倫理VS本能

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圧倒的虚業。非日常を社会にぶち込む所業、という言葉がチラシにありました。本来、劇場は舞台と客席の二つの集団で構成されています。舞台側が(稽古によって共有された)歴史をもって、可能性を客席側に投げかける構造がある。その時客席側は未読の領域をワクワクしながら切り拓いて進んでいる訳ですが、・・・そのオープニング、そんなに驚きというなら、いきなり奇想天外で、でも説得力のある風景が出てきそうですね。
畑中 
おお、そうなのかな。でも、テーマとして掲げられている「倫理VS本能」。イタズラ心ってありますよね。この静かな喫茶店でいきなり大声で歌い出したらどうなるのかな、とか。何か、目の前の人の頭をぶっ叩いたらどうなるかなとか、学校や会社に向かうのとは反対の電車に乗ってしまったら、とか。それが本能だと思うんですけど、そこを倫理で押さえて社会になじんでいる。でも、彼らは本能に従っている集団なんですね。虚業をぶちこもうと、本能に従って面白い事をしたい、それだけしかない、という感じなんです。まずは、どんな人達が出てくるか楽しみにしていただけたら。

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向こう岸の影たちへ

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非常に奇妙な空気感を持つ高田さん。俳優として、高田さんの事を色々伺おうとしても、ちょっと難しいなと思っているんです。この人の何が独特かなんて見て頂いた方が早いんだろうし・・・
高田 
いやあ、作り方が雑だからそんな言われ方に繋がっているのかもしれないと思っていて。不器用に不器用を重ねているから、そんな評価になってしまうのかなと。
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いえ!?
高田 
違いますか?違ったらそれは嬉しいですけど。
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いえいえ、上手ですって。独特な雰囲気なのに、「あ、これはこんな人だ」とすぐ理解しやすいって凄い事だと思います。「どくの沼地」で演じられた、泥団子を作る道しか無かった職人の姿が素晴らしかったです。
高田 
真面目な話していいですか。
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もちろんです。
高田 
上手な演技をして上手く伝えたいみたいな欲求が全くないんです。
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ほう。
高田 
上手な人を見ているとめっちゃ凄くて、僕はこれは一生出来ないだろうなと思うんですよね。でも、自分がこれをしたいかと思うとそうでもないんですよ。
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上手な演技に憧れない?
高田 
ある一定以上の上手な人の、押し付けがましさとか全然出してこない演技で、それをやったら絶対感動するような芝居をみてさえ「何という押し付けがましさや」と思って見てしまうんです。自分の性格が悪いからなのか、ムカつくなあ・・・と思うんですよ。ナチュラルなテクニックの、上手に見えてしまう人って、何か押し付けがましいと思ってしまうんです。凄く、色んなものを疑ってしまうんで。乗せられたくない、みたいな。上手な人に対して。悪い風に言うと、自分が相手を乗せたくないみたいなところもあるのかなあ、と。心のどこかで思ってしまうんですね。悲しいですね。
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それは、支配されたくない、という思いがあるんじゃないでしょうか。
高田 
一言で言うと。
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ええ。観客席の中にいてさえそう思うのでしょうか。
高田 
思いっきり同意しますね。僕はあまり芝居を見に行かないんですけど、めっちゃ笑っていても受け入れていないんですよ。どこかで僻んでいたり。
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まあ私も差別心ありますけどね。
高田 
駄目でしょう(笑う)。

