「見ている」

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それは、片思いの事を指していますか?
藤本 
僕はドストエフスキーの作品が好きなんですけど、彼の描く愛の形は「目を背けない愛」なんですよね。悲惨な状況であってもちゃんと見ようとする登場人物が必ずいる。それは一つの、信じられる愛の形だと思っているんです。見てはいけないものをしっかり見るという。それを舞台上でやりたいです。台本上、出ハケではかち合うことのない登場人物が、もし同じ空間にいて「見ている」としたら。その方向性で作ろうとしています。
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もしかしたら笑いになるのかもしれませんね。もしくは、そうした事により奇妙な想像が膨らむのかも。
藤本 
僕はギャグが好きなので、笑いになるのならば避けるつもりはないですね。だからと言って、今そう言われたからそういう方向に行く訳ではなく。僕達の作品にとってそれが必要であれば、力強く選んでいきたいと思います。ただ、単純に、俳優たちが舞台から姿を消さずにじろじろと芝居を見ているというのがどういう事になるのか見てみたいんですよ。不親切な作品になるかもしれませんが、あらゆる場面で関係性が見えた時、お客さんがどこを見たら分からなくなる。本来なら、見るべき所を決めるべきなんですけどね。極端に言うと4つのシーンが同時多発的に起こっている。そんな状況なら、ベタベタな笑いになるかもしれませんし無茶苦茶な状況になるんでしょうけど、そうしたリスクを冒さないと自分達にとって面白いものは出来ないんじゃないかなあと思っています。

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