質問 油田 晃さんから 倉田 翠さんへ

__ 
前回インタビューさせて頂いた、津あけぼの座のプログラムディレクター、油田さんから質問を頂いてきております。「演劇やダンスの可能性はどこにあると思いますか?」
倉田 
凄い事聞くね。社会的な意味での可能性、無いとは言わないけど私個人は興味が無い事で、それはそれで良くないですね。例えば今ISILの人質の写真が出回っているじゃないですか。それをモチーフに作品を作る、という具体性は私の中には無いから。「可能性」というのはどうしても社会との繋がりを考えてしまいますけど、一旦そこは遮断して。
__ 
ええ。
倉田 
特定のお客さんの心に、作品の中のちょっとした描写とかが小指程度でも影響すればいいなあと思います。私たちは劇団四季とか宝塚歌劇とかのレベルの事はしてない、けどそのかわりに、もうちょっとがつっと奥深いところに関われればと。社会には何も関係なくてもね。そうなればいいなと思ってる。
__ 
ありがとうございます。次の質問です。20歳下の後輩世代との関わりの話が出たんですが、その上での質問。「舞台のキャリアが長くなって、自分達が頑迷ではないかと思う事はありますか?」
倉田 
私なんかまだまだ若造で、態度でかいと思われがちですけどかなり気もちっちゃいので。謙虚でないといけないといつも気にはしてるんですけど。頑迷さか・・・学生の頃とかに作っていた作品のわがままさをね、生きやすくするために抹消している部分がありますね。今は逆に、もうちょっと頑固であるべきなんじゃないかと思いますね。年下と話す時も、訳分からん話でもふんふんと聞けるし。自分の頑固さを意識する事はあんまりないかな。
__ 
若い頃なんて、自分のやりたいことが念頭にあるから。それが自然なんじゃないかなと。

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vol.405 倉田 翠

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2015/春
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倉田

地域の芝居の生き残りの難しさ

__ 
油田さんと京都の繋がりを教えて下さい。
油田 
三重と京都、昔は遠かったんですけど、2008年に新名神が通ってからは僕たちの居る津市からは車で一時間半ぐらいあれば行けるんです。半日の予定で京都の芝居を見に行けるんですよ普通に。はじめてこのしたやみさんが三重に来た時に、パンフレットに「新名神のおかげで三重と京都は近くなった。たまには公共工事も良い事をする」って書いた記憶があります。
__ 
なるほど。
油田 
このしたやみさん、田中遊さん、柳沼さん、田辺さん、京都の方にたくさん来て下さって。今度、トリコ・Aさんも来てくださるし、はしぐちさんのコンブリ団も。一個ずつ京都の方と付き合いを作っていってますね。京都に来るのは楽しみです。受け入れをし合える関係ですね。僕らもイサンで公演出来たんですよ。
__ 
ええ。
油田 
今度は、逆に京都に、地域で芝居をうつ事の大事さを示せたらなと。地域でのお芝居って、頑張らないと孤立して無くなってしまうんですよ。頑張っている人へ地域の理解がないと終わってしまうんですよね。それはもちろん、クオリティの高いものを作らないといけないですけど。
__ 
地域における芝居の生き残りの難しさ。
油田 
そこにはただ芝居を打つだけでなく、社会性・公共性が必要だと思うんですよ、絶対に。それは公共ホールがやってきた事ではあるけれど、僕ら民間やNPOも真剣に「演劇や社会・公共にとって有益なモノなんだ」と訴えてやらないといけない筈なんですよ。三重の場合は、まずお客さんに劇場に来てもらうところから始めないといけなかった。とにかくその仕組みとか、演劇はハードルの高いものではないし、終わってからああでもないこうでもないと語り合う楽しみのある、それを言い合って楽しむものなんですよ、という事。クオリティを上げて敷居を下げるという戦いかなと思っています。そこを頑張らないとね。

