせてもらいました。あれが最初だったからこそ続けたのかもしれませんね。
- ※アートコンプレックス1928
- 三条御幸町の多目的ホール。ダンス、演劇公演、ショーやワークショップ、展覧会等を開催する。
質問 村上慎太郎さんからHIROFUMIさんへ
![]() |
![]() |
![]() |
- __
- さて、前回インタビューをさせていただきました弱男ユニットの村上慎太郎さんから質問を頂いてきております。1.あなたにとって、演劇の教科書はなんですか?
- HRFM
- 演劇の教科書というものはないと思います。逆に言うと、何でも教科書になると思います。芝居も、TVドラマも、周りの人も。
- __
- お芝居をする上で、影響を受けた人はいらっしゃいますか?
- HRFM
- 中学の頃、声優の子安武人さんにハマった事があります。アニメなんかだと凄いかっこいい役を演じるのに、ギャグも出来たり。ラジオのトークは面白いし。いろんな事が出来る人に憧れていました。
世界が全然違う
- __
- 葛井さんは、いつからお芝居をされていたんでしょうか?
- 葛井
- 初めて舞台に出させて頂いたのは、去年のZTONの公演でした。それまでは、大阪の声優プロダクションの養成所にいたんですよ。
- __
- あ、そうだったんですか。
- 葛井
- はい。そこで河瀬くんと知り合って、ZTONに出演するキッカケになったんです。
- __
- ちなみに、どんな経緯でその養成所に。
- 葛井
- 物心付いた時から声優に限らず、そういう事をやりたいと思ってたんですね。それが声優という具体的な形になったのは小学生の頃からでした。テレビを見ていたら、姿は出さずとも演技している人がいるなあって。テクニックのいるプロフェッショナルな仕事だと思ったんです。それで、自分で入学金を稼いで、養成所のオーディション受かって、上手い具合に良い先生にも出会って、少しは評価もして頂いて。
- __
- ああ、なるほど。
- 葛井
- けど、段々実際の声優業界と自分のやりたい事にギャップが出てきたんです。
- __
- と言うのは。
- 葛井
- 私達の世代って、声優になりたいという人が多いって言われるじゃないですか。擬似アイドルみたいなイメージで。私はそういう風にインフレ化する前からこの職業に気持ちを置いてたんですが。テクニカルな職業だという部分で。それがある時からアイドル的な見方をされて、どうなんやろうと。求められるモノも技術よりルックス・みたいな。
- __
- 養成所に入ってらしたんですね。小劇場と世界が全然違うような。
- 葛井
- そうですね、サバイバルでしたね。少なくとも私はそのつもりでした。役者になろうとする人はストイックに追及して、のしあがっていくか蹴落とされるかだと思っていましたから。仲良しこよしじゃなくて、その世界で生きていくために通っていましたし。で、クラスの中で浮いてたんですよ、私も河瀬も。まわりは、役者になりたい!ってゆうよりも、好きなアニメにでたい!てな感じだったので。空気がまるで違った。
緊張感
- __
- 村井さんがお芝居を始めたのは何故なのでしょうか。
- 村井
- 小学生の頃から、声優になりたいというのがあって。というのも、音読が好きだったんですね。
- __
- ああ、分かります。
- 村井
- 本読みが上手だと言われたから好きになったんだと思います。んで中学校入って、演劇部がなかったので作って、高校で演劇部に入って、大学の演劇部が合わなかったので自分で作って。
- __
- 円劇飴色ですね。
- 村井
- で、その延長線上で何色何番に。今は、もうダメだと思うまで演劇を続けて、限界になったら就職しようと。それで今まで、うっかり続けています。
- __
- うっかり。
- 村井
- うっかり。
- __
- それでは、村井さんの趣味について伺いたいと思います。
- 村井
- 趣味。こういうお芝居が好きとか。
- __
- いえ、お芝居作りにおいての村井さんのスタンスですね。作るにあたって大事にしたい事ですとか。たかつさんからはとてもストイックなやり方をされると伺っていますけれども。
- 村井
- あ、ホントですか。ストイックって響きがかっこいいですよね。
- __
- そうですね。
- 村井
- ・・・緊張感。
- __
- それは、演技をする上での。
- 村井
- 演技をする上で、ですかね。ダラダラするんだったらしない方がいいと思っているので。今は稽古期間が休み中で、本番まで時間が無いんですが、そういう意味ではもの凄い緊張感がありますね。
- __
- 緊張感というのは、稽古時間中の話ですか?
