ROBのこれから

__ 
いつか、どんな事が出来たらいいなと思われますか?
ボブ 
ホテルを辞めるきっかけが、ある芝居をシアタードラマシティで見た事だったんです。やっぱり向こうでやりたい、と思ったんですね。言ってしまうと。シアタードラマシティでやりたいなと。
ダイチ 
それから、ロックフェスに出たいですね。
ボブ 
夏のね。それも一つの目標ですね。
__ 
すばらしい。それは見たいですね。
ダイチ 
こいつらは何がしたいねんって思われたいですね。
ボブ 
あ、そうですね。何なんだろうってなるけれど、気になってしまう。
__ 
スタイルを貫いていってほしいですね。

タグ: 自分を変えた、あの舞台


『ガールズ、遠く―バージンセンチネル―』

__ 
これまで出演してきた舞台の中で、自分を変えたものは何ですか?
西村 
やっぱり、劇団しようよの『ガールズ、遠く―バージンセンチネル―』でした。今までやった事のない芝居だったので大変でした。ゾッとした体験でした。
__ 
というと。
西村 
ひとりの男の子の人生についての作品で、私はその彼女の役で、彼をずっと見つめる演技でした。虚構の人物が、実際にはそこにはいないけど彼を見つめている、という芝居で、例えば視線の持っていき方や歩き方も全部指導されて。こういう風にやったらこう見える、みたいなヒントを貰って、そこから自分で組み立てたんです。そういう作業はやった事がないので、そこから自分の芝居も変わってきたのかなという気がします。
__ 
自分の演技を外から見る、その視線を導入されたという事ですね。それもリアルタイムで。もしかして、今でもそれは苦手?
西村 
今ではそっちの方が好きですね、その抽象的な感じ。逆にリアルな女性を演じるのが苦手になりましたね。
__ 
リアルな女性といえば、「月面クロワッサンのおもしろ演劇集」での『強く押すのをやめてください』。以前丸山交通公園さんにインタビューさせていただいた時に、「西村さんをひどい目に遭わす」というのが彼の至上命題だったそうですね。その予告通り、西村さんはかなりひどい目に遭っていましたが。
西村 
はい、遭ってました(笑う)。
__ 
それでも『バージンセンチネル』の方がしんどかった?
西村 
はい、でもどうでしょうね、『バージンセンチネル』での経験があって、『強く押すのをやめてください』につながっていったと思います。自分の演技を客観視するようなことがあったからこそ、ひどい人間を演じる事も出来るんじゃないかって。
『ガールズ、遠く―バージンセンチネル―』
公演時期:2012/4/26~30。会場:京都市東山青少年活動センター 創造活動室。

タグ: 自分を変えた、あの舞台


さよならのための怪獣人形劇『パフ』

__ 
劇団しようよでは今年、『パフ』の再演がありましたね。東京、京都でツアー上演でした。その中の西村さんの演技で一番印象的だったのが、怪獣の鳴き声がですね、たまんない可愛さでしたね。「パフー」とかって。
西村 
ありがとうございます。良かったです。あれは何でやる事になったのかな、確か「おもちゃ箱をひっくり返したみたいな作品にしたい」と言われたからかな。内部でも評判が良くて、着信ボイスに出来たらいいねみたいな話になりました。
__ 
素晴らしい。待っています。ご自身ではどんな経験でしたか。
西村 
初演から数えて3回の公演をやってきていて、これだけ長い時間を共にする作品は他になかったんです。作品が変わっていく流れが面白かったというのもあります。作家は苦しんでいて、でもその結果がきちんと出たというのを目の当たりに出来て。嬉しかったです。
__ 
『パフ』は構成がとても面白かったですね。一つの楽曲のような戯曲でした。妄想の世界に逃げてしまった少年が現実の中に戻ってきてしまって、もう一度妄想の世界に旅立って、またもう一度現実と向き直すという。その構成自体が非常に美しくて、まとまっていました。
西村 
ありがとうございます。東京で色んな方に見て頂いて、構成に関するご感想も頂いて。思うのは、やっぱり別の地域の方に見て頂くのはすごく重要なんだなと。
__ 
というと。
西村 
私は元々九州の生まれなんですけど、京都で作った作品を東京に見せに行くと、京都よりもさらに広く、色んな価値観の人と触れ合う事になるんですよ。俳優としても成長出来るし、人生が広がっていくような気がします。
__ 
地方に行くって確かに大事ですよね。全然違う価値観の人に捉え直してもらう。というか、そうじゃなければ先入観がどうしても入ってきてしまうのかもしれない。
西村 
『パフ』では、描いていることのひとつに「災害」があるんですけど、京都と東京の受け止め方の違いはありますね。
__ 
そうですね、かなりバックグラウンドの違う人達ではありますからね。
西村 
はい。面白い事だと思うんです。また色んな作品を、違う土地に持っていけたらと思います。
さよならのための怪獣人形劇『パフ』再演ツアー
公演時期:2014/8/15~18(東京)、2014/9/5~7(京都)。会場:王子小劇場(東京)、KAIKA(京都)。

