難しい問題

__ 
shelfは、自分たちの尺度を自分たちで作るカンパニーだと私は思っています。そこで伺いたいのですが、その尺度を共有出来ない鑑賞者に、どのような近づき方をしてもらいたいですか?
矢野 
ああ、難しい問題ですね・・・。
__ 
受け付けないお客さんもそれは当然いると思うんですよ。
矢野 
そういうお客さんがいたとして、周りのお客さんに悪い影響を及ぼすような、例えば明らかに邪魔をするように貧乏ゆすりを始めたりガサガサとノイズを立てたりとか、そういう場合は、僕、ひょっとして芝居を途中で止めてもいいのかも知れないな、って思っています。「すみません、お代は結構ですので、あれでしたら今日はもうお帰り頂いても・・・」って。でもそれはちょっと、なんというか、“晒す”ことになっちゃう危険を孕んでいるのかなとも思ってて、それじゃ、ちょっと駄目かなあと。
__ 
そうですね。
矢野 
ああ、そうか。むしろそこで、対話が始まるべきなのかもしれない。要望を聞いたりとか。俳優にとってはいい迷惑でしょうけど。
__ 
最近、同じ状況に置かれたことがあります。まあイベント公演ではあるんですけど立派に演劇なんですよ。でも、一人お客さんが喋り初めてしまったんですよ。俳優にずっと話しかけたり芝居にツッコミを入れたり。私も含め周囲のお客さんは全員イライラしているようでした。ちなみに、俳優はノッてました。
矢野 
なるほど。
__ 
その劇団のテーゼ的には、彼のような存在を排除するのはおかしい。だから、そこでの正解はきっと、彼を排除するのではなく、その場の全ての観客が彼と同じように芝居にツッコミを入れ始めることだったんです。
矢野 
実は、劇場で演劇作品が始まった後に、所謂作り手(俳優)と観客とを分けるのって、ナンセンスなことなんじゃないかな、と最近、感じています。決して欧米の文化を礼賛するワケではないんですけど、平田オリザさんが雑誌「演劇人」に演出家コンクールの講評でこんなことを書いていたことを覚えています。「日本の観客は優しい。つまらなくても必ず最後まで観て、カーテンコールには拍手してくれる。ただし、その後二度と劇場には来ない」。あるいは、これは五反田団の前田司郎さんが言ってたのかな、「例えばあるラーメン屋に行って不味かったら、『このラーメン屋はまずい』ということになる。でもちょっと具体名は忘れちゃったんで適当ですが、例えば日本でマイナーな料理として、例えばモンゴル料理とかの店にいって不味かったら、『モンゴル料理はまずい』となってしまう」。現代演劇は、日本の社会のなかできちんと、なんというか身の置き所みたいなものを獲得出来ていないから、最初に見た演劇がつまらなかったら、そういうことになってしまう。ホントは1本だけでなくいろいろ観てみて欲しいんですけどね。それが、一方のヨーロッパの観客は、つまんないと途中で本当に帰っちゃうらしい。
__ 
ああ、そうらしいですね。
矢野 
最近、クロード・レジが死と沈黙についての作品を上演した時、途中で帰ったお客さんについて俳優にこういったことがあるそうなんです。「死を直視する事を恐れるように帰っていった。」
__ 
その舞台を直視出来ない観客と、どう向き合うべきなのか? が問題です。
矢野 
もちろん、排除するのは違う。観客も、演者も含めて全員での対話が始まるのがいちばん良い気がします。それでみんなが納得出来て、必要であればそこから上演を再開するのがいちばん幸せなんだと思います。
__ 
そうですね。それは理想ですね。
矢野 
自分とは違う価値観(を持った人)の存在を肯定するのが、きっと演劇のスタート地点なんだと思います。感じ方も考え方も違う人々が、それを前提にして、一緒に社会を営んでいくための具体的な仮説を立て、実践し、結果を検証し、という実験を行うのが、劇場という場所の本質なんじゃないか。最悪のケースとして、対話が長引いて上演が再開出来ず、そのまま公演が終わってしまってもそれはそれでいいのかも知れない。
__ 
連帯感というのかな、そういう状態に劇場が統一するのかな。社会のミニチュア。
矢野 
ミニチュアというか、個人と社会の関わり方についての実験をする、その可能性を探る場所なのかも知れません。ヨーロッパが生み出した資本主義や民主主義を、現状、我々はそれがいちばん優れたものとして受け入れている。けれど、世界を経巡ってみれば他にもっと良い選択肢があるのかも知れない。未来に賭けてみれば、他の選択肢がきっとあるんじゃないだろうか。僕は、僕らの作っている演劇って、そういうものなのだと考えています。