タグ: 社会、その大きなからくり 地方における演劇の厳しさ


倫理VS本能

__ 
圧倒的虚業。非日常を社会にぶち込む所業、という言葉がチラシにありました。本来、劇場は舞台と客席の二つの集団で構成されています。舞台側が(稽古によって共有された)歴史をもって、可能性を客席側に投げかける構造がある。その時客席側は未読の領域をワクワクしながら切り拓いて進んでいる訳ですが、・・・そのオープニング、そんなに驚きというなら、いきなり奇想天外で、でも説得力のある風景が出てきそうですね。
畑中 
おお、そうなのかな。でも、テーマとして掲げられている「倫理VS本能」。イタズラ心ってありますよね。この静かな喫茶店でいきなり大声で歌い出したらどうなるのかな、とか。何か、目の前の人の頭をぶっ叩いたらどうなるかなとか、学校や会社に向かうのとは反対の電車に乗ってしまったら、とか。それが本能だと思うんですけど、そこを倫理で押さえて社会になじんでいる。でも、彼らは本能に従っている集団なんですね。虚業をぶちこもうと、本能に従って面白い事をしたい、それだけしかない、という感じなんです。まずは、どんな人達が出てくるか楽しみにしていただけたら。

タグ: 演技それ自体への懐疑 非日常の演出 キチガイ ロックな生き方 社会、その大きなからくり 悪いけど、芝居させてください


パブリック(public)

矢野 
[deprived]のテキストには日本国憲法前文があるんですが、この作品を作り始めてから時局になんだか追いつかれて来てしまっている感があるんです。憲法を閣議決定だけで強行採決してしまったりとか・・・。そもそも、これは今回の作品のタイトルの所以なのですが、「プライベート(private)」の語源には「奪われている(deprived)状態」というのがあるらしいんですね。人間は元々「パブリック(public)」な存在として、社会において「役割(role)」や「地位(status/office)」を持っているのが大前提で、それが奪われているのが「private」。それが僕にはなんだかとても興味深かったんです。「プライベート(private)」より先に「パブリック(public)」が来るなんて。僕らの感覚ではまず「プライベート(private)」な私があって、それから社会に参加するという感覚がある。
__ 
確かにそうですね。
矢野 
ここ20~30年、公共とは何か? ということを問いなおす議論が日本でもたくさんなされて来ているように思います。だけど公共、つまり「パブリック(public)」を、本当のところは実は何も分かっていないんじゃないか? 明治時代に、外来語の概念に日本語を当てはめるために苦労した(「nature→自然」とか「love→愛」)のと同じような感覚で、ちゃんと「パブリック(public)」を理解して使わないといけないんじゃないかと。新しい公共とは何か。それは税金を集めて政府が管理・運営する、そのやり方を変えるというだけのことじゃなくて、例えばみんなのモノを、先ずは民間で作る。組織や施設を民間で立ち上げていって、それを行政がサポートするということでもいいんじゃないか思うんです。
__ 
[deprived]は、私と私を取り囲むそれらを考える時間なのですね。
矢野 
「私」とは何ぞや、という事を考えるときに、「私」を規定しているのは「私」ではなくて、「家族」とか「社会」、「集団」とか「国家」とか、様々な位相での「他者」との関わりの中で規定されているのではないか? ということをやりたいですね。

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なにかが動いてる

__ 
危口さんは、いま、どんな創作に興味がありますか。
危口 
元々、主体的に自分の興味に基づいて創作するというタイプじゃないんですよ。昔はそういうこともあったけど、最近は、お話を頂いてお受けする事が増えてきて。その場合、自分で扱いたい主題があろうがなかろうが、上演環境が先にあるので、理由とか意義は後付けで捏造することになります。自分の興味が最初のモチベーションにはならない。
__ 
危口さんには、モチベーションはいらない?
危口 
人によってモチベーションって言葉の意味も違うと思います。僕自身にも何かしら動機と呼べるものはあるとは思うんですが、ことさらそれを明示しなくても、形にすれば何らかの痕跡は残ると思うので。結局、形にするかしないかという話ですよね。
__ 
確かにそうですね。痕跡。
危口 
動機がはっきりしてない人でも、形に出来てしまう。そういう場合は、もっと大きなからくりが働いているんだろうなあとは思いますね。強いて言うなら、そのからくりに興味があります。任意の作家にやらせたいという誰かがいて、大きな力が働いて、制度が整えられたり、施設が建てられたり、フェスが運営されたり。この世に演劇があってほしいと欲望し、作動しているからくりがあるんでしょうね、きっと。