タグ: 自分を変えた、あの舞台 外の世界と繋がる 遠征公演 王子小劇場 再演の持つ可能性について 人形劇にまつわる話題 妄想


「幽霊たち」を見て・・・そこに生きている存在

__ 
お芝居を始めた頃に衝撃を受けた作品は何かありますか?
西村 
佐々木蔵之介さんが出演されていた『幽霊たち』という作品です。森ノ宮ピロティホールで見たんですけど、お芝居の演出ってこういう事なんだ、と思ったんですね。それまでは、自分が楽しかったらいいみたいな気持ちだったんです。自分たちが楽しかったらそれが伝わるよみたいな。でも、プロのお芝居を見たら「楽しい」とかそういう事ではなくて、そこに生きている人の存在を伝える技術なんだなって。
__ 
それは例えば、どんな技術?
西村 
佐々木蔵之介さんの演技はもちろんなんですけど、場面が切り替わると佐々木さんの役柄も切り替わっていくその演出がすごく鮮やかで。
__ 
それは・・・場面が切り替わるのが伝わったという事なんですね。
西村 
そうですね。『幽霊たち』では、家の外に出る、公園に行く、みたいな行動を、舞台装置を動かすだけで流れていくように演出されていて、全然世界が違って見えたんです。これは映像では体験できないものだなと思いました。
__ 
それを、お客さんに理解させるという技術の凄さですね。
西村 
そうですね。それを目にして、自分の世界ってこんなに狭かったんだなって気付いて。それから、何だか芝居が面白くなったんですよね。

タグ: 自分を変えた、あの舞台 衝撃を受けた作品


京都に出会い、京都で出会う

__ 
横山さんがお芝居を始めた経緯を教えてください。
横山 
そうですね。小学生の時に学芸会で褒められたのがきっかけだと思います。それで、中学校、高校と演劇部に入って・・・。なんというか、お芝居をやってる人たちと居るのが楽しかったんですよね。そして、高校2年の頃にヨーロッパ企画さんの「サマータイムマシンブルース2005」を生で観劇して、それが凄く面白かったんですよね。漠然と関西に憧れを持っていたこともあって、大学進学を機に札幌から京都にきて、劇団立命芸術劇場に入団して、月面クロワッサンと出会って。
__ 
月面クロワッサンに出会ったのはどんなキッカケが。
横山 
第一回の学生演劇祭ですね。僕はその時脚本、演出として参加していまして。僕らの次に月面クロワッサンが上演するというプログラムの日があったんですけど、終演後、主催の作道が「すいません。横山さんのお芝居を拝見させて頂いたのですが、ちょっと暗いなと思いまして。僕と一緒に前説をして空気を和らげて貰えませんか」と声を掛けられて、作品と作品の合間に前説をやる事になったんですよね。びっくりしました。その流れのまま月面クロワッサンを初めて観劇して、「どっちみち阪急河原町」という作品だったのですが、明るくて突き抜けた素直なお芝居で、本人とのギャップもあって凄く記憶に残っています。
__ 
2011年に横山さんが「バイバイ、セブンワンダー」で客演されていましたね。入団されたのは2013年でしたね。2年ほど、考えられていたと。
横山 
はい。卒業後、就職せず演劇を続けるかどうか悩んでいたこともあって。ただ、作道の演劇を続けるとは、仕事にするというのはどういう事なのか。作家としてだけでなく、プロデューサーとしての発想やバイタリティーに強く惹かれて、入団しました。
__ 
素晴らしい。ベンチャー企業に入ったという事ですね。
横山 
そういうことなんですかね。けども、新しい取り組み方をしているというワクワク感はあります。もちろん僕たち自身も、自分達のやっている事が正しいのかどうかはわからないですけど。
__ 
正しい事を正しいやり方でやったら何も問題はないと思います。
横山 
それが一番難しい事ですけどね(笑う)