タグ: 器用さ・不器用さ 演技それ自体への懐疑 奇妙さへの礼賛


ふたりの会話

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2年、学んだ中で一番ショックを受けた事は何ですか?
西岡 
一番最初の演技の授業。イギリスのRADAでも教えられているローナ・マーシャルさんの授業ですね。二人一組のダイアローグを、とりあえず貴方たちの思ったように作ってきて、と課題を出されまして。ペアの子と試行錯誤して作って、実際見て頂いたら、「お芝居をしているわね」と言われたんです。
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なるほど。
西岡 
それまでやってきた事を根底から覆された気がして。私、今まで何をしてきたんだろう・・・いや、芝居をしているわねって言われたけどそれはどんな事なんだろう? 一年目は、演じるというよりも、まず自分が何者か、どこに立っているのか、その上で自分の癖を見直す、とかそういう、パーソナルな部分に触れる授業がほとんどでした。1年目の授業は、ほぼ毎回ショックを受けまくりでした。こんなにも、自分の体はコントロール出来ないものか、こんなにも私は人の話を聞いていないのか、というように。
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自分の事を見つめる一年だったんですね。
西岡 
私はすごく、怖がりだという事が分かりました。
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怖がり?
西岡 
芝居を始めた頃に自分がどういう演技の作り方をしていたかはあまり覚えてないんですけど・・・パッケージングするのが得意だったんじゃないかと思ってます。パッケージするというのは、例えばいまここで喋っている時、お互いに刺激を感じていますよね。
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ええ。
西岡 
でも、会話している役を演じるとなると、相手からリアルタイムで刺激を受けている事実を忘れてセリフを吐いていたんです。しかも、やりたい絵を最初から決めてしまっていて、そこに向かう為にはどうすればいいのか?というのがある程度「かたち」として出来てしまう。
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会話の交流を予測したり決めたりする事は、安心ですね。たしかにその意味では怖がりと言えるかもしれない。
西岡 
けれども、それはもう相手が誰であっても良いという事なんじゃないかと。多分、講師が言いたい事はそういう事だったんじゃないかと思います。人とどうやって対話するべきかと、それを考えるようになりましたね。
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異なる存在と接する時の、エモーショナルな瞬間、ですね。
西岡 
そうですね、そういう、エモーショナルな状態のフリをしていたんだと思います。本当にそういう状態になる前に、まず「かたち」を作ってしまった。会話先行、頭先行だった。本来なら、もっと何が起こるか分からないのが演劇と交流の醍醐味なんですけど、私は多分それを見過ごしたまま、無自覚に絵を作って出来た気になっていたんです、きっと。でも、そういう事じゃなかったみたいだと。
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それはきっと、舞台と観客席の間でも起こるべき事で。例えばいい映画って、全部の動きにワクワクするじゃないですか。一つ一つの動きや曲線が目に入る度、その効果が純粋に心に響く。意味や意図さえ伝わる。あれは舞台でも起こる。
西岡 
はい。
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とにかく、一年目のスタート地点から、「交流」が本来持つべき価値が見えた。
西岡 
もしかしたらそうかもしれません。今まで関わった戯曲に対しては失礼な事をしていたのかも。答えを一つに決めて掛かってしまうなんて。それが、スタート地点に立つ上で一番大切な事だったのかもしれないなと。
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なるほど。

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誰何

北尾 
今回の作品は、舞台上に立つことにまっすぐになりすぎてしまうと、見せる者としてちょっとダサいかなあと思う部分があって。ダンサーとしては誠実に身体を投げ出すというのが大前提なんですけど、何かの役として真剣になりきっているのではなくて。だからあまりガチガチに役柄を固めず、家族内での役割が変わっていくような演出にしました。
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例えば「お母さん」「お兄さん」という強い、具体的な代名詞をダンサーに投げかけた時に、不自由さと同時にイメージの広がりと同時に不自由さも得られる訳ですけど、その辺りは上演を通していかがでしたか?
北尾 
東京公演を経て京都公演では、キャラクタライズ・集団性(有象無象)というものを強めた感じで改訂しました。踊る時には、その必然性を言い訳だと思っているんです。踊るというのはすごく非日常的な行為だと思っています。路上で、ダンスが始まる事はないと思っています。そことの距離を何か考えたいと思って、言葉を扱ったりしているんですね。お客さんとの壁を取り払う、一つのてがかりとして。すごく難しいんですけど。そこで、家族という身近なテーマをストレートに扱いました。作用としてはうまくいったんじゃないかなと思っています。仰って頂いたように、家族の事を想起していってもらったらと。

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質問 silsilさんから 大石 英史さんへ

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前回インタビューさせて頂きました方から、質問を頂いてきております。silsilさんという、画家の方からです。「もし、自分には絶対にムリな役があるとしたら?」
大石 
役を演じるって、そもそも全てが無理のあることのような気がしています。で、無理だからこそ、僕は演劇をやっているのかなぁと、今、話していて思いました。
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ムリだからこそ?
大石 
自分が他人になることは無理だからこそ、役と自分のズレをきちんと感じられる訳ですし、100%は理解できないからこそ近づこうとのたうち回るのを面白いと、僕は思っているのかも知れません。

タグ: 役者の積み上げ 演技それ自体への懐疑 役づくりの成功


vol.312 大石 英史

フリー・その他。

2013/春
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大石