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刑務所について

__ 
ドラマとは、確かに人生を切り出したものですね。それに反感を覚えたという事ですが。
鈴木 
劇場という場所が、人間が人間を慰めている空間に見えたんですよね。関西に来たとき、エンタメが主流だと知って。もちろん見たんです、これは10代後半の僕の生意気さが助長したんですけど・・・こんな感動、演劇じゃなくても得られるじゃないかと思ったんです。自分はどちらかというと、悪い事も肯定したいなって。
__ 
悪い事を肯定する。誰かの悪意によって傷付けられた時にも、肯定出来ますか?
鈴木 
例えば政治家に嘘を付かれた時に、騙されたとかメディアが一斉に言うんですよ。そんなこと、取り上げる人の方がバカだなと思うんです。良い面を普段取り上げないのに、悪い事をしたときだけ大騒ぎする。そういう状況が嫌ですね。
__ 
悪人を犯罪者として、世間が一斉に攻撃に回る。
鈴木 
僕は、悪人はこの世にはいないという見地です。もちろん、善悪は指標として必要だと思うんですけどね。どういう状況が、彼をこのような仕業に追い込んだのかを考えないといけない。演劇の関係者はそういう志向で考える人が多いと思うんですけど。
__ 
犯罪をした人間=悪人として片付ける事はとても簡単ですね。
鈴木 
犯罪者を刑務所に入れるというのは、臭いものには蓋という事ではなく、「この社会が生み出した犯罪者」という、社会の一員として迎えるべき。みんながそういう認識じゃないと、刑務所の意味がない。更正して出てくるのを待っているだけではだめなんですね。異端者をマスコミが罵倒して、社会の隅においやって、それが商売として成り立っているという状況は、僕は嫌です。

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貧しい演劇

__ 
つまり鈴木さんは、個人の生き方を捉え直そうとしているんですね。
鈴木 
僕の考えの一番最初には社会があるんです。その社会を生きやすいものに変える。これはピーター・ブルックの本を読んで知ったんですが、グロトフスキという劇作家が曰く「観客は必要ない。演出家と役者のみでいい」。彼の作品にはお客さんは必ずしも必要ではなくて、入れても30人ぐらい。彼ら自身を掘り下げる為の演劇なんですね。それを「貧しい演劇」とし呼んで実践してたそうなんですが、僕もそれを支持し始めたら劇団員が離れていくかもしれないです(笑う)。でも、演劇ってコミュニケーションの一形態に過ぎないんですよ。だったら、僕はお客さんと貧しい演劇を作りたい。それが出来るように、演劇を社会に普及させていきたいですね。