タグ: 自分を変えた、あの舞台 その人に出会ってしまった 入団の経緯 学芸会


「あ、私演劇ずっと続けるな」

__ 
これまでに自分を変えた舞台は何ですか。
芝原 
大学一年生の時に、唐十郎演劇塾に参加したんですけど。その時までは(演劇で生きる)確固たる決意みたいなのがなくて、自分にとって単なる通過点だったんですけど、東京公演を終えた時くらいに「あ、私演劇ずっと続けるな」と思いました。感覚的に。何でって言われても分からないですけど。
__ 
何故、そう思われたか説明は出来ますか?
芝原 
どちらかというと、書く方に興味があったんですけど。
__ 
続けずにはいられなかった?
芝原 
そんな感じです、けど、私はそれを表現する言葉を持ってないので・・・。
__ 
初期衝動というか、なんかショックだったという感じですかね。
芝原 
初期衝動という事だったら、後藤ひろひとさん。もう、本当に大好きで。私も、ああいうのが書きたい!あと何か演じてみたい!と思って、演劇系の専攻がある近畿大学に入ったんですけど、どっぷりはまっちゃいました。

タグ: 自分を変えた、あの舞台


あの時のいい顔に見つけたもの

__ 
白井さんがお芝居を始めたのはどんな経緯があったんでしょうか。
白井 
小学生の時に、深夜TVで芝居を見たんですよ。光GENJIの内お二人がでている真田十勇士のお芝居で、最後のカーテンコールで、脇役のおっさんがめちゃくちゃいい顔で挨拶してたんです。汗だくで。芝居はもちろん面白かったんですが、その顔が、めちゃくちゃいいなと思って。そっち側に行きたいなと思ったんです。
__ 
その俳優の表情が、印象的だった。
白井 
あの嬉しさは何だろう。すごく汗だくできらきらしていたんです。でもそこからすぐに演劇を始めるという訳ではなかったんです。中学校の頃にお笑いブームだったので、文化祭でそういうのをやって、笑ってくれるのって嬉しいなと思って。高校の頃に、ゆとり学習の枠で、金曜日に一限だけ演劇の枠があって文化祭で上演しました。大学に入ってから、演劇ぶっくとかで公演の近い劇団に入団しました。
__ 
恐れ入りますが、劇団名を伺えますでしょうか?
白井 
「暇だけどステキ」です。その8回目ぐらいの公演の時、僕が身体障害者の役を頂いたんですね。その時にスタッフで来ていた現在のステージタイガーの代表のhigeさんが見て下さった上に、団員の方にもオススメして下さったそうで。その、僕の役が本物に見えたと仰って頂いて。凄く嬉しかったですね。それから、お誘い頂いて出演させて頂くようになりました。

タグ: 役者の汗を見せる 自分を変えた、あの舞台 文化祭前夜 カーテンコール 初期衝動


悪い芝居と出会う

__ 
悪い芝居に入団した経緯を教えてください。
畑中 
そもそも、6回生の時に大学の演劇愛好会に入ったんです。ある時、立命館の西一風を見に行ったんですね。それがめっちゃくちゃ面白くって。
__ 
どんな作品でしたか。
畑中 
田中次郎さんが作演された、「向こうで誰かが死んでいる話」。これが無料!?って驚いてました。後日、BOXに悪い芝居の「らぶドロッドロ人間」のチラシが落ちてて。一般の劇団、芝居だけやっている人たちのって見たことないな、じゃあ見にいこうと。当時は悪い芝居、学生2000円だったのかな。めっちゃ高いと感じたんですけど、西一風のOBの人が作ったらしいと聞いて。それは行こうとなって、今に至ります。入団を決めたのは「キョム!」ですね。ちなみに、音楽作ってる太郎くんもそうらしいです。

