師匠たち

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大熊さんはマイムパフォーマーでもあるんですよね。マイムを始めたのはどのような経緯が。
大熊 
僕、高校演劇に入った時は吉本新喜劇がやりたかったんですよね。もう今は全然違う作風ですけど。そのうち、マイム作品を映像で観る事があって。マイムでも笑いが取れる事が分かったんです。
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見えない壁とか、可笑しみがありますよね。
大熊 
でも、それ以外にももっと可能性のある表現技術なんだと思ったんです。アニメーションダンスとかにも繋がるし。始めるきっかけは、いいむろなおきさんの公演に行った時に、アイデア次第で何でも出来る手段なんだ、って気付いたんですよ。壁とかカバンとか以外にも、色々と。センスはいるかもしれませんが、身体能力がめちゃくちゃ高くなくても磨いていけるんです。そこから自己流で練習し始めました。マイムやダンスの動画見て、独学で。
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独学で!凄いですね。
大熊 
で、いいむろさんの「マイムラボ」に参加しました。10月に始まったラボで、3月にいいむろさんと小野寺さんの「XとYのフーガ」という公演のWSオーディションを受けさせてもらって。そこで受かって、ダンスよりのマイム表現の稽古が始まりました。KAVCで、朝から晩まで小野寺さんのマイムをやって。
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朝から晩まで。
大熊 
そこでもう、ゴクゴクと水を吸うように勉強させてもらいました。技術はもちろん、作品に対する考え方、もう色々です。お二人はもう、心の師匠ですね。

タグ: いいむろなおき 手段を選ばない演劇人 パントマイムの話題


明日への狂気

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黒川さんの作られた作品で私が最も笑ったのは、ベトナムからの笑い声公演「チェーンデスマッチ」の「パン屋のパン子ちゃん」でした。戯曲もネタも、俳優の演技力も素晴らしいものでしたが、一つの演技が何度も繰り返され、次第に熱狂へと高まっていくという。
黒川 
あれは僕の中でもダントツ上の部類にはいる、ちょっと狂気じみてましたね。役者も冴え冴えで、これは凄いなと思いました。
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死を覚悟しました。
黒川 
いつも言っている事ですが、笑わせる為に手段を選ばないんですよ。映像でも文字でもいいんです。人を笑わせる為なら。そのための引き出しはたくさん持っておきたいですね。「パン屋のパン子ちゃん」は、それら全ての中でも、中々・・・行ききったなという作品でした。
__ 
たくさんの引き出しを置いておきたい。
黒川 
そうですね。その為に常にアンテナを張るようにしています。「これ面白いな」と思った、TV、新聞、映画、本、自分や他人が言ったことは頭の中に置いています。メモにも書いて、あとで読み返したり。あとは自分の中でいくつかやってはいけないというルールがある、ぐらいですね。
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それに触れると、人を傷付けたりする?
黒川 
多少はありますね。ただ、笑いを作っている以上、誰かを傷付けたりすることはあります。手段は選ばないのですが、たとえ誰かを傷つけることになっても行ききらない笑いはダメ。よく「毒のある笑い」と言われるんですが、それも笑わせるための手段です。あとは、真似というのはあります。ただの真似ではなく、面白いと思ったものをどう真似られるか、超えられるか。僕はダウンタウンやナンシー関に影響を受けてるんですけど、そういう人たちにどこまで迫れるか。そして、どこまで脱する事が出来るか。
ベトナムからの笑い声
丸井重樹氏を代表とする劇団。手段としての笑いではなく、目的としての笑いを追及する。2011年末をもって無期限活動停止。
ベトナムからの笑い声第28回公演『チェーンデスマッチ』
公演時期:2010/12/3~5。会場:スペース・イサン。

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軽蔑というのは、最後の手段にしてほしい。/無数の眠った声