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仕方ないわけないじゃん

__ 
これからは若手の時代。私もそう思うんです。個人発信の時代になって、それが当たり前の環境になって。そんな時代、若手がどのような成り上がり方をするのか楽しみです。
藤原 
今とは違う世の中の可能性を見せてほしいです。芸術家にはそうした使命もあると思う。僕は大学時代には政治学を学んでいた、というかかじっていたんですけど、さっきの鬼籍に入った先生、高畠通敏先生というんですが、退官記念の講演で『ミッション』という映画の話をされて。18世紀に南米に行った宣教師の「理想」が、植民地主義の「現実」に敗北するという史実に基づいた話なんですけど、先住民を虐殺しなきゃいけないような状況になって、確か枢機卿が「仕方ない、これが人間の世なのだ」とうそぶく。それに対して宣教師が、「仕方ないわけないじゃん。この世界も人間がつくったものじゃないか!」と言ってブチ切れるという。
__ 
・・・。
藤原 
先生が最後にその映画のエピソードを語ったというのは未だに印象に強く残っていて。マキャベリという思想家を引用しつつ、「運命は与えられるものではなく、つかむものだ」というような話も講義でされていたと思う。だから世の中変えられる、って思っちゃってるんですよ、僕は。今の日本の社会が唯一絶対のものではないから、別に今あるものだけを唯々諾々と受け入れる必要はない。でも今の若い人にはわりと現状肯定してしまう傾向を感じてて、だって別にそんなに貧しくないし、そこそこ楽しく生きられるし、みたいな感覚があるのかもしれないけど、いやいやばっちり搾取されてるし(苦笑)。よく友人のデザイナーともそんな話をするんですけど、「時給」という考え方がそもそも意味分からない。編集もデザインも、時間給に換算されるような仕事じゃないんです。切り分けられた時間の中に所属しないような仕事もある。とにかくいろんな可能性をもっと見てほしいなと僕は思いますね。日本では幸か不幸か、革命で一夜にして何かが変わるというようなことは起こらないかもしれない。でも人間が世の中を少しずつ変えていくんで。アーティストでも、制作者でも、もしかしたら批評家でも、世代交代が進んで、要所要所に新時代の感性を持った若い人たちが出てきつつある。アントニオ・グラムシという人の、「認識においては悲観主義者たれ、意志においては楽観主義者たれ」という言葉が好きなんですけど、まあ、だからケセラセラの精神で陽気ではいたいなと思ってます(笑)。
__ 
行くべき時には行こうぜ、ですね。

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バランスについて

__ 
芝居を辞める事について、考えた事はありますか?
高橋 
烏丸ストロークロックの公演に参加していたんですが、それが終わった時期にやめようと思いましたね。今はずっと続けていこうと思っています。やっぱり、一度辞めようとしたからそう思えるようになったと思うんです。
__ 
辞める理由はどのような。
高橋 
やっぱり、生活とのバランスですね。演劇を続けようとするとどうしても仕事生活とバランスが取れなくなってくるんですよ。お金が無くてもやりたいことが出来ていたらいいという人もいますけど、私はそういうふうにはなりきれなくて。
__ 
そうですね。
高橋 
仕事をしていると、どうしても責任が発生するので演劇に割く時間が少なくなる。以前、鈴江さんの作品に2回参加させてもらった事があるんです。鈴江さんは「フリーターで芝居やってる奴より公務員の方がよっぽどいい演技する」って仰るんですよ。最初はどういう意味か分からなかったんですけど、責任感の問題だったんですね。演劇は、自分が選んでやっている事なんですけど、だからこそ責任を持って参加するようになりました。
__ 
なるほどね。個人的には、演劇がサイドビジネスになるぐらいにまでなったらいいんじゃないかなとか思いますけどね。バイト+演劇で月収35万いくみたいな。
高橋 
この間、リーディングで共演した人がオーストラリアで聞いてきたというお話なんですけど。向うの病院で、がん告知などの患者さんとのコミュニケーションに備える研修に役者を使うらしいんですよ、アルバイトで。
__ 
そういう風に、社会が演劇を必要とするケースはもっとたくさんあるんでしょうね。まだ発見されていないだけで。
烏丸ストロークロック
1999年、当時、近畿大学演劇・芸能専攻に在学中だった柳沼昭徳(劇作・演出)を中心とするメンバーによって設立。以降、京都を中心に、大阪・東京で公演活動を行う。叙情的なセリフと繊細な演出で、現代人とその社会が抱える暗部をモチーフに舞台化する。(公式サイトより)
鈴江俊郎氏
劇作家。演出家。office白ヒ沼代表。