タグ: 自分を変えた、あの舞台 入団の経緯


___ 
芝居を始めたキッカケを教えてください。
肥後橋 
高校生の時のクラス演劇がキッカケです。その時期、休み時間になると廊下には必ずと言っていいほどどこかのクラスの女の子が泣いてたり揉めたりするんですよ。それぐらい熱くなる。
___ 
へえ。
肥後橋 
みんなで一つの事をやるって面白いなあと思って、大学でも演劇をやろうと思っていたんです。その当時、クラスに大学生の講師が来て下さったりして。福田恵さんという。
___ 
ああ、福田さんが講師の時代ですか。その時代、福田さんにインタビューしてますからね
肥後橋 
それから高校3年の時にNFに出させてもらったのが、京都での初舞台でした。
___ 
役者としての肥後橋さんが面白いですよね。勢いのある人で、顔芸も凄い面白いのに、内面を表現する芝居をふとした時にされると意外性とともにいとおしくなる感じ。肥後橋さんは、いつか、どんな演技が出来るようになりたいですか?
肥後橋 
僕、よく顔芸だよねって言われるんですよ。あまり意識はしていないんですけど。その、あまりセリフは得意ではないかもしれません。
___ 
ええ。
肥後橋 
セリフが減って悲しむ役者もいるんですが、僕はあまりそういう事もなく。セリフじゃない部分が好きですね、ノンバーバルの一人劇とかしてみたいなと思います。
___ 
IN SITU大石さんが「理想としては、役者の小さい動きだけで全ての意味が変わるような、人物の心の動きが全て分かるようなそんなシーンがしたい」と言ってましたね。
肥後橋 
gateで彼の芝居に出た時、共感する事が多かったです。まあ、細かい動きまでは覚えられないですけど(笑う)。役者をやってて一番影響を受けた事件があって、nono&liliの「カラのウラのソラ」という作品で伊藤えん魔さんと共演した事があるんです。
___ 
ありましたね!
肥後橋 
ゲネが終わった後で、めっちゃ怒られたんですよ。「お前舐めてるのか」「表出ろ」って。僕も若僧だったんでイラっとしてしまって「はあスミマセン」って感じだったんですけど懇々と言われている内にかき立てられたというか。居残って、最後のシーンの稽古を付けてもらったりして。
___ 
素晴らしい、というか羨ましい。
肥後橋 
その時の影響が今でもあります。「ソウルだ、ソウルを持て」と言われました。で、1ステが終わった後、再前列のお客さんが泣いてたんですよ。
___ 
おお!
肥後橋 
終わった後、「おう、ちゃんとやって良かったな」と言われまして。裏で握手しました。その時の経験は財産です。感情を大切に、そこを始まりにして演技する事。えん魔さんにバチバチ怒られながら、「もっとだ、もっと震えろ」と言われながら最後の稽古をしたのが大きいです。
IN SITU
ラテン語で「あるべき場所」という意味で、イン・サイチュと読む。大石達起が、劇団ケッペキ卒団後に自らの新たな表現の場として立ち上げる。主に近代の海外戯曲を上演し、そこに描かれた普遍的な人間の生活、人と人との繋がりを現代に復活させる事で演劇の、あるいは自分自身の「あるべき場所」を追求する。(こりっちより)
nono&lili.
京都を拠点に活動する劇団。
nono&lili,『カラのウラのソラ -弁慶の泣きどころ-』
公演時期:2010/11/26~28。会場:間座スタジオ。

タグ: 自分を変えた、あの舞台 「核心に迫る」 いつか、こんな演技が出来たら 伊藤えん魔さん 美しい1ミリ


少なくとも11,175よりも多い絆

__ 
その頃に見た衝撃作を教えて下さい。
髙橋 
青年座の作品ですが、高畑淳子さんが主演された『パートタイマー・秋子』に衝撃を受けましたね。あと、映画だと『CHICAGO』。キャサリン・ゼタ・ジョーンズの演技が凄くて、10回以上見ましたね。東京で見た初めての映画で、女がのし上がっていくストーリーなんですね。自分も東京でやっていく!という思いがあって。それと、ミュージカルへの思いが残っていたんですね。の割に青年座に入ったんですけど(笑)
__ 
青年座ではミュージカルは難しい?
髙橋 
研究所時代、授業で「バルタン星人になってください」というお題が講師の方から出された時に、ちょっと戸惑い・・・(笑)その後、入団して“ああ、私はミュージカルとは本当に関係ない劇団に入ってしまったんだ”って。今はあまり思わないですし、それまでやっていた日舞やダンスは今でも現場で役に立つので、何も無駄じゃないんですけど。
__ 
青年座の稽古で、どんな時間が好きですか?
髙橋 
家族というか、同じ釜の飯を食う、みたいな。同じ青年座という絆は感じます。でも約150人もの役者さんがいるのでまだ会った事のない方もいらっしゃるんですけどね。
__ 
ええ。
髙橋 
先輩が、後輩を何とかしてあげようという気持ちも色んな状況で感じるんですよ。アプローチはそれぞれ違うんですけど、後輩も先輩に相談しに行きやすくて。そういう環境が、すごく素敵ですね。お酒の席でも、大先輩に「あのシーン、どうでした?」って言い合えるんですよ。
__ 
いや、それはそういう事が積極的に出来る髙橋さんが素晴らしいですね。
髙橋 
いえ、それでも行き詰まってしまう自分が情けないという気持ちは強いです。