タグ: 拍手についてのイシュー カーテンコール 受け入れる・受け入れられる ラーメンの話 実験と作品の価値


受け入れる・受け入れられる

__ 
どくんごの演劇、時代に合わせて変わっていった事はありますか?
どいの 
旅を始めた最初の頃は、ちょっと文学っぽかったかな。チェーホフとか。でも「踊ろうぜ」あたりの頃から、今の形になっていったと思います。
__ 
役者が自分の台本を持ち寄る形ですね。
どいの 
台本を持つのをやめちまおう、という意識があったんです。それから再度、僕らがもう一度脚本を持ったらどうなるんだろうという興味もあって、今回根本くんを招聘してる訳です。そういう僕らの変遷があるんですが、うーん、時代とどういう関係があるかは分からないかな。
__ 
なるほど・・・。
どいの 
お客さんも僕らもこの時代の空気を吸ってを生きているし、表現はお互いの中間にあるから、そこで出来上がる演劇は当然変わっているかな。でも、意図的にしているかというより、そうなっていくという話ですよね。
五月 
はじめた頃は景気もよかったし、ツアーの借金は働いて返せばいいということで、お客さんを入れることにもそれほど熱心でなく、まあ道楽でやっていたような感じで、各地の受け入れとの関係も今のように深くはなかったです。
__ 
なるほど。
五月 
ずっと見てくれて応援してくれた人達が、いま受け入れになって全国で応援してくれるという形。時代と共に不景気になり、人と人との関係が薄くなり、という事のなかで、どくんごのテントに集まってくれた人たちのつながりを改めて発見したり。最近はそういう風になってます。私達もこれ以外収入がないから、受け入れの人たちは「自分たちが頑張る事で今年もどくんごが芝居出来るんだ」って力が入り、地域との関係も強くなっていく。昔から地域にあった受け入れの方々ではなく。この6年で、私達も受け入れも変わったという感じですね。
__ 
今の受け入れの方々はどうですか?
五月 
面白いです。疲れる事もあるけど(笑う)
__ 
受け入れとの関係。毎公演、終演後にお客さんを交えて打ち上げをされますよね。あの空気感が好きです。あの場所に行くのが、今から楽しみです。

タグ: 受け入れる・受け入れられる


いつかよぎる景色

__ 
山本さんはコトリ会議の脚本家・演出をされていますが、お客さんにどんな気持ちになって帰ってもらいたいですか?
山本 
やっぱり、どこかほっとした気持ちになってもらいたいですね。エンターテイメントを求める心が僕の中にはあって、観てたくさん笑った後にずっと考えさせられる。劇場を離れて時間が経って、例えば誰かと話している時、TVを見ている時、お茶を飲んでいるような時にふと再来する、そんないいシーンを生み出したいというのはありますね。作品の解釈なんて結構どうでもいいというのはあって、でも、印象に残るシーンを作りたいですね。
__ 
これまで作られた作品の中で、それはありますか?
山本 
あまり見られてはいないんですが、3回目の公演の「右はじの、映らなかった人」という作品。夕暮れの中で一人の女性が男の写真を映す、その情景であるとか。「サリリャンカララワールド」のラストもそうですね。
__ 
というと。
山本 
暗い倉庫の中生きている女の子が自分の中でストーリーと生活を作り上げるという話で、最後に光が差し込んで、抒情的なセリフが続いて、「母は思い出すよ」というセリフがあるんです。
__ 
ちょっと鳥肌が立ちました。
山本 
でも中々上手く行かなくて、あまり受け入れられなかったんです。
__ 
勇気を持って表現する劇団の芝居が好きなので、やってもらえると嬉しいし、やらなければ何も始まらないですけどね。だから私は、どんな作品の面白さも拾わなければならないと思っています。
山本 
ありがたいお客さんやなあと。ありがとうございます。
コトリ会議 演劇公演 5回め「サリリャンカ・ララ・ワールド」
公演時期:2010/4/17~18。会場:in→dependent theatre 1st。