タグ: 繊細な俳優 社会、その大きなからくり もう、辞めたい


vol.216 高橋 志保

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2012/春
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高橋

みんな演劇をしばらく休もう

山本 
さっき佳作が諸悪の根源だと申し上げたんですけど、それにはもう少し理由があるんです。単なる佳作では、初めて劇場に来たお客さんに観劇を習慣にしてもらえないと思うんですよ。
__ 
というと。
山本 
演劇フリークではない、初めて劇場に来たお客さんは二種類に大別出来るんじゃないか。何となく演劇の世界に憧れていて、内輪になりたい、またはなる素質を持っているお客さん。これを潜在的内輪と呼んでいます。
__ 
なるほど。
山本 
逆に、芸術なんて本当に触れた事がない人達、が実は大多数だと思うんです。本当の外輪の方がずっと多い。そういう人たちが例えば佳作を見たって次は来ないですよね。もちろんそれなりには面白かったと思うんですよ、佳作にはそれだけの力はありますから。でも肌にビリビリ来ないから次は来ないし、習慣化しない。だから、傑作オンリーでいかないと、観客は増えないんです。
__ 
難しいと思いますが。
山本 
可能でしょう。まあ、逆説になっちゃいますけど、傑作だという確信がなければやらなかったらいいんですね。
__ 
あ、なるほど!
山本 
みんな一斉に三年くらい演劇をやめて、その間働きながらネタや欲求や鬱積を貯めて、解禁になったら各カンパニーが傑作だけを上演するんですよ。しかも、無料で。とにかく多くのお客さんが来て、演劇の魅力が発見されるキャンペーンがあったら、良いと思いますけどね。
__ 
オリンピックみたいですね。
山本 
管理社会的な(笑う)。もちろん、当然、不可能だし。そういう管理に従うのが芸術かというとそんな訳ないですし。でも、傑作を作ることはそんなに難しくないはずです。たとえば、柿喰う客は傑作でしたよね。
__ 
ええ。
山本 
もちろん、個々人によって相対的な評価はまちまちですが、やっている側は絶対に傑作だと確信していた筈なんです。確信がそこかしこに溢れていた。だから傑作になったんです。で、それはきっと難しい事ではない。
__ 
確かに。あれはそういった重さを持つ作品だと思います。
山本 
佳作にはそんな力はない。やってる側の心のどこかに「これは面白いのかな」という不安を抱かせるのが佳作なんですよ。傑作を作ろうという気持ちがあれば、今の公演が終わらないのに次回公演の予定なんて軽々しく立てられないと思うんです。内輪で「次何する?」「こういうのやんねん」なんていう馴合いから次の公演が始まるなんて、違うやろと思うんです。
柿喰う客
東京の非常に勢いのある若手劇団。
立命芸術劇場
柿喰う客。2009年度に横浜、福岡、大阪、札幌、愛知などで全国ツアーを行う。

タグ: 外の世界と繋がる 「初めて芝居を見たお客さん」 内輪ウケの・・・ 社会、その大きなからくり


藤田ミラノ画集・あしたの少女たち

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__ 
さて、今後は演劇人としてどんな感じで攻めていかれますか?
益山 
結局そこなんですよ。演劇人になるかならないか。僕は今、外から見たら演劇人というくくりで見られるんですが・・・。さっきおっしゃった、演劇村の村民にはなりたくないですね。あくまでも、社会の中での演劇という立場に立って胸を張りたいです。
__ 
それはもちろん、これしかできない、という魂の問題ですよね。
益山 
そうです。僕は器用貧乏で色々出来ちゃうんですけど、それでも演劇をやり続けているのは、自分の魂にフィットしている部分があるからだろうなと思います。そういう風に見極めるっていうのは大切な事なんじゃないかなと思います。
__ 
分かりました。頑張ってください。今日はですね、お話を伺えたお礼にプレゼントがあります。
益山 
えっ。そんなものがあるんですか。
__ 
どうぞ。
益山 
ありがとうございます。(開ける)あ、いいじゃないですか。藤田ミラノ。好きなんですか。
__ 
古本屋で買ったものです。これしかないなと思いました。60年代後半に描かれた作品が中心ですが、全く古くないというより、現在の感覚で美しいと思えるんですよ。それが40年前に描かれているという驚きが、何だかいいなと。
益山 
この時代の絵は主張があって良いですよね。ありがとうございます。