タグ: ミュージカルの話題 演劇研修所 自分を変えた、あの舞台 日本舞踊 後輩たちへ 衝撃を受けた作品


経験と総括・2

__ 
山野さんがお芝居を始めた経緯を教えてください。
山野 
高校2年の時に文化祭で、クラスで演劇を作る事になったのが人生最初の舞台でした。ちなみに、高校の時の担任の先生が劇研アクターズラボの田中遊さんの公演クラスに参加していたんです。渋谷善史さんという方で現在も田中遊さんのユニットの正直者の会.labで活動されています。その渋谷さんのクラスで文化祭に出て舞台に立ったのが最初です。
__ 
いかがでしたか。
山野 
良かったです!!すごく褒めてもらえて・・・。高校時代の唯一のいい思い出ですね(苦笑)重要な役でプレッシャーも大きかったし、仲間同士で衝突もしたりで大変でしたけど・・・。本当にやっておいて良かったです。僕の人生を大きく変えた出来事でした。しかし、その舞台の直後に急激に体調を崩しまして・・・病院に行ったところある精神科の病気になってしまっていたんですね・・・。実は育った家庭の環境が非常に悪くて・・・物心ついた頃からあまり自分の家庭が好きではなかったんです。そのストレスからか高校に入学した頃から体調も精神状態も悪く、騙し騙し必死に耐えていたんですが、ついに溜まりに溜まったフラストレーションが爆発してしまって・・・。以来学校にもまともに通えなくなり、処方薬依存でボロボロの状態で勉強どころではなくなってしまって・・・。なんとか高校は卒業できましたが当然受験勉強も進学出来ずそのまま自宅に引きこもるようになってしまったんです。
__ 
なるほど。
山野 
それからしばらくブランクが空くんですが、22歳の時にインターネットで某演劇サークルがメンバーを募集していてそこに入ることにしたんです。理由としては当時の僕は仕事も勉強もできていない、友達もほとんどいない、まあニートだったわけで・・・(苦笑)それが嫌で少しでも社会との接点を持たなくてはと思ったんです。「あの時素晴らしい経験を与えてくれた演劇なら自分に希望を与えてくれるのでは・・・」という思いで(苦笑)で入団してしばらく活動していたんですが正直ものすごく面白くなかったんです。考えが甘くて、だらだらしてて。あまりにも演劇を趣味として見ていたので。
__ 
つまり、良くなかったんですね。
山野 
そうですね・・・。そこでしばらく悩んでいたんです。「そのサークルを辞めようか・・・しかし辞めたところで全くの無名の僕がどうやって芝居を続けるのか?いや自分が頑張ってそのサークルを立て直すべきなのか?しかしそのサークルの方達とは根本から考え方が違うのでは?」とかウダウダ考えている矢先にふつうユニットの廣瀬信輔さんと出会ったんです。確か2011年の1月だったと記憶しています。そこで廣瀬さんに気に入ってもらえてふつうユニットの「スペーストラベラーズ」という作品に出演させていただいたんです。その現場で廣瀬さんや他の共演者の皆さんに良くしてもらって・・・随分久しぶりに同年代の人達と関わることができて、喋って、遊んで、作品を造って・・・本当に楽しい現場でした。これをキッカケとして人と関わることを覚えて、徐々に引きこもりからを脱出することができたんです。
__ 
廣瀬さんと出会ったのはどんな経緯が。
山野 
谷さんが参加されていた、劇研アクターズラボの「恋愛論」という作品の挟み込みに、ふつうユニットの出演者募集のチラシがあったんです。当時の僕は今以上に演劇のことを何もわかっていませんでしたから・・・堅苦しいチラシとかだったら逃げ腰になってしまって絶対行けなかったと思うんですけど、そのふつうユニットのチラシがまあ、そのあまり上手くない絵が表にデカデカと描いてあって(笑)書いてあることも砕けた内容だったのでここなら自分でもと思い連絡をとってみたんです。そしたら連絡してきたのは僕一人だけだったらしくて(笑)それがきっかけで(苦笑)もしそれが無かったら現在の自分はなかったかもしれませんね(苦笑)