- 村井
- 芝居をするなら、いつでも「殺される」と思っていないとなあ。という。わかんないですね。
- __
- いえ、ええと。緊張感そのものが重要という事なのかなあと思うんですが。芝居の内容ももちろん重要なのですが、それとは別で、舞台上で集中している人、というのが大事なんですかね。
- 村井
- あ、そうですね。緊張感が好きです。
- __
- いいですね。それは。
- 村井
- いえ、私から出てるかは知らないですよ(笑う)。
- __
- いえいえ。集中している人の姿というのは、演劇でしか見られないですもんね。
- 村井
- ショッキングな場面というのは、現場に行けば見れるものかもしれませんが、それは見世物と言っていいものかどうか。事件現場であったり、抗議活動のさ中であったり、劇的だし、非日常的だし、凄いあてられるものがあるのですが、それは見世物とは違う。
- __
- マスコミの取り巻く中で殺されたりね。
- 村井
- そういうのは見世物とは違うけれど、人はそういうものをうっかり見てしまいたくなるものだと思うんですね。人倫的な事はともかく。舞台上で役が傷つくのは、それに応えられるものになるなあ、と思っていて。まあ、重たい人には重たいと思うんですが。
- __
- 劇場に行けば、失敗したら終わりの本番が見れますね。まあ、現場ですよね。
- 村井
- ある記事に取り上げてもらった事があって、そこで言った事なのですが・・・。演技をしているというのは、舞台上でちゃんと生きて死にたいという。
- __
- 生きて死ぬ?
- 村井
- あたりまえの事なんですが、役者はその人の人生の断片を表現するんですね。役は本番という時間でしか息が出来ない。だから自分の持てる限りのものをめいっぱい費やして、ちゃんと死なせたい。一日に本番が3回あったとしても、二度とやれないじゃないですか。
- __
- では、村井さんにとっていい役者というのは、舞台でちゃんと生きて死ぬ事が出来る人なんですね。
- 村井
- そうですね。私は、本番に入った途端生き生きする人が好きです。お客さん、小屋、本番の時間が好きな人ですね。そういう役者を見ると、脅かされます。やべっと思います。いい緊張感、刺激になります。
田中真弓
- __
- 新良さんは、俳優としてまたは歌手としてどんな感じで。
- 新良
- うーん、どうなんだろう・・・。いや、本当に悩んでいて。悩むの遅いんですけどね。うーん、でも基本は兎町なので。そこを主流に考えていて。で、外にも出て活動したいですね。今とあんまり変わらないですね。本当に。歌はずっと続けて生きたいし、兎町も続けたいし。何だろう、どうするんだろう。どうしたらいいんだろう。でも、私の夢は田中真弓さんになることなんですよ。
- __
- え?
- 新良
- 声優の田中真弓さん。自分の劇団もありの、声優もしいの、歌も歌いの。
- __
- マルチな感じのね。劇団あったんですね。
- 新良
- あるんですよ。おっ、ぺれったという。自分でミュージカル劇団をやってるんですよ。楽しそうじゃないですか。いいなあと思って。
- __
- クリリンの声が。
- 新良
- そうそう。パズーとかね。こないだやってましたね。
- __
- やってましたね。
- 新良
- でも私は、何にもならない気がします。何か、何かね。こんな事いっていいのか。何にもならずに、何だろう・・・結婚もせずに、ホステスをやりながら。
- __
- ホステス。
- 新良
- 今の流れで行くと、ホステスになって、適当に結婚して、死ぬ、みたいな。気がする。
- __
- なるほど。
- 新良
- まあ、頑張りますからね。
- __
- それは別に、負けとかそういう事じゃないと思うけど、頑張って下さい。
- 新良
- 頑張ります。
- __
- まあ、何とかなりますよ。
- 新良
- 何とかなる何とかなる。
- __
- デス電所※がある限り大丈夫だよ。
- 新良
- ええ!?
- __
- デス電所楽しみですね。
- 新良
- 楽しみですね。私はクロム※が大好きなんですよ。
- __
- ベトナムいいですね。
- ※デス電所
- 1998年の近畿大学在学中に、作・演出の竹内佑を中心として結成。 現在は竹内佑、丸山英彦、山村涼子、豊田真吾、米田晋平、田嶋杏子、福田靖久、松下隆、そして座付音楽家・和田俊輔の9名で構成。人間の本質、感情の極限や暗部を描き、和田俊輔のドラマティックな音楽がさらに作品に深みを持たせて、哀しさや切なさ、愛しさやおかしさを表現している。
- ※クロムモリブデン
- 主宰・青木秀樹氏。1989年、大阪芸術大学映像学科を卒業した青木秀樹を中心に、同大学の学生らを主要メンバーに結成。積み上げてきた独自のスタイルを基盤としながらも、ポップさを前面に押し出したコメディ色の強い作品を制作。(公式サイトより)
- ※
- 丸井重樹氏を代表とする劇団。手段としての笑いではなく、目的としての笑いを追及する。