タグ: プレゼント(書籍系) 社会、その大きなからくり 今後の攻め方 自分は何で演劇を


劇団(員)の姿勢について

__ 
「ソニータイマー」。終わってみていかがでしたか。
梶川 
個人的には反省点がいっぱいあるんですよ。ただ、劇団として今の段階ではそれなりに成功であったと思います。でも、最終的に演出の方に作品を引き寄せられなかった点とか、あとは劇団の運営的に後手に回ってしまったり、制作部の仕事が遅れたりとか、スタッフさんの都合が付かなくなって劇団員でカバーして作品作りに影響が出たりとか。作品的には僕はとても好きで、上手く出来たと思うんですけど、運営面での体制を充実していればもっと良くなったと思いますね。
__ 
そういった運営側で出た問題についての原因は、既にご自身ではっきり見えている状態なのでしょうか。
梶川 
いや、まだ明確ではないですね。具体的な公演準備の進め方についてはクリアすればいいだけの話なんですけど、劇団(員)の姿勢については色々あります。
__ 
というのは。
梶川 
「お芝居をやっていると食えない」という、あるじゃないですか。それに僕自身、もしかしたら劇団員も決着を付けていないという。これから何を目標に歩んでいくのかみたいな。やっぱりそこは若干しんどくて。学生劇団をやっていた頃はただ楽しいだけでやれたんですけど、こうして劇団を立ち上げて、社会参加して作品を作るとなると、「果たして僕らの作る作品がどんな価値を持ちえるのか?」という所にまだまだ答えが出ないんですね。それが、劇団を維持・運営していく上で少し弱い所ではあるなと思うんですね。
__ 
それは難しい問題ですよね。ところで、梶川さんは大学からお芝居を始められたんですよね。
梶川 
そうですね。大谷大学の蒲団座からです。卒業する頃になってchickens cafeという劇団を立ち上げて、その頃もまだ学生気分というか、自分達が楽しければ良いみたいな気持ちだったんですね。それは、それで良いと思うんですけど、その劇団の解散前くらいから「これが一体何になるんだろう」という思いが強くなったんですね。それから解散して、現在nono&lili.をやっているんですけど。
__ 
なるほど。
梶川 
nono&lili.でぼんやり見えているのは、お芝居をやる事はお金儲けとは違うだろうという事ですね。いまウチの劇団は、ちょっと商業的な方向になっているという気がするんですよ。分かりやすい作品で人を集めて、という。多分、それは僕らがやりたい演劇ではないと思うんです。人を集めるという事は悪いことではないんですけどね、劇団としては。劇団としてはお客さんに開かれているべきなんですけど、作品に関して言えばもう少しわがままになっていいのかもしれない。それでたとえ少しわかりにくくなっても、そのわかりにくさに対して作り手と受け手が素直に向き合えるのではないかと。お金儲けでなく向き合う事なんではないかと思います。

タグ: 反省Lv.3 社会、その大きなからくり


みんな一緒な訳ない

__ 
きたさんがダンスを始められたのは、ある記事によるとボランティア活動を勘違いされたのがキッカケだそうですが、あれはどういう。
きた 
いや、勘違いはしてないんですよ(笑う)。当時はちょっと、荒んでいたんですね。で、これじゃダメだなと思ってネパールに行ったんですよ。まあ、色々ある国じゃないですか。貧富の差とか。そういうのを見て、日本に帰ったら人に良い事をしようと。人に良い事ってボランティアじゃないですか、十六歳の感覚だと(笑う)。ボランティアという言葉に釣られて行ったのがダンスボックスのボランティアスタッフだったんですよ。
__ 
なるほど、そういう経緯があったんですね。初めてダンスをご覧になって、いかがでしたか。
きた 
いやー、全然意味わかんないなあと。
__ 
ああ・・・。
きた 
でも、衝撃を受けたんですね。その頃はデザインの学校に行きながら写真も撮ったり絵を描いていたりしていて。文化的なものに救いを求めていて、例えば坊主頭の絵ばっかり描いていたんですよ。そういう時期に、由良部正美さんの舞踏を見て、自分の描いていた絵が立体的に現れたことに衝撃を受けて。あ、この人は運命の人だと思って。この人に近づくにはダンスをしようと思って、由良部さんの所に行ったのがダンスの始まりだったんですね。
__ 
なるほど。そして今ではご自分の作品を発表するようになられた訳ですけれども、ところできたさんの稽古場ではどのような形で作品作りを進めるのでしょうか。
きた 
単純に、私が見たい事をする、みたいな。ダンサーを使って、この子こんなんしたら変だろうなーと思う事をとりあえずさせてみて、私が笑って、終わるみたいな(笑う)。
__ 
ああ、それはいいですね。
きた 
全然作品には使わなかったりするんですけど、うわー何でこんな事してるんだろうこの子って思う、という。そういう事をかなりしていますね。
__ 
きたさんはダンサー一人一人の個性を大事にされると、京都造形芸術大学の卒業制作を紹介するページにありましたが、そういう個性や違いを重視されるのは何故でしょうか。
きた 
あー。元々、私は団体行動が苦手で。個人で作品を作る前に参加していたのが、個人対個人で作品を作るという環境だったからですかね。今でも、ダンサー達を一つにまとめちゃうのが凄く失礼な気がして。そしたら誰でもいいじゃないって。私自身が、千日前青空ダンス倶楽部というカンパニーに入っていたんですけど、一人だけ背が小さかったんですね。だからソロばっかりで、中々群舞には縁が無くて、たまに機会があっても中々楽しいと思えなくて。
__ 
はい。
きた 
対個人としてダンサーと向き合いたいんですね。絶対、みんな一緒な訳ないじゃないですか。
__ 
バレエとかではなく。
きた 
それはそれで凄くキレイで素敵だなと思うんだけど、あれは容姿端麗な人がやればいいじゃないですか。ダンスっぽくない体が好きなんですね。で、やっぱりそういう人達が踊るとどうなるのかなと思っています。
__ 
キャラクターが人間によって違うという現象が、重要な要素であると。
きた 
単純に、見かけという問題もありますし、それを見て私が妄想するんですね。うん、それで形取っていくものがありますね。人の事を勝手に考えるのって楽しくないですか? この人こんなんだろうな、とか。
__ 
絶対にしないだろうけどこんな事したら面白いだろうな、とか。
きた 
うん。
__ 
あのマイクを使った「ア!」も、彼女自体に合ったから面白かったんですかね。
きた 
うん、あのシーンは私も好き(笑う)。サカリバは、ちゃんとした作品解説もあるんだけど、そこには書かない私の妄想が実はあって。その「ア!」って言った女の子は、怪獣なんですよ。彼女は普通の言葉を喋ってるつもりだけど、傍から見たら「ア!」とか「ギャ!」にしか聞こえないという設定で。他のダンサーはちゃんと唸れたりセリフを言ったり出来るんだけど、彼女に関しては人間じゃないししょうがないじゃん、と(笑う)。ダンサーには言わないけど、動物に例えて振り付けをしたりしてますね。
__ 
なるほど。動物と言えば、彼らって種族間で恐ろしい程の違いがありますよね。例えばキリンとアザラシでは比べようもない程。
きた 
違うよね。
__ 
これは個人的な考えですが、多分動物ってのは、自分達が置かれた環境の中で身に着けた武器を一番出しやすい形で自分の外形をデザインしているんだと思うんだけど、これを人間に置き換えると、社会の中で生きていく為の思想がそのまま動物にとっての武器になるんじゃないかなと。それが、顔面という最も見えやすい部位に個性や系統として表現されるんだと考えていて。ダンスの作品ってそういう個性がひときわ特定される機会なんじゃないかなと思うんですよ、。・・・何かすいません、語ってしまったみたいで。
きた 
いやいや、そういう事なんだよ。自分で作品を作ってて疲れていた時期に誰かと喋っていた時に言われた事なんだけど、「まあしょうがないよ猛獣使いなんだから」と。
__ 
なるほど。ダンサー=獣か。
きた 
何かね、そういう感覚でやると凄く面白い。
ダンスボックス
1991年に大阪・TORII HALLを拠点に活動開始。2002年NPO法人化、新世界アーツパーク事業を経て、 2009年から神戸市新長田の 「 Art Theater dB Kobe」 を拠点として活動中。(公式サイトより)
千日前青空ダンス倶楽部
大阪を本拠地とする ポップで透明感を持つ新しいタイプの舞踏ユニット。2000年11月、DANCE BOX「DANCE CIRCUS.14」にてデビュー。〈身体〉を予め用意されたイメージを表現するための媒体と考えるのではなく、〈身体〉それ自身に記憶されている風景や歴史を引き出すことにより作品を創っている。(公式サイトより)