タグ: 俳優のブランク 自分を変えた、あの舞台 文化祭前夜 劇研アクターズラボ 高校演劇 ひきこもり もう、辞めたい


vol.364 山野 博生

フリー・その他。

2014/春
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山野

快楽を演技する

__ 
これまで芝居をしてきた中で、最も衝撃を受けたのは?
佐藤 
大学の頃に主演させて頂きました映像作品が強く心に残っています。あまり大きな声では言えない、ある種の性癖を持つ役の演技の時は、まあ色々悩みました。学生の作品でしたが、アレは本当に・・・。感じているという演技をカメラの前でしたんです。映像はありますが、一回も見た事はありませんね。
__ 
自分で見る気になれない。
佐藤 
でも、不思議な事に他人が見る分には構わないんですよ。別に、という気分です。割りきってやっていたから、かな。未だにDVDを封印しています。いつか見れる日が来るかもしれません。
__ 
なるほど・・・もしかしたら、佐藤さんはその演技に納得が行っていないんじゃないですかね?
佐藤 
ああ・・・そうか。
__ 
どんな演技者でも意に染まない演技をすることはあるはずなんですよ。逆に、一生を誇れる演技を成し遂げた時は一つの誇れる成果を得る事になる。それには、役者として演技を作るという作業をしなければならない。自分で見返す気にならない演技とは、自分が作った訳ではないからそう思うんじゃないですかね?何故なら、肉体的な快感を演技作りのスタートにし、その周囲を巡って終わったから。
佐藤 
確かに。僕にはその趣味は無かったので、そこへのこだわりが無かった、だから人為的な快感を作り、演技に換えてしまった。

タグ: 自分を変えた、あの舞台 難しくて、厳しい 衝撃を受けた作品 とんでもない失敗をしてしまった


3万人と踊ったんだ、あの夜

__ 
今まで、河原さんがもっとも輝いた瞬間を教えてください。
河原 
僕単体だとなかなか思い浮かばないんですけど・・・TUBEの甲子園のコンサートのバックダンサーに出た事があって。
__ 
すごいですね。
河原 
その内の一曲で、めっちゃ簡単な振りで手を振って下ろすだけのダンスを、3万人のお客さんが一緒にやってたんですね。この人たちが全員、僕と一緒に踊っていると。人間ってこんな事が出来るんだ。たくさんのお客さんが一体になって楽しんでいるんです。出て良かったなと思いました。その一瞬に考えた事は、いまでもずっと僕の中にあります。
__ 
素晴らしい。お祭りみたいですね。そんな瞬間が、またいつかあるといいですね。

タグ: 自分を変えた、あの舞台 壱劇屋・謎の一人遊びシリーズ


あの時代から数歩離れて

__ 
玉一さんが演劇を始めた経緯を教えてください。
玉一 
高校3年の頃、文化祭で演劇をやろうと誘われたんですよ。水球部・テニス部・書画部の仲良しで集まって。三谷幸喜さんのTVドラマのある一話を演劇化する企画でした。それまで演劇なんてやった事無かったんですけどね。それから大学に入って友達にすすめられてラーメンズのDVDを見たんですが、凄く世界観が独特じゃないですか。いいなあと思って。
__ 
楽しそうですね。
玉一 
で、私も当時自分の世界観を京都精華大で絵で表現してたりしてたんです。でもある時先生に「それじゃ全部は伝わらないよ」と。これじゃダメなんですか?全部伝えないといけないんですか?私は偶然性というものも好きだったんです、偶然生まれた技法だったりとか。でも、やっぱり学校だから。研究して積み重ねないとダメなんですよね。そこの食い違いというかそういうわだかまりもあったものだから、平面の世界で息詰まっていて。抜け出したかったというのはありますね。そういう折にラーメンズとかを見て、自分が作品を描くのではなく、自分が作品の一部になるというのはこれまた面白いなあと。それで劇的集団忘却曲線に飛び込みました。
__ 
大学は教育機関ですからね。評価されますからね。
玉一 
そうですね、総評されるんです。私は作品の一部分が面白い、というのもありなんじゃないかなあと思ってたんですが、そうじゃないんですよね。難しいなあと。パッと思いついたらそれをやるという、面白い方に飛びつくという。集中力がないんですかね。でも演劇って、何ヶ月も同じ作品に向き合うじゃないですか。今日は昨日よりも掘り下げられた、みたいな感触があって・・・
__ 
それは、確実に製作者としての意識が高まっているんじゃないでしょうか。
玉一 
そうかなあー。
__ 
ある程度以上の重さを持っている作品は確かにあって、それはお客さんの心と引き合うんですけど、その時にどれだけ考えられて作られているか、に依っていると思うんですよ。それがお客さんの目の前に現れる時、美しい調和をもって時間とともに奏でられると思うんです。
玉一 
そういう意味では、大分自分は変わってきていると思います。入ってからも変わっているし、周りも変わったし。だから、なんか、昔と全然違いますね。

