今まで共演してきた人たちがいついなくなるのかも本当に分からない

髭だ 
ちょっといいですか。
__ 
ええ。
髭だ 
僕が高校3年の頃、親父が急死したんですね。何の前触れもなく、くも膜下出血で。昨日まで普通に動いてたのに、翌日動かなくなってしまったんです。そういう事があってから、人生について色々考えるようになりまして。多感な時期に、何で!?と。神様なんていないんだなと。
__ 
なるほど。
髭だ 
でも、親父が死ななかったら、推薦をもらって京都の大学に来ることも無かったんですよ。翻弄されているなという事に腹が立って。演劇とかドラマとかを見ていると、そういう人生のドラマは出てきますよね。でも何かどれもキレイなんですよね。そういうのが、何だかすごく嫌で。
__ 
ええ。
髭だ 
何で、余命を宣告されているのにあなたはそんなに凛としていられるの、と。死ぬ直前にでも、「死にたくない」と一言言って欲しいんですよ。もっと足掻いてほしいんです。絶対言うはずやん、素直に口に出してもいいと思うなあ。本当に、人はいついなくなるのか分からないんですよね。僕もいつまで演劇を続けていられるか分からない。今まで共演してきた人たちがいついなくなるのかも本当に分からない。大切にしないといけないなと、日々思っています。
__ 
そうですね。足掻いてほしい。
髭だ 
だって、人間は死ぬ為に生きている訳じゃないんですよ。

タグ: 今、手が届く距離にかの人がいる事


今、手の届く距離にかの人がいること

__ 
最近、演技をする上での気付きを教えて下さい。
西村 
私は大阪生まれですけど秋田育ちなんです。私って、勢いがある感じではないんですけど、でも得意な分野はあるはずなんです。それを大切にしたいです。あと、そこに流れている時間にどれだけリアルにそこにいれるか。本当に心を揺らして存在していたいです。
__ 
難しい領域ですね。
西村 
パワフルなのもリアルなのも両方出来るようになりたいですね。
__ 
一つ一つの演技、そのどれもが替えの効かないものであって欲しいですね。替えが効く役者なんて基本的にはいない筈なんですけど、でも替えが効く演技みたいになっているのを見ると悲しくなりますよね。そのステージのその時間にしかありえないことの為の工夫を見たいと思っています。西村さんは、女優としてどんな演技が出来るようになりたいですか?
西村 
何か気になって見てしまう、そんな人になりたいです。
__ 
なるほど。
西村 
舞台にいっぱい人がいても目が行ってしまって、自分の存在が伝わったら嬉しいです。あの、私、右脳左脳テストで、左右脳らしくって、理論的に捉えたたものを感覚的に表現しているみたいで。私の言っている事伝わるかなあ。
__ 
分かりますよ。何か見てしまう、上品さが西村さんの演技なのかもしれない。悪目立ちじゃなくて、洗練されていると言えるのかな。
西村 
そう、そうですね。魅力的になりたいんです。

タグ: 目を引く役者とは 工夫する俳優 今、手が届く距離にかの人がいる事


壁のむこう

__ 
演劇に関わった事は、宮階さんの人生にどんな影響を及ぼしましたか?
宮階 
むしろ、私が関わった事が演劇に影響を及ぼしたんじゃないですか?
__ 
おお。その通りかもしれませんね。
宮階 
言うたった。でも、本当にそういう気がします。演劇界という訳じゃなくて、私が関わった演劇作品は私の影響を受けていると思います。
__ 
ああ、私もそんな気はしますよ。宮階さんが出てくると、もの凄く危うい感じが増すんですよ。dracomの「弱法師」の時、役者さんたちに並んで宮階さんが出てきた時、何か不穏なものを感じましたね。存在感というより、危険を感じます。何故でしょうか。
宮階 
私は、仕事をまず始める前に「これは何なんだ」と、一つ一つの作業にどんな意味があるのかを確認して紐解く癖があるんです。台本をもらったら一言一句全てのセリフを辞書で調べるんですよ。それは理論的に確認したいという事じゃなくて、毎日使っている言葉でも、必ず、自分の知らない意味があったりするからなんです。そこから、可能性というか、新しい態度を取れると思っていて。
__ 
新しい態度。
宮階 
前提として、私はなりきったり感情を作ったりが出来ないんです。いつも頭の後ろの上空に目があって没頭出来ない、没頭しても、上に目がある事に気が付いてしまう。しかも私が没頭したとしても面白くなる訳じゃないんですよね。その為の時間じゃないし。あくまで、お客さんと作品の為に、その時間と空間でどう遊べるか、という事をずっと思っています。照明とか音響とか小道具とかと同じように私の存在がある。
__ 
並列関係にある。
宮階 
稽古期間で、演出家のアウトを貯めていくんです。この人は何をアウトにするのか?を探るんです。本番ではそれを全て忘れる。アウトを自分の体に覚え込ませて、お客さんの前で誰も知らなかった可能性を引き出すんです。
__ 
仕事の定義を掴んで、没頭を警戒して、行ってはいけないアウトを踏まえて、ご自身も知らない可能性を本番で探ると。
宮階 
だから、本番になったら稽古なんて振り返らないですね。舞台上では客席の壁の向こうを見るようにしています。アホみたいな事を言ってますけど。
__ 
そんな気持ちで舞台に立ってたんですね。
宮階 
でも舞台に出る一歩手前まではこの空間全部死ねみたいな気持ち本気でなっていて。いまこの劇場にテポドンが落ちてきて、死ねっ死ねっって思ってます。本番前のゲネとかは最悪な出来なんですよ。あらゆる失敗が起こるし。でも、本番が一回終わると降参して白旗を上げている状態で。どう思ってもらおうがいいですよ、と思っています。