タグ: 一人では何も出来ない いつか、どんな演劇を作りたい? 新しいエンターテイメント 受け入れる・受け入れられる いつか、こんな作品を作りたい


あの時代から数歩離れて

__ 
玉一さんが演劇を始めた経緯を教えてください。
玉一 
高校3年の頃、文化祭で演劇をやろうと誘われたんですよ。水球部・テニス部・書画部の仲良しで集まって。三谷幸喜さんのTVドラマのある一話を演劇化する企画でした。それまで演劇なんてやった事無かったんですけどね。それから大学に入って友達にすすめられてラーメンズのDVDを見たんですが、凄く世界観が独特じゃないですか。いいなあと思って。
__ 
楽しそうですね。
玉一 
で、私も当時自分の世界観を京都精華大で絵で表現してたりしてたんです。でもある時先生に「それじゃ全部は伝わらないよ」と。これじゃダメなんですか?全部伝えないといけないんですか?私は偶然性というものも好きだったんです、偶然生まれた技法だったりとか。でも、やっぱり学校だから。研究して積み重ねないとダメなんですよね。そこの食い違いというかそういうわだかまりもあったものだから、平面の世界で息詰まっていて。抜け出したかったというのはありますね。そういう折にラーメンズとかを見て、自分が作品を描くのではなく、自分が作品の一部になるというのはこれまた面白いなあと。それで劇的集団忘却曲線に飛び込みました。
__ 
大学は教育機関ですからね。評価されますからね。
玉一 
そうですね、総評されるんです。私は作品の一部分が面白い、というのもありなんじゃないかなあと思ってたんですが、そうじゃないんですよね。難しいなあと。パッと思いついたらそれをやるという、面白い方に飛びつくという。集中力がないんですかね。でも演劇って、何ヶ月も同じ作品に向き合うじゃないですか。今日は昨日よりも掘り下げられた、みたいな感触があって・・・
__ 
それは、確実に製作者としての意識が高まっているんじゃないでしょうか。
玉一 
そうかなあー。
__ 
ある程度以上の重さを持っている作品は確かにあって、それはお客さんの心と引き合うんですけど、その時にどれだけ考えられて作られているか、に依っていると思うんですよ。それがお客さんの目の前に現れる時、美しい調和をもって時間とともに奏でられると思うんです。
玉一 
そういう意味では、大分自分は変わってきていると思います。入ってからも変わっているし、周りも変わったし。だから、なんか、昔と全然違いますね。

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BRDG vol.2『TEA×HOUSE』

__ 
「TEA×HOUSE」。物語というよりも、取材で得た資料を再構成して作品化しているという事ですが、そうした作品を作っているのはどのような理由があるのでしょうか。
山口 
まず、私は物語が作れないんですよ。自分からはどうしても出てこない。紡げないし、自分よりも大きなものが沢山あるとずっと前から思っていて。紡ぐよりはどう吸収するか、が私の表現だと考えています。舞台に出る時も、自分から表現するというよりも何かに動かされる事が多いですね。外の要素だったりとか、もちろん共演者、環境、お客さんにも動かされるのが好きなんです。受動的な・怠惰な態度ではなくて。作品を製作する時も、世界を解釈をして変換して、つまり通訳してそれを違う言語に出力する。そういう事に興味があります。私は別に作家じゃないと思っています。紡げないので。外と接する作品を作りたいと思っています。
__ 
個人が世界と接する作品。
山口 
個人と他者が、どう接するのか。いい悪いじゃなくて、そこを観察したいですね。
__ 
ありがとうございます。私は最近のテーマとして、情報は読み手の創造性を以って初めてその価値を成立させると思っています。だから、山口さんの仰っている事はそうした観客にはきっと歓迎されるかもしれません。しかし、観客という他者が、舞台上の世界を常に受け止めてくれる訳ではありませんよね。積極的になるかもしれないし、消極的になるかもしれない。むしろ、敵視してくるかもしれない。
山口 
そうなんです。他の人にも、それが美しいと思ってもらえる為の工夫をしないといけないんですよね。やっぱり、お客さんの感想が分かれるんですよ。「全く意味が分からなかった」と、「もの凄く面白かった」と。それは、どちらも当然返ってくる反応で。分からない=面白くないと見なすのは当然じゃないか、って私も思ってしまう時があるんです。だから、もっと作り手として、「これがキレイだよね」と紹介するだけのものじゃなくて、「何故そう思えるのか」が分かる。そんな、もっと面白く見てもらえる仕組みを考えださないといけないと感じています。
__ 
余談ですが・・・「TEA×HOUSE」で、非常にスリリングで面白いと思ったシーンがあります。スコーンが焼けるまでに、若干時間が余りましたよね。その時に舞台上で二人の出演者が暴れまわっているという場面がありました。時間稼ぎだと気付いた瞬間、ものすごく面白かったんですよ。物凄い可愛らしい時間でしたね。チャームポイントだったと思うんですよ。何か、お客さんに渡してあげたゆとりのある時間というか。
山口 
素敵に思って頂けるのは嬉しいですが、そこに甘んじる事無く(笑う)スコーンを焼く間の時間で作品を収めようと決めていたんですが、出演していたブリジットが「焼き時間を短くなんて出来ない」と言ってくれて。だからどうしても。辛かったお客さんもいたかもしれません。
BRDG vol.2『TEA×HOUSE』
公演時期:2013/4/26~28。会場:京都四条大宮滋野宅。