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最後に。地域の演劇についてお考えを聞かせて頂きたく存じます。私は京都・大阪と住んで来てそれなりに経ち、さらに東京の演劇も面白く拝見するようになってから余計にそうした事を考えるようになったのですが・・・。
藤原 
まだ現時点で確実な答えは返せないんですけど、今後は東京もひとつの地域として見なしていくことになるかもしれないとは思ってます。日本経済が衰退してしまって、明らかに往年のパワーはもはや東京にはない。そのプレゼンスは相対化されざるをえないでしょう。ただ、俳優の演技力とか演出のセンスといった面においては、地方都市と東京とではまだ随分ひらきがあるのではないかとも感じます。京都はちょっと別格でしょうけどね。ただその格差に関しても、人が移動して循環していくことで、変わっていく可能性はあると思います。特に多田淳之介さん(キラリ☆ふじみ芸術監督/東京デスロック主宰)とか、いろんなものを伝播させていく力を持ってる人だと思う。あとこないだ岡崎藝術座の神里雄大くんが言ってたんですけど、もはや「国家」ではなくて「街」単位なんじゃないかと。韓国とか台湾ではなくて、ソウルとか台北なんだと。確かにそういう発想で、アジアの様々な拠点を結んでいったら面白いかなと思います。そういう発想も全然、夢物語ではない。現実の話です。僕は横浜に引っ越してきたけども、東京と横浜も明らかに違う。ここも少し離して考えてみたい。
__ 
距離的に離れてそれぞれの環境がある。
藤原 
それぞれの点はバラバラのままでいいと思うんです。むしろリージョナルな可能性をもっと追求してもいいのかもしれない。それぞれの土地のヴァナキュラーな言葉や記憶にアプローチしていくとか。僕が今横浜でやろうとしているのはおそらくそれです。例えばこの辺りで飲んでると、伊勢佐木町のメリーさんの話が会話の端にのぼったりする。記憶が色濃く残ってるわけですよね。そうやって足場を仮構しつつ、その上で、別の地域に移動して、点と点を結べばいいというか。
__ 
移動する。そうですね、集中する必要はないですね。首都の周りを周回する衛星都市など、存在しない。我々は色々なところに種を撒いていけばいいんですね。
藤原 
あるコミュニティに根ざして生きる人もいます。一方でデラシネとして移動する人もいる。堀江敏幸という作家が『おぱらばん』に書いていた随筆に、スナフキンはムーミンがいるからこそスナフキンでいられるのだ、とあって、なるほどと思いました。寅さんだって、柴又の家と人々があるからこそ寅さんを演じ続けることができる。どっちも必要な存在だと思います。よく、コミュニティの人間がデラシネやノマドを軽蔑し、逆もまた然りということがありますが、その違いは違いとして受け入れて、お互いに敬意をもって耳を傾けることはもっとできるはずだと思います。背景も立場も、やろうとしている事も違うけど、その違いによって相手を否定しているわけではない。自分に自信があれば、他人を軽蔑する必要もないと思います。対話したり、良い意味での喧嘩はあっていいけど、軽蔑は良くないんですよ。これは本当にこの場を借りてみなさんにもお願いしたい。軽蔑というのは、最後の手段にしてほしい。そんなに簡単に切ってはいけないカードだ。
__ 
軽蔑。相手を矮小化して自分の価値観を守ろうとする反応だと思っています。もちろん、間違っていると私も思います。でも大変なんだと思うんですよ。良く知らない相手に対して、窓を開け続けるという事は。それが出来る人というのは、物凄く頼り甲斐を感じますね。藤原さんの窓はかなり広そうな気がしますね。
藤原 
いや、僕はまったく聖人君子ではないですよ(笑)。ただ10代、20代とかなり生きるのが大変で、誇張ではなくて、自殺することばかり考えていたような時期もかなりありました。結局自分にその蛮勇がなかったことをありがたく思うしかない。とはいえ何度かピンチを切り抜けて来られたのは、他人のおかげなんです。それは自分でコントロールできるものではないと思うんですね。もちろん僕にも好き嫌いはありますけど、そう簡単に他人を拒絶できないと思った。誰がどこでどんな救いの手を差し伸べてくれるか、まったく予想外のことばかりが僕の人生には起きてきたんです。そういう意味では、自分で選んだことなんてそんなにないのかもしれない。自堕落な人間です。大抵の場合、いろんなものに巻き込まれて生きてきたから。でも下北沢で35年くらい「いーはとーぼ」という音楽喫茶を経営してきた今沢裕さんという変わった人がいるんですけど、この人が「必然性のないことはするな」と言っていて、最近その意味が少し分かってきたかなとも思います。必然性のないことはしたくない。できればずっと寝ていたい(笑)。代書人バートルビーの言葉を借りて言うならば、「せずにすめばありがたい」んです。でもたぶん、演劇を観て、それを何かしら言葉にしていく作業というのは、僕の中では必然性のある行為なんだと思います。少なくとも今のところはそうですね。あとやっぱり、人間の謎の部分に興味があるんですよねえ・・・・・・。例えば、今そこの歩道におばちゃんが立ってるでしょ?
__ 
いますね。
藤原 
あの人がどういう人生を歩んできたか、僕にはさっぱり分からないし、大抵の人とはそのまますれ違っていくじゃないですか。でも酒場ではそういう人と出会ってしまって、ちょっとここでは書けないような淫靡な話を聴いたりする。公の場にはなかなか出てこないような話というものがやっぱり世の中には眠っている。無数の眠った声。小説や戯曲には、もしかしたらそういう言葉が書かれうるかもしれない。やっぱりそのダークサイドにどうしても惹かれてしまうし、芸術に興味を持つのもそのせいかもしれません。
__ 
分からない何かを、みんな持っている。
藤原 
どんな人にも謎はあります。それを無視して、簡単に他人を軽蔑したりはできないって思います。
__ 
ええ。・・・あのおばちゃん、まだ立ってますね。