タグ: 俳優のブレイクスルー 頭が真っ白になる 自分を変えた、あの舞台 文化祭前夜 リアルに相対し戦慄する 人生の節目 三谷幸喜 自分で考えてきたもの、の価値 入団の経緯 受け入れる・受け入れられる 尊敬している人


自由・憧れ

__ 
これは自分を変えた、みたいな演劇経験は。
小林 
観た経験で言うと、劇団どくんごですね。扇町公園で「ベビーフードの日々」という公演を見て、こんなに自由にやっていいんだ、って。
__ 
私もどくんご、好きです。芝居に参加していた経験で言うといかがですか?
小林 
ベビー・ピーの「はたたがみ」ですね。たくさんの方々が組織だって関わっていて、それもある程度の思想を共有していて。これは、いい加減な事をしていてはだめなんだなと気づかされました。

タグ: 自分を変えた、あの舞台 はたたがみ


vol.324 小林 欣也

フリー・その他。

2013/春
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小林

眼帯のQ

___ 
今日はどうぞ、よろしくお願いします。佐々木さんは最近、どんな感じでしょうか?
佐々木 
きのう、髪を切りました。このところはレポートと試験の準備に追われています。普通に大学生生活を送っています。
___ 
どんなレポートですか?
佐々木 
一番最近書いたのは、表現活動についてをテーマにするもので、この間出演した舞台「眼帯のQ」について書きました。
___ 
それはいいですね。「眼帯のQ」。残念ながら拝見出来なかったのですが、どんな作品でしたか?
佐々木 
レトルト内閣の三名刺繍さんが脚本で、銀幕レプリカントの佐藤香聲さんが演出されたんです。エロスについての作品で、凄く勉強になりましたね。
___ 
というと。
佐々木 
エロスを身体表現と演劇の融合で視覚化するという試みだったそうで、でも「二十歳そこそこの女の子にはエロスは分からないかなぁ」と。
___ 
なるほど。
佐々木 
でも、勉強になりました。
___ 
大学生活以外では?
佐々木 
プライベートとしては何をするのでもなく家に引きこもっています。今日は久しぶりに家を出ました。
眼帯のQ
公演時期:2013/7/26~28。会場:藝術中心・カナリヤ条約。

タグ: エロスについて 自分を変えた、あの舞台 非日常の演出 最近どう? 二十歳のわたし あの公演の衣裳はこだわった


vol.315 佐々木 ヤス子

フリー・その他。

2013/春
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佐々木

こんな近くに

__ 
丸山さんがお芝居を始められたのはどのような経緯があるのでしょうか。
丸山 
元々、小学校一年から高校三年生まで剣道をずっとやってたんですよ。高校の頃はキャプテンで、ずっと続けようと思ってたんです。でも、太ってるのもあって、膝とか腰を痛めて。医者に「辞めた方がいいんじゃない」と言われて。声も大きいし顔も大きいので演劇とかいいんじゃないかなと。大学の演劇部に入って、そのまま続けています。
__ 
お芝居を始めた頃にご覧になった衝撃作はありますか?
丸山 
京都の小劇場という意味なら、ユリイカ百貨店の「chocolate horse」でした。あれを最初に見て、演劇面白いやばいなと。今思い返したら凄い役者さんばっかりでしたね。
__ 
意外ですね。私も拝見しました。懐かしいですね。
丸山 
めっちゃ、質の良い、面白いものだと。それまで距離があったんですが、こんな近くにこんなにレベルが高いものがあるんや、と感動しました。
ユリイカ百貨店
2001年に脚本・演出を担当するたみおを中心とするプロデュース集団として結成。その後劇団としての活動に形を変え、2005年4月、再度プロデュース集団となる。幼い頃の「空想」と大人になってからの「遊び心」を大切に、ノスタルジックな空気の中に、ほんの少しの「不思議」を加えたユリイカ百貨店ならではの舞台作品を作り続けている。(公式サイトより)
ユリイカ百貨店 8th Stage「Chocolate Horse(チョコレート・ホース)」
公演時期:2008/4/25~4/29。会場:アトリエ劇研。

タグ: 自分を変えた、あの舞台 入団の経緯 自分は何で演劇を


スクエアvol.32 楽園ジゴク

__ 
先日、スクエアの舞台「楽園ジゴク」が終わったという事で。どんな経験でしたか?
嘉納 
スクエアの山本さんとはちょこちょこお話したことがあって、でも他のメンバーの方は知らなくて。始めてお会いしたら40歳の方々だったんですが、私実は同い年くらいの方と現場にいた事がないんですよ。恐ろしい現場でした。
__ 
恐ろしいとは。
嘉納 
怒声が飛び交うという事じゃなくて、みんな一人一人レベルが高いんですよ。これがレベルの違いなのね、と。一番痩せた公演でした。
スクエアvol.32 楽園ジゴク
公演時期:2013/5/24~26。会場:ABCホール。