タグ: 色んなものを吸収 外の世界と繋がる わたしの得意分野 ユニークな作品あります 工夫する俳優 「目の前で起こっている」 受け入れる・受け入れられる 世界 その題材を通して描きたい 焦点を絞った作品づくり


この生きづらい世界で

__ 
かのうとおっさんの作品、とても好きです。何というか、性悪説を体現したかのような登場人物たちの放埒な姿を見ていると、人間そのものを許せるような気がするんですよね。その奥に、地獄を肯定してやるんだ、的な姿勢を感じるんです。
嘉納 
ありがとうございます。そういう事だと思います。
__ 
クズばかりが出てくる芝居だと思うんですが、書いている方からしてはいかがでしょうか?
嘉納 
特にここ2・3年はそういう方向になってきている気がしますね。それまではちょっとおかしい人々を書いていたんですけど。
__ 
なぜそのような人物を描くようになったのでしょうか?
嘉納 
生きづらい世界だと思うんですよ。ちゃんとしないといけないんですが、そうしたくないなあという気持ちがどこかにあって。立派にいようとすると、ちょっとしんどい。
__ 
成長したくないというのは大変文学的なテーマだ、みたいな評論がどこかにあったような気がします。そういう気持ちが嘉納さんにはある?
嘉納 
20代の頃、立派になろうと振る舞っていた時期があったんです。いい人であろうと、自らを演出しようと、例えば相談されたら「大丈夫だよ」とか答えたり。しばらくして、このままだとつまらない人間になりそうな気がして辞めてしまったんですよね。3ヶ月くらいで。立派な事を言ったりしてたらああこれクソつまんねえなと。

タグ: 性悪説 「かのうとおっさん」という特異点 相互承認 自由自在になる 受け入れる・受け入れられる 成長拒否 関係性が作品に結実する ロックな生き方


ノーを言う前に

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諸江さんは高嶺格さんの作品にも出演されるそうですね。
諸江 
そうなんです。元々高嶺さんは厳密にはダンサーではないので、で、集まってくる人もダンサーがメインではないんですね。こっちからどんどん提案していくんですよ。これやったら面白いんじゃないかって。みんなで大笑いしながら。しんどかったのは、30分間ずっと同じ動きをし続けるというものでした。結局使わなかったんですけど、たとえばカップを持ち上げるという行為をずっと繰り返すとか。
__ 
そんなダンスがあるんですか。ちょっと見たいです。
諸江 
それはお客さんに見せられないので使わなかったんですけど、そこから発生する何かを掴むんです。それらを高嶺さんが編集して、作品としてまとめるんですね。一枚のアルバムを作る、みたいなイメージです。
__ 
他には、どんな提案を。
諸江 
原始的な、こんな事してみたいよね、みたいなのをやってました。全然下らないんですけど、楽しいんです。芝居のエチュードもしたし。作品を作る上で、全裸になる事も提案して、全員裸になったことがありました。もちろん裸はタブーなんですけど、作品として必要であれば裸になる事は納得出来る、そんなメンバーでした。
__ 
なるほど。
諸江 
高嶺さんの作品には、世間一般ではタブーとされているものをモチーフにした作品がありまして。そういうのを学生の時に見てきて、ああ、自分の中にも、確かにタブー意識というものがあるなと。何も知らずに見たら拒否感しかないが、作品内で語られる背景を知ったらそんな事は言えない。拒否するのは後にしよう、という。一度試してみて、それでもダメだったらノーと言おう、と。そういうスタンスが学生の時に身について、今でも続いています。
__ 
外の物を受け容れる前に拒否してしまうのではなく、ですね。

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vol.287 諸江 翔大朗

フリー・その他。

2013/春
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諸江