タグ: 引っ越し 相互承認 手段を選ばない演劇人 地方における演劇の厳しさ


内容だけ

__ 
北川さんがお芝居を始めたのは、どのような経緯があるのでしょうか。
北川 
高校が、埼玉県立芸術創造高校という、映像科、美術科、舞台科、音楽科しかない学校で、ちゃんと演劇を始めたのはそこからです。でも実はそれ以前に、小さい頃から子供向けのワークショップを受けていて。小学校一年から10年ほど朗読を習っていました。中学校まで。
__ 
え、朗読を習っていたんですか。そういう方にお会いするのは初めてですね。
北川 
そうですよね、珍しいと言われます。子供の時から、大人のクラスに入れられて。漢字にふりがなを振るところから始めました。
__ 
めちゃくちゃ難しいイメージがあります。私が想像するに、朗読ってきっと、お客さんをとりあえず聞いてもらうようにするのがすごく難しいんじゃないかと思うんですよ。それはきっと、本を読んでいるだけでは難しい。
北川 
そうですね。朗読の捉え方というのが色々あって。で、私が考える朗読は「表現するというよりは内容を伝える為に表現をする」ものだと思っています。例えば、手法や表現が主体となる演劇作品。「こういう手法にチャレンジしました」というものがあると思うんですけど。そうした考え方でもし朗読をした場合、俳優さんが「私はこういう表現が出来ますよ」みたいな。
__ 
芝居をする事もありますしね。
北川 
朗読においては、表現はあくまで手段で、内容だけが伝わればいい。表現過多になってはいけない、という考え方を師匠に教わりました。
__ 
私のこのサイトも、内容が最重要なので、何となく分かります。
北川 
でも、小学校一年からそういう考え方で来ているので、自分の個性を生かした芝居とか、キャラクター性とかが・・・。特にロロの作品だと、分かりやすいキャラクター達の中で器用貧乏になっているんじゃないかって、あんまり。自分のが何か欲しいなとは思ってるんですけど。
__ 
そのままの北川さんでいてほしいと思いますけどね。
北川 
えへへ・・・。
__ 
うーん、表現についての考え方が素直な気がして。それは、実は舞台に立ったらかなり分かると思うんですよ。

