いつかはもっと大きな事が出来るように

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今後、どんな表現をやりたいですか。
せん 
いま稽古しているのが台詞のある演劇なんです。演劇初めてなのに、何をやらせてくれとんねんという感じで。でも、紙芝居のイベントと同じように演劇も総合芸術なんだなと気づいたんです。
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というと。
せん 
私の絵、台詞、それから女優さん、音楽、みたいに。演劇にはそれらが含まれているんですよね。それから、凝り固まった演劇のイメージが壊れましたね。演劇も色々あるんですよね。香聲さんの作られているような音楽劇があれば、人間関係を丁寧に描く方もいる。ミュージカルだったら歌もあるし、照明や衣装や小道具や舞台美術もある。
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演劇は総合的な芸術であると良く言われますよね。
せん 
そう思うと、私がやりたい総合芸術やなあと気づいたんですよ。私はそれまでコンパクトな総合芸術をやってたんですね。
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そして、演劇は何でもあり、ですね。
せん 
いつかはもっと大きな事が出来るように、勉強させてもらっていると思うので。自分を奮い立たせています。

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音楽と、演劇と、身体と、

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興味があるやり方に「しちゃう」のが筒井さんの演劇なんですね。そこで伺いたいのですが、筒井さんが発見されたセリフと身体の時間的な分離は、革命的な手法として演劇史の延長線上に位置しているのでしょうか。それとも、人間存在なるものを、意図的に発生させたズレから問い直す意義に立脚しているのでしょうか。
筒井 
後者ですね。確かにそれは後者なんですよ。最近になってようやく、自分がやっているのは演劇だと思えるようになりました。dracomが舞台芸術集団と名乗っているのもそこからです。舞台で何か、面白い事をしたいという気持ちは当初からあるんですが、それが演劇である必要はないなあと。そういう中で、例の実験が大きかったんです。ちなみに僕は音楽が趣味なんですが、劇中で音楽が鳴る時、「音楽が鳴ってるからここは盛り上げたいんだ」という見え方がするともう最悪なんですよ。そういうものが世の中に多い中で、演劇を後押ししたりとか、足をひっぱりあうみたいな関係じゃなくて。音楽と、演劇と、身体と、セリフというものが有機的に関わる表現を模索していたんです。その中で、ずらすという手法が、今までにない形で捕まえる事が出来たと思ったんです。演劇に革命を起こそうとかは考えてなかったですね。音楽好きだったから辿り着いたかもしれません。もしこのやり方を、演劇だけを志向する人が気付いたとしたらどうだったんだろう?それを深めたり継続したり、上演に持っていったとはちょっと思えないですね。
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音楽と空間と演劇。それらが同じ時間と場所に結実するものを、コンセプトから引き出せないかと考えているのですね。
筒井 
まあ、偶然に助けられたものかもしれないし、それを稽古場で初めて見た時面白がったのは僕だけだったんですけど。あの瞬間は、それまで目指していたものを掴んだと同時に今後の自分の方向性を広げてくれました。ただ、その広がりは用意されている劇場空間に集中してしまい、以降、それほど変な公演はしていないですね。もちろん、試みを面白いと多くの方に仰って頂いたし、僕自身も面白いと思っていたんですがその次へと越える為の何かを生むのに苦しんでいます。あの演出方法でどんどん作っていけばいいじゃないかという声もあるんです、が、実感としては「いくらでも作れそうだ」と思っています。テキストさえあれば。だから、いくらでも作れると思えてしまった時点で、これはブレーキを掛けないといけないと考えたんです。

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