タグ: 自分を変えた、あの舞台 上の人らと仕事


バカ正直な人間

__ 
嵯峨さんのプロレスを、西部講堂で拝見した事があります。ブレーンバスター三連発がとても美しかったです。嵯峨さんが空手をされているうえ、演じられていたリッキー・クレイジーという役も空手出身というキャラクターだったからかもしれないですけど、型の美しさというものがあるプロレスだったんじゃないかと思うんですよ。
嵯峨 
よくご存知で(笑う)そうですね、型は大事にしています。バカ正直な人間なので、自分がやってきた事をしか反映させられないんです。ストロングな、意地を張る、アスリートのキャラクター。僕も笑いを取れるような怪奇キャラやりたかったんですけどね。
__ 
笑いが主体の内閣プロレスで、正統派のシモンさんの試合がとても見応えがあって好きです。格闘をやっている人はやっぱり違うなと思います。嵯峨さんは空手の有段者なんですよね。
嵯峨 
初段です。子供の頃から高校二年までやっていました。大学受験までやってたんです。実は高校演劇をやっていたので、大学に入ってからはずっと演劇部でした。いまお世話になっている道場に入ったのは2年前なんです。だから、ついこないだ再開したばかりなんですよ。
笑の内閣
笑の内閣の特徴としてプロレス芝居というものをしています。プロレス芝居とは、その名の通り、芝居中にプロレスを挟んだ芝居です。「芝居っぽいプロレス」をするプロレス団体はあっても、プロレスをする劇団は無い点に着目し、ぜひ京都演劇界内でのプロレス芝居というジャンルを確立したパイオニアになりたいと、06年8月に西部講堂で行われた第4次笑の内閣「白いマットのジャングルに、今日も嵐が吹き荒れる(仮)」を上演しました。会場に実際にリングを組んで、大阪学院大学プロレス研究会さんに指導をしていただいたプロレスを披露し、観客からレスラーに声援拍手が沸き起こり大反響を呼びました。(公式サイトより)

タグ: 自分を変えた、あの舞台 観客との関係性 西部講堂 会場を使いこなす


俯瞰する

__ 
今まで、この芝居を機に自分の演技が変わった、というような公演はありますか?
松田 
ありますね。今はもう解散しちゃったんやけど、France_panの「家族っぽい時間」という作品に参加させてもろうた時。それこそ20代ぐらいのメンバーの中に一人混ざってやってたんです。そこで結構、演出というか演技の細かい指示を色々出されたんです。「松田さん、そこ1秒間をとって」とか。
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細かい演技の指示があった。
松田 
それまでは、そのままのキャラクターを期待されて声を掛けられる事が多く「素」のままでやっていればよかった(笑)。だから、かなり細かく演出を付けられて、ずいぶん戸惑いました。でもその作品が出来上がるプロセスを目の当たりにして、全体の中における自分の果たす役割をきちんと認識することができた。それ以降、役者の立場でありながらも、全体的な作品の仕上がりを見る事は多くなりましたね。
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「家族っぽい時間」では、作品としての完成度をはっきり認識する事が出来た。
松田 
はい。具体的には「台本の読み込み」「セリフの間」「どれくらいの集中力が必要か」そして「稽古の質と量」などについて考えさせられました。それまでは「地でやらしといて面白いから、そのまんまでやらしとけ」みたいな。前田司郎さんの「生きてるものはいないのか」に出演させてもらったときも、そんな感じだったんちゃうかな。
France_pan
04年結成。演劇における恥ずかしい境界を壊しつつ護りつつ、覚束無い言葉のコミュニケーションを軸に、真面目と不真面目の中間地点を探り続ける。揺らいじゃった身体性、現代人の悲喜劇性、ペンペケピーな前衛性。作品はポリリズミックに展開。観客の過剰な能動性や批評眼の重要性を各方面に訴えながら、演劇知の可能性を弄ぶ。(公式サイトより)
France_pan 14th「家族っぽい時間」
公演時期:2008/12/12~14。会場:AI・HALL。

タグ: 役者の積み上げ 自分を変えた、あの舞台 コンセプチュアルな作品 ちゃんと楽しませる 追い詰められた時期 自分で考えてきたもの、の価値 前衛は手法から作る人々を指す


vol.293 松田 裕一郎

フリー・その他。

2013/春
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松田