噛み合う為に生きている

嵯峨 
腕よりも、もっと鍛えた方がいいのは体幹ですね。そこを教えてくれるのはいい道場です。腕をどう使うかは大切なんですけど、相手がどんな時に来てもいいように胴を練るんです。幹が練れていたらバランスが崩れないので、枝葉に当たる腕も動いてくれるようになるんですね。
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体幹を練る。どのように訓練しているのでしょうか。
嵯峨 
まずは、正しく立つ事です。背筋をまっすぐ伸ばし、やんわり曲げていく。自分の体にどれだけ力が入っていったのか感じながら曲げていく、あるいは伸ばしていく。ブルース・リー先生もやっていた「アイソメトリックス」がそうですね。立っている人間には前後左右上下の6方向に重力が働いているんですが、動かないで自分はどこに方向に向かっていくのかを感じるトレーニングなんです。前に行きたい自分を抑え、キープする。後ろに行きたい自分を感じる。自覚するんです。
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自分の行きたい方向を感じる・・・?
嵯峨 
下に向かう重力があって、自分は反作用で立っていますね。だから自分はここにいる。自分はどの方向に向かうのか?禅のようですね。
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精神と肉体と関節の総合が持つ方向付けの力を感じ、集中して問い続ける。
嵯峨 
そうですね、力と言えると思います。ただし、惰性ではありません。惰性だと重力に従って落ちていく筈で、それに逆らって立っている自分の方向付けを見定める事は、禅に近い修養と言えるでしょうね。
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我々はたまたま生まれてきて、闇雲に生きていますが、肉体と精神と関節というものを与えられていますね。その3つの総合をもってして、方向付けがいみじくも出来ています、と。
嵯峨 
そうですね。
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それは惰性で動こうとしているのではなく、自ら存在として動こうとしている。
嵯峨 
もっと演劇の話に近づけると・・・「シモンさんみたいに動いてみたいです」と言われる事があって。僕なんか全然動けないんです。どんな風に自分は動けるのか、そのイメージを具体的に持たないといけないんですね。自分の腕の可動域はどこからどこまでか。肩は?足のバネは?それを考えて、ゆっくり動いてみたり・あるいは勢いをつけたり。考えて動かなければ失敗するパフォーマンスになるんですよね。ちゃんと、今いる立ち位置・スタンスのところから、相手への距離を考えて練っていく事をやるかやらないかが、上手い演技者かどうかの分かれ目。武道でも同じです。これは師範の言葉ですが、武道を学ぶ人こそ頭を使って勉強しないといけないんですね。理を理解し、相手と自分の事を考え、頭を使って勉強していないと、武道を正しく使えないし、上手くもならない。
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それは、言葉だけではない自己分析と言えるかもしれませんね。自己の表現内容を吟味するという意味で、演技者としての大切な作業ですね。
嵯峨 
もちろん、プレイヤーと演技の間には演出の要請がありますからね。さらに、独りよがりの演技に陥ると「何で相手役を置いて一人だけでいってんねん」という事になってしまいますし。舞台は、噛み合った完成形を見せる芸術作品ですから。ところで武道でも、噛み合うという事を学ぶんです。
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というと。
嵯峨 
武道の「道」とは仲良くする事を意味するんですよ。それが最終目的なんですね。道でないと広がっていかないんです。格闘術は戦場で生き残れればキレイでなくてもそれでいいんですよ、本当に。「道」と名前の付いている武道は自他共栄する事です。演劇って、役者が共演者と一緒に上に上がっていくからより良いものになっていくんですよ。
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それはきっと、傑作と呼べるものだと思います。
嵯峨 
そうですよね。統合・統一・統和されないと、演劇としては完成されないと考えています。そうでないと面白くないんです。

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