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道標

__
今後、齋藤さんはどんな感じで。
齋藤
どんな感じ(笑う)。やっぱり、高校からの夢が海外放浪とかだったので。海外と繋がる仕事がしたくって。今回の台湾の人との共同制作のような仕事を続けたいですね。ただ、それには今の僕の力が色々足りなくて。まずは、英語力を。
__
英語力。
齋藤
もっと高めないとなと思って。だから、留学とかしたいなと考えてます。最近。
__
留学ですか。
齋藤
日本語でも海外で通じる芝居が出来るとか言ってて足りないのは英語力です、とか矛盾したような事を言ってるような気もするけど、言葉ってやっぱり特殊なもので。人間として、お互いの気持ちを確かめ合ったりするには言葉はそんなに要らないんですよ。そこから先、もっと深く知り合おうと思ったら言葉以上の物が要求されるんですよ。その人の生きてきた文化背景とか、住んでいる国の情勢とか、そういうものを知らないと。となると、言葉って曖昧なものなんですね。でも僕は、「そこから先」に行こうとしているから。まずは言葉を覚えて、その国の情勢なり文化的違いを覚えて仕事していかないと、やっぱりどこかで行き違いというか溝が出来てしまって。凄い作品を作ろうと思ったら、その溝が邪魔になったりしますし。
__
ええ。
齋藤
あと、制作的には、制作として自立出来るような形を作らなければならないと思ってます。
__
というのは。
齋藤
制作というのは、劇場に就職するぐらいしか生きる道がないようなイメージがあって。本当にそうなのかと。制作の人が劇場に居ついてしまうと、劇団から離れるんですね。その反対のケースもあります。その状況はあんまり良くはないだろうと思ったり。制作の人って、30歳前になったら決まって辞めていくんですよ、この世界を。
__
なるほど。
齋藤
それが、何か切ないですね。あまりにも明るい未来が見えにくいので。若い子はもっと現実的になってきているので、下手すると最後にはいなくなっちゃうんですね。制作者が。
__
まあ、普段は勤めていて、経済的な余裕が劇団員にある劇団もあるとは思うのですが。制作一本で生きていく人がいたら、その人が道標ですよね。
齋藤
うーん。僕は、社会人しながら芝居をする人は素敵だと思うし、そういう人がこれから増えていったらいいなあと思うけど。
__
はい。
齋藤
制作だけで食っていけるという人がいれば、目指す人も出てくるだろうし。やっぱり、そこには夢がないとね。

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