タグ: 手段を選ばない演劇人 作家の手つき


寄り添う接地点

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ひとつ伺いたいのですが、ライブで音楽を演奏する時。どうしてもお客さんが飽きている状態があると思うんですよ。風景が変わらない訳ですから。つまり、ライブではお客さんの身体の状態遷移を想像して付き合っていくのが難しいのではと思っていて。その辺りについては、どういう考え方をされているのかなって。
井村 
もちろん、全ての瞬間で盛り上がる事は不可能だとは思っています。例えば盛り上がるポイントを1曲目に持っていって、3曲目はクールダウンして、どこかに遊びの1曲を入れたりして・・・激しい曲ばっかりでも盛り上がりはするんですけどね。
__ 
ええ。
井村 
でも、自分がやりたい事とお客さんの体感の気持ちよさの接地点が最初の時点で重なるように組まないと、と思いますね。
__ 
それは、私がずっと考えている事と似ているように思います。お客さんを導入する事って大事ですよね。最初に遠ざける手段もアリだとは思っていますが。
井村 
最初に遠ざけるのはオナニー確定じゃないですか。「俺らこんな事やるし、ついて来たかったらついておいでよ」もちろんそれもアリだと思うんです。技術が高かったり、ステージパフォーマンスが強かったりしたら。でも、最初は演者が歩み寄るべきなんじゃないかなと。
__ 
演劇でも、最初の方で自分達はこうだ!とする作品よりも、空気を作って導入していく劇団って増えたと思いますね。

タグ: 手段を選ばない演劇人


ワークショップデザイナー育成プログラム

___ 
川那辺さんは、今度はどんな感じで攻めていかれますか?
川那辺 
私、大阪大学のワークショップデザイナー育成プログラムに去年参加していたんです。
___ 
ああ。
川那辺 
そこでの経験を通じて、私なりにワークショップってなにかなって考えた時に、ワークショップというのは学校とは違い、割とフラットな関係の中で出来上がっていくものだと。私は、アートをいろんな人に知ってもらう、楽しんでもらうっていうのには、ワークショップが有効な手段だと思っているんです。今、舞鶴の「まいづるRB」というアートプロジェクトにもアシスタントで行ってるんですけど、そこは演劇ではないんですけど、ワークショップに取り組んでいて、参加者の人はのびのびとやってて、気の向いたときに覗きにきてくれたり、スタンスがその人本人に委ねられているんですね。それが当たり前のように思えるけど、なかなかない空間だなぁと思っています。色々な人と対等に話しながら、知識の共有をする事がワークショップという形態だとしたら、演劇のみならず色々なコミュニケーションに有効なんじゃないかなと思うんですよね。私も、そうしたクリエイティブなワークショップに関わりたいし、また自分の周囲も巻き込んでいけたらなと思っています。

タグ: 手段を選ばない演劇人 今後の攻め方


デジタルディバイドについて

___ 
中学生どころか生まれた頃からIT環境が充実していて、写真や映像の記録を電子ファイルで残したり、コミュニケーション手段が格段に多くなったり。そうして生活にITを使うのが当然な世代と、そうでない我々以上の世代間の格差をデジタルディバイドと呼ぶんですけど。
イガキ 
ええ。
___ 
実は、上の世代がそういう年下にびっくりする事自体がデジタルディバイドの正体なんじゃないかと思っているんですよ。だってそんなの、我々だけの問題ですからね。
イガキ 
うーん。
___ 
もしかしたら、彼らの創作をペラいとして一蹴するのはちょっと早いのかもしれない。もしかしたら、生産と消費のペースが早い、老舗や定番なんて存在出来ないのがこれからの当然になるかもしれないなって。
イガキ 
それはそうかもしれませんね。残らないものが当たり前の世界ですから、当然っちゃあ当然ですね。twitterにしたって「すぐ無くなるっしょ」という意識があるみたい。学生は冷静にみている。