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vol.333 gay makimaki

カウパー団。

2014/春
この人のインタビューページへ
gay

今、手が届く距離にかの人がいる事

__ 
舞台映像を編集するのは、きっととても楽しいんじゃないかと思うんです。演劇作品を映像という形式に移し替えるという、それはそれは難しい作業。きっと、文脈を押さえながらでないと出来ないですよね。きっと、かなり文学的な素養が必要なんじゃないかなと思っているんですが。
武信 
うーん、そうだと思います。僕が客として見た時の、物語の受け止め方を出来るだけ再現していこうと思っています。あんまり客観的にやりすぎると、機械的に映っているだけのものになってしまうんです。淡々と映されているだけじゃなくて、責任を持って誰かの手で再構築したものじゃないと、舞台の持つ「生の良さ」が落ちたものでしかないので。つまり、僕の方に引き寄せたものにはなっちゃいますね。
__ 
演劇をメディア化すると、それは「生の良さ」が落ちたもの、である。確かに、芝居を観客席で見るのと画面で見るのとでは全然違いますからね。それは、ずっと引きの画面で客席後方から撮影した映像と実際に客席後方にいる場合でも、やはり違うと考えています。
武信 
そうです。
__ 
客席にいるのであれば、視覚と注意力と空間把握を総動員すればクローズアップ出来ますからね。照明が照らされている舞台上ならなおのこと。映像だと視界のサイズが同じでも出来ない。そして、単純な映像としての見え方以上に、透過光か反射光かで脳の認識モードが違う、という仮説があるそうで。
武信 
ああ、ありますよね。透過光と反射光の話。透過光だと受動的にみて、反射光だと批判的に見るという。
__ 
そうそう!そうなんですよ。透過光はパターン認識モード、反射光は詳細分析モードと言われているらしいですね。前者は具象像から図形的認識を展開して、後者は抽象的な意味合いへの分析を行う、とか。
武信 
実は、触覚というのもあると思うんです。表現方法としての映画と演劇の違うというものがあって、映画はやはり視覚オンリーなんですよね。もちろん聴覚もありますけど、視覚が一番重要。生の演劇だと、以外と視覚というのは使っていなくて、どちらかと言うと触覚に近いんです。そこにいる存在を楽しんでいる感じというか。感覚が違うんですよね。映像だとまず触覚はないので。面白い映画って、音を消しても何が起こったか分かる。演劇は目をつぶっても、何かが起こっている雰囲気が感じられる。
__ 
そういえば、そんな感覚はありますね。
武信 
そういう現象が何故起こるのかは分からないですけどね。そこが、触覚と視覚の違いでしょうね。映像化によって消えてしまう触覚の代わりに、何を与えられるかというのが、舞台映像としてのテーマです。

タグ: 舞台撮影について 今、手が届く距離にかの人がいる事


「そこで本当に起こっているんだ」

__ 
見に来たお客さんに、どう思ってもらうのが理想ですか?
坂本 
「ここで起こっている事は本当の事なんだ」と思って欲しいですね。ドキュメンタリーという意味じゃなくて。役者の演技が「そこで本当に起こっているんだ」と感じてもらいたいですね。
__ 
鬼気迫る、という事ですね。物語の再現という訳じゃなくて、いま目の届く距離にかの人がいる事。それは、何故でしょうか。
坂本 
私が興奮して見ている時、「本当の事なんだ」と思うから、ですね。現代劇でも歌舞伎でも、同じように思います。私の書くものはファンタジーであり、一見するとただの「つくりごと」なのですが、私、座右の銘的に思っている事があって。「リアリティとは現実に似ていることから生じるのではなく、わたしたちの魂の願望を言い当ててくれることによって生じるのではないか」って。これは「十二国記」の評論にあった一節なんですが。
__ 
魂の願望からリアリティが生まれる。
坂本 
「十二国記」は、主人公の女子高生が色んな超人的能力を得て一国の王になるという英雄譚で、それは現実にはあり得ないけど、魂の奥底にある願望を汲み取っているからここまでのリアリティがあるのだ、と。これも受け売りですけど(笑う)現実と似てるからリアリティを感じるんじゃなくて、現実からは遠いけれども、私達の根源的な望みや悲しみをすくい上げてくれているから共感出来るし、リアリティがあるのだと。そのことは思い続けていますね。
__ 
魂が震える、揺れるところを見たいですね。
坂本 
はい。それを書きたいです。演劇が面白いのは、役者は何回も同じ芝居を演じていて、もちろん結末も全て知ってるんですよね。そうした存在が、また自分の運命を頭からたどり直している。そこには、潜在的な色気を見る気がするんです。
__ 
構造が生む、かすかな色気。
坂本 
そうだと思います。それは狙う所じゃないんですけどね。まるでファンタジーです。見ようと思っても見えない。でも視界の隅でチカチカと光っている。でも焦点を合わせようとすると見えない。そういうものをつかみとろうとすることが、ファンタジーを書くという行為なんだと思います。

タグ: ドキュメンタリー ファンタジー 色気なるものの謎 今、手が届く距離にかの人がいる事 焦点を絞った作品づくり