タグ: 手段を選ばない演劇人


一元化

__ 
今後、山村さんはどんな感じで攻めていかれますか。
山村 
うーん。いま、むっちゃバイトしていて、その隙間にM☆3とかchikinの公演の準備とかしているんですけど。そういうのが苦手なんです。お金を作る作業と作品を作る作業が二分している状態が。自分の中でうまいことバランスを取っていきたいなと思います。
__ 
一元化したいと。
山村 
それが出来たらうまいこといくような気がします。わがままなんですけどね。
__ 
難しいところですね。
山村 
どうもしっくりこなくて。
__ 
普通に会社員で芝居やってる人は、土日に稽古してますからね。凄いな、休めばいいのにとか思っちゃいますね。中野劇団さんとか。もの凄く面白くて、すげえなと。
山村 
うん。面白いですよね。
__ 
どこかでそういう方法を見つけられたらいいですね。
中野劇団
京都を中心に活動する劇団。脚本・演出の中野守氏の織り上げる、緻密なプロットのコメディ。
ベトナムからの笑い声
丸井重樹氏を代表とする劇団。手段としての笑いではなく、目的としての笑いを追及する。

タグ: 手段を選ばない演劇人 今後の攻め方


手段としての殺陣

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さて、前述の会話が出来ていない芝居をですね、「仮エンタメ系」と呼ぶことにしましょう。ZTONさんはそれ系と違わせる為にどのような事をしているのでしょうか。
河瀬 
実は、日本刀と殺陣が大好きなんですよね。いつか振るってみたいなあと。でも、殺陣を見せられて楽しいか?というと、僕は楽しくないんですよ。なので、究極的には殺陣は入れたくないんです。話の要所に入れることはありますが。なので、言い方は悪いですがオナニーにならない殺陣の作り方を研究していますね。
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それはどのような。
河瀬 
「ここでこうきたらこう返す」みたいなセオリーには頼らずに、必要なだけの殺陣を作っています。言ったら、目的ではなく、手段としての殺陣なんですよ。ダンスもそうですし。でもそれらを目的としてしまったら、仮エンタメ系となってしまうと思うんです。
__ 
なるほど。では、殺陣などの部分以外の、作品そのものの製作としては。
河瀬 
一番描きたいのは、人間の内面です。一般的に演劇というのは、それを普通の会話劇を通して描いていると思うんですけど、それも見ていて面白くないんですよ。確かに芝居が進むにつれて、キャラクターの心に微妙な変化は表れてくるんですけど、そういった会話劇を見せられても・・・。三谷幸喜の劣化版だと思っちゃうんですよ。例えば初めて演劇を見る人が「どんなんだろう」と思ってちょっと観に行って、そういうものを見せられたとしても絶対に面白くないと思うんです。そこを劇的に、意図的に見せなくてはと思うんです。ダンスや殺陣は、そのための手段として入れていますね。
__ 
例えば、前回の「月黄泉ノ唄」では、主人公の死に別れた筈の妹が鬼として再び現れて、彼女の生への執念と向き合わなければならなかったと。そこで彼の、新しい時代を開きたいという理想とのジレンマが発生していました。結局、妹とはもう一度死に別れなければならなかった訳ですが、実は主人公は芝居が始まった頃よりずっと強くなっていたという、成長を描く物語でもありました。さて、そういった物語を、観客にどのように受け止めて貰いたいのでしょうか。
河瀬 
偉そうなんですけど、「この国はおかしい」と。僕自身は、作品に出てきた蜜さん演じる安陪清明と同じく、世界の矛盾・理不尽を破壊したいなと考えています。この国を疑問に思って貰いたいんですよ。ちょっと政治的かも知れませんけど。
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なるほど。だから、単に激しいだけの仮エンタメとは違うんですね。そういえば、今年の3月の「沙羅双樹のハムレットという作品もそういった面がありました。
蜜さん演じる安陪晴明
陰陽師・安陪晴明を怪演とも言える熱演。
沙羅双樹のハムレット
劇団ZTON vol.3「沙羅双樹のハムレット」公演時期:2008.3.6~9、会場:東山青少年活動センター 創造活動室。

タグ: 「初めて芝居を見たお客さん」 表現=「自己満足、オナニー」? 手段を選ばない演劇人 俳優を通して何かを見る 大